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今回のお題

今週は一回通常の講義を飛ばして、私自身の住宅設計のプロセスという話をしました。住宅設計をし始めてから未だ10年くらいしかたっていないのですが、建築の表現形式としては大きな建物とは異なる方法がそこにはあるように思います。
ところで今日のお題ですが、余り難しい質問ではなく単純に今日の住宅を見た感想、何でもいいです。書いてみてください。字数も自由です。

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 生徒のくせに生意気なことを言いますが、先生の連窓は素晴らしいと思います。生活空間にうまく光を取り入れて、かつコントロールする術はとても勉強になりました。
 またイメージをとことん追及し、イメージに合った素材(感)を実現する先生のプロフェッショナルな姿勢は見習わなければならないとあらためて思いました。

坂牛先生の住宅を見て印象に残っているのは、やはり窓のあり方です。今まで窓なんてただあるだけで特に意識していませんでしたが、先生のさまざまな窓を見て、こんな風に窓に重点を置くこともできるんだと感動しました。
これから設計していく上で僕も窓などに意味を持たせられるようにいろいろ工夫しようと思います。

 今日紹介された建築で印象に残ったのがやはり窓です。部分を全体として捉えたり、意味を強めていくことが建築に力強さを与えることに驚きました。中でも連窓の家2が印象的で、家を十字型に切り取った窓が内部まで構成し、光を取り入れると同時に視界を広げるなど、部分に様々な機能を与えていることに驚きました。

僕は、建築雑誌を見たりする時、「連窓の家#1」、「大小の窓」などのような直方体が組み合わさった作品に目がいってしまいます。でも、今回の授業で見た作品の中では、山の形をした「やま」という作品が最も印象に残りました。まず、作品名が外観から見て取れるように「やま」という所におもしろさを感じました。住宅の中も外観や作品名のインパクトに負けないくらい印象的でした。写真を見ただけなのに部屋の雰囲気や広さ、開放感が感じられた気がしました。四隅に庭があり、その庭から反対側の庭が見えるようになっていて、とても開放的になっていると聞いて、僕も実際にその空間に立ってみたいと思いました。

坂牛先生の紹介した住宅を見て、最も印象に残ったのは、窓をぐるりとひとつながりにした連窓の家でした。外部から見た写真では、建物が切り取られたような不思議な感じを受け、内部からはパノラマな眺めを楽しむことができ、とても魅力的に感じました。他にも、三方向の景色を楽しめるように部屋の間取りが工夫された別荘も、斬新で印象深かったです。
このような魅力的な建物には、型に捕らわれないような発想がとても大切だと思いました。
また、施工現場での様子や、発注側とのやり取りなど、住宅が建つまでのエピソードが色々と聞けて、とても興味深かったです。

こんにちは。
 講義を聞いていて、窓について考えさせられましたし、実際窓の存在は大切です。製図をやっていて窓を考えるときそれほど真剣に考えられていませんでした。しかし、先生の設計した連窓などをみて窓というものの存在が私の中で大きくなってきました。
 デザインとしての窓の存在だけでなく、窓の果たす役割についても学んでこれからに生かしていきたいと思いました。

先生の手がけた住宅を見せていただいて、自分が一番印象に残っているのは、連窓の家♯2です。窓をつなげるという考えを縦にもっていったところにこだわりと豪快さを感じたからです。屋根部を含めて縦に窓をつなげるという行為は、見た目的に建物を二つに分割してしまう可能性があるけれども、それを感じさせないところに思考が行き届いていることを感じました。また、その窓に付けるカーテンを自作したというところに住宅空間の提供におけるこだわりを感じました。創ったものにこだわりと責任を抱く姿は、プロだと思いました。

一番印象に残っている住宅は連窓の家♯2です。あんな窓は今まで見たことがなかったので新鮮でした。夏には太陽光を遮るために黄色の布を天井に張るため、部屋が黄色の空間色になるとおっしゃっていて、どんな雰囲気の空間になるのかとても気になりました。そしてなぜ黄色なのかとても気になりました。

今回見た住宅の中で、三窓の軽井沢の別荘が一番印象に残りました。一方向だけでなく、山の良い景色が一望できるように考えられていて、この土地を存分に満喫できるなと思いました。また、お風呂から見える景色も考えられていて、自然と近くに接することができる、リラックスできる空間になっていると感じました。その土地の良さが生かされている建物だと思います。

坂牛先生の設計された様々な住宅を見て特に印象に残ったのは、十字の形をした窓が特徴的な連窓の家です。この住宅の夜の写真では、部屋の明かりで十字型の窓が一層浮かび上がってそれがその家の顔となっていて、インパクトが強くて目に焼きついていています。十字型という、なかなか思いつかない形を大胆に使われていて、その発想がすごいと思いました。私も誰も思いつかないような、あっと驚かせるような発想を身につけたいと思いました。

