1、「形」に内在する両義性
1.1一方では「形状」を意味し、他方で「{考え|アイデア}」や「{本質|エッセンス}」〔「形相」〕を意味かたや感覚がとらえる事物の特性をさし、かたや精神がとらえる事物の特性をさしている
1.2ドイツ語(形に関する近代の概念が最初に発達した言語である)はこの問題を考えるにあたって英語より少し有利
∵ 英語には「{形|フォーム}」のただ一語しかないが、ドイツ語には「{形態|ゲシュタルト}」と「{形式|フォルム}」の二語があるから
→ 形態は一般には感覚で受け取られたものとしての対象を言うが、形式はふつう具体的な個物からある程度抽象化することを含意している
1.3「形」という言葉
十九世紀末まで、建築において、単に「{形状|シェイプ}」や「{量塊|マス}」を意味する以外、言い換えれば建物の感覚上の特性を記述する以外には使われない
2、古代における「形」──プラトン(Plato)とアリストテレス
―西洋哲学の長い歴史において「形」は哲学上の多岐にわたる問題への解決策として役立ってきた。建築に適用される前の 「形 」という言葉の哲学上の使い方を簡潔に見る価値があろう。
2.1 Plato
2.1.1 古代における「形」の概念の第一の創始者
−「形」が複雑な諸問題(実体の本性、物理的変化の過程、事物の知覚)への解決
―すべての事物は本質において数か数比として記述できるというピタゴラスによる先行理論
−ここで不変かつ精神〔mind〕によってのみ捉えられるものが「形」であり、感覚〔sense〕によって捉えられる事物と対比
「個物は視覚の対象であって知の対象ではない。一方〈形〉は知の対象であって視覚の対象ではない」(_Republics_, §507)
「第一に、不変の形が存在する。作られたわけではなく壊すことはできない。なんら変形を受け入れず、どんな組み合わせも作らないし、視覚やその他の感覚で知覚することはできない、思考の対象である。対して第二に、形という同じ名前を背負い、形に似ているが、感覚可能で、実在〔existence〕として生じるものがある……これは感覚に助けられながら理念によって把握される。(§52)
―『国家』でプラトンは哲学者が感覚可能な形の追求において基本的な幾何学図形で始めることを説明
「哲学者は実は図形について全く考えておらず、その図形のオリジナルについて考えているにもかかわらず」
「彼らが描いたり作ったりする図形……彼らはそれを単なる説明として扱うのであり、彼らの追求の真の主題は精神の目なしには見られない」
―本来見えない事物の形という対象の特徴を一連の「形状」としてプラトンが示したことで、近代、ことさら建築において形の二つの意味はいまだに混乱している
2,2アリストテレス(Aristotle)
2,2,1形と事物との間の根本的な区別を作ることへのためらい
―対象がもつ物質と独立して、物質の内に見いだされる何らかの絶対的な存在が形にはあるということを受け容れようとしない
「それぞれの事物それ自体と、その本質とは、一にして同じである」(_Metaphysics_, §1031b)。
2.2.2アリストテレスの「形」に関する考え
―プラトン批判や、つねに「視覚や他の感覚に知覚できない」ものに絶対的な優位を認めることへの抵抗感から生み出されたものと考えるべきではない
―植物と動物の発生過程に対する考察から起こった:『動物部分論』
有機物の根源をその発達の過程のうちに求めるのは誤りで、むしろその完全な最終状態における特徴を考察し、その後初めて発達を論じなければならないと議論
―これを建物の類比で正当化
「家の平面図、ないし家は、かくかくの形を持つ。そしてそうした形を持っているが故に、その建設はかくかくの手法で行われるのだ。というのも発達の過程も最終的に発達したもののためであって、過程のためにこれがあるのではないのだから。」
―植物と動物は観念の中ではなく、時間の上での実際の先行者のうちに、その萌芽がある
プラトン 知ることのできない、萌芽の観念としての「形」
アリストテレス 芸術家の精神から作られた遺伝に関わる物としての「形」
―この区別のうちに、近代において「形」という語のあいまいさを生み出した理由がある。
3、新プラトン主義とルネサンス
3.1形〔form〕と物質〔matter〕との関係を説明するため、後期古代と中世に続く哲学者達も使った。
−混乱することには、彼らは美の原因と起源とを定めるためにこの比喩を用いていた
―これはアリストテレスが意図した目的とは全く異なる
3.2ルネサンスの人文主義者たち
−建築が古代の哲学者達の世界観に適し、実際に世界の過程の類比を与えてくれる、と示したがっていた
−アルベルティ(Alberti, L.-B.)(15世紀中頃に書いた『建築十書』において)
「形」の古来からの一連の理論をなんとかうまく利用
―「建物の形と{形態|フィギュア}とのなかには、精神を興奮させてただちに精神によって認識されるような、ある本質的な美点が宿っている」
−エルヴィン・パノフスキー(Panofsky, E .)のアルベルティ解釈
マテリア−自然の産物 リネアメンティ−思考の産物
→これらアルベルティの区別を同じ用語で翻訳。すべてを「形」の観点から見ようというモダニストの傾向を持っていたので、リネアメンティを「形」と訳したが、これは説得力に欠ける。
―ミケランジェロの彫刻観 = 芸術家の観念を囲い込むもの
アリストテレス的な基盤を持っている(パノフスキーの指摘による)
―パッラーディオのパトロンであるダニエーレ・バルバーロ( Barbaro, D. )
(ウィトルウィウス(Vitruvius)への論評において)
「全作品に刻まれ、理性に始まりドローイングを通じ達成されたものは、形と質をもった、芸術家自身による精神の証である。というのも芸術家はまず精神から働きかけ、内的状態のあとに外部の物質を象徴化するのだから。特に建築においては」
4、ルネサンス後
―古代の哲学において発展した形の観念
―人文主義の学者らに関心を持たれている一方、建築の通常の実践やその語彙に対しては、二十世紀までほとんど影響力を持たなかった
―16〜18世紀を通じて、また実際のところは20世紀のドイツ語圏諸国を除けばどこでも、建築家や批評家が「形」について語るときは、ほぼ間違いなく単なる「{形状|シェイプ}」を意味
―1790年代に発展した「形」への新たな関心→ 二つの異なる側面
1) カントによって展開された美的知覚の哲学に由来
2) ゲーテによって展開された、自然と自然発生の理論に由来
5、Kant, I.
5.1十八世紀後期の哲学的な美学という学問分野
−美の淵源が対象物それ自体にではなく、それを知覚する過程のうちにあるという認識が元
−この議論の展開において「形」は重要な概念となり、もはや(古代やルネサンスを通じてそうだったような)事物の特性ではなく、事物を見る上での特性に限られることとなった
−『判断力批判』(1790年)
−美の判断が切り離された心的能力に属し、知識(認知)にも感情(欲望)に繋がっていない
5.2 形の重要性
−美的判断がただ「形」にのみ関連すると強調
「趣味の純粋判断において対象の快はただその形の評価にのみ連関する」
(_Critique of Judgment)。
−魅力や他の連想を引き起こすすべて、つまり色、装飾といった偶有的な特性はみな、余計である。
「絵画、彫刻、いや実はすべての造形芸術、建築や園芸に至るまで、美術である限り、デザインこそ本質である。ここでデザインとは感覚を喜ばすものではなく、ただ形によって喜ばせる物であり、趣味の根本的な必要条件である」(67)
−美的判断から対象の有用性に関する諸側面をも除外