第八講お題
僕は建築の中に人間の記憶にかかわる何かが挿入されるだろうと思っている。しかしそれは見た人が何かを連想したり想像したりするような何かではないと思う。そういうことを意図的にできるような気がしない。それはたぶん意図的にできるようなことではないのだと思う。その記憶はたぶんもっともっと根源的な生まれる前に授かるような人間としての記憶である。だからそれは恐れとか笑いとか悲しみのようなものかもしれない。
そこで皆に問いたい。これはあくまで僕の記憶と建築設計の関係に対する期待なのだが、君たちは設計の中に記憶にかかわる何かを挿入することが可能だと思うか?そしてそれはどのようなことだろうか?僕の考えに左右される必要はない。今日の話で出てきた観念連合に基づく考えでもいいと思う。独創的な考えを提示してほしい。