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第四講お題

今日の話は「箱と袋」。この言葉には2つの意味がある。先ずは箱とは事前的に外形が設計者の意思によって決まりそこに内容を注ぐこと。袋とは、設計者の意思とは別な多くの要因があってそれを設計者が勘案して外形が決まること。つまり外形の決定順序という意味である。一方、文字通り、箱とは直方体であり袋とは不定形な外形を指す。つまり箱と袋の2番目の意味は形そのものである。そして一般的には外形の決定順序が箱的なものは外形それ自体も箱的なものが多く、決定順序が袋的なものは外形それ自体も袋的不定形になる傾向がある。
そこで質問しよう。外形の決定順序は箱的だが形は袋的なもの、外形の決定順序は袋的だが形は箱的なもの。この2つの例をあげて説明せよ。字数制限は今回はなし。

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 ぼくは甘いものが好きなので今回はお菓子から例を探しました。
 まず「外形の決定順序は箱的だが形は袋的なもの」の例は、バースデイケーキです。たいていのケーキはパティシエなる人たちによって意図的にデザインがされ、そこに「おめでとう」と書かれたチョコ(内容)が加えられているが、形は円柱です。コンクールなどで優勝するような人が作れば、口で説明できない形になることもあるでしょう。
 次に「外形の決定順序は袋的だが形は箱的なもの」の例は、カステラや羊羹です。これらは設計者の意思ではなく、これらを作る道具によってデザインが決められている。しかし出来上がった形は箱そのもの。
 こんな例で申しわけありません。

外形の決定順序は箱的だが形は袋的なものとして料理が当てはまると思いました。料理を作るとき、最初に何を作るか(この段階で外形は決まっている)決めていなければならない。さらに料理というものの外形はだいたい不定形である。よって料理は外形の決定順序は箱的だが形は袋的なものだと思う。
つぎに外形の決定順序は袋的だが形は箱的なもの、それはオーダーメイドの衣服(たとえばスーツ)だと思う。衣服というものの形それ自体は基本的には一定の形をしている。しかし、オーダーメイドの衣服というものは設計者(この場合は衣服を作っているデザイナー)が勝手に作るのではなく、注文をした人のいろいろな要求を考慮して衣服の外形を決めなければならない。だから、外形の決定順序は袋的だが形は箱的なものだと思う。

 箱は既製品で、袋はオーダーメイドだと思います。オーダーメイドを辞書で調べると、オーダーメイドとは、注文を意味するオーダーと生産を意味するメイドを合わせた注文服を指す和製英語。転じて、服飾以外の製品全般に対する受注生産や注文のよって生産する商品、または生産工程を指す。つまり、自分がいて、そこから、服などの形が決まるから、これが袋だと思いました。逆に、オーダーメイドの反対にある、既製品が箱だと思います。

こんにちは。中野広大です。今回、僕は「外形の決定順序は箱的だが形は袋的な物(箱・袋)」・「外形の決定順序は袋的だが形は箱的な物(袋・箱)」の例を僕の趣味であるサッカーであらわしてみたいと思います。

(箱・袋)…現代サッカーのフォーメーション
(袋・箱)…ゾーンプレス

まず外形の決定順序は箱的だが形は袋的な物について話したいと思います。僕が挙げたのは現代サッカーのフォーメーションですが、これがなぜかと言うと、設計者(ここでは監督)の意図する物がフォーメーションと言う箱として始めに表現される。これは、どういう攻撃をするのか、どのように守るのか?そのような監督の意図を事前に(試合前に)決める物。これだけではただの箱ですが、現代のサッカーは全員守備・全員攻撃です。攻撃の際にはフォーメーションを崩してでも点を取りに行く。これは袋的だと思います。

次に外形の決定順序は袋的だが形は箱的な物についてです。僕はゾーンプレスを挙げます。ゾーンプレスとはイタリア人監督のアリゴ・サッキと言う人が編み出した守備戦術で、ある一定の決められたゾーン(大体ハーフラインより少して敵陣より)にボールのあるところにプレス(守備)をすると言うようなものです。これはマラドーナと言う監督が意図する物でない要因によって外形(戦術)を決めた点で袋的だと思います。しかしグランド外から見てみると守備をしている側はきれいな長方形になっています。この点で箱的だと思います。
以上です。わかりにくい例かもしれません。ごめんなさい。

まず、外形の決定順序は箱的だが形は袋的なものは、絵だと思いました。絵はまず何を描くかを決めるという点で箱的だと思いました。しかし実際は鉛筆の使い方や色の使い方で想像してた絵とは異なってくる場合があるので、そうゆう点で袋的だと思いました。
外形の決定順序は袋的だが形は箱的なものは、本だと思いました。本は、まず作者がどうゆう物語にするかという内容から考えるという点で袋的だと思い、また本というのはある程度形も決まっており見た目も箱的なのでそう思いました。

05T3075A 長野 みなみです。

『外形の決定順序は箱的だが、形は袋的なもの』として、スーツをあげる。スーツは格式ばった服装である。その人の体系に合わせて、ぴったりとした服。しかし、服なので、どんな形にでもなる。そして、スーツは会社員が着る、また学生が就職活動できる。他にもいろいろ着る場所はあるが、スーツを着ていく場所というと、なんか、格式ばったところである。格式ばったというのは、箱的ではないかと私は考えた。
 一方『外形の決定順序は袋的だが、形は箱的なもの』として、ドレスをあげる。ここでいうドレスとは、ウエディングドレスとか、フリフリしたきらびやかなドレスのことだ。いかに派手に、きれいに、自分を際立たせられるかといってドレスは決める気がする。そういう点で、袋的。しかし、着る人の体系に合わせたサイズにしないといけない、そういう点で箱的だと思う。

外形の決定順序は箱で形は袋・・・設計者のエゴ+デザイン
イスの類で話を進めてみよう。「とりあえず座れればよい。」設計者はそう考えるかもしれない。または「座りやすさ重視だ。」そう考える人もいるだろう。それもこれも設計者のエゴである。そんな思想以上にカタチは様々だ。座り方がわからないものだってある。座り方すら自由なのだから、イスにとってはさあ大変だ。
インテリアショップに行ってもやはりイスは輝いている。他の家具とイスは少し違う。きっと、イスに求められる機能が他の家具よりも少ないからではないだろうか。つまり唯一「座る」がイスに求められた使命なのであろう。袋だってそうだ。使命が少ないということは、自由度を増すということにもなるのだろう。その自由度に設計者はエゴをつぎ込む。必然的にデザインの幅が広がる。
コルビュジエもイスを作っていたがやはりそのデザインに惹かれるものがある。コルビュジエのエゴに惹かれているのだろう。

外形の決定順序は袋で形は箱・・・機能+「シンプル」の持つ魅力
トイレットペーパーはどうだろうか。誰が「トイレットペーパーはロール状だ」と決めたのか。それはトイレットペーパーが持つべき役割と、機能、そして使う側の利便性といったいくつもの要素が重なり合ってそうさせたとしか言いようが無い。このロールは、四角が箱を連想させるかのように、ある種トイレットペーパーを象徴するかのようなものにすらなっている。またロール形式というのは非常に画期的なアイディアである。ロール+芯の設計により、巻き取りやすさ+常備性能+交換容易性という機能を搭載させることができているからである。更にはワンロールに何メートルもの紙が潜んでいるというおまけ付きである。あの何の変哲も無い単なる円柱にはいつも驚かされるばかりである。しかしながらあのロール形状にも少なからず短所がある。それはこのエコロジーな世の中にあって過剰にペーパーを巻き取ってしまう危険性があるということである。誰が必要最小限の量でペーパーを巻き取っているのだろうか。私をはじめ多くの使用者がペーパーを浪費しているはずだ。それは何故か。お金と同じで、考えて使わないことにはとどんどん出てきてしまうからだろう。巻取りがスムーズなのは結構なのだが、逆にそれがあだとなっているのだと私はおもう。ここで私は考えたのだが、トイレットペーパーをロール状ではなく、少し角をつけた形にしてみたらどうかと。四角いトイレットペーパーである。すると、その四角さゆえ巻き取る際に「カタン、カタン」と巻き取っていることを意識させてくれるようになる。これなら紙の長さを考えて使うようになるのではないだろうか。きっとこんなことを考えた人は今まで何人もいるのだろうが、何故かトイレットペーパーのロールは何年経っても円柱だ。トイレットペーパーのシンプルな形の中にも複雑な事情があるようである。

