第12講お題
建築が生まれた時から構造はあったのだが、「構造」という言葉が使われた(その要素を自覚的に認識し始めた)のは近代以降であった。そしてその契機は生物学にあったというのが今日の話しのスタートである。そして現代の建築家は構造を見せるか隠すか、あるいはそうした力の流れの整合性をよしとするかしないか自分の考えを申し上げた。ところで君達はこうした構造が露出することをよしとするのかしないのか?構造を建築の意匠としてどう考えるのか論じて欲しい。
建築が生まれた時から構造はあったのだが、「構造」という言葉が使われた(その要素を自覚的に認識し始めた)のは近代以降であった。そしてその契機は生物学にあったというのが今日の話しのスタートである。そして現代の建築家は構造を見せるか隠すか、あるいはそうした力の流れの整合性をよしとするかしないか自分の考えを申し上げた。ところで君達はこうした構造が露出することをよしとするのかしないのか?構造を建築の意匠としてどう考えるのか論じて欲しい。
さて言葉と建築もやっと終わり。この最終講義ではまとめの意味でちょうど真実と言う言葉が登場した。これは我々が建築を作るうえでの拠ってたつ基盤のようなものである。もちろん講義でも話したとおり現在我々皆が信じて疑わないような真実は探すのが難しい。それが相対主義の時代と言えばそれまでである。しかし2000年に入り我々はそんな態度でいつまでも「何でもありよね」と言っている訳には行かない。もはや態度決定をしない人間は格差社会の底辺に突き落とされると言われている。そこで聞きたい。この時代に自分が何に真実を求めて建築を考えていくのか。答えは些細なことでも構わない。小さな事実の集合かもしれない。考えて欲しい。