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エロティシズム

エロティシズムをテーマにして卒計を作っている学部生がいるので再度バタイユを読み直したり新たに読んだりしてみた。ジョルジュ・バタイユ、酒井健訳『エロティシズム』(1957)2004ちくま学芸文庫、『純然たる幸福』所収のエロティシズム関連の論考(1955~1957)2009ちくま学芸文庫、森本和夫訳『エロスの涙』(1961)2001ちくま学芸文庫、湯浅博雄『バタイユ』講談社1997。
人間は動物同様の欲求を持っている。しかしその欲求を動物と同様の形で表現するのに嫌悪を抱いた。そこで動物との差別化を図ろうとした。そのため人間は欲求を一度ため込み簡単に外に表出しなかった。それが人間化であるとバタイユは言う。しかし人間はこのため込み=人間化という名の禁止行為を再度拒否しようとした。禁止を乗り越え、ためこんだ欲求を露わにしようとした。それが欲望であり、バタイユの言葉でいえば「侵犯」である。そして人間はこの侵犯を人間たらしめるために理屈を捏ねて洗練した。味を楽しむために食べ、健康を維持するために眠り、愛の表現するために性行為を行った。さてここまでがバタイユの考えである。しかしこの侵犯は人間を人間たらしめる方向のみに行われるわけでもないように思うのである。ここからは僕の考えである。人間を再度動物に引き戻そうとする欲望もありそうである。人間を適度に動物化させる方向。そういうことの方がこれからの時代のエロティシズムという気もするのだが。どうだろうか?

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