外形の決定順序は箱的だが形は袋的なものの例として「人」を挙げる。人間には頭部、胴体、手、足という「形」がある。そこに時間や様々な習慣という「内容」が注ぎ込まれることによって1人の人ができていくものだと思い、決定順が箱的だと感じた。また、1人の人でも意識しだいで変えることができるし、習慣で変わってしまうこともある。そういったところが不定形な袋的な形であると感じた。
外形の決定順序は袋的だが形は箱的なものの例として「本」を挙げる。本はいろんな内容をまとめたものを集めてできるもので、またその内容に合わせてページ数やサイズを決めていくものだと思う。そういった決定順序が袋的なものだと感じた。またページごとに形が変わることはなく、同じ大きさのページを重ねることによって本になるものだと思い、外形は定形である箱的なものだと感じた。

僕が考える「外形の決定順序は箱的だが形は袋的なもの」はCDです。僕は音楽がとても好きで、けっこうCDを持っているのですが、音楽をつくるうえでCDの外形は決まっているのに、中に入っている曲はどれも違うからです。
次に僕が考える「外形の決定順序は袋的だが形は箱的なもの」は好きな人に贈るプレゼントです。贈る物っていつも困りますよね。送る側は必死でどんなものが喜ばれるか考えます。だから贈る物の外形はその時々で違うけれども、プレゼントの中身はいつも変わらぬ気持ちが入っていると思うので、「外形の決定順序は袋的だが形は箱的なもの」は好きな人に贈るプレゼントだと考えました。

05T3009B 浦嶋 潤昇

・外形の決定順序は袋的だが形は箱的なもの・・・「お母さんのダイエット」

 ダイエットの方法はさまざまである。何年か前にお母さんはダイエットをしていた。なんかまずいお茶を飲んだり、ウォーキングをしたり、料理ににがりをいれたりしていた。さまざまなダイエット方法の中からなぜその方法を選んだか。お母さんにはそれしか知識がなかったのか、あるいは人から勧められたのか、テレビで見たのかわからないが、どちらにせよお母さんは「これしかない」と思ったはずだ。結果お母さんはやせた。結構やせた。(今は戻りつつあるけど・・・)さまざまあるダイエット法(袋)からいくつかを選択肢「これだ!」と決めてそれを理想の体(箱)にしていく。それに袋のようだったお母さんが箱のようなスリムなお母さんになったのであるから、これが外形の決定順序は袋的だが形は箱的なものである。

・外形の決定順序は箱的だが形は袋的なもの・・・「広告表示」

 ケータイを変えようと思って話題の○△□社のケータイを見に行った。するとすべての機種に「0円」と書いていた。「おぉ!!」と思ってよく表示を見てみると小さく「お持ち帰り価格0円」と書いてあった。さらによく見てみるともっと小さく、「○万円の36回払いです。」と書いてある。このように、広告表示というものは箱のようにしっかりとした意思表示がされているが、よく見てみると、袋のようによくわからないような感じで、大事なことをあいまいに表現している場合がある。ぱっと見は箱である。広告を作った人は始めに「0円」という目標があって、それに対してどういう風にしていけば会社がつぶれずに済むのか考え、最終的に利益がでるような形にしている。ひとつの箱(0円)にすると決めていても、会社の利益のことや、法律のこと、利用者のこと、他社の戦略の対抗とか、袋のようないくつもの要素が含まれていくのである。結果ぱっと見は箱でも結局は袋になってしまう。だから広告表示は外形の決定順序は箱的だが形は袋的なものである。

・「外形の決定順序は箱的だが形は袋的なもの」
これを曲だと考えます。
まず、こういう曲にしよう(箱)を考えます。その後、ギター、ベース、ドラム、コーラス、そして歌詞など、いろいろ工夫を加えることによって悲しい曲だったり、楽しい曲が完成していきます。それによって仕上がった曲はすべて1曲1曲、こめられてる作曲者の思いが違います。結局出来上がった曲はどれも形がちがう不定形のものだと感じ、これを袋と考えました。

・「外形の決定順序は袋的だが形は箱的なもの」
これはパソコンだと考えます。パソコンの中にあるデータは人それぞれ違うものをもっています。たとえば音楽だったり、パワーポイントだったり、ゲームだったりもしかしたら個人情報もいっぱい詰まっているかもしれません。今のパソコンなんてハードディスクを変えてしまえばどんなに大きな容量のデータでも入ってしまいます。容量がいっぱいありすぎるから外部の形が一向に決まってきません。そこに袋的な部分をみました。容量はパソコンの機種、種類によって違うかもしれない。でもすべてが全てあの形をしている。箱のような…。そう、形は箱的なのです

05T3024F  加藤 光

外形の決定順序は箱で形は袋なものとは、複雑な形をしているのに、内容はあとから決定されるもの。これを、外見は個性的でありながら、その個性は意味を持たず、他者によって自由にあとから決定されるものと考える。
そこで考えたのが「動物アート」である。動物アートとは、動物の絵ということではなく、動物が描いた絵のことである。動物園などでは、チンパンジーやオランウータンなどの動物に絵を描かせて、その動物たちの特技とし、個展まで開いているところもある。今では、象も絵を描く時代なのだ。これらの絵は以前テレビで見たことがあるのだが、はっきり言ってただの線の集合体にしか見えなかった。しかし、この絵を解説する人のコメントは違った。「抽象派の作品だ!」である。そのとき私は、抽象的に描かれているのには間違いないが、動物は人間に比べると明らかに知能が低いので、おそらく動物たちの頭の中には抽象的にする前の段階は存在しないのではないかと思った。したがって動物アートは、描く側の動物に絵に対する意味はなく、反対に観る側の人間がそれぞれの感性に任せ、自由にあとから絵に込められた意味を決めることができるのである。

外形の決定順序は袋で形は箱なものとは、様々な内容が最初に決定されているのにも関わらず、形は個性に乏しい単純なもの。これを、外見は基本的にシンプルでありながら、その存在する意味に個性があり、それは最初から決定されているものと考える。
これは、「紙」ではないかと考える。紙の存在する意味、つまり紙の用途というものは、書く、描く、折るなど様々であるが、紙としてつくられる以前にそれらは決定済みである。また、紙には様々な形が存在するものの、基本的な形としては四角形(長方形・正方形)であり、とてもシンプルなものである。これは、様々な用途が最初に存在し、それらを基準に考えると、四角形といったシンプルかつ自由度の高い形が最も適しているという結論に至ったと考えられる。したがって紙は、用途が使用者によって様々なものになりながらも、最終的には使いやすさという観点により四角形というシンプルな形になったのである。

袋→箱 イメージされていないもの (例:電話)
箱→袋 既にイメージされたものから造られたもの (例:携帯電話)

始めに電話を造るとき、僕らが知っているような“電話の形”はイメージされていなかったはずだ。まず、電話に必要な機能は、相手の声を聞く部分と自分の声を吹き込む部分が必要であり、また電話番号をいれる部分も必要だと考えたはずだ。おそらく、新しいもの(イメージされていないもの、まだ存在していないもの)を造るときそのものの形をイメージする前に、どうすれば目的にあった機能をみたすかを考えると思う。つまり、始めからそのものの形が創造されていないわけだから、必然とそのものが形として出来上がったとき、袋→箱となるわけだ。
携帯電話は電話の形のイメージからつくられたと思う。名前の通り、持ち運びができるほどコンパクトになっている。さらに、メールや写真が撮れることはもちろん、音楽が聴けてテレビも観ることができる機能も付け加わった。その上で使いやすいように設計されているのだと思う。既にイメージされたものに付加価値をつけたり、便利にしようとして設計した結果できた形が、箱→袋だと思う。

