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悲しみ先取り症候群

午前中のアサマで長野へ。車中で読んだ川上未映子の短いエッセイにこんなことが書かれていた。川上は将来起こるであろう悲しい出来事に備えて想像の中で先回りして、その悲しみの予行演習をするという。しかしこの悲しみ先取り症候群も親友の死を前にしてまったくその機能を果たさなかった。あの小林秀雄も母の死にあって「もっと大事にすればよかった」などとひどく普通のことを言ったそうだ。物事をねちっこく考える小林であっても死は想像を絶するものだったということなのだろう。そして最後に悲しみ先取り症候群など時間の無駄なのか?人生は今だけ考えていればよいのだろうか?と自問する。
このエッセイを読みながら夭折の哲学者池田晶子の言葉を思い出した。「死を前提にしない哲学などあり得ない」。僕はこの言葉が気に入っている。哲学などと硬く考えずとも生き方と読み替えてもよい。「死を前提にしない生き方などあり得ない」。その意味では僕らは常に先回りし死の予行演習をしたほうが良い。もちろんそれは本番の悲しみを除去するためではない。
午後会議、ゼミ。無線ルーターを買ったのだがうまくつながらない。悔しい。

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