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ポストモダニズムを体現した堤清二という人間

8時半からゼミ。輪読本の説明をしてから身体検査に行く。一番かと思ったが既に列。視力は両目1.0まで落ちたし、身長は1センチ縮まる。人間って年とると本当に縮まるの?2コマ目デザイン論の講義をやりながら年々話すことが上手になるようにも思うのだが、年々難しいパワポページをはしょって話していることに気づく。いいのかなあ?と少し反省する。午後製図のエスキス。今の2年生は建築学科となってから2年目。進振りがなくなったせいか勉強しなくなったと言われるのだが、製図で目を輝かせている子は結構いる。夜コンペの打ち合わせ、ワークショップの準備と並行しているせいか眠そう。終電のあさまに乗る。ボーっとしながら昨晩読み終えた永江さんのセゾン文化レポートを思い起こす。
西武が文化事業に心酔したがために崩壊の道を歩んだ、とはよく言われることである。しかしさまざまな取材の末に堤清二にインタビューした永江朗の結論は否である。では一体西武とは何だったのかと自問自答する。その結論は壮大なる同床異夢。つまり社長である堤の目論んだこととそこに集まる会社人、社外人のそれぞれが目指したものが少しずつずれていたということである。そして何より恐ろしいのは皆が自分の考えていることを正解だと思っていたという点である。永江の分析が正しいかどうかは僕には分からないがもしそうであるならばそれは偶然おこったものではなく、堤自身が生み出したことのように思える。わざわざ自分の目指すもの曖昧にし、そして部下の目指すものを否定しない。そのうちに自ら目指すものが分からなくなる。そういう状態を堤自身は楽しんでいたのではないかと僕には思えてくる。80年代ポストモダニズム期に全盛を迎えるセゾン文化総帥がまさにポストモダニズムを人間的に体現していたように映るのである。

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