決定順序が袋的で外形が箱的なのは写真だと思う。写真を撮るとき被写体が写るように撮ったり、被写体ときれいな風景が写るように撮ったりする。出来上がった写真は撮りたい部分さえ写っていればいいわけだから形は丸形やハート型でもいいのに実際は長方形である。つまり写真は撮りたい部分だけを意識して撮影したにもかかわらず最終的な形は必ず長方形という決まった形であり、まさに決定順序が袋的で外形が箱的である。

決定順序が箱的で外形が袋的なのはお餅だと思う。地域によって形の違いがあるがお餅を作ろうとしている時や販売する時の形は丸型や四角形の状態である。しかしお餅は食べるものであり食べられる直前の形こそお餅の本来の姿だと思う。お餅を焼くと誰もが知っているように中央部分が盛り上がって表面を突き破り風船のように膨らむ。皿にのせた時には縮んでいるが元の形とは明らかに違っている。つまりお餅は人が勝手に決まった形(箱)にしようとしているだけで実際の姿はそんな形とは程遠い形をしている。これは決定順序が箱的で外形が袋的である。

05t3003c 伊藤 寛之 

僕はジグソーパズルついて考えました。ジグソーパズルには設計者が二人います。業者と消費者です。
業者がジグソーパズルの1ピースを作るときすべてを組み合わせてひとつの絵になるよう考えられて作られています。しかしその1ピースごとの形はグニャグニャでひとつでは意味を持たない外形となっています。よって、このときジグソーパズルは決定順序は箱的でかたちは袋的なものであると思います。
消費者がジグソーパズルを完成させていくとき、こういった完成系にしようという消費者の意図なくしても絵と絵が組み合わさるピースをくっつけていくと業者によって決められた形が出来上がります。この決められた形には四角形が多くとてもシンプルなものです。よって、このときジグソーパズルは決定順序は袋的で外形は箱的なものになると思いました。

僕は「外形の決定順序は箱的だが形は袋的なもの」は部屋でみているテレビだと思います。今テレビをつけながら今回の質問の答えを考えているのですが、外形の決定順序(テレビを見ること)は自分が見ようと思って見ていて、その事は自分で決めた事なので変わることはないですが、形(テレビの内容、見る人の受け取り方)は見ている番組や内容はそのときそのときで違い、また見ている人によって感じ方も違うのでそれぞれが違って定まらないと思います。だから「外形の決定順序は箱的だが形は袋的なもの」は部屋でみているテレビだと思いました。
次に「外形の決定順序は袋的だが形は箱的なもの」は数学の問題を解くことだと思います。外形の決定順序(問題の解答の途中過程)は人それぞれ解き方、考え方が違い、いろんな過程がありますが、形(解答の答え)は最終的に1つに定まります。だから「外形の決定順序は袋的だが形は箱的なもの」は数学の問題を解くことだと思いました。

05T3086F 藤岡佑介です。

外形の決定順序は袋的だが形は箱的の物ですが、僕は人間をあげます。人は世界中で生活しており、独自の文化を持ち、見た目も異なります。ですが、どんなに見た目が違っても中身は一緒であり、それぞれの決まったパーツが決まった場所に収まっています。そんなところがあてはまると感じました。
次に外形の決定順序は箱的だが形は袋的な物ですが、塗り絵をあげます。塗り絵は白い紙に黒で線が描かれており、そこに自分で色を塗っていきます。色を塗っていく土台となる物はすでに出来てしまっているし、物の色も一般的には決まっていますが、自分の塗り方しだいでその絵からは実物を越えた、様々な表情が感じられると思います。外部の影響を受け変化していく、そういう自由さがあてはまるだと感じました。

松本晃裕

 まず、「決定順序が箱的だが外形が袋的な物」には、衣類についているポケットが当てはまると思います。ポケットの外形は、自分で作る場合は別ですが、服を買ったときには既に決まっていて、その大きさや位置に応じて何を入れるかを考えるという決定順序が、箱的なものだと思いました。また外形については、一般的に布でできているという単純な質感の面から、袋的だと言えます。
 次に「外形の決定順序は袋的だが形は箱的なもの」は、履物が当てはまると思います。履物にはたくさんの種類があり、運動靴、長靴、サンダル、スパイクなど、その用途や目的に応じて形が考えられています。これは内容から外形という袋的な決定順序になっているのではないでしょうか。一方履物は、足を痛めないようなつくりをしているところから、外形は箱的だと思いました。

人のお金の使い方について述べます。
外形の決定順序は箱的だが形は袋的なもの。
それは、計画的にお金を消費することだと思います。このとき人は、まず今月はこれだけ使えるという制限(箱)を決めます。その中から生活費や交際費などを細かく決めて行きます。そして、実際にお金を使うと、それはあらかじめ考えていた様々なもの(袋)に変化します。

一方、外形の決定順序は袋的だが形は箱的なもの。
それは、無計画にお金を使うことだと思います。このとき、人はその場その場で後のことを何も考えずに様々なもの、こと(袋)にお金を使います。そうして、1週間や1ヶ月が経つと、その期間に自分が使ったお金の量(箱)に気づきます。例えば、カードを使った時には、一ヶ月分の利用代金の明細書(箱)が送られてきたとき自分の現実に気づきます。また、お金を下ろそうと銀行にいったとき、ふと気づくと残金が残り少ないこと(箱)に気づいたりします。

外形の決定順序は箱的だが形は袋的なものだと思うのは、牛乳などが入っている1リットルのパックだと思います。1リットルのパックの形はほとんどだれもが知っているあの形です。しかし、中に牛乳をいれ牛乳のラベルを貼れば牛乳パックになり、中にりんごジュースを入れりんごジュースのラベルを貼ればりんごジュースパックになります。このように外形は決まっているけれど中身は決まっていないので、外形は箱的だけど形は袋的なものだと思いました。
外形の決定順序は袋的だが形は箱的なものだと思うのは、かばんです。かばんは形が決まっていません。リュックもあれば手さげのかばんもあります。けれど、物を入れて運ぶという1つの大前提の下に作られます。なので外形は決まっていないが中を作る要素は決まっているので、外形は袋的だけど形は箱的なものだと思いました。

外形の決定順序は箱的で形は袋的なものは、木だと思います。木は種が苗に育ち、土に埋められ根をはらすと共に成長し、葉と実をつけて僕たちがよく目にする木になっていきます。しかし、そのような形になってから、木というものは季節によって形を変えていきます。春は葉をつけ始め、夏は青々と茂り、秋は紅葉し葉を落とし始め、冬は葉を落とします。これは気温の変化などの影響によるものだけど、僕は木がそれぞれの季節の景観に合わせて形を変えていると感じたので、形が袋的なものとして選びました。
外形の決定順序は袋的で形は箱的なものは、涙だと思います。人は泣くときさまざまな理由で涙を流します。うれしくて涙を流すときもあれば、悲しくて涙を流すこともあります。また、笑いすぎて涙が出てくることもあるし、痛かったり苦しかったりして涙を流すこともあります。このように、涙が作り上げられるまでの過程はさまざまだけど、結果として涙という決まった形になって流れ出てきます。よって、形が箱的なものに涙を選びました。

今回の講義を聴いて、フラクタルの話を思い出した。高校のときに国語の先生がこのことを話していて驚いたことを今でも覚えている。はじめしか理解できなかった。
そこで、今回は箱的なものは定型的なもので、袋的なものはフラクタルなものではないかと考えた。それを踏まえたうえで例をあげたい。
 外形の決定順序は箱的だが形は袋的なものとして陶芸をあげる。陶磁器は陶芸家の考えのもとにつくられるが、完成された作品は陶芸家の手の形や力の入れ具合などの不確定要素によってつくりあげられる。まさに陶磁器の形状はフラクタルなものであるといえる。
 次に、決定順序が袋的だが、形は箱的なものをあげたい。それは地図である。
たいてい思い浮かべる日本列島の形は二万五千分の一や五万分の一の地図の形である。しかし日本という島は本当に地図のような形をしているかというとそうではない。リアス式海岸のあのギザギザを地図にあらわせられるでしょうか?それは無理です。リアス式海岸の形をあらわそうとすればするほど、無限にあらわれる海岸線の凹凸に悩まされるでしょう。だから地図はフラクタルな形状の日本列島を定型的なものとしてあらわしているのである。

