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第十講お題

去年のこの講義のお題は次のようなものだった「『無秩序にして簡潔なもの』こう言うものは存在しないだろうか?事例を挙げて説明してほしい。必要があれば君なりの秩序、簡潔の定義も付記すること」。そこで今年のお題は「『秩序はあるが簡潔ではないもの』『無秩序にして簡潔なもの』この双方を事例を挙げて論じてほしい」

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柳瀬研究室 09ta338j 原尚平:

「音楽における作詞と作曲の関係」
 今回のお題である「①無秩序にして簡潔なもの」と「②秩序はあるが簡潔ではないもの」との双方に当てはまるものとして音楽を作成する課程を挙げる。ここでは単純に作詞と作曲の2つの工程に絞って論じたい。

◯作詞先行の場合
 もし、先に詞を考えるのなら、ちょっとした心の変化や思い出などを思うがままに綴っていく。ここでは文字数などは気にすることはなく、この工程は①である。次にその出来上がった詞に曲を乗せる工程では、詞の世界観や文章の分節などが制約(秩序)となる。つまり、ここでいう作曲の工程は②となる。

◯作曲先行の場合
 次に、先に曲を考える場合、ギターやピアノで適当にコードを並べた上に、鼻歌などで感覚的にメロディーラインを乗せていく。ここでは歌詞の世界観や文字数などは考慮されておらず、感覚のみで作られていく。つまり①である。(厳密に言えば音楽の理論が秩序になるかもしれないが…)さらに出来上がった曲に対して歌詞を乗せる工程において、曲の世界観や文字数などが制約(秩序)となり、ここでいう作詞は②となる。

 音楽における作詞と作曲では、先に行う工程が①、それに付加するような工程が②となるのではないだろうか。つまり、第3講のdesignで扱った行動先行によって出来上がったものが①、そして、そこに何かを付加する場合、①で出来上がったものが秩序(制約、コンテクストなど)となり、付加されるものが②になっていくものだと考える。実際はこんなに単純なものではないとは思いますが…

柳瀬研究室 09TA319B 佐々木大輔:

≪秩序≫…秩序とは全体を構成する要素がある一定の枠組みの中におさまり、統制を成していることと考える。このことから、秩序には物事を分類する枠組みや、何らかの規範、もしくは限界などというニュアンスも含まれる。例を挙げると、コップに水を注ぎ、水が8分目程度ではコップという規範の中におさまっており、秩序がある状態だが、水があふれ出た時点で規範から逸脱し、秩序がない状態となる。

≪簡潔≫…簡潔とは物事が複雑化されていない状態である。よって装飾過多な建築やファッションなどは簡潔とはいえない。

 以上から「秩序はあるが簡潔でないもの」「無秩序ながら簡潔なもの」を考える。そこで「人類の世界観と生活環境(人種間の交流など)の複雑さとの関係」を挙げる。

「無秩序で簡潔なもの」…地球が丸いと思われていなかった頃の世界観と生活環境の複雑さ
 コペルニクスやマゼランの活躍する以前の地球が丸いと思われていなかった時代には、人類の生活する世界がどのようなものかは把握されていなかった。つまり、この時代の人類にとっての世界は、地球という枠組みが存在しておらず、地球は無限大の可能性を秘めていたことから、無秩序となる。また、地球の大部分は明らかにされていないことから、人びとの交流は狭い世界の中のみであり簡潔なものであった。

「秩序はあるが簡潔でないもの」…現代における世界観と生活環境の複雑さ
 現在では「地球は丸いもの」ということが明らかとなり、はっきりとした地球という枠組みが存在している状態、つまり秩序がある状態である。しかし、人類の交流や生活の多様化などに目を向けると、人びとの交流に関しては人種に関係ないグローバルな交流がおこなわれているため複雑であり、簡潔でない状態と言える。

 このように物事が明らかになるにつれて何らかの枠組みや規範などの秩序が生まれるが、それを構成する要素は複雑化してしまい、簡潔ではなくなる。つまり、秩序と簡潔は反比例な関係にあるのではないか。