 坂牛先生の設計した住宅を見て、自分が課題で設計した住宅の考えの甘さや、細かい部分、コンセプトになるものの突き詰め方、もしくはそのものの甘さを感じた。1つの形に至るまでに数十個の模型を作っているのにも驚いた。
 窓についての在り方がとても勉強になりました。ただ、一番印象に残ったのは、ホタルイカです。敷地や周辺に対してどのように建ち、垂直な壁でなく途中で折れ曲がるような壁によって感じる空間の雰囲気にとても惹かれました。

05T3009B 浦嶋潤昇

先生の設計した住宅は、窓で立面が構成されていて、中から見ても外から見ても楽しそうな住宅であった。数々のスライドをみてどこの窓がどこにあるのかわからなくなるほどの窓の多さに驚いた。
これは小さな規模である住宅だからできる業なのかなと勝手に思った。
「階段に手すりがあればいい」といったクライアントの住宅の階段に、手すりがなかったのは面白かった。

一番印象に残っているのは、連窓の家#2です。トップライトは天井にチョコンとあるイメージだったのですが、窓が縦にも横にも開けていて、視界がすごく開けていることに、感動しました。カーテンまでもデザインして、住宅であるのだと思いました。夜になると、黄色のクロスが浮かび上がり、全体がボワァ照らされている感じにも感動しました。

敷地や建物と向き合うのもそうなのですが、ひとと対話するということがとても大切なことだと感じました。スライドを見ていて、それぞれの建物にはそれぞれの意志がある、と感じました。その意志は、人の、できあがる建築に対する強い思い、っていうのがないと現れてこないんじゃないかなと思いました。クライアントと設計者が考えていること、理想を結ぶためにはやっぱりお互いがお互いを理解しあうことが必要で、そのためには対話する、ということがすごく大切になってくるんだと感じました。目が不自由な子どもたちを呼ぶのに、階段に手すりをつけるだけでいい、という言葉にもその人の伝えたいことがたくさん詰まっていて、ひとつの建物を通してふれあう人たちから建築以外にもたくさんの学べることがあるんだなと思いました。

一つに絞るのは良くない。
前回の坂牛先生の住宅のプロセスでおしゃってました。その言葉をきいてたしかにと思いました。景色がいいからそこをテラスに・・と決めるのではなく、テラスでなくリビングから3方向の景色をみれたり贅沢にするのが良いと感じました。スライドと話を聞いてて次はどんな仕掛けみたいなものがあるかワクワクしてみていました。先生の作品、話からからたくさん見習っていきたいです。見習うことがものすごいあると思いました。

講義を聞いて1番に感じたのは自分の経験の少なさや勉強不足である。製図の課題で住宅の設計をした時に機能のことばかりを考えてしまい、自分のやりたいことや、自分らしさが十分に出せなかった。実際やりたいことがはっきりしていなかった。今回の講義を聞いているとどの建築物にも条件は厳しいながらも先生のやりたいことがはっきりと伝わった。自分がいかに概念でいろんなものを決めていたかがわかった。これからは雑誌を読んだり、現場に行って、いろんなものを吸収して、自分の考えがはっきりと建物に表せるようになりたいと思った。
 印象に残ったものは「ホタルイカ」で、斜めになった壁や、木造と鉄骨造の組み合わせた造りになっているところがおもしろいと思った。また、オフィスビルに囲まれながらも落ち着いた雰囲気が出ていて、いつか自分も都会の中でも心が癒されるような空間を設計したいと思った。

先生が設計した住宅には、窓の利用といった一貫したテーマがあるみたいで、スライドで見た窓はとても個性的で奇抜に見えました。ホタルイカでは、その敷地の狭さから、内装を考慮してセンチ単位で設計していたようですが、窓についてもそうだったりするのかちょっと気になりました。窓の大きさや配置といった計画は今回の課題でその難しさを知りました。でも、スライドでみた住宅は、実際に中に入ってその空間を体験してみたいとも思いました。また、大工がなかなか引き受けてくれないような、複雑な構造を設計する先生の挑戦的な姿勢を見習いたいです

カーテンまで事務所でデザインしたのが、とてもよいと思いました。
あの家は地震で二つに壊れることが無いように、構造も工夫されているということでした。
新しいデザインを考える時に、構造なども新しいものが生み出されるのだなと思いました。

先生のスライドを見ているとやはり一番僕らと違う部分はすべてに意味のある建築であるということだと思います。その意味があった上での試行錯誤や工夫なので見ていてとても興味がわきます。自分の製図の課題は何か工夫をしようとしても何をすればいいかわからなくて結局意味がなかったり、あったとしても納得できるようなものではなかったりです。建築の意味のある空間についてもっと考えなければいけないと思いました。
それとクライアントの存在が大きいと思います。課題にはクライアントの設定が自由だったので実際の先生の設計と比べると自分の工夫はもっと出せるはずなのに何もできていないことを実感しました。クライアント目線で考えることも必要だと思いました。