 『外形の決定順序は箱的だが形は袋的なもの』とは料理だと思います。
例えばロールキャベツを作ろうと思ったとします。すでにこの時、一般的な『ロールキャベツ』という外形が決まっています。これはみんなほぼ同じような形を思い浮かべると思うので外形は箱的。しかし、料理というものは同じ料理を作っても作り手によって味がかなり違います。調味料の配分、煮込み具合、さらにはコンソメスープなのかトマトスープなのかというベースさえ違うかもしれません。この味つけが『形』に当たります。
 『外形の決定順序は袋的だが形は箱的なもの』について。
先日、サークルでソフトボールをしたのでそれについて。去年のこの時期も同じようにソフトをしたのですがメンバーががらりと変わっていました。卒業してしまった人、新しくサークルに入った人、用事で来られない人など理由はそれぞれです。メンバーが違うということは、守備位置・打順をメンバーにあわせて変更しなければなりません。変更後は去年とまったく違う印象のチームになりました。このようにメンバーによってチームの(戦力的な)見た目はかなり変わります。これが『外形の決定順序は袋的』です。
しかし、ソフトボールをやっている姿を100m離れた位置から見てみてください。そこから分かるのは9人対9人でソフトボールをやっているということくらいしかわからないでしょう。つまり距離を置くと『ソフトボール』という誰もが知っている固定した情報しか伝わってきません。これが『形は箱的』に当たります。

「距離を置く」というのはもしかしたら特殊な考えかもしれませんね。そして今回『形』というものを抽象的な『形』などで表現してみました。もし根本的に間違っていたらすいません。

外形の決定順序は箱的だが形は袋的なものとして、デスクスタンドを挙げる。
デスクスタンドは、蛍光灯または電球とスイッチ、本体、コードが組み合わさったものである。そこから自分は、この主な四つのパーツを組み込めば、自由に形を定められることができるところからデスクスタンドを例として挙げた。デスクスタンドは机の上にそのまま置くタイプのものもあれば、壁面に取り付けるものもあり、はたまた机自体に組み込まれているものもある。

外形の決定順序は袋的だが形は箱的なものとして、音楽録音再生機器(コンポ)を挙げる。
MDやCDといった音楽を保持あるいは発することのできる機能を取捨選択して組み込むが形はやはり直方体になっているから音楽録音再生機器を挙げた。一昔前のものを見てみると、直方体という形は変わることはないのに中に組み込まれている機能のめまぐるしい変化に驚く。最初は、テープ、次にCD、次にMD、と技術の進歩に伴い時々刻々と変化している。これから先も、変化していくものかどうか興味を抱く。

外形の決定順序は箱的だが形は袋的なものはウエディングドレスである。
本来はキリスト教の婚姻の儀式の衣装であって、長袖であったりベールで顔を隠すなど戒律が厳しかったが、現在ではシルエットを選べ、体型をカバーしたり各自好きな装飾をつけたりすることができる。その形はふんわりとしていて袋的である。

外形の決定順序は袋的だが形は箱的なものは白無垢である。
和服という主な形が決まっていて、それに身を守るという意味の懐剣や末広がりに幸せになれるようにと末広を身につけるというきまりごとがたくさんある。その形はどこか箱的なものを感じる。

まず、外形の決定順序は箱的だが形は袋的なものとして、選挙を挙げる。
選挙では有権者が候補者に1人1票を投じ、投じられた票の多い候補者が当選する。つまり、候補者の中から当選者を決定する順序は決まっている。これが、箱的な外形の決定である。
一方、投票の結果は有権者の意思によって様々に変化しうる。例えば、立候補者AとBがいるとすると、有権者の意思によってAが当選することもあれば、Bが当選することだってありうる。これが袋的な形の部分である。

次に外形の決定順序は袋的だが形は箱的なものとしては俳句を挙げる。
俳句は5-7-5の17音を定型とする短い詩である。さらに俳句には、季語・切れ字などを含まないといけないという規則もある。私たちはこの定められた17音の中に自分が表現したいことを納めなくてはならない。この、規格は俳句の形をつくるうえで立派な箱になっている。よって、俳句は最終的に箱的なものになる。
一方、5-7-5-からなる17音という箱の中に入っているもの、私たちが表現する内容は十人十色である。これは、決められた規格の中で詩を表現する過程の中で、私たちが訪れた場所、出会ったものなどが人によってまったく違うため、表現する対象や考え方が各個人で異なってくるからである。これが袋的な決定順序の部分である。

 外形の決定順序は箱的だが形は袋的なものの例としては、伝統的な正月の遊びの一つである、福笑いを挙げます。一つ一つは顔のパーツとしては決まっていて箱的ですが、目隠しをしてやる、やらないに関わらず出来上がった顔は人それぞれ違います。このことから福笑いは外形の決定順序は箱的だが形は袋的なものであると思います。
 外形の決定順序は袋的だが形は箱的なものの例としては、CDを挙げます。CDはみんな形は同じですが、中の情報によって全く違うものになります。画像や、動画を入れられるものもあります。よって、内容によって中は様々ですが外形はCDとして決まっていることから、外形の決定順序は袋的だが形は箱的なものであると思います。

「箱と袋」。これに当てはまるのは機械と人(大人)だと思います。
まず、箱に当てはまるのは機械である。機械というものはそもそも人間を助けるために人間が生み出した産物であり、もちろん人間のように意志を持つことなど到底できない。今使っているパソコンにしてもそうである。デスクトップだと持ち運びが困難なので、ノートパソコンが開発され、さらに重たいという理由から軽量化されている。どうだろうか、これは明らかに用途がもう考え出された上で、それにあわして人間が形や重さなどを勝手に決めている箱の典型的な例ではなかろうか?
 それに対して、人である。ここでは、人は成人を指すこととする。人は、成人してからは、ほとんど身長が伸びたり、顔が変形したり、身体的特徴が変わることはない。(ダイエットなどの特例を除く。)機械と違い、寿命があり、人間はおよそ成人してから60年という月日を過ごす。この間に、いろいろな人に出会い、そして様々な意見を交わし、そして最終的に死を迎える。機械には完成という言葉が存在するが、人間には、そういうものは存在しない。よって人間という生き物は、袋を示すいい例に当たるのではなかろうか?
                     

ソフトクリームとアイスキャンディーを頭に思い浮かべてください。


多くの人がソフトクリームをシュガーコーンの上に渦巻き状のものがのっているもの、アイスキャンディーを木の棒に周りに直方体の固体が付いている形を思い浮かべたと思います。この二つを比較してみるとソフトクリームはクリーム状で形は不定形であり、アイスキャンディーは固体となっていて形が定められたものと思われます。
しかし実際はソフトクリームを見栄え良く、量も適度にお客に提供しようとした時、必然的に渦巻き状の形になったと思われます。バニラ味あろうとチョコ味であろうとも紅芋味であろうとも渦巻き状の形があってのソフトクリームなので、ソフトクリームは不定形のぐにゃぐにゃしたものに見えるが、実際は固定形であると言えると思います。
逆にアイスキャンディーはどうであろうか?アイスキャンディーを作るとき、形何よりもまず、味をどうするかを考えると思います。だって出来上がりの形は型しだいでどんな形にでもできるのだから。しかし味を決めてお客に提供する際には食べやすさを考えると直方体が木の棒に付いているものが一番食べやすいので、多くはそうなる。よってアイスキャンディーはすっきりとした直方体の形が主流で固定形に見えるが不定形であると言えると思います。
僕は外形の決定順序は箱的(固定形)で形が袋的(不定形)のものと、外形の決定順序は袋的(不定形)で形が箱的(固定形)なものを考えました。

まず、陸上のトラック競技は、外形の決定順序は袋的だが形は箱的であると思う。
例えば、ある800mのレースの結果を見てみると、
太郎君→序盤ペースを上げるがペースを維持できず、スパートも伸びず。2分10秒
次郎君→序盤ポジショニングに苦労するものの、終始自分のペースを維持しスパートの伸びが良かった。2分05秒
このように、レースの組み立てには色々なパターンがあり結果のタイムも広がりがある(袋的)。しかしどんな走り方をしても『800m走った』という結果は皆共通である(箱)。