柳瀬研究室 09ta342g 細井一宏:

 秩序があるものとは、何かの目的があり、それぞれの要素がその目的に向かうことで、全体として意味を持つものだと考える。
 簡潔なものとは、直感的に理解できるもの、理解に時間がかからないものだと考える。
 このように考えると、「秩序はあるが簡潔でないもの」とは、「何であるか直感的に分からないが、何か一つの意味を持つもの」となる。
 例として、ピカソの作品をあげる。ピカソと言えばキュビスムが有名だが、これはいろいろな角度から見たものの形を一つの画面におさめているところが特徴的である。一見絵に込められた意味が全く分からない。作品によっては何が描かれているのかすら分からない。しかし、作品は捉える視点こそ異なるが、表現しようとしているものは一つである。一つ一つ分けて捉えられた側面は、それだけだと何を表現しようとしているのか理解できなくても、あるテーマに向かってまとめあげられることで一つの意味を持つ。
 続いて「無秩序にして簡潔なもの」とは、「何であるか直感的に分かるが、全体として意味を持たないもの」と考える。
 例として、新聞をあげる。一つ一つの記事はそれぞれの見出しによって何が書かれているのか分かりやすい。しかしそれぞれの記事に関連性はなく、見開きとしては意味を持たない。

09TA328A 田中邦幸:

 無秩序とは何なんだろうか?すこし、秩序を作るものとしてルールという言葉を利用して考える。
 まず、ルールがない場合。その場合は単純に無秩序なものとなるだろう。
 次に、ルールが一つの場合。このときは、秩序があると言えよう。
 そして、ルールが複数ある場合。この場合も秩序を作るルールがあるので、秩序があると言える。しかし、そのルールの数が無限に近づいた場合はどうだろうか。たしかにルールは存在する。だが、それはもはや秩序があるとは言えないだろう。つまり、無秩序になっている。さらに、興味深いのは、その無秩序には大きなルールが生まれている。それは、ランダムと言う秩序である。どの範囲を選択しても同じと言うルールの出現である。
 無秩序、一つのルールの秩序、複数のルールの秩序はループしている。(これは、ドバイでのアイコンが集合することでジェネリックになることに似ている。)

 さて、本題の『秩序はあるが簡潔ではないもの』『無秩序にして簡潔なもの』として、webを挙げたいと思う。まず、webページをつくるルールとして、コンピューター言語がある。これは、ソース(webページの設計図)を作るルールである。この一つのルールをもとにwebページは作られる。しかし、そこから出来上がるソースは一般人から見れば複雑極まりない。これが『秩序はあるが簡潔ではないもの』である。
 次にそのソースから出来るwebページに目を移す。まず、Googleのトップページを思い浮かべてほしい。そこには検索窓しかないと言っていいほど簡潔である。逆にyahooは多くの情報があり、簡潔とは言いがたい。この2つのページは一見複雑な秩序だっていないように見えるソースから出来ている。Googleのトップページは『無秩序にして簡潔なもの』と言える。

どの範囲で着目するかによって、この秩序と簡潔は変化する。

坂牛研究室 09ta310j 加藤光:

今回は、①『秩序はあるが簡潔でないもの』と、②『無秩序にして簡潔なもの』を、建築の屋根形状を用いて論じたい。そのために、先ず、秩序と簡潔性について考える。
そこで秩序とは、スケールバーのように評価軸の単位を明確に可視化することができるものとする。それに対し簡潔性とは、シンプル。しかし、このシンプルを今回は、シンプルに捉えることができる、シンプルに考えることができるものとした。
以上の秩序と簡潔性を用い、建築の屋根形状について考察する。(※以下、①②が前後する。)
②勾配屋根
無秩序にして簡潔なものとして、勾配屋根を挙げる。勾配屋根は、屋根面が斜めであるということが前提としてあるのみで、角度に対しては自由度が高い(厳密に言えば限度や基準はある)。これにより、勾配屋根の定義としては、曖昧なものとなり、無秩序として位置づけられる。これに対し、街並みとして考えた場合、たとえば、歴史的町並みにおいて勾配屋根の建築が多いという考え方は、裏返してみれば、勾配屋根の街並みが歴史的町並みとして容易に想起させていると考えられる。そのため、勾配屋根は、その街並みにおけるアイデンティティとなり得るのではないか。したがって、勾配屋根は、街並みに対してシンプルに(=容易に)捉えることができ、簡潔であるといえる。
①陸屋根
勾配屋根に対し、ここでは陸屋根を挙げる。陸屋根は、多少の勾配(水勾配など)はあれど、水平=180°である。これにより、陸屋根の定義として、水平という明確な単位(数値)が表されており、秩序あるものとして位置づけられる。これに対し、街並みとして考えた場合、陸屋根の建築が、その街並みのアイデンティティを想起させることは難しいだろう。したがって、陸屋根は簡潔でないといえる。