 今回の講義で1番印象に残っているのは“窓”です。窓についてとても考えさせられました。住宅の設計では、窓は採光のためだけにしか考えていませんでした。デザインについても考えるべきですね。ひとつのことに縛られていて、ほかの事に目がいきませんでした。いろんな方面から見て納得のいくものにできるように、今回学んだことを生かしていきたいと思います。

坂牛先生の設計された住宅を見て「設計の仕事をしていて楽しいことは何ですか。」という質問に「たくさんの人(クライアント)と出会えること」と答えていた人がいたことを思い出しました。なぜなら坂牛先生の設計された家はどれも重点のおき方に同一性は感じますが、表情はそれぞれまったく違っていて、ひとつひとつクライアントのこだわりや、性格が見え隠れしていてクライアントとの繋がりを大切にして設計された住宅に見えました。
もうひとつ思い出されたのは、TAの方がおっしゃっていた建築家は表に出さない秘めた、明かさないコンセプトというのを持っているというようなことを聞いたことがあります。今回の講義を聞いて坂牛先生にもその明かされないコンセプトがあるように感じました。これからはその秘密を探っていきたいと思いました。

05T3055F 高木美帆
先生の話を聞いていて思ったことは、施主の存在の大きさである。「あれが欲しい。これは嫌。」と言ってきたことを、希望に沿いつつも自分の考えを入れながら形を作っていくこと。一緒にカウンターを巡って理想の形を追求すること。施主が出せるお金との折り合いをつけること…。

私たちの住宅の課題ではもちろん施主はいなかった。それは楽な事かもしれないが、無理やりにでも考えを広げる機会を得ることができない。どんな無茶をしても、物言わぬ仮想の施主に妥協してもらうことができる。

住宅は他の建築とは大きく違うと思う。住宅は人々の日々の生活の起点であり、終点である。その他の建築は経由地であり、住宅自体も持ち主以外の人々にとっては経由地である。
作り手のの考えと、施主の存在をどう絡めるかが住宅にとって大切なことである。もし、施主という要素を削っては住宅は住宅ではない建築になってしまう。

先生の作ったものは住宅で、私の作ったものはただの経由地でしかない建築物であったのではないだろうか。


余談ですが、先輩に薦められて「住宅の射程」を読みました。そして、初めて身近な「家」と難しいイメージの「建築」が結びついた瞬間を思い出しました。小さい頃にテレビのコシノヒロコ特集で安藤忠雄の「小篠邸」が詳しく紹介されていたのを一生懸命見ていました。最初は人が住むとは信じられ無かったけれど、その光の美しさや、地形になじんでいるような、かといって浮いているような外観はずっと覚えていました。しかし、その時に受けていた衝撃を今までは忘れてしまっていました。思い出すことが出来て本当に良かったです。どうでも良い私事ですが、感動したので書いちゃいました。

先生の設計した建物は、どれも存在感があると思いました。そして、その存在感は先生の設計に対する信念からきていると思いました。

クライアントの意思を尊重することは重要なことです。しかし、時にはクライアントを説得してでも自分の信念を通して設計するからこそ、人を惹きつける建物を創れるのだと思いました。

先生の設計された建物を見て、その建物ごとにそれぞれの意図があるんだなとかんじました。クライアントの希望に沿った建物を建築することは、一方で自分を表現しているんだと思いました。
また、どの建物でも、窓が重要ま役割をしていると思いました。ただの開口部としてではなく、デザインにも関わっています。
まだまだ私は未熟者です。もっと建築のことをいっぱい吸収していきたいと思います。

坂牛先生の作品を見て思ったことは窓の使い方が非常に特徴的だと思いました。僕は窓というものにあまり重点を置いていないのですが、先生の作品を見て窓というものについての考え方が変わりました。
これからも先生の講義を受けていろんなことを学んでいきたいです。

やはり私は、連窓の家#2が気になった。あのトップライトによって視界が上にあげられ、ソラが家をスコーンと通っている、その爽快感を味わってみたいと思った。
あと連窓の家#2でのあのクロスによる夜の光が、安藤忠雄の光の教会を思い出させ、宗教的な感じを受けた。

先生の講義で、一番印象に残っていることは縦と横一直線に並んだ窓です。そして既製品のカーテンではなく手作業でその窓に合わせてカーテンもデザインしたということに驚きました。自分が依頼者だったら、家を設計してもらえることだけでも十分楽しみなうえに、カーテンまでもというようなちょっとしたサプライズで嬉しいだろうなと思いました。写真では細かいところまで見ることができませんでしたが、一度見てみたいなと思いました。

今回の講義を聴き、最も印象に残っているのは連窓の家#2です。窓を十字型に配置された窓がとても印象的でした。しかし、先生の話を聴いていって一番心に残ったのは、むしろそのカーテンについてでした。市販のカーテンでは自分の表現したい空間を作り出すことができないため、自分でカーテンもデザインしたことには驚きました。 以前の講義で話していただいた、深海をイメージした床でもそうですが、市販のものでは納得できずわざわざ染め直したということにも驚かされました。 先生の建築には、自分の考えた空間を表現するために、妥協せずに徹底的に追及するという「こだわり」が感じられました。 

