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都市計画は政治経済

7時半のアズサで塩山へ。このアズサは始発ではなく千葉発。加えて終着が松本ではなく南小谷。そのせいで登山客でごった返す。塩山に9時前に着き施主定例。今日は一月練ってきたインテリアカラースキームの第一弾を1/30の模型で説明。各階の色相を変え、各ユニットの動植物キャラを決め、その上で部位と色味をずらしながら断片化し空中に浮遊して動植物キャラに変身するデザインを説明。その面白さや楽しさは理解してもらえた。上手くいきそうな予感。施工者は頭を抱えているが。
午後甲斐に移動。住宅の現場。野地板が貼られルーフィングも終り平瓦が現場に届き屋根に上げられていく。この現場は早い。
夕方のアズサで僕は長野へ、スタッフのT君は新宿へ。車中柄谷行人の『世界共和国へ―資本=ネーション=国家を超えて』岩波新書2006を読む。あらっ、この本先日読んだ同著者の『世界史の構造』の新書ヴァージョンだわ。こっちを先に読めば良かった。
柄谷本を読みながら昨日読んだ都市計画本を思い出した。そこではこれからの計画の重要な要素としてマーケット、コミュニティ、コントロールが取り上げられていた。これはよく考えるとそれぞれ資本、ネーション、国家に対応している。つまり世界と言うものは規制をかける側(それが国家だったり都市だったり)と規制を受ける側(ネーションだったり、コミュニティだったり)そしてそれを媒介する一要素としての金というものがあるということである。この3つの要素の転がし方を考えるのが政治であり、経済なのだろうが、それらが都市計画の基本でもある。ということは都市計画とは政治であり、経済でるということにもなる。もはや建築なんていうちっぽけなジャンルからだけで操作できる領域ではない。まあこんな回りくどい言い方をしなくても自明のことかもしれない。中国のあの恐ろしい巨大都市が瞬時に生まれるのはまさにこの3つの駆動のスピードのなせる技なのだし。

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