祭りの対象
柄谷行人がだいぶ前の毎日の書評で取り上げていたハンス・アビング『金と芸術』グラムブックス2007を読んだ。500ページ近くもある分厚い本である。何故アーティストは貧乏なのかという副題が付いている。様々な分析の結果は頷けるものが多いもののこれだけの枚数を要することとは思え無い。やや読むのに疲れる。ところで、アーティストの勝者は世界のトップクラスの億万長者であり、一方その大部分の収入は圧倒的に低い。こうした現状を著者は問題視してその改善策を提示しようとする。しかし僕はその改善は所詮無理な話と感じている。改善不能だからこそ芸術がかろうじてその存在理由をもつのだと僕には思われる。もちろん全ての芸術にとってそうだとは限らない。例えば応用芸術という分野はこれにはあてはまらない。ここでは所謂純粋芸術が対象である。それらはある社会の中での祭りの蕩尽対象のようなもの、つまりそれらはある種の熱狂の対象であり、強烈な支持を得ることによってその対象となる。そしてその熱狂を勝ち取るものはその市場価値も自動的に上がる。そしてこの祭りの対象は多くては意味が無い。数少ないからこそ熱狂するのである。