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箱は空だから意味がある


現場への往復で末木文美士『哲学の現場―日本で考えると言うこと』トランスビュー2011を読み終える。西洋哲学と東洋哲学を接ぎ木しながら日本の哲学を教えてくれる。日本の哲学は東西の思想の混合である。そして東洋思想の根源の一つは老荘思想でありその大事な概念に『無』がある。この言葉昔からちょっと惹かれる。というのも中学時代、今から40年近く前に、漢字学者の諸橋轍次が招待講演でその本質を教えてくれたからだ。今でも鮮明に覚えいているが、彼はこう言った。「箱でも棚でも鞄でも空の時ほど意味がある」。子供の常識で言えば、本棚には本が一杯入っていてこそ意味がある。なんだってものが一杯入っていなければただの空であって意味が無いと思うのが普通だ。しかし諸橋さんはそんな常識をころっと覆してくれたわけだ。それ以来馬鹿の一つ覚えのように、ものは空(無)でこそ意味があると思うようになった。
ノートはなるべく空白を沢山とる。本棚はなるべく空きスペースをとって不要なものは何でも捨てる。鞄はなるべく大きいものとしていくらでも入るようにする。やたらなんでも暗記すると頭が一杯になるので不要なことは覚えない(これは失敗だった)。
などなど。そして今でもその習性は変らない。なるべく捨てられるものは捨てる。コンピュータの中もどんどん捨てる。(これでいつも失敗をする。でも気にしない)。捨てるか捨てないか悩む時間の方がもったいない。
そしてそれはついに建築の考え方にも無意識に影響を与え「建築はフレーム」であって大事なのはそこに飛び込んでくるものだと言う境地になっている。中学時代の教えに忍び込んでいた老子が建築に生きづいているということである。
 
関係あるかどうか分からないがオルジャッティのプランなど見ていると空箱の思想を強く感じる。

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