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ポストヒューマニズムの「ヒューマニズム」建築について

K.マイケル・ヘイズ『ポストヒューマニズムの建築』ではジェフリー・スコット『人間主義の建築』が文字通り批判的に読み込まれている。という内容のツィートをマイケル・ヘイズの翻訳者松畑さんから頂いた。そう言えばそうだろうなあと思いながら読み返してみた。ヘイズはハンネス・マイヤーとヒルベルザイマーを通して反ヒューマニズム的建築の読み込みを行いながら統合的で中心的な人間主体を放棄した建築の可能性、現代性を提示する。そこにおいてスコットはと言えば、人間主義を賞揚する過去の人として取り扱われることとなる。
さて「ヒューマニズム建築」という言葉はあちこちで耳にするものの一体その語の意味合いとはいかなるものか?体系的に書き連ねることなどできないが少なくとも二つの書を整理すれば恐らく3つくらいの意味が読み込める。
1) 哲学的な言説と呼応する意味で「確固とした人間主体が計画した建築」(そこには人間精神のバランスと合致した統合的な姿が現れる)
2) スコットが説明するところの「人間と同一視され得る建築」(そこには人体が持つ比例関係が投影された古典主義的な姿が現れる)
3) これもスコットが説明するところのもので「人間が感情移入できる建築」(これは建築受容の側面から分析された考え方であり建築の姿を規定はしない。ただし人間の感情移入を誘引するためには建築自体が2)で示したようなアンソロポモロフィック(人体同形)であることはその可能性を高めることなる)

さてこんな整理をしてみたのは、昨今作品選奨の審査で1)を否定するような反ヒューマニズム建築と2)3)を賞揚するようなヒューマニズム建築を見せていただいたように感じ、その感じ方を整理してみたかったからである。しかし整理しながら思い返してみると、それらの建築の良さはどうもそうした差によって明確になるそれぞれの性格の中にあるというよりは、むしろそれらが共有する特質の中にあるのではと感じるのである。ではそれは一体何なのか?するとどうもここにまた人間が登場する。それは「人間を疎外しない」とでも言えるような性格である。最近の建築はどんなにとんがったデザインをしながらもどうもこの点を外していない場合が多い。人間が何らかの意味でデザインの支配的な部分にいる。その意味で昨今の建築はポストヒューマニズムの「ヒューマニズム」建築と呼べるようなものなのかもしれないとふと思うのである

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