« 色鉛筆 | メイン | 夜景 »

イブの都心

研究室の院生二人が留学を申請していたブエノスアイレス大学から留学許可の正式書類がメールで大学に届き転送されてきた。普通、留学の申請など個人が行い個人に送られてくるようなものなのだが、アルゼンチンのシステムはそうではない。授業料が限りなく0に近いためラテンアメリカやヨーロッパからの申請が多く学力もなく流れこむのを防止するための策なのかもしれない。学生がしかるべき教育機関に所属していることを担保するためにその所属教育機関に書類を送るわけである。あやふやなスペイン語の知識で読んでみたが大したことは書かれていない。あっさりしたものである。事務所でポートフォリオの最後のチェック。後は印刷。と言っても年末のお休みに入るので出来るのは年明けになりそうである。昨日読み始めた『住まいと家族をめぐる物語』を読み終える。文化人類学者の見る建築は文化的視点が強く常に主張を裏付ける当時の映画が示されていて興味深い。著者の主張は一言でいえば日本の住宅は男的「いろり端のある家」からやはりまだ男的「茶の間のある家」そして女的「リビングルームのある家」となり性別の無い「ワンルーム」となったというものである。僕の体験では生まれ育った団地が「茶の間のある家」で、これは親父支配であった。小学生で引っ越した一軒屋は「茶の間」と「リビング」の過渡期のような家で、これもやはり親父支配だったと思う。そして結婚して住んだ家は「ワンルーム」夫婦二人しかおらずなんとなくユニセックスな家だった。その後子供が出来て引越しを繰り返し現在の家はリビングのある普通のマンションで女が一人多いせいか女的な家かもしれない。こう書いてしまうと建築の属性ではなく、住んでいる家族の属性になってしまう。双方が融合する地点での属性が問題なのだが??
夜のアサマで長野に向かう。クリスマスイブの都心は何となく人が少なく感じる。でも皆足早にどこかに向かっているようにも見える。車中堤清二『消費社会批判』岩波書店1996を読む。彼がこの本を生むまでの間にいくつかの大学に呼ばれて講義を重ねたそうだが、そのひとつに信州大学も入っているのには驚いた。なかなかの人を呼んでいるわけだ。日本の消費社会の誕生の流れが家電に始まり、自動車に移行し情報産業へ転換するその流れが見えてきた。こんなことは経済学の基礎なのだろうが、しかしその中で住宅が立ち遅れていることが指摘されている。消費社会が建築に与えた影響を調査中なのだが、やはり建築は消費社会の脇役にもなれていないようである。いいことなのかもしれないが。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://ofda.jp/lab/mt/mt-tb.cgi/4465

コメントを投稿