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ゼミのやり方


●地下が打ち上がった。まるでボックスカルバートだなこりゃ

現場の行き帰りに来年度のゼミスケジュールを考えた。信大に居た時これは難儀だった。大学に居られる日数が少ないというのがその理由。だが理科大では難儀の質が違う。学生の状況がばらばらというのがその理由。働いている人、働いていない人。他(自)大学院を受験する人、推薦で上がれる人など人によって研究室活動にコミットできる時間が異なるのである。
信大の時は学生それぞれの個性がどうであれそんなの一旦クリアして俺の価値観にドップリつかってみろと言えた。それは彼らが高校卒業とともにこの大学に来てまだ無垢な頭脳を持ち、潤沢な時間を有し、受験勉強をせずに大学院に行けたから(6年教育を標榜し、面接だけで決定するから)。
しかし理科大ではそうは行かない。人生経験豊富な輩を前に価値観改造しようなんて野暮というもの。仕事に追われなかなか大学に来られない輩を相手に自分にドップリ浸かれなど無理な相談。受験勉強に明け暮れる輩にゼミをやっても暖簾に腕押し。
そこで一年の経験を経て来年はやり方を変えることに決めた。多様性を尊重することにした。メニューは作る。でも一部(中間部)の無受験組以外は基本的に輪読、ワークショップ、コンペ等の参加を強制しない。自分の生活と興味に合わせてやりたいものをやれるようにしたい。もちろんこれは単なる状況に対するイージーな解決法ではない、個の尊重である。いろいろな人間がいることを認めることで面白い場にできるだろうと思うからだ。前にも書いたけれど欧米諸国(アジアもそうかもしれないが)に研究室なんてないのである。これは日本独特の大家族主義のようなものである。こんなシステムが果たしていいものなのか自分でもよく分からない。大家族の親父よろしく「俺の背中を見て育て」なんてここでは無理だ。学生が僕から欲しいものを得て自ら育つしかあるまい。
もちろん背中を見たい人はついてくればいい。それはそれ。

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