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2007年10月26日

第三講お題

本日の講義はモダニズムの技術が建築を二つの対極的方向へ導いたことを説明した。それらはスケルトン化でありブラックボックス化である。そしてスケルトン化は必然的に構造や設備を露にする。その露にされることを含めてテクトニックという概念で21世紀の建築を語るケネスフランプトンの『テクトニックカルチャー』の論旨を概説した。更に私の考える未来の材料論からもテクトニック、スケルトンの概念が有力という価値付与を行なった。
そこで今日のお題である。スケルトンという概念を少し拡大解釈してみよう。建築に限らず、身の回りのモノ、コト(建築、プロダクト、音楽、文学、教育、経済その他)がスケルトン化(その構成が分かりやすくなること)することに現代的価値があるだろうか?スケルトンという言葉をいかように解釈(誤解)していただいても構わない。自由な想像力で自分の分野に引き込んでいただきスケルトン化による現代的価値を提示して欲しい。

因みにこの設問は前期の他大における質問と同じなのでそちらのコメントも覗いててみよう。
http://ofda.jp/t_lecture/2007/rule/bbs/2007/05/post_3.html

2007年10月19日

第二講お題

第二講は質料としての色である。色は肌理同様表層の重要な情報として肌理と同質である。しかし今日の講義でお話したとおり、色は表層としての表面色以外にも面色や空間色という現れ方をするところが異質である。つまり現象の仕方が多様である。十人十色の字義通り、色は感じ方も、現れ方も、多様である。
一方白無垢のように記号性を持つ場合もある。色の意味が書かれた本も多いが色には様々な意味が付着している。その点ではある種の言語のようでもある。
さて言語においては言葉と意味とは恣意的なつながりしかないとソシュールが言っている。例えば牛という言葉が牛を意味する必然性はない。例えばアメリカ行ったらcowになる。しかし色においては色の種類と意味には準普遍的つながりがあるように僕は感じる。つまり白は無垢というのは必ずしもそう決めたというのではなくそうした雰囲気が白から発せられると言うことである。
そこで今日のお題は「色の持つ準普遍的意味のなぞ」について考察して欲しい。たとえばモダニズムの白は純粋性と講義の最初に言ったが、それは普遍的な関連がありそうで無い。このありそうで無い。あるいは無さそうである。この色の持つ意味の準普遍性について少し考えてみて欲しい。もちろんやはりそれは恣意的であるという結論でも良い。他の事例などどと比較しながら具体的にお願いしたい。
ちょっと難しいかもしれないが考えてみよう。

2007年10月12日

第一講お題

第一講お題
本日のテーマは建築の質料性に関するものとしての「肌理」だった。そして本来近距離で眺めるものとしての肌理の概念を、建築の特性から遠距離に見えるものまで含め拡張した。その上でこの肌理の存在理由について実例を交え考えてみた。アフォーダンスの話からタウという概念を取り出したり、あるいはヴァレリーが指摘するようにものの多様性の表出など考えるヒントを提示した。ところで肌理とは仕上げの表面の文(あや)であり、文とは文様の文の字である。つまり装飾と呼ばれるものに限りなく近い概念といえる。その意味で現代建築がこの肌理を重要視するということはモダニズムの白い豆腐建築では無視されてきた装飾を見直そうということでもある。
そこで今日の問いだが、肌理とは何故存在するのかあるいは何故必要なのか(あるいは不要なのか)少し拡張して、装飾とは何故存在するのかあるいは何故必要なのか(あるいは不要なのか)考えて欲しい。

2007年10月05日

イントロダクションお題

こんにちは坂牛です。建築の規則は少し高度なデザインの話です。難しいところもあるかもしれませんが分からないところはこのブログで質問しても構いません。
本日のお題は最初なので皆さんの自己紹介をしてください。何を書いても構いませんが、必ず書いて欲しいことは何故建築を勉強しようと考えたかと言うことと将来はこの知識を生かして自分はどのような仕事をしてみたいか。おぼろげなことで構いません。ではみんなの話を楽しみにしています。来週の水曜日までに書き込んでください。