以上の考察により、②は自然・環境に従い、①は自然・環境に従わない(対立する)ものといえる。つまり、建築は自然・環境を考慮した場合、屋根は勾配をつけることが、コスト面、安全面、設備面等を考えると、適当である。そして、適当であるということは、勾配屋根となることが当たり前であると考えられる。これに対し、陸屋根は人の手により、自然・環境(特に重力・水)に対立させているため、当たり前にはできないものであると考えられる。
したがって、②『無秩序にして簡潔なもの』と、①『秩序はあるが簡潔でないもの』は、そのものが自然・環境対し(感覚的な適当性でなく)、適当であるか/適当でないか、といえるのではないか。

坂牛研究室 09TA308G 香川翔勲:

 まず、簡潔と秩序の定義を行う。
そこにある物自体を見た瞬間に把握できるものは簡潔である。
そこにある物が成り立つ仕組みを把握できるものは秩序だっている。
と定義すると、簡潔なものは、瞬間的に把握するもので、秩序だっているものは、それに対し時間差が生じる関係があると考えた。

 そうすると、秩序というものは今までに身につけてきた知識などが強く影響する。
例えば、木を挙げる。「木はフラクタルという秩序によって成り立っている。」と言われている。この事を知っている人は、木は簡潔で無いが秩序だっていると思う。しかしこの事を知らない人は、木は簡潔で無いし無秩序だと思う。
とういように、知識や経験によって大きく影響が出てしまう。
このようなことを避けるために、今回挙げる例は、目に見えるものに限定する。そこで重要になってくるモノサシが「量」である。

 次に、事例を挙げながら「量」について触れていきたいと思う。
『秩序はあるが簡潔ではないもの』…白い壁一面に、黒のペンで1cm四方の正方形をびっしり描いたもの。
これを見た瞬間は、圧倒的な線の量に圧倒され把握しきれない。しかし、近づいてじっくり見て、頭の中で整理してみると1cm四方の正方形の繰り返しという秩序を把握できる。
『無秩序にして簡潔なもの』…白い壁に、フリーハンドで一本線を描いたもの。
これを見た瞬間は、ただの線だと把握できる。しかし、近づいても、離れてもいくら考えてもここに秩序は存在しない。

 このように、時間差という特質に注目した時、「量」が強く影響を与えると考えた。

坂牛研究室 09TA326E 竹森恒平:

 秩序があるものとして思い浮かぶものは「軍隊」である。軍人はそれぞれが等価な「兵士A」となるように勤め、そのさまは非常にシンプル(一様)である。逆に、秩序がないものといえば、ファッションが挙げられる。ファッションデザイナーは常に新しさを求め、オリジナリティの創出に勤める。その活動が生み出すものはバラエティー(多様)である。このようにみると秩序と簡潔さは表裏一体のように見える。しかし、現実の社会はもっと複雑であり、その複雑さが「秩序ある非簡潔さ」「無秩序な簡潔さ」を生むのではないかと思う。

 そこで、そのような複雑さの例として「制服の着方」を挙げる。制服とは学校における秩序である。これは学生に対してシンプルさ(一様さ)を求めるものである。しかしながら学生は皆、学校で決められた制服の着方はしない。このさまは秩序に従うことを嫌った「秩序ある非簡潔さ」であるように思う。しかし、学生の実際の制服の着方を見ると、どこか似通った雰囲気を感じる。むしろ、その着方はほとんど同じといっても過言ではない。これは、制服の着方における一様化、秩序への収束であり「無秩序における簡潔さ」であるように思う。
 
