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入札、そして落札

朝のアズサで甲府へ。工務店の望月さんの車で現場へ。遣り方が終わった状態。水道屋さんが新しいメーターを付けている。敷地ぎりぎりまで建物が建つことになるのを再確認してから工務店の事務所に。始めていく事務所だが立派な会社である。これからの工程を確認し基礎の躯体図のチェック図を渡す。ここで昼食を御馳走になった後塩山まで送ってもらう。今日は塩山の養護施設の入札。少し緊張。本格的な入札を取り仕切るのは今までなかったので不調に終わったらどうしようなどといろいろな心配が頭をよぎる。市の立会人の方、クライアントの理事の方総勢11名。そこへ入札のゼネコン四社。四社来る予定だったが一社無断で欠席。こんなことがあるのかと困ったのだが、時間通りことを進める。入札の札を開ける。なんと2社は入札予定価格と全く同じ価格。1社だけ予定価格からほんのわずか少ない価格。それで落札。なんだかあっけない。入札予定価格で札を入れると言うのは言い換えると取る気が無いことの表明。ということは1社しか取る気が無いと言うことになる。これってどういうこと????まあこれが地方の実態ということなのだろうか?もう談合をやめろと言う前に談合を前提とした仕組みを考えた方がいいんじゃないのと言いたくなる。みんなが労力掛けて入札なんていうことをやっていることがアホらしくなる。帰りの車中青木淳悟の単行本『このあいだ東京でね』の最後の短編を読む。タイトルは「東京か、埼玉―家と創作ノートと注釈」。この短編の最初にはこんなノートがついている「この作品は、建築雑誌上での特別企画により、さる個人住宅(設計西沢立衛)への訪問記として書かれたものです」そう書いてあるのだが文章はさっぱり彼の作品ではない。ふと下の方を見ると普通は注釈が付いているような部分にずっと文章が連なる。そこを読むと。ここに森山邸の話が続く。本文はどこかのプレファブ住宅の話である。一体これは何?このはぐらかし方とは???なんて謎なのだがそんなことを考えている暇はない。彼の小説はテープレコーダーのテープ起こしのようである。それは昔キッチンを読んだ時にも感じた。ただしキッチンの場合はあたかもビデオおこしのようであった。昨今の小説に感ずるこの日常の記録のような感じは何なのだろうか?やはり現代は主題より方法の時代ということなのだろうか?まあこれが現代なのかと思うとそうも思うしこの希薄な感じは嫌いではないのだが、、、、

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