「わざ」言語
昨晩悶々と考えてさっぱりいい案が浮かばなかったので、朝から枯れた知恵を絞りなんとか案らしきものを作る。事務所に行ってスタッフに渡し模型化を指示する。中国からは部屋が寒いというメールが届き、その原因究明にあたふた。東京もひどく寒いので中国は想像に難くない。昼のアサマで大学へ。車中『「わざ」から知る』を読み終える。著者の日本の芸、道への精通ぶりに驚いて最後の注を読むと30年にわたり日本舞踊を学んでいたことが書かれていた。なるほどと頷いた。しかし、それゆえ逆に西洋芸術への理解が相対的に杓子定規に響く。
例えば第5章「わざ」言語の役割で、日本舞踊の教授法が説明される。そこでは理論的な指示の代わりに独特な言葉遣いがなされるという。例えば「3秒間その振りのままで」と言う代わりに「ためて、ためて」と言うそうだ。その言葉の意味が納得されるまでにはあるプロセスを経て時間を要する。そしてそれは頭ではなく体で理解されるものとして著者はその意義を重視する。
しかし、こうしたことは僕のやっていた西洋音楽でも結構そのまま当てはまるように思われる。数十年前のことだからだいぶ忘れたが、思い出せる限りで師のジャーゴンを並べてみよう。「走る、飛ばす=早く、アレグロで」「転ぶ=リズムを乱す」「もたつく=リズムを言葉がもたつくように遅くする」「歌う=十分に表現する」「流す=さらっと弾く」「擦る=弓を雑音が出るぎりぎりまで強く弦にすり付ける」「ためる=強い音を出すために弓をあまり使わずにいる」「泣く=悲しそうに」などなどなど。そして重要なのはこれらの言葉がここで簡単に記述されているような意味を遥かに超えた言葉では言い表わせない内容を包含しているということである。しかし謎なのは、これは西洋音楽が日本に入り日本の教師たちがこれら西洋音楽を日本的に芸化した可能性もあることである。因みに僕の師の兄は日本を代表する尺八奏者だっただけにその可能性は強い。
そして著者はこうした「わざ」の言葉が現代では不足しており、教育現場にこうした言葉の必要性を説いている。そもそもデカルトの心身二元論からこの身体的知なるものが抹殺されたと著者は指摘する。そうかもしれない。
この本を読むとちょっと昔まで建築なんていうものもそうだったのだろうなあと感じる。篠原先生から聞く谷口吉郎や清家清はそういう人だったとつくづく思う。これも推測の域を出ないが、西洋から輸入された工学的知としての建築がが日本において日本的に芸化されたのかもしれない。そういう身体化された知のようなものを再度西洋的知に戻そうとしたのが篠原や磯崎だったのだろうか?そして坂本先生もかなりそうしたところがあったのだが、最近またなんだか建築界では(というかこういう本がでるように社会では)芸とか「わざ」を尊ぶ傾向が復活してきたわけである。さて大学教育は「わざ」教育に戻すべきものやら?「俺の背中を見て学べ!」なんて言ったら大学本部に怒られそうであるが。