次に、外形の決定順序は箱的だが形は袋的なものは「クッション」である。
まず外形を決める。正方形や長い丸太形、キャラクターの形のクッションもある。それはまさに袋の形を決めるのである。
その後でその中に入れる綿を決めたり、色を決めたりする。それらは袋からはみ出したり袋の形を変形させることはない(箱的)。

私は外形の決定順序は箱的だが形は袋的なものは方言だと思います。日本人はみんな日本語を喋るんですが地方に住んでいる人はその地域の方言を喋ります。同じ国に住んでいるのに、住んでいる地域が違うだけでまったく意味が伝わらない言葉があります。でも意味がわからない言葉でも喋っている言葉は日本語なのです。文法が変わっているわけではありません。その土地の文化として方言が生まれてそれをその土地で育った人々が長い間伝えてきたものなんだと思います。このように、基礎として日本語があるけれど地域によって様々な方言が生まれていることは外形の決定順序は箱的で形は袋的だと思いました。
次に外形の決定順序は袋的だが形は箱的なものとしてそれぞれの家庭のおでんだと思います。多分、おでんの具や味付けはその家庭によって様々だと思います。それはその家族の好みにあったものになっているからです。その家族の好きな具や味、丁度良い量などを理解したうえでそれぞれの家庭のおでんが生まれるんだと思います。このように中の細かいところから決めていき一つのものになっていくので外形の決定順序は袋的で形は箱的だと思いました。

 外形の決定順序は箱的で形が袋的なもの、つまり不定形な物が先に決定され、その後に内容が伴っているものとして、日本国民の味、味噌汁を例に挙げたいと思います。味噌汁は和食の定番で定形にも思えますが、一家ごとに味や中身の具は異なります。ダシや味噌の種類や量も違います。漁をして生計を立てている人たちは主に魚介類を具としていたり、田舎のほうでは新鮮な野菜やきのこ、山菜などをメインの具としているかもしれません。しかし一家ごとに違う味噌汁(不定形)は、その家の伝統や好みのものとして完成されています。この(不定形な)完成形を模倣して味を確かめながら作っていくこの過程(内容)を考えると、味噌汁は外形の決定順序は箱的で形が袋的なもののひとつの例だと思います。

 次に、外形の決定順序は袋的で形が箱的なもの、つまり内容が先に生じていて、その後から内容を考慮した定形なものを作り上げるものとして、今度はインスタントの味噌汁を挙げたいと思います。ここでは開発段階の部分を除きます。インスタントの味噌汁は時間のないときでも簡単に味噌汁がいただける点で重宝しています。しかしこの場合、味噌の量も具も機械的に決定されているため、インスタント味噌汁を作る過程(内容)や結果(定形)は誰がやっても変わることはありません。ただお湯を沸かして入れるだけです。つまり、インスタント味噌汁を作る過程(内容)で出来上がった味噌汁(定形)は、決定順序が袋的で形が箱的であると思います。

05T3080G 羽田竜介
前回の講義は欠席してしまいましたが、コメントはさせてください。

まず、「決定順序は箱的だが形は袋的なもの」はトイレとその空間だと思う。トイレは様式の場合お尻のサイズに合わせて設計されているし、和式の場合でも同様に、楽に足を開いたときの幅で大きさが決まっている。もし便座が大きすぎたら、お尻が落ちちゃうし、小さすぎたら、モノが上手く収まらない。(汚くてスイマセン…) トイレ自体は人のお尻のサイズに合わせて、間違いなく事前的に設計されているので、決定順序は箱的である。 しかし、トイレ全体を見てみよう。トイレの消臭力のCMでもあるように、様々なデザインの便器や、多種多様の空間がある。用を足す行為は明らかに他人に見られたくない行為なのに、あえて全面ガラス張りのトイレがあったり、用を足すだけなのに、すっごく広いトイレがあったり、トイレとは関係なく空間があるみたいです。このようにトイレに付随する空間は流動的であり、形は袋的だと思う。


また、「決定順序は袋的だが形は箱的なもの」は、押入れの中のツッパリポールだと思う。まず、押入れというものは”収納”という目的はあるが、なにをどこに入れるか、どうようにいれるか、などは決まっていない。広い空間に後から何かを収納していくという、事後的な考え方は袋的であると言える。 しかし、そこにツッパリポールを取り付ける。そうすると、そこには秩序ができる。使っている人の意思通り、ツッパリポールには服やズボンのハンガーがかけられる。これは利用者の思い描いた形となり、箱的である。

箱…外観に設計者の意図があるもの 外観→機能
袋…機能に設計者の意図があるもの 機能→外観
一方で、文字通りの「箱」、そして「袋」の意味。箱のような建築が自分たちの周りに多く存在している現代には、それぞれ「一般的なシンプルな形」か「あまり見ない形」か、ということになるような気がする。こうなると、
「外形の決定順序が箱的で形は袋的なもの」…珍しい外形が決められ、機能を持つもの
「外形の決定順序が袋的で形は箱的なもの」…必要な機能をシンプルな箱につめたもの
と考えた。例はまず、「外形の決定順序が箱的で形は袋的なもの」としては広告やチラシ。外形はいかに人々の目にとまるか、目立つものにするかが考えられているものです。このとき、チラシの外形はあくまで宣伝という機能につながったもので、機能のために外形があるようにも思われるが、建築において外形が先に決定されても、その外形と機能は全く関わりのないものではないので大きな違いはないと思う。「外形の決定順序が袋的で形は箱的なもの」にはチラシと一緒に届けられる新聞を挙げます。見出しや写真にインパクトがあるものも少しはあるが、一般的には白黒のシンプルな紙に情報という機能をぎっしり詰め込んだもの。よって新聞は「外形の決定順序が袋的で形は箱的なもの」に挙げられると思う。

箱、袋ともにものを“いれる”ことができます。今回はこの“いれる”という行為に注目して話をしたいと思います。

外形の決定順序は箱的だが形は袋的なものとしてモノの名前の使用だと考えます。もともとあるモノの名前は単純明快である。しかし実際はそのモノは色々な複雑な要因がからみあっています。例として「にんじん」という言葉を考えます。「にんじん」という単純明快なモノの名前にたいして、みんながイメージするものはすべて違っています。みんなの今までの経験や、体験などの人それぞれの個性の要因を“いれる”ことによってさまざまな「にんじん」ができます。

外形の決定順序は袋的だが形は箱的なものとしてモノの名前の成立だと考えます。引き続き例として「にんじん」という言葉を考える。「にんじん」という名前がつくまでには様々な複雑な要因があると思います。ninzinという発音に至るまでもそうであるし、人参やにんじんというように書くこともそうです。このようにその地域ごとの個性から始まり、複雑な関わり合いがあり最終的に名前をきめようという意思を“いれる”ことによって「にんじん」という単純明快であるモノの名前を成立させています。

僕の思う、外形の決定順序は箱的だが形は袋的なもの
近頃の僕の旅行の仕方です。
「外形」とは違う気がしますが、近頃の僕は旅行するとき、行き先しか決めません。その行き先も度々の目的からくるのですが、時間配分は考えません。目的も、夏休みの思いで作り!とか買い物!とかそんな感じです。行きと帰りとの間の時間の許す限りその場の発見に身をまかせています。そして、家に着いたら、行った場所の中に、いくつもの発見と充実した時間があって、それぞれを思い出そうとしたとき旅行は形作られるものだと思います。
その形は袋的だとおもいました。

僕の思う、外形の決定順序は袋的で形が箱的なもの
近頃の僕の鍋料理
今シーズン鍋率が非常に高い。1週間に4、5回のペースで鍋を満喫していると思います。これだけ鍋をすると、何鍋にするかはどうでもよくなってきました。マツヤでとりあえず材料を選びます。材料はそのときの気分で選んで、バリエーションにも富んでいます。それらを切って、土鍋の中に詰め込みます。火をつけてころあいになるともう完成です。僕は自分の鍋料理は材料選びから始まって、毎回毎回中身は変わるけれど、ふたをしてしまえば、いつも同じ「鍋」という形になると思いました。この形を箱的ととらえてみました。
以上で終わりです。今晩も鍋します。