 この制服の話は「単に校則はダサくて、同じなのは流行だから」と片付けられるかもしれない。しかし、この話からは、「秩序」や「簡潔さ」とはある一つの局面における「方便」なのではないかと感じるのである。社会のある一部分を取り出し、それ以外の部分をそぎ落とした「秩序」や「簡潔さ」は、やはりある種の「力」をもつのであろう。しかし、これは決して「真理」ではなく、社会と齟齬を起こすことがある。それがここでいう「校則」である。しかしながら、その「力」は強く人を惹きつけるものでありそれが「流行の制服の着方」なのではないかと思うのである。

浅野研究室 09TA307J 小澤明也:

『秩序はあるが簡潔ではないもの』、『無秩序にして簡潔なもの』、これら二つの共通項として「教科書」を挙げる。教科書とは、単純に学校の授業で使用される教科書のことを指す。
教科書の中でも、新学期早々に購入する教科書は、さっぱりわけのわからないものである。授業を受けたことがないのだから。しかしながら、私達は授業を履修するたびに新しい教科書を購入する。購入しない人もいるが、大半の人は買う。なぜか。
それは、内容はわからないけれどこれから必要となるだろうと、自分の中で秩序を形成し判断したからである。我々は「テストで必要だよね」とか、「落書きに使えるぞ」とか教科書に秩序を見出している。
その割には、内容がわからない。
当の本人にとって「秩序」はあるが、「簡潔」ではない。
これが、『秩序はあるが簡潔ではないもの』といった理由である。
次に、購入したはいいがわけのわからない教科書を持って授業に臨む。授業を受けて、授業の内容、教科書の内容ともども理解した人は少ないのではないのだろうか。少なくとも私はそうである。
それが、授業を受けて、演習をこなしていくたびに「わかる」部分が出てくる。そうして、前回わからなかった部分までわかるようになる。わけのわからなかった教科書に自分なりの「簡潔」な部分が出てきて、教科書が簡潔なものに感じる。その頃には、授業が終了し教科書は本棚行き決定である。
そして数ヵ月後、分からなくなった事を教科書で調べようとすると、「なぜこの定理が導き出されたのか」などの詳しいことはどこにも記述していなかったりする。演習問題の解答は、わかるのかもしれないが定理の証明まではされていない。
内容としては簡潔であるが、その本の内容が含んでいる意味は無秩序なほど膨大であることに気づく。
これが、『無秩序にして簡潔なもの』といった理由である。

土本研究室 09TA325G 髙橋 翔虎:

 orderには、順序、道理、秩序などの意味が当てはめられている。したがって、orderとは自然の摂理、社会の常識や決めごとなどを指す語であると考えられる。
 つづいて、simpleには、単純な、簡素な、無邪気ななどの意味が当てはめられている。したがって、simpleとは一言で表現できるものなどを指す語であると考えられる。
 以上をふまえた上で、以下の2点について述べさせていただきます。
 まず、『秩序はあるが簡潔でないもの』の事例として、『人生』をあげます。誰もがみな、「生」を経験し、この世に誕生します。そして年をとり、やがて「死」を経験します。このorderは、誰にも平等に与えられています。しかしながら、『人生』はsimpleではない。人類がみな同じ時間に「生」を経験し、同じ環境で同じ時間を過ごし、同じ時間に「死」を経験したのであれば、simpleといえるだろう。しかし、人類はみな異なる時間に「生」を経験し、異なる環境で異なる時間を過ごし、異なる時間に「死」を経験する。だからこそ人類は、個性をもつ、さまざまな生物なのだろう。つまり、「生」と「死」のような、自然というか何かわからない強大な摂理である秩序(order)あるがゆえに、人類はその間(一生)を思い思いに過ごすのではないだろうか。つまり、『人生』は、この世のorderがあるがゆえ、not simpleなのだと思う。
 つづいて、『無秩序にして簡潔なもの』の事例は、ないと考えます。そもそも、この世に無秩序なものなどあるのだろうか。私はないと考えています。なぜなら、この世に存在する全てのものは、何かしらの理由があって存在しており、理由がないものなどあるはずがないと考えているからです。私たちが理解しがたいものには、個人的な秩序ともいうべきものがふくまれているため、私たちが理解できないのである、と私は考えます。たとえば、数の並びとして、「21121222」と「1221221」の2種類があるとします。前者は俗にいう無秩序にあたり、後者は秩序にあたるでしょう。しかし、私は前者にも秩序があると考えます。なぜなら、前者は無秩序である数字の並びという、秩序をみたしているといえるからです。これも立派な秩序なのではないでしょうか。つまり、not orderを目指すがゆえ、orderになるのではないでしょうか。したがって、私は無秩序(not order)がないと考えているので、『無秩序にして簡潔なもの』は存在しないと考えます。