坂牛先生の住宅設計のプロセスを聞いて、すべての部分ひとつひとつにその存在する意味があるということを強烈に感じました。空いている空間でも、“空いた”のではなく、わざと“空けた”空間という言葉は今の自分にはとても印象的でした。連窓や角窓も、意匠面だけでなく、生活する側にどういう効果があるかということも理論的に考えられていました。もうひとつ印象的だったのは、1つのことに絞らないというものでした。1つ大きなメリットがあっても、視点を変えて考えれば3つになるという、リビングから3方向の景色を楽しめる住宅は印象深かったです。
自分もこれからは、この姿勢を見習います。

先生がなぜ窓に着目したのか、なぜ連続した窓を必要としたのかということが今回のことで少しわかった部分ができたと思います。その土地、クライアントの要望などさまざまなことを考慮したうえで、講義でで紹介してくれた住宅ができた。今までは良い建築とされるものはすごい低い確率でしかできないのではないか?と自分は思っていました。しかし考え方をかえるとそうでなかった。先生が最後に言ったように、クライアントの要望を特徴付けていくことによってデザインができる。このように様々なコトをまとめあげ、さらに自分らしさというエッセンスを加えることによって、クライアントに気に入ってもらえる住宅をつくることが建築家の務めなのかもしれないと感じました。良い建築家だけでは良い建築はできないかもしれないが、良い建築を作るには良い建築家であることは最低限の条件なのかもしれない。なんとかそんな建築家になりたい。とこの講義で感じました。

今回の講義で坂牛先生が「クライアントと相談して」という言葉を何度か聞いたことが印象的でした。実際、どの住宅にも僕が惹きつけられるようなポイントがたくさんあり関心しましたが、やはりそこには設計した住宅に住むクライアントの要望をかなえるということが第一になされていて、さらに独自の発想をとりいれてクライアントに満足していただいてているんだなというのを感じました。

坂牛先生が設計された建物にはどれもこれだけは曲げないというこだわりがあったと思いました。連窓の家ならその名の通り窓が連なっていて、それを曲げずにカーテンなどの内側も変えてしまいました。別荘は普通なら景色のいいほうに開けているけれど、そうではなく、3方向に開けた空間を作っていました。当然それは根拠があってのつくりでした。これだけは譲れないというところをつくるのが自己表現につながるのかなあと思いました。

坂牛先生の作品で印象に残ったのは部屋と部屋の間に壁が少ないということです。前回の設計製図では自分は固定概念にとらわれてしまい、壁ばかりの家を作ってしまいましたが、もっと開放的にすれば空間を大きく使えるし、部屋も明るくなり、家族の雰囲気も良くなるのではないかと考えるようになりました。また、「窓」というこだわりを貫き通すしているところにも何か凄みを感じました。自分も、これだけはほかの人に負けないというような何かを身につけ、それを絶対に曲げないという信念を持って仕事をできるようになりたいと思いました。

一番印象に残ったことは「いい景色がひとつだけじゃなんかイヤ」って言葉です。
先生は自分の考えを形として作ることを実践していると感じました。しかしそれだけでなく施主が納得いくように突き詰めているところが自分も見習うべきだと思いました。
今回の住宅の課題は最後まで突き詰められていなく未完成でした。
今度の展示会までにもう少し突き詰めていこうと思います。

先生の、先生による住宅の、とても貴重なお話がきけてよかったです。ありがとうございました。どのおうちもそのおうちならではの特徴、個性があるためか、どれも印象的でした。中でも「角窓」「三窓」「連窓の家#2」が特に好きです。

どれにもいえるのが、夜の外から見える姿の美しさと、夜以外の、中から感じる外からの光の美しさです。毎日繰り返される昼と夜、窓を通して光がでたり入ったりするところが、住宅の呼吸のようにも思えてきました。全ての窓がそれぞれ関連しているため、中から漏れ出す光がとてもきれいで、中からみる景色も開放的で、特に昼とかは日光をたくさんとりいれる事ができるので電気いらずだと思いました。
三窓の一度に3方向の景色が見れる360°性、斬新さ、がすごいと思いました。課題で住宅を設計したとき、自分が、上からの平面と、横からの断面、立面、住宅の中から考えるときも、180°の視野でしかみていないことに気づけました。これからもたくさん学んでいきたいです。

先生の窓に重きをおくやり方、スタイル、コンセプトのようなものの存在に先生らしさを感じました。私も自分ならではのもの、自分らしさを持ちたいと思いました。自分らしさを持つとゆうか、もっと主張していけたら、他人へわかりやすくアピールができたらいいなと思います。