早稲田大学・立川創平

なんでもありにならないように、「形」は物理的な形態、範囲を無印良品の商品に限定して考える。

■箱的な袋:決定順序は箱的だが形は袋的なもの
『体にフィットするソファ』:中に微粒子ビーズが入っていて形を変えるソファ

外形は決まっていないので袋だが、その形が決まらないこということと全体の体積は事前に決定され、決して変化しないため箱的である。

■袋的な箱:決定順序は袋的だが形は箱的なもの
『スチールユニットシェルフ』:組み合わせできるシェルフ

部屋の大きさや中に入れるものの大きさによって、スチールユニットシェルフの形は決定されるという点で袋的だが、出来上がったシェルフの形は常に箱である。


一方視点を変えてみると『ソファ』は人の体によって形を変える点は袋的とも考えられるし、『シェルフ』は最初にユニットが箱型に決められた時点で箱となることが決定されていたとも考えられる。つまり事物は箱と袋の間の曖昧な領域に存在するし、その振れ具合というのは視点の取り方によって変化する。

親父/オフクロにも通じるが、美しさといった絶対的な力を持った空間は箱的に決定されることが多い。しかし建築が内部空間を持った人が使うものである以上、いかに袋的な部分を残しておくかということが重要であると考える。

 若林大介です。

まず決定順序は袋的だが形は箱的なものにミースのファンズワース邸があげられると思います。この建物の外形は非常に箱的です。しかし家具の配置を住人に完全に委ねた事と、全面ガラス張りにしたことがこの建物を袋的にしていると思います。住む人の生活のスタイルによって家具の配置が変わり、ガラスがそれらを外に映し出す姿は建物に様々な表情を与えます。要するにこの建物に決まった形は無く、内容物(家具、人)によって形を様々に変える袋的なものと言えると思います。
 次に決定順序は箱的だが形は袋的なものに二足歩行型のロボットがあげられると思う。近年作られる二足歩行のロボットは人間の形態を模したもので、非常に動物的で袋的であると思う。しかしその形は技術の面から見ても非機能的だと思います。人間の形を模す為に内部を工夫した箱的なものと言えると思います。

  五名 美恵です。
「外形の決定順序は箱的だが形は袋的なもの」として過去の自分を挙げます。過去の自分の姿は、現時点で振り返ってみるとき、例えば写真を見れば思い出すことができるし、また記憶に残っているので、振り返ればはっきりと思い浮かべることができます。そして思い出す過去の自分は、その思い出す自分の生き様によってさまざまであり、あらゆる生き様がよみがえってきます。このように、過去の自分の姿の中には、あらゆる自分が詰まっていると言えます。
「外形の決定順序は袋的だが形は箱的なもの」として、将来の自分を挙げます。将来の自分の姿は、現時点でははっきりと見出だすことは出来ず、ただぼんやりとした姿しか思い浮かべることができません。というより、これからどういう生き方をするかで将来の姿は決まってくると思います。つまり将来の自分の姿は、これからの生き様でかたちどっていくものだと思います。

05T3099H 武藤沙織

 私は、箱は「漢字」であると思います。漢字は、最初は象形文字でした。象形文字は物の姿をかたどっていたり、抽象的であったり、姿を組み合わせていたりと、対象物を自由に絵で表したものでした。それが使いやすいように改良されるなどして今の形になりました。私は、この漢字の成り方が袋的であると思います。また、漢字一つ一つに意味や役割などの内容があること、決まった形をしていることから「漢字」が箱であると思いました。
 次に袋ですが、私はこれは「人」であると考えます。人の体自体は共通した各パーツで構成されていて発生過程も同じですが、人は色々なことを吸収して成長していきます。例えば、人間関係から社会性を学んだり、勉強することによって知識を身につけたりなどです。しかも、その内容や価値観などは各個人で異なっています。私は「人」がこのように色々なことを吸収して、変わっていくことや個性があることから、袋であると思いました。

外形の決定順序は箱的だが形は袋的なものとして、スポーツのホームを挙げます。僕はこれまで、陸上やスキー、水泳などのスポーツをやりました。走ったり滑ったりしているとき、自分の意識の中では上手な人のホームを真似て、きれいなホームをしているつもりでいました。しかし、ビデオで自分のホームを見ると自分がやろうとしているホームとは、とてもかけはなれていて、恥ずかしく思うことが多々ありました。自分の意識の中では整った箱をやろうとしているのに、意識とは正反対の袋の要素がプラスされる、スポーツのホームはまさに外形決定順序は箱だが袋的なものだと思います。
 外形の決定順序は袋的だが形は箱のものとして高校生の服装を挙げます。彼らはおそらく皆とは違ったオリジナルな服装をしようと頑張っていると思います。しかし彼らは皆同じような服装に見えます。オリジナルな袋を目指しているが、同じような箱に見えてしまう、そこが外形決定順序は袋だが形は箱だと感じます。少し親父臭いコメントになって反省します。

"箱"とは、入れものの枠を先に自由に決めてしまって、そこにしたいことを入るようにかたちを考えながら詰め込む。そしてその外形は先に決めてしまったから固定形。
"袋"とはしたいことがいっぱいばらばらなかたちのままであるものを、好き勝手に詰め込んでいく。その外形は好き勝手詰め込んだ故不定形である。
「外形の決め方は"箱"なのに外形自体は"袋"」とは、中身のしたいことのかたちよりも入れものである外形を重視したはずなのに、外枠がとても自由。当たり前なことのような気もする。例を挙げるなら、結婚式で新郎新婦がケーキカットに使うナイフ。見せる用のナイフなので先の方が尖ってなくて、安全仕様だけど多少きりにくいのかも。でも切れるから問題ない。
「外形の決め方は"袋"なのに外形自体は"箱"」とは、中身のしたいことのかたちを重視して詰め込んだはずなのに、外から見てみたらすっきりしたもの。意外とない気がする。例はアウトドアナイフ。多機能でキャンプ時にほしいもの全部詰め込んであるのにコンパクトですっきり。

「決定順序は箱的で、形は袋」は、まず個性的な形を決め、後に機能を加える。その時、機能が十分に発揮されることにより、決めた形が活きる。それは、打ち上げ花火だと思います。まず、職人が作りたい形をイメージして形を決定します。次に玉に機能を詰め込みます(色など)。打ち上げた時すべての機能が十分に発揮され形になっていると思います。
「決定順序は袋的で、形は箱」は、必要な機能をとてもシンプルな形のものに入れたもの。それは携帯電話だと思います。メールやカメラなど様々な機能を持っていて、使いやすいシンプルな形に設計されています。よって携帯電話は、決定順序は袋的で、形は箱だと思います。

 外形の決定順序は袋的だが形は箱的なものは、家庭料理だと思いました。例としてカレーを挙げたいと思います。カレーにはたいてい、肉、ジャガイモ、にんじん、たまねぎが入っていると思いますが、細かく言えば家庭によって違うところが出てくると思います。肉の種類が違っていたり、隠し味に何かを入れていたり。私の友達にはちくわを入れるなんて変わった人もいます。このように作り方はさまざまですが、形としてはカレーであるところが、外形の決定順序は袋的だが形は箱的なものであると感じました。
 また、外形の決定順序は箱的だが形は袋的なものは、自分の作る創作料理だと思いました。作り始めるときイメージをしてから作り始めます。たまにイメージしたとおりに出来ることもありますが、たいていはなんか違うなと思うものが出来あがってしまいます。このような理由から、創作料理を外形の決定順序は箱的だが形は袋的なものだと思いました。

 外形の決定順序は袋的だが形は箱的なものの例として、昔の電化製品を挙げ、外形の決定順序は箱的だが形は袋的なものの例として最近の電化製品を挙げる。
 まず昔の電化製品はとりあえずなんでも大きかった。テレビにしてもパソコンにしても大きな箱であった。それはその中に入れなければならない配線や基板などをコンパクトにできなかったからである。それに対して最近の電化製品はデザインが豊富である。大きさも小さいものもあり薄いものもある。技術の進歩で配線や基板はかなりコンパクトになり設計者の意思によって外形を決めることができるようになった。
 以上のような理由で、昔の電化製品と最近の電化製品を挙げる。