坂牛研究室 09ta327c 立野駿:

私は「あいまいさ」を挙げて今回のお題に対する回答にしようと思う。
秩序と無秩序は「あいまいさ」に満ちていると考えるからである。
私たち人間が、事物を知覚し、認識する時は、無秩序な刺激の相互作用からある秩序を読みとっている。だが、身のまわりの世界は、一筋縄ではとらえきれない。
秩序があるが簡潔でないものの分かりやすい例としてアニメのアンパンマンを挙げる。アンパンマンはいつもバイキンマンに苦しめられるが、毎度のごとくジャムおじさんの新しい顔によってバイキンマンを倒す。まさに秩序はあるが簡潔でないと思う。なぜそう考えるかというと、バイキンマンを倒すが毎回のように同じことを繰り返すからである。簡潔にするのであればバイキンマンは二度と現れないようにしなくてはならない。しかしこれは子供向けのアニメであるしバイキンマンがいなくなったら成り立たない。そこに前述した「あいまいさ」があると思うのである。
次に無秩序にして簡潔なものの例を挙げたいのだが、この「あいまいさ」が引っかかり例が浮かばない。むしろ秩序がないものはないのではないか。秩序と無秩序は比較して考える場合は挙げることができる。例えば、ヨーロッパの街並みと日本の街並みである。ヨーロッパの街並みはある一定の高さで統一されたアパートメントや場合によっては屋根や壁が同じような色合いでまとめられた街並み、そしてそのなかでところどころでアクセントになっている塔やドームの数々。全体での見え方というものをはっきりと意識し、見事に水平と垂直を意識した街並み。こんな意識は決してヨーロッパ至上主義だけではないはずである。しかし、秩序はあるが簡潔ではない。一方、日本の街並みはそれに比べて無秩序であるが簡潔である。それは都心をみると秩序がないのだが統一感がなく代表的な建物、いわばモニュメンタルなものによってあいまいさが簡潔になっている。ここにもやはり「あいまいさ」が絡んでくると考える。
また、先週の異分野レクチャーでの戦争が10年以内に起こると断言した中島さんの話が気になり、そこからお題の回答とは少し違うが社会というものについてもう一つ書こうと思う。社会はむろん秩序の上に成り立つ。だが、その秩序はいつも何かの無秩序と交換になっており、社会に秩序を確立しようとする人は、しばしそれを忘れる。社会秩序とは、意識的なものである。意識は秩序的で、意識的にランダムな行動をとることはできない。だから意識がある人は、必ず眠るのである。意識という「秩序」活動によって、脳に「無秩序」が溜まっているからである。しかし意識はそれに気づかない。
意識的につくられた社会は秩序的であるが、社会は眠らないことに注意する必要がある。だから文明、要は秩序的社会はエネルギーを消費する。そのエネルギー消費は、自然界にエントロピー、つまり無秩序を放出する。その無秩序が、文明という社会秩序と対になっていると考える。

坂牛研究室 09TA340A 藤岡佑介:

カタチと概念を例にあげ論を進める。

秩序はあるが簡潔でないものは、実際に存在している物質、つまりカタチすべてに当てはまると思う。実際に存在しているものは、すべて分子によって構成されている。つまり、ものが何であったとしても、ルーツをたどっていけば同じところ、秩序にぶち当たる。しかし、実在する物質のバリエーションが多様であるのは明らかである。

実在する物質すべてが、秩序はあるが簡潔でないものに当てはまるとすれば、残るのは概念だけである。概念、つまり頭の中で描くイメージは物質的な制約を受けない。つまり自由である。しかも私たちが思い描くイメージは大抵曖昧な図形が多い。よって、秩序はないが簡潔であるものとして、概念が当てはまると考える。

もう時間なのでアップしますが、一つ疑問が残ってしまったため、一緒に載せます。

例としてカタチと概念を挙げたが、概念に関してはいまいちピンとこない。なぜなら、イメージしている主体が人間である以上、なんらかの制約を受け、秩序の中に位置づけられてしまうのではないかとも思うからである。日本人同士とか、同じ文化の中で生活している人同士であったら、概念レベルにおいても共通する何かが存在している可能性が高いように思う。たとえば「家」をイメージしろと言われた時、自分と全く同じ家の形を想像する人はいないだろうが、何となく「家型」が共通していたりするのは、十分あり得る。そう考えると、概念ですら秩序はあるが簡潔でないものに分類されてしまう。結局無秩序は相対的なレベルでしか存在しえないのだろうか。

そう考えだしたら、無秩序で簡潔なものは何なのかはわかりませんでした。

土本研究室 09TA347H 脇坂日南子:

 私は、①「無秩序にして簡潔なもの」として電車の時刻表、②「秩序はあるが簡潔でないもの」として店のディスプレイを挙げます。
 まず、①の電車の時刻表は、時刻表を一瞬みただけでは、数字が多く、どこのページにどこの駅が書いてあるのかはわかりづらく、秩序があるようには見えません。時刻表で電車の乗り継ぎを調べたことがない人にとっては、なおさらだと思います。私自身も、時刻表の見方を知らなかった時は、そう思っていました。けれど、時刻表の見方を覚えた時、こんなに簡単に時刻が調べられるのだと感心しました。一瞬みると無秩序のようですが、実に簡潔な形なものに時刻表があると思います。
 次に、②の店のディスプレイは、綿半などを例にすると、食品コーナーや文具コーナーなどコーナー別に秩序にそってディスプレイされ、陳列されています。しかし、店に入っても、様々な色や形があり、簡潔であるとは言えません。秩序にそってディスプレイされていても、簡潔という印象は受けないと思います。

坂牛研究室 09ta343e 丸山日惠 :

 今回、評者は坂牛研究室の丸山です。よろしくお願いします。
 感想ですが、みなさんが「秩序」としているものの幅が違いすぎて混乱しています。

 辞書によると「秩序」とは①物事の正しい順序②社会の諸要素が相互に一定の関係規則によって結びつき、調和を保っている状態としています。この正しい順序や一定の関係規則というものは経験や知識によって、読み取れる場合と読み取れない場合があります。そのことを例に出してくれているのが田中君と脇坂さんです。田中君のソースは確かに一般の人から見たら無秩序に見えます。また、脇坂さんの時刻表も見方を知らなければ、無秩序です。しかし、コンピュータ言語の理解できる人、時刻表の読める人にとっては秩序のあるものとして認識されます。このような経験・知識に関係なく論じてくれたのは香川君です。

 香川君の四角がびっしり詰まった壁は、四角の配列という秩序はあるものの、全体像を把握する時点で量の多さという複雑さで、簡潔でなくなっています。(無秩序であるが簡潔であるもの)また、フリーハンドの一本線は、想像するに簡潔であると言えます。そしておそらくこの中に秩序は見つけられないでしょう。(無秩序であるが簡潔であるもの)

 と、いうわけで、今回の優秀賞は香川君とします。それは簡潔な説明であり、わかりやすかった点と、知識と秩序の関係を述べ、論じてくれた点からです。


 そして、今回混乱したのは、無秩序は存在しないとした「秩序」を捉える幅が大きい方がいたからなのですが、お題とはズレますが無秩序の存在について私の考えを記しておこうと思います。

 まず、無秩序は存在すると思います。厳密にいえば、藤岡君の言うとおり、全てのルーツをたどれば秩序があるのかも知れません。概念にしてもその人自身の中に形成されている秩序に従ったものなのでしょう。しかし、秩序とは認識されているものでなければ意味がなく、されないのであれば、秩序はないと捉えていいのではしょうか?