ちなみに、気になるのがスケルトンのバスルーム。個人的には落ち着かない気がするのですが、実際どうなのか気になります。

先生の設計された建物で印象的だったものはやはり窓です。連窓の家#2の窓は縦と横の窓がクロスしていて、私はこのような窓は初めて見ました。窓は内と外とを繋ぐ役割を果たしている重要な部分であると思いました。また外観という面においても、窓の配置によってその家の印象が決まってくるものだと思いました。

窓について僕も確かに印象に残りました。デザインや景色、採光、そしてカーテンのデザインなども考えていて窓一つを見ても様々な角度からアプローチしていてとても驚きました。そして僕は坂牛先生の建築に対する姿勢が特に印象に残りました。「く」の字に折れた壁を持つレストランの話で、お客がスムーズに通れるようにどれぐらい距離をおくのがいいかクライアントといろいろなお店に行って研究したと言う話がとても印象に残りました。僕にとって坂牛先生は建築のことなら何でも知っている「一流の建築士」でありそんなことはある程度分かると思うのに今でも実際に自分の足で何回も調査に行くというものにとても感心しました。どんなに経験を重ねても自分の足を使うという基本を忘れないことの大切さを学びました。

講義に参加できなかったので、一つ一つの作品がどういったコンセプトのもとに完成されているかがわからない状況での、単にホームページに載せられている写真を拝見した中での意見とお考えください。

「デザイン」のエキスパートであられる先生の作品は確かに美に富んでいます。まずは近い距離での視覚的な美。一つ一つの部分の美的完成度は非常に高いものだと感じます。と言うのも、パーツの一つ一つがシンプルなシェイプに作られていて、それだけを見ているとまるでインテリアデザインを強調しすぎているようにも見えますが、いったん落ち着いて少し周りを見渡すと、そこには「調和」という概念が浮かび上がってきます。そこに存在するそれは、それ以上でもそれ以下でもない要するに過不足が無い状態と気づかされます。
更に視点を離した場合の美。今度は部分を取り込む全体としてのプロポーションを考えたときにも、私たちの美への意識を駆り立てるものと感じます。建築は地上に建てられている限り必ず周りの景観・周辺の環境の影響を受けます。その場において建築はどんなパフォーマンスを展開するかも大きな課題となってくるはずです。実際の状況はわかりかねますが、写真を見る限りではその場に適した外観に見えます。自然の中であればまるで上野の森美術館(確か屋外美術館だったと記憶しています。)に展示されている彫刻などの造形作品のようなニュアンスで、住宅街であれば静寂の中に個性を感じさせる、そんな外観に感じます。

住宅建築とは「住む建築」として造られるわけです。それゆえそこには住むための何かが運び込まれることになると思うのですが、そういった場合に写真から考察すると、建築としての完成度が高いので「住む」といった要素が加わった場合に、プロポーションが崩れる可能性があるのではないかと感じたのも事実です。建築家としてはより良い作品を提供することが何よりですが、いくらか自由度を残した上での作品も見てみたいと感じました。

先生の建築は、窓もさることながら空間の広がりも非常に特徴的だと思います。その空間の広がりによって窓のもつ効果と光の持つ性質がうまく活かされているのではないでしょうか。広々とした空間という意味では非常に自由度の高い作品だと思いますが、住む人の側がそれをうまく活かせているかどうかが非常に気になるところでもあります。

全体的にまとめると、まずは素直に住んでみて建築の持ち味を十分にたんのうしてから、住む側の人が自分流に味を調えていけば、非常に魅力的なライフを完成させることのできる作品だと思います。いきなり住む側の人が個性を持ち込んでではせっかくの良さが半減しかねません。 

私個人としては、『Ziguzagu Rooms』の細長い階段がお気に入りです。無心の状態でこの光の階段を昇ったときに、何を感じることができるかに期待してしまいました。

今回の講義で一番印象に残ったことは、連窓の家#2です。特にあのさまざまな性能をもつ十字の窓はとても印象に残っています。今まで製図をやっていた時は窓に意味をもたせようとは考えていませんでした。でもこの講義で窓はただ外観を良くするだけではないということがわかり、その重要性が改めてわかりました。

先生が設計された建築は、どれも窓が印象的でした。一番印象に残っているのは、十字型の窓です。今までこのような窓は見たことがなかったので驚きました。自由な発想が大事だということ、その建築の印象は窓によってもとても左右されることを学びました。
また、施主とのやり取りが聞けて、とても勉強になりました。施主の意向をどれだけ取り入れて、満足させることができるかがどれだけ重要で難しいことなのかを感じ取ることができました。

こんにちは。 遅くなりすみません。

今回は坂牛先生ご自身が設計された住宅をスライドとして見せていただきました。先生の建築は確かに窓と言うのが印象的でした。ただ、僕は「YAMA」のぼんぼりのような照明に見られるように、光と言う要素が先生の建築には随所に見られた気がします。その光と言うのが窓からくる自然の光であったり、照明による光であったりと色々ですが住宅には光が本当に大切なのだなぁと思いました。
また階段にも特徴のある物が見られました。ぶら下がっているような「YAMA」の階段、「連窓の家#2」に見られる階段図書室。どれも施工主の必要とする物を坂牛先生のアイデアで普段は何気ない物がとても面白いものになっていたなぁと思いました。
 