私は「外形の決定順序は袋的だが形は箱的なもの」を、カメラだと考えました。カメラの中には、複雑な機器が組み込まれていて、それがあることでカメラの写真をとるという作業が可能になります。それでいて、デジカメなど、最近のカメラは非常にコンパクトにつくられています。カメラの役割を果たすためのたくさんの細かい機器が必要でその機器が優先であるのに、あのコンパクトな直方体の形をしているという点で、カメラを「外形の決定順序は袋的だが形は箱的なもの」だと考えました。
次に、「外形の決定順序は箱的だが形は袋的なもの」は、自分が何か新しいことを始めることであると考えました。私は、何か新しいことを始めるときに期待ばかりが膨らみ、とりあえず道具をそろえるなど、形から入っていってしまうタイプです。実際始めてみると、行き当りばったりといった感じで、中身は安定した箱のようなものではなく、いろんな形になる袋のような感じです。そういった理由から、自分が新しいことを始めることが「外形の決定順序は箱的だが形は袋的なもの」だと思いました。

外形の決定順序は箱的だが、形は袋的なものとして書道をあげます。書道では文字を書くという行為は初めからきまっていて、書き方も大抵は同じです。しかし書きあがったものは様々な違いがあります。自分は字がとてもヘタクソで習字の授業で書いても全く残しておこうと思えず、すぐに捨てていました。しかし、書道家の人達が書いた字は芸術品として扱われ、とても評価されるものもあります。このように書きあがったものは、全く価値のないものから、芸術品まで様々であり、決定順序は箱的だが、形は袋的なものにあてはまると思いました。
つぎに外形の決定順序は袋的だが、形は箱的なものとして写真をあげます。写真は何を撮るかというのは、撮る人によって様々で、はじめから決まっているわけではありません。しかし、出来上がった写真は、大きさは違いますが、同じ形をしています。写真の内容は様々ですが、写真という形は変わらないので外形の決定順序は袋的だが、形は箱的なものだと思います。

私は、朝市や日曜市やなどは、袋的に作られていくけれど、箱的なものだと思います。
(朝市、日曜市は、近辺に住む人たちが、それぞれ採れた野菜や牛乳などを持ってよって売る野外の市場の事です)
朝市や日曜市は、それぞれの人たちが、ばらばらに集まって開かれる市場で、袋的に成り立っています。けれども、市場の雰囲気はいつ行っても変わらなく、箱的にできあがっていると思います。
それにたいして、百貨店は箱的に作られているのに、出来上がった全体は、袋的だと思います。
百貨店は、○○店という箱的な存在のものに、いろいろなショップが積み込まれて成り立っています。
百貨店という大きな存在があるのに、中が少し改装されたり、店が入れ替わるとその雰囲気は大きく変わります。出来上がった全体は、袋的だと思います。

外形の決定順序は箱的だが形は袋的なもの、外形の決定順序は袋的だが形は箱的なもの。外形とは少しズレてしまうが、僕が考えたのは理想と現実である。
理想とは誰もが抱く夢であるが、そこには人それぞれのビジョンがある。形自体が箱というのをビジョンとして成立していることとする。当然、現実は先がわからない袋的な決定順序で理想は箱的な決定順序でイメージ(外形)が決められている。しかし実際にはそのビジョン通りにいくことは残念ながらあまりないでろう。さまざまな障害・要因があり、理想とはかけはなれた現実がまっているかもしれない。その現実こそが最終的な形であり考えてもいなかった袋的な形として成立するのである。つまり、外形の決定順序は箱的だが形は袋的なものが理想であり、外形の決定順序は袋的だが形は箱的なものが現実ということだけではなく理想と現実はセットで存在し二つの関係こそが外形の決定順序は箱的だが形は袋的なもの、外形の決定順序は袋的だが形は箱的なものであると考える。

外形の決定順序は袋的で形が箱的なものは弁当だと思います。弁当の中に入れるおかずは、肉、野菜、米などいろいろあり袋的ですが、最終的にはすべて弁当箱につめるので形は箱的になります。
外形の決定順序は箱的で形は袋的なものは畑です。畑に水や肥料を与えるのは作物の生長を促すためで、目的が決まっているので箱的です。しかし、発育が良いものや悪いもの、また天候などの外的要因により、すべてを同じように世話をしたとしても大きく育たないものもあります。出来上がったものの形、大きさがすべて違うので袋的だと思います。

今回のテーマは「箱的に作られた袋的な外観のもの」と「袋的に作られた箱的な外観のもの」であるが、僕はこれをそれぞれ「デザイナーが意図した形が結果的にそのものに関する他の要素を生かしているもの」と「内外のさまざまな要素を加味した結果、箱的な形になったもの」と解釈して考えてみた。
まず箱的な袋だが、これはひとまず置いておいて、袋的な箱から例を挙げてみると、僕は飛行機の翼がこれにあたると思う。飛行機の翼は空中に浮くための揚力を生み出す形を試行錯誤した結果生み出されたもので、逆に言うと揚力を生めばどんな形でもよかったのである。よって飛行機の翼は袋的に作られたが、その形は滑らかな流線型で、どれも基本的に決まった形であり、袋のように複雑な起伏や不定形さはないので箱的な形だと思う。
さて、次に箱的な袋だが、これはあえて例を挙げると特撮などの怪獣がこれに当たると思う。怪獣を作るときおそらくまず外見を考えその後に細かい設定をつけるはずである。つまり「でかい角を持った怪獣ってかっこいいな」って思ってから「この角は敵を攻撃するためにある」という設定をつけるのであり、これは箱的な袋だと思う。しかし、ここで僕が‘あえて’といったのは現実に実在するもので僕の解釈にあった例が思いつかなかったからである。その理由として、僕の考えが足りないことももちろんあるが、ここで僕が思ったのは「デザイナーが意図した形が結果的にそのものに関する他の要素を生かしているもの」というものを作るのは極めて難しい、逆に言えば意匠と機能が両立された極めて画期的なものであるのではないかということである。先ほどの飛行機の翼をみても地上を歩くために進化した人類が空を飛ぶという歴史上非常に重要で画期的なデザインである。つまり、何が言いたいかというと、課題の回答とはずれるが、「袋的な箱」や「箱的な袋」を作る(考える)ということは単に箱と袋の中間をとるのではなくて、人類が空を飛ぶぐらいの歴史的大発明に当たるのではないかということである。

外形の決定順序が箱的で、形は袋的なものに「たまごっち」をあげる。
たまごっちといえばあの形。そう!たまごの形ですね。あの形がああでなかったら果たして世間には、どんな受け入れられ方をしていたのだろう。僕は、「かわいい」だとかそういった今までとは違う思いを持つと思う。やはりたまごっちはあの形でないとたまごっちでは有り得ないのである。中につめるものは決まっているかもしれないが、まず1番に決まったのはあの形ではないのか。そこにいろいろな機械を組み込んでいって、あの曲線が生まれたのだと思う。
外形の決定順序が袋的で、形は箱的なものに「パチンコ・スロット」をあげる。
昔のものはどうだか良くわからないが、今のものはものすごくバラエティに富んでいて、ものすごい手のこんだものである。例えば、パチンコでは中身に何のテーマをもってくるかがまず決まらなくては、演出や釘の位置などを決められない。スロットも同様である。テーマの良さを最大限にいかすために演出がある。この演出がなかったら僕はとても退屈で耐えられない。演出だけでなく、台の付属品が動くなど、様々な動きをみせてくれる。まさにこれらは、中から外への決定順序である。また、これらは四角い箱で囲まれている。店に置くのに合理的だからだろう。そういった理由でこの2つをあげた。

外形の決定順序は箱的だが形は袋的なもの。
「塗り絵」 - 塗り絵は用意されている絵に色を加えていく。これは箱的な決定順序である。しかし出来上がったものは人それぞれ違う色であり完成したものは同じでない。この点で形は袋的である。
外形の決定順序は袋的だが形は箱的なもの。
「福袋」 - 福袋を用意するときに外観から決めたりはしない。外観よりも中身が重要であり中身となるものをランダムに袋につめていく。これは袋的な決定順序だが、福袋は中身が分からないことも楽しみの一つであるためどれも同じ形の袋となるのでここでは形は箱的である。

