要素主義じゃなくて連続主義
朝八潮市へ行き公園設計の打合せ。5大学の持ち寄る案はそれぞれ面白く、どれも捨てがたく、このままいくと案が収束しない。困ったね。どこかで少し強引な介入しないと。昨晩から風邪が治らず頭がぼーっとする。読み始めた佐々木護の小説が何時まで経っても読み終わらない。風邪が目にもくるのか文庫本の小さな字が疲れる。午後事務所でJIAの優秀建築賞の資料のコンセプトの文章を書く。今年は二つほど出すことにする。夕方塩山のカラースキームの模型を少し見る。1/30の模型に色紙が張り付けられている。いい感じだ。でもまだ僕の意図から遠い。簡単に塗れてかつ効果的でそれで建築の部位を解体する様な塗り方がしたい。例えばデ・スティールは建築の部位ごとに色を塗り分けることで部位を明確化した。だからelementalismなどと呼ばれる。僕はこれに反して部位を不明確化したい。例えばドアを赤く塗るとしたら壁も少し赤く塗る。その分ドアを少し壁色に塗る。ある壁を青く塗るとする。でも壁だけを青く塗ることはしない。壁に連続する天井を少し青く塗る。その分壁の下の方は少し床の色に塗る。などなど。あれはみ出ちゃったよという状態をきれいに塗ってみる。あれどこまで床なの?どこまで壁なの?ドアはどこ?と言う風に塗ってみたい。これを要素主義にたいして連続主義と呼ぼう。要素は常に連続するのである。