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『レコードの美学』を読みながら建築はレコードだと思う

栃木での打ち合わせを終えて大宮から長野へ向かう。車中細川周平の古典的名著『レコードの美学』勁草書房1996を読む。細川の博士論文である。本書は言うまでもなくベンヤミンの名著『複製技術時代の芸術』の啓示のもとにレコードという19世紀末の複製技術について書かれた本である。そして重要なのはそうした複製技術がもたらした芸術の様態を社会学的に考察するのではなく美学的に考察した点である。つまり、レコードからの音楽聴取が受け手にいかなる美学的な変容をもたらすかを探求したところに本書の価値がある。その中で僕が最も興味深かったのは、レコード聴取の反復性とは同じ音を何度も聞くことではなく、一回一回の中に積極的に異なる音を聞き取ることであると見抜いたところである。曰く「レコードの悪しき聴取者とは、そこに機械論的な因果関係しか見ず・・・必然的な循環しか聴かない人間である。・・・良き聴取者にとってレコードをかけ直すことはまさに遊び直す(re-play)である・・・」
これはもう少し分かりやすく言えば、コンサート会場で一回性のアウラを聴くこと以上にi-pod(レコードの現代版)で様々な場所で音を聞くと言う聴取状態においてはその時のさまざまな環境や心理状態の差によって聴きとる音に差異が生じるということである。
このレコードの持つ機会性は実に建築的でもある。僕が常々思っているように建築とは録画なのである。毎回毎回同じものであるという点において録画である、細川の言葉に置き換えればレコードなのだと思う。しかし細川が言うようにそうしたレコードには機会性がありそれを感じ取る良い聴取者が望まれる。ではそうした良い建築聴取者を生みだすためには何が必要なのであろうか?建築はi-podと違って移動はしない。しかし移動しなくとも周囲の環境は変化する。内部の状態も変化する。そうした変化を感じさせてやることが良い聴取者を生みだすはずである。つまりレコード以外の何かが建築を良いレコードにして良い聴取者を生みだすということなのである。そう考えるとやはり建築はフレームでありそこに生まれる機会性の中に建築の持続性があるように思うのである。

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