 外形の決定順序は箱的だが形は袋的なものに胃袋をあげます。安直な意見ということはわかってますが、分かりやすいと思うのでこれにします。
 胃袋は消化するためのもので初めの形は決まっています。性能としても消化スピードなどありますが、みな一緒だと思います。しかし鍛えれば大きく出来ますし、小さくすることも出来ます。形だって変わります。

 外形の決定順序は袋的だが形は箱的なものには胃袋に入るものをあげます。
 食べるものはいっぱいあり、美味しいものもそうでないものもあります。しかし胃袋側から見ればどれも生きていくための材料です。一括りにすっきり出来てしまいます。
 単純ではありますが、このように考えました。
 

05t3045j 澤田亮

ごはんを食べていたら遅くなってしまいました。すみません。そこで、今晩の夕飯から今回のお題について考えていきたいと思います。

・外形が箱で形が袋
【焼き魚】
焼き魚というものは大抵の人は魚に塩を付けて焼くと思う。つまり味の決め手になるのはその魚自体の味であると思う。だから外形は箱であると思う。しかし形というのは同じ魚でも切り方や、切る部分によって大きく変わってくる。つまり袋だと思う。
・外形が袋で形が箱
【おさかなのソーセージ】
特に魚肉ソーセージでなければいけないという指定はないが、私が思った理由は、ソーセージは皆さんが知っているあの味になるために各食品メーカーの人が研究を重ねて、よりおいしくなるように調味料やどの魚を使うかなど工夫されている。この点が袋だと思った。またスーパーなどの売り場にあるソーセージはほとんどが細長く、オレンジ色のフィルムに包まれているという点で、形が箱であると思った。ちなみに私が食べたおさかなのソーセージ(4本で¥188)はホッケ、タラなどの魚肉で調味料は使っていたが保存料、発色剤は使用していませんでした。

箱の形の袋思想=その人の意思で決めたわけでなく、周りの事情により角ばってできるもの。意図的でなく、すっきりして直線的なもの。
まず、箱の形の袋。それは銀行の暗証番号です。
なぜかというと、普段、僕たちが使っている銀行の暗証番号は覚えやすくすっきりした4桁です。
しかし、その暗証番号は暗号化されて利用されています。例えば銀行の暗証番号はその4桁の数字が利用されているのではなくその数字を10000乗してそれから…というように非常に複雑な計算にし、暗号を読み取られたりしないようにされています。これは意図的にしたというよりそのままの数字だとすぐにコンピュータにより解読されたり、パスワードの意味がなくなり悪用されたりします。このようにしたくて複雑にしたわけでなく、犯罪や悪用という事情により複雑になっています。 ゆえに、外形、表面的にはすっきりしているが内面は複雑でなおかつ意図的というより現代の事情によりこのようになったからこちらに属します。

一方、袋の形の箱思想=意思により意図的に複雑な形をしているもの。周辺環境にけっていされるのでなく、意図的にすっきりしていないもの。それは道路です。道路といっても普通の道路でなく居眠り防止などの工夫された道路です。例えばスピードが出過ぎないようにわざとすっきりした直線をカーブにしたり柱みたいのを置いたり、でこぼこにしたりします。このように意図的にすっきりみちをぐにゃぐにゃにすることから袋の形の箱思想と思います。

05T3066A 辻 真由子です。
外形の決定順序は箱的だが形は袋的なものは、風船だと思いました。風船は、形は丸かったり長細かったりしているけど空気を入れる所があって、そこを縛って遊びます。形がどんなんでも空気を入れないと遊べないのは箱的だと思いました。
外形の決定順序は袋的だが形は箱的なものは、タンスだと思いました。日常にはいろんなタンスがあるけどその中に入れるものは人によって違います。しかし、扉がついていて、開け閉めできて、広い空間があるのはどのタンスも同じだからです。

 外形の決定順序は箱的だが形は袋的なものとして、テストや受験勉強を挙げたいと思います。テスト勉強は、多くの場合、何点をとりたい、とか、この学校に受かりたい、など、はっきりと目指すものが決まっていると思います。けれど、実際には、時間がなかったり、勉強をしながら聴いていた音楽の方を妙によく覚えていたりして、なかなか思った通りの形にはならないように思います。よって、私は、テスト勉強が、決定順序は箱的だが形は袋的なものだと思いました。
 そして、外形の決定順序は袋的だが形は箱的なものとして、コンタクトレンズを挙げたいと思います。コンタクトレンズは、薄くて丸い形をしています。そして、コンタクトを洗浄するための入れ物も、大抵丸い形をしています。しかし、それは、コンタクトを作った人が意図したものではなく、目の形やレンズの加工技術などの要因によって決定された形だと思います。なので、コンタクトレンズは、外形は箱的だがその決定順序は袋的なものだと思いました。

外形の決定順序は箱的だが形は袋的なものとして、自分はマンガをあげる。
漫画家はときどきこう言う『キャラが勝手に物語を作る』。漫画家はまずキャラとストーリーを考える。しかし、物語が進むにつれてキャラが本当に生きているようにストーリーを作っていくのである。そして、最終的に作者の意図していなかった壮大な物語になっていくのである。
外形の決定順序は袋的だが形は箱的なものとして、自分は組織をあげる。
会社や学校は新しい人材や生徒を入れるとき、さまざまな違った人たちを入れる。しかし、何年かしてその集団にいてくるとある色に染まりだす。さまざまな人の集まりだったのがその組織の形になっていくのである。

外形の決定順序は箱的だが形は袋的なものには、靴があると思いました。靴は対象とする顧客によって足のサイズ、ヒールの高さ、ひもの有無、素材の種類、色などが決められますが、それらのすべての条件が一緒でも形はいろいろなものがあり不定形です。
そして、外形の決定順序は袋的だが形は箱的なものは、そのまんまなので申し訳ないですが、靴が入っている箱だと思いました。靴が入っている箱は靴の種類によって大きさが違います。しかし、形はすべて直方体です。

 05T3051C 杉浦早紀です。
 私が思う決定順序は箱的だが形は袋的なものは、人間だと思います。人間は目、鼻、口、手、足がたいていの人があります。しかし、誰一人として同じ顔の人、同じ体格の人はいません。これは不定形であり、袋的だと思います。
 そして、私が思う決定順序は袋的だが形は箱的なものは、パソコンだと思います。パソコンは社発の人たちが持っているものはみんな同じ形をしています。しかし、中身は一人ひとり全く違います。だから箱的であると思います。

京都造形芸術大学・神山義浩

「外形の決定順序は箱的だが形は袋的なもの・外形の決定順序は袋的だが形は箱的なもの」についてM.C.エッシャー『相対性』より。

Bunkamuraのミュージアムにて先週末から「スーパーエッシャー展」が開かれていることを知り、エッシャーの絵について考えていると今回のお題に通じるところがあるような気がした。
そして、今回は数ある絵の中から『相対性』を取り上げようと思う。

この絵、『相対性』だけでなくエッシャーの絵は永遠にその方向性を絵の中に閉じ込めているものが多い。そのほとんどの絵が常に動きを感じさせ絵画という物理的には完全に2次元の芸術品であるがその有機的とも言える絵画は他の芸術家の作品とは躍動感についていえば別の種類のものを感じる。

さて、お題について、まず「外形の決定順序は箱的だが形は袋的なもの」であるが、これは『相対性を観ている人(脳)』としたい。

まず、人はモノを認識するとき自身の記憶の中の断片を吸い上げて、あるフィルターを形成し、モノに対する擬似的作業を頭の中で無意識の内に行っていると考える。つまり、一般的に絵というものに対する認識や絵を観ようとする時は、大きな絵も小さな絵も含めて四角い額に入っているものとして絵を眺める。そしてその額に切り取られたものとして風景や静物などを観賞し、描かれた表現や思想を感じようとするのである。
更に、絵というものは飾られた時点でその絵の上下左右は決定されている。そうして飾られた絵に観賞者は、その絵はそう観るものだということを無意識に認識する。それが当たり前のことだからである。

しかし、この『相対性』