この授業で、「やま」言う作品がとても印象的でした。先日まで僕達がやっていた住宅の課題を考えているとき、僕は既にある作品を意識しすぎて、自分の表現したいことを完全に見失っていました。しかし、先生の作品、特に「やま」と言う作品のとてもユニークな外見や内部には、「こうしたい。」と言う強い意思のようなもの感じられて、とても感動しました。これからも色々な作品にふれ、自分が表現したいテーマを素直に形に出来るようになりたいと思いました。

 この講義でもっとも印象に残ったのは階段である。連窓の家は名前の通り窓が特徴的で本当に素敵だったが、窓以外にもこだわっている部分がたくさんあり、その中でも特に階段が印象的だった。連窓の家#2や、Zigzag Roomsの階段は、「上っていくと何があるのだろう」とわくわくした気持ちにさせてくれて、家にいる時間が楽しくなるだろうと想像していた。今まで階段は1階と2階をつなぐだけだと思っていたが、それ以外にも大切なことがあることが分かった。
 また、連窓の家#2でカーテンまでデザインしたと聞いたとき、親父とお袋の講義の元祖親父建築的な部分があると思った。

今回の講義で印象に残ったのは、住宅の視点を1つに絞らないということです。
自分はひとつの方向にテラスをつくり景色を見るということを固定観念的に考えてしまうが、景色の良い場所3方向を見渡せるつくりは開放感もよりいっそう感じられると思いました。後、構造に合わせたデザインではなくデザインに合わせた構造を考えるなど固定観念にとらわれない考えをもっとしていきたいと思いました。

住宅にしても他の建物にしても、その設計においてクライアントの要望に応えていくのは絶対に必要なことですが、坂牛先生の住宅を見てすごいと思ったことは、全ての住宅で、その要望に応えて、必要な部屋や設備がそろえられたうえでプラスα何かしらのコンセプトやその住宅の売りにしているものが、語らずともしっかりとした形で目に見えてくるということです。例えば、連窓の家(階段に本棚のある)では子どもに本を読ませたいという要望と連続した窓による広がりのある空間というコンセプトを組み合わせて、階段を利用した階段図書室が作られていました。今回の製図の課題でもっと「自分らしさみたいなものを出してみて」といわれたがやはり必要なものをそろえるということは目標ではなく、ほんとは最低限必要なことで、そのうえでいかに何かをプラスできるかが住宅設計の面白さであり、難しいことなのかなと思いました。

クライアントの意見を汲みつつ、自分のやりたい事も表現していく。
どんな建築でもそうだと思うのだが、住宅設計になると、その考えが凝縮する。
授業で見た建物は、どれ1つとして同じものがない。クライアントも、土地も違うのだから当たり前だ。けれどもどこか繋がっているような感じがした。
経験がどんどん積み重なって、より良いものになっていく。
視野の広がりがどれも特徴的なのではないのかな。と感じた。
もう、住宅の課題は終わってしまったが、課題とは別に自分でちょくちょくいろんな住宅の設計をしてみたい。そう思った。

紹介された先生の作品で連窓の家♯2が最も印象に残りました。
今まで窓のイメージはもろくなんとなく頼りない感じがして、単純に光を取り入れるものだと思っていました。しかし先生の作品を見て、窓が建物の印象に与えるものは大きいと思いました。これからは窓も建物を設計していくうえで重要な要素だということをしっかり踏まえていこうと思いました。

先生の設計された住宅についてのお話しを聞く機会をつくっていただいて、ありがとうございました。前回の課題での自分の作品を振り返る機会にもなりました。
皆も書いている、「連窓の家#2」の十字架型につながった窓について。正直、個人的にはあまり好きな形ではありません。しかし、日本の住宅なのに十字架っていう発想と、中から見た時に景色が広がって見える感じが素敵だと思いました。部屋の配置を考えてからあの十字架の窓が出来たのか、窓の形を考えてから部屋の配置を決めたのか、とても気になります。
また、「Projecting Rooms」の子供部屋の配置が素晴らしいと思いました。すごく好奇心をそそられる子供部屋だと思います。あんな風に大胆に部屋が配置されていて、気持ち良く感じました。
また、ほとんどの住宅で、夜の外観も設計されているという感じがして、住む人が必ず帰りたくなるような家の温かさを感じました。

 今回の講義を聴いて坂牛先生が窓に取り付けるカーテンをもデザインされたということが印象に残りました。設計者は設計する建物を細部まで自分の手でこだわらなければいけないということが再確認できました。
 クライアントから施工途中に駐車場をつけるよう頼まれ、つけたのが残念だとおっしゃたのを聞いて先生の建築に対する強い思いを感じました。

