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武家空間の近代的変容

午前中、長野市景観賞受賞作品見学ツアーの講師。長屋門、保育園、酒蔵巡り。午後大学に戻りゼミ。そろそろ訳の分からない話にいら立つ季節になってきた。その後アルゼンチンワークショップブックレットのデザインを見る。50ページを超えていたので印刷代を考えてページ数を減らす。こういうモノはだらだらやっていると熱が冷める。多少のことには目をつぶり最速で作り上げることが肝要である。夕食後、水内俊雄・加藤政洋・大城直樹『モダン都市の系譜―地図から読み解く社会と空間』ナカニシヤ出版2008を読む。著者の1人にソジャの『第三の空間』の翻訳者である加藤氏が名を連ねているので興味がわきこの本を読んでみた。しかしここでは比較的地理学者として正攻法の話を展開している。城下町から現代まで関西の都市変容過程が地図をもとに綿密に分析されている。その中でも明治になって武家空間が一掃されたこと。そしてそれらが種地となり、新しい時代に必要とされた空間(教育、行政、病院、遊郭など)が建設されてていったことを地図の上で改めて知る。例えば京都では鴨川以東の武家屋敷跡に帝大、第三高等学校、美術工芸学校、医科大学、第一中学校、発電所、平安神宮、岡崎公園、動物園などが建設されたのである。こういうことを知ると東京の明治も知りたくなる。ちなみに僕の事務所がある荒木町は松平家の屋敷があったところだったが、明治は、花街になった場所である。屋敷の庭に池もあり(今も小さなモノだが残っている)東京でも名の知れた景勝地だったからだろう。花街になったことが明治政府の計画的な事業であったかどうかは分からないが。

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