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『長野市民会館50年の記憶』が出版される

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●長野市民会館ファサードのトレサリー

朝9時に信大のT先生がホテルに迎えに来てくれて甲府へ向かう。道路は空いている。長野から山梨へ進むと山が急峻になるのを感じる。小渕沢のあたりからは正面に富士が大きく見える。気のせいかもしれないが富士山は山梨側から見ると静岡側から見るより急に見える。検査開始時刻よりも早く着いたので先ずはT先生を案内する。
1時にスタッフのT君が到着。事務所検査を始める。設備検査は事前に済ませていたが、たっぷり3時間半はかかった。しかし全体的に見て大きな指摘事項もなく、未済工事も殆どなかった。よくこの工期で遅滞なくここまで作りこんでくれたことを嬉しく思った。一か月前の住宅の施工者と言い今回の早野組といい、良い施工者良い所長に恵まれたことに感謝したい。
夕方のかいじで東京へ向かう。車中昨晩梅干野先生からいただいた長野市民会館記録編集会議編著『長野市民会館50年の記憶』信濃毎日新聞社2011を読む。長野市民会館は私が生まれたころに竣工した50歳の建物であり。残念ながら今年で閉館となり解体される。設計は佐藤武夫事務所。担当は当時32歳の宮本忠長であった。音響工学で工学博士となった佐藤の技術と早稲田伝統の触視的なデザインが融合された建物である。
煉瓦とPCトレサリー(すかし模様)が印象的な外観である。そのことについて現佐藤総合計画の細田雅春はこう述べている。「(佐藤は)端正な正面性を意識しておられた。正面性を構成する壁面のテクスチャーには、織物の模様のアナロジー・・・・紬や絣模様、タータンチェック、ヘリンボーンなどと言う先生の言葉が今も耳に残る」。
服飾を建築のアナロジーとするのはゼンパーを始め多くの建築家が試みたことであるが表層のパターンに適用したのはあまり聞かない。なるほどと思わされる。

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