ブログ病
30歳少し前から15年くらい手書きの日記帳をつけていたのだが、去年からブログに書くようになってしまった。なぜかというと、東京長野往復生活をし始め、日記帳を持ち歩くのが苦痛となったからである。というのが理由の一つ。二つ目の理由はブログをやっている他の大勢の方と同様に自分の感動を誰でもいいからお伝えしたいというもの。そして3つ目は教育にも幾ばくか関わっているものとして、教育的な一般的情報を流したいからである。
などという理由でブログをやっているのだが、どうも電子情報は心もとないものだ。ぼくの本棚の奥のほうには日記帳の棚があり、15年分の丸善の布張りノートが並んでいる。その頃から日記だけは万年筆でつけていた。当時はb5版で大きいものを使っていた。一日一頁の日課、するとだいたい1500字くらいは書けてしまう。それが何時の頃からかもう一まわり小さい版に換えた。書くのが大変というよりかは出張などにもち歩きが便利なようにというためだった。過去を懐かしんでいる時間はあまり無いが、年に一度くらいそれらを見ることがある。そうすると、良くも悪しくも昔の自分に出会う。もちろんブログの情報もいつかまとめてcdにでも焼いて保存しておけばよいのかもしれないが、なんか忘れそうである。そのうちに知らぬ間にこのサーバーの会社が倒産したりしたらどうなるのだろうか?倒産しなくとも、僕のデーターをなくしてしまうなんていうことが起こらない保障はあるのだろうか?実際かつてサーバーに保存されていた僕の貴重なデーターがある事故から回復不可能になったことがある。これは大変悲しいことだった。この頃からどうもデーターへの信頼性がない。日記帳なら、火事にあうか捨てない限りなくなることはない。目に見えるモノの強さである。更にデーターの信頼性に加えて、手で書かれたものとしての「字」というもの現前性は大きい。数年前の自分は単に思考回路だけではなく、その時使っていた万年筆やら、そのインクの色やら、それこそ字体にもそこはかとなく現われているのである。
手で書くということの価値はどこかに残しておきたいのだが。一度このブログの便利さにはまるとなかなか抜け出られるものではない。