 また、高橋くんの無秩序であるが簡潔であるものに人生、無秩序であるが簡潔であるものはないという意見を読んで思ったのですが、確かに人生の中の秩序はたくさんあるかもしれません。しかし私は、田中君が書いてくれているように「ルールの数が無限に近付いた場合、もはや秩序があるとは言えない」。つまり秩序が溢れた場合、どれが秩序を成しているのかは認識できず、秩序のない状態=無秩序となるのではないかと思います。と、考えましたが、まだもやもやしています。

kami:

晩安。

今日は少し時間が出来たので、一見、無秩序に見える国、中国から少しコメントを。

日本の人口の10倍以上もいる国で毎日生活していると、秩序というものが感じられないように見えることが多々ある。人も車も信号を平気で無視するし、仕事中に平気でデスクにうつ伏して寝てる。
こちらに来たばかりの頃は目にする諸々のことが無秩序に感じられ、ノイズにしか映らなかったが、今は少し見方が変わった。

信号の一番の役割とは何か?
それは人と車、車と車などが事故を起こさない為。
それならば、信号が赤だとしても車が来ていなかったら渡ってもイイじゃないか。どうみても人が通って居なかったならば通ってもイイじゃないか。

こっちの車は何でこんなにもクラクションを鳴らすのかと思っていたが、タクシーに乗っているとそれが良く分かった。それは車が通るぞという合図でもあったのだ。日本でクラクションを鳴らすことはそうそう無い。本当に危険な時にしか鳴らさない。
そもそもクラクションとは本当に危険なときにしか鳴らしてはいけないのか?そんなことは無い。ある意思表示として使うことに変わりはないのだから中国的な使い方をしてもイイではないだろうか。

仕事中に寝てるスタッフはずーっと寝ているわけではない。
もう眠くて眠くて仕事にならないとき、10分くらい寝てスッキリしてから仕事をするのと、1時間中睡魔と闘いながら仕事を続けるのとどっちが効率的だろうか?

そんなことを何ヶ月か見ていて思ったのは、彼らは合理的に生活しているんだと。

日本は国際的に見ても高度に秩序だった国だとは思う。
しかし、その秩序が実は物事を不透明にさせ多くの無駄を生み出しているのも事実。例えば、同じ建築工事でも日本の工事費は単純に中国の倍以上はするらしい。

もし設計の際に与条件に対して読み解く作業をするときに自分では秩序立てて整理したと思っていたが相手に全く伝わらないことが多い人はまずその自分の解答が与条件全てに対して合理的かどうか考えたほうがイイかもしれません。その合理が通じたならば、後は自分の好きなように設計したらイイと思う。それがどんな変わった形態だとしてもある合理の上に成り立っているならば、必ず通じるし、ダメとは言えないはず。(好みの問題は別としてですが)

※中国の合理を敷居にした国民性が近代化への弊害となっているとは思います。しかし、物事を簡潔にするには合理的であればあるほど近付くと思ったので少し偏った見方ですが、コメントしました。みなさん、信号はしっかり守ってください。


ushi:

皆さんご苦労様。今回の問いで重要なことは簡潔、秩序の言葉の意味の限定にある。講義でもその言葉の意味は広かったと思うが、言葉の意味を限定せずに論をスタートすると混乱する。加えて、何よりも大事なのは、分かりやすい事例を引っ張り出すことである。本問いのように概念が錯綜する場合、分かりやすさを導くのに最も効果的な方法は視覚に訴えることである。つまり読んだ人が色や形を考えずにイメージできることである。
そうした点から皆のコメントを読むと、丸山さんの評価の通り、香川君のコメントが分かりやすく的を射ていると感じた。
そこで今回は参考のために香川コメントを少しブラッシュアップしてみよう。
「本問いに対して、私は二つの概念の現象が視覚的に知覚される場合を想定する。そこで先ず二つの言葉の概念規定を行なう。二つの言葉は意味の幅が広いため、本問に答える上では言葉の再定義が必要と思われる。先ず「簡潔」であるが、それは「単数のゲシュタルト(形)で構成されるもの」とし、その反対概念は「複数のゲシュタルト(形)で構成されるもの」とする(oxford dictionary ではsimpleの弟三義としてcomposed of a single element とある)。また秩序とは「規則が把握できる状態」としその反対概念は「規則が把握できない状態」とする(oxford dictionary ではorderの第一義としてthe arrangement or disposition of people or things according to a particular sequence or methodとある。ここでparticular sequenceとは規則的な順序と捉えることができる)。
さてこうした概念規定を行った上で、問われている状態について二つの形態事例及びその説明を以下に記す。
『秩序はあるが簡潔ではないもの』
高さ3メートル横10メートルの白い壁面に描かれた辺同士が平行でその間隔が均等な一辺1センチの正方形数千万個。:我々はこれらの正方形からはその形態の多量性(複数性)によって簡潔さを感じ得ない。一方その並ぶ順序においては並行で均等という規則から秩序を感ずる。
『無秩序にして簡潔なもの』
高さ3メートル横10メートルの白い壁面に描かれた長さ1メートルのフリーハンドの一本の曲線:我々はこの一本の曲線からはその形態の単数性によって簡潔性を感ずる。一方そのフリーハンドであることの不規則性は秩序を感じさせない」。

神山コメントありがとう。

武智靖博:

10. Order, Simple

コメントが遅れてしまいました。すいません。

今回のお題は、先生のコメントのようにまず秩序と簡潔を定義することが大事だと思います。げんにコメントを読んでいて、ある物事に対して秩序、無秩序、簡潔、複雑といった概念がクロスオーバーしてしまうことが多くありました。

その中で、丸山さんが言うように香川くんの解答が最も分かりやすく、的確であると思いました。ということで今回の最優秀武智賞は香川くんに差し上げます。おめでとう。

香川くんが提示してくれた解答は、主体の知識や経験といった背景を抜きにして、ある対象をどう認知するかというスタンスでした。そして、もちろん先生がブラッシュアップしてくれたものも同様です。

そこで、僕はもっと経験に即した面から解答してみるのがいいのではないかと思いました。

「秩序」… 従うべきルール。
「簡潔」… 自分ができる、または理解できること。
と定義しますと、食文化という切り口からお題が語れるのではないかと考えます。

我々日本人は基本的に食事のときは箸を使います。しかし、その使い方は元来の作法は薄れ、使用者が自由に使うケースがしばしばあると思います。たとえば、掴みにくいものをフォークのように刺して口に運ぶ場合です。また、使用者によって同じものを食べるときでも、箸の使い方が異なることがあります。つまり、箸の使用法は最低限の規則はあるにせよ、使用者に委ねられ、多岐にわたります。これが『無秩序にして簡潔なもの』です。

一方、『秩序はあるが簡潔ではないもの』は、フランス料理でしょうか。我々がはじめてフランス料理店に行くときにぶち当たるのが、テーブルマナーでしょう。僕たちがなぜ、このことに戸惑うのか。普段の食生活の作法が柔軟なために、逆に従うべきルールの厳格さに戸惑ってしまうのではないでしょうか。どこまでがマナーでどこからがマナーでないのかが判断できなくなってしまう。

同じ食であってもこの差が生じてしまうのは、両者ともに厳密な作法(箸とナイフやフォークの使用)があることを考えると、食事をする人物の主体性が投影できる程度の差にあるのではないでしょうか。

今回は比較した対象が日常の食と、外での食事だったので、そこに難があると思います。

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2009年06月22日 14:47に投稿されたエントリーのページです。

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