先生の設計された建物を見て、とても勉強になりました。一番印象に残っているのは、別荘です。三角形の形をしていて、建物の中心に立つといろんな方角の景色が見渡せるというものが、とても気に入りました。そういう発想はすごいなと感心させられました。また、全体を通して窓が印象的でした。カーテンまでこだわるところにも建物へのこだわりが感じられ勉強になりました。

「三窓」が印象的です。一度にこんなに広い景色の見える家は初めて見ました。風呂からも外が見えるってのも開放的でいいなと思いました。
自分も設計で広い窓の使い方はけっこう考えるのですが、一つの面でしか考えていませんでした。やっぱり先生のような建築家の方の作品を見るのは勉強になります。
あと、実際の仕事ではクライアントの予算、意見も取り入れつつ設計するのは難しそうですね。

クライアントの要求や敷地の条件なんかは設計に大きくかかわる。当たり前のことだけど話を聞いてそう思った。自分がこんな空間だったらいいなぁと思うものは、みんなもそう思って使ってくれるようなところもあるのかな、と安心した部分もあった。けど自分がいいと思ったものがクライアントに伝わらないとき、相手を説得できるかどうかが自分のセンスがわかところかもしれない。学校では、クライアントにも施工者にも文句を言われずに自分の好きなものを計画している。実際は複雑な条件や問題がかかわってくるのだろう。その中で自分のしたいことがひとつでも加えるのはとても難しいことだけど、とてもやりがいのあることだし形としてできたときの達成感はどれほど気持ちいいのだろう、と感じた。

設計者は図面と模型をつくり、実際に建築物や家具などは職人がつくるというイメージでした。
しかし先生が授業で「既製のカーテンに良いものがなかったから自分の事務所で作りました」とおっしゃていたのがとても印象的でした。
気に入るものがなければ自分で気に入るものをつくってしまえ。この発想がとても好きです。
建築だろうとなんだろうと、ものをつくるという事は楽しいことだと改めて思いました。

連窓の家#2は、あの階段の図書室の連窓の空間が印象的でした。視界が縦、上に開けていて、気持ちのいい空間だと思いました。
限られた大きさで二世帯の多人数生活の家を作る。その多人数生活の中に縦連窓の空間があるのは、爽快ですばらしいと感じます。
黄色いカーテンによる、黄色い空間色の空間も印象的でした。
1階は両親、2階は息子たちの空間のつなぎの階段にとても面白い空間があるので、コミュニケーションもとりやすいし、見栄えもいいし、この階段の空間がとてもいい感じだなと思いました。

住宅の課題のとき自分は建築(ボリューム)ばかり意識して設計してました。しかし先生の住宅では敷地の活用がうまくされていました。神田の小さなレストランでは通り庭をつくりそれによって隣のビルの存在を忘れさせられるかのような空間をつくっています。内から見える外の木々に内からの光が混ざり落ち着いた空間色を客に与えていると思いました。敷地とその建築との調和の大切さを改めて痛感することができました。

大幅に遅れてしまってすいません。
建築にはその設計者の意思が出てくると思います。先生の建築にはそれが上手に、キレイに出ているような気がして見ていてとても楽しかったです。印象的だったのは、"1番見せたいことがココというのがある建物を絶対つくりたくない"というようなニュアンスの一言。物体の部分ではなく、空間全体の和に重きをおいてバランスをとる、それが住みやすさに繋がっているのではないかと思いました。それと、やりたいこととクライアントの要求や要望の差を埋めていく過程が時々話されて、建築はコミュニケーションがあってのものなんだなと感じ、その歩み寄る様がいいなと思いました。ホタルイカが好きです。シェフが絵のメインになるように、というコンセプトとキレイなみどりがツボです。どの建築も実際に一目お会いしてみたいです。

大変遅れてしまい、申し訳ありません。
私が1番印象に残ったことは、やはり窓のあり方です。窓は通風や光を取り入れるものという固定観念がありました。しかし、先生の建築を見ていると、窓をその建築の象徴としていて昼と夜で違う印象を残したり、うまくプライベートな空間を隠していたりと私の持っていた窓のイメージをことごとく覆させられました。人をあっと驚かすような斬新なアイデアが私にはまだまだ足りないと思いました。

早稲田大学・立川創平

授業を受けていないのに感想を書くのはどうかと思ったのですが、先月の住宅特集が手元にあるので、掲載されている角窓の家の感想を書かせて頂きます。遅くなってすみません。


建築のモノサシで読み解く角窓の家

せっかくなのでいくつかモノサシを使ってみようと思う。

■重箱と平皿

角窓の家を、子供室やワークプレイスという部屋名が図面にあるから重箱に近いのだと考えるのは早計に過ぎるだろう。子供室もワークプレイスも、寝室や玄関とは違って機能を表してはいない。むしろ着目したいのは、寝室であろう部屋が室1、書斎のような部屋が室2とされ、そして一番大きなスペースが「広間」と名付けられていることだ。

