目的論的繭関係
不眠不休のわが研究室の中根君、深沢君の論文がやっと完成。まあよく頑張った。内容の細かい所はまだまだだけど、とりあえず格好はついただろうか。とにかく卒計と同じレベルにならなくて良かった。(まあそんなことは当たり前か?本人たちに失礼か?でもそんな心配を人知れずしていた時もあったわけで)。信州大学初の修士設計として、それなりの論理的な主張のあるものになったかな?後は発表会でしっかりとアピールして人を惹きつけること。それも建築力である。
歴史にロマンを求めて昨日頂いた日本建築史の6篇の論文と建築心理学の一遍の論文の梗概を一気に読んだ。なかなか悪戦苦闘(こちらがです)である。分からない専門用語が多くていちいちネットで調べていると結構時間がかかる。なんとか読み終わった。それぞれ面白かった。本当によく調べてあって感心。ロマンとかそういうことにはちょっと遠いかもしれないけれど、中途半端な調査で勝手な想像をするよりか気持ちがよい。
昼ごろ川崎の家の修正図がメールされてくる。図面がメールできる時代は本当に便利である。なんだか多角形の双生児の繭のようなカタチの平面である。
その昔、機械論と目的論という哲学的対立があった。機械論とはもちろんあらゆる現象には因果があるというものだ。一方目的論とは自然的存在者には自己自身のうちに自己自身のあり方を規定する原理を持っているという考えである。
この二つの論理に頼るなら、この繭のようなカタチを僕は目的論的に扱いたいと思っているのである。つまりこの300㎡近い土地の中に大小二つの生物が肩を寄せ合って、うまくはまっているそういう姿を想像しているのである。それは、こちらがこうだからこちらがこうという関係ではなく、無限の連鎖反応の中で、両者の自律的な目的意識が、双方の位置関係と形状を生成するような関係である。二つの関係が今回のポイント。目的論的繭関係を今のところ模索している。