では広間は平皿かというとそうでもない。こう考えるのには作品名にもなっている角窓が大きく関係している。

窓は普通、面としての壁に開けられる、2次元の開口である。壁の厚みはあったとしても、あくまで風景を切り取るフレームである。このことは坂牛氏が対談で述べていることでもある。

けれど僕は角窓に関してはちょっと違うんじゃないかと思う。風景を2次元の面で切り取るフレームとしての通常の窓に対して、角窓はコーナーを窓にすることで、3次元の空間を浮かび上がらせている。面としての窓がフレームとして風景を静止させて、厳格に切り取るのに対し、角窓は空間の2面のみを表し、風景を動的に、ゆるやかに包むように、浮かび上がらせている。

この角窓たちは、広間のいろいろな場所に、ちょっとずつ性格の違った場所を作る。しかもその性格は絶対的なものではない。季節や時間によって光の入り方は変わり、また窓を通して見える、つながっているけれど離れた、家の反対側の様子も変わる。つまりこの角窓たちがつくる場所の性格は関係性によって作られる、ある意味では移ろいやすい、相対的なものだ。

この広間には他にも、上から降りてくる子供室や、それが作る隙間、そして連窓、あるいは作りつけの収納によるでこぼこした壁面など、様々な要素によって場所が作られていく。

重箱でも平皿でもなく、その中間に、角窓の家の広間はある。そしてそれは重箱と平皿の直線的なモノサシの上にあるのではなく、少し曲がったモノサシの上にあるように、僕には思える。

■白無垢と色内掛け

子供室の色には驚いた。表面色なのだけれど、写真でも10+1のサイトの動画でも、空間色に見える。RCのボックスの中に浮かぶS造の箱。それだけでも強い性格を持った場所だと思うのだけれど、さらにそれが水色の空間色で満たされている。

この子供室から見る広間や、外の風景は、きっと別世界のように見えるだろう。そして子供たちにとってこの場所は、水の中の自分たちだけの洞窟のように、あるいは空に浮かぶ見えない島のようになるだろう。

正直、僕だったらこのように部屋を塗ったとは思えない。けれどこの挑戦はとても素晴らしいと思う。


本当はもう少しモノサシを使ってみたかったのだけれど、感想ではなくなってきているような気がするのでここまでにしたい。

■直角の詩、鈍角の詩

僕が角窓の家でもう一つ気になったのは、直角と鈍角ということ。これはモノサシではないけれど、角窓の家は、リテラルな意味で鈍角で構成されており、それは無数のずれや隙間を生み、それが全体としてゆるやかな性格を形作っていると思う。

コルビュジェは直角の詩を詠み、宮本佳明は鋭角の詩なんてことを言っているけれど、もう一つ、鈍角の詩というのがあってもいいんじゃないかと思った。なんだか「鈍」という漢字はふさわしくないのかもしれないけれど、柔らかい感じがして、僕は好きだ。

遅れてしまい、すみません。
窓の存在は家の外観も中からでも大きいものだと思いました。私は製図の課題でも住む人がどんな風にこの家を見るのか考えが足りなかったと思います。動線に気をとられてました。立体の難しさと部屋のつながりといろいろ勉強になりました。

遅れてしまい、申し訳ありません。
まずものすごく印象的だったのは先生の作品からは開口部への配慮がものすごく感じられることです。窓の存在がどれほど大切なのか思い知らされました。もちろん建築というものは敷地から配置、デザインまですべてが完成してできるものです。しかしその中で個性を発揮することが大事なのだと思いました。ありふれたデザインの建物は面白くありません。そこで先生の住宅は窓が非常に個性的ですばらしいと思いました。これからはいろんな建築物を設計する際に自分らしさをどのように出していくか、これが大切になってくると思います。前期にスタジオXの「自分らしさ」をやった意味がわかったような気がしました。

最初から苦言を呈するのもなんだけれど、感想文のみんなの書き出しが余りに画一的なのには驚く。「先生の設計された、、、」「講義を聞いていて一番印象に残った、、、」そんな当たり前のことを書く必要はない。短い文章なのだから、もっと凝縮した言葉を連ねて欲しい。そして見た印象を自分の言葉で表現して欲しい。
この2つは文章の世界に止まらない。皆さんの設計を見ているとこの感想文と同様である。小さな家に通り一遍の「先生の設計された、、、」と同じように当たり前の部分が大変多いのに気づく。当たり前が悪いわけではない。よく考えた上での当たり前はそれでもいい。しかし当たり前と言うのはおうおうにして殆ど何も考えていない結果の当たり前であることが多いものだ。
次に表現する言葉が自分の言葉になっていない。「十字の窓が印象的だった」というのは誰でも思うことだと思う。その印象を自分の言葉にして欲しい。それも何も考えていないことの裏返しなのである。「これから自分もよく考えていきたい」と書いてあっても、十字の窓から自分が何を得たのか。そこが一番重要なのである。その部分をもっと突き詰めないと、次に自分が設計する時に多分何も出てこないと思う。
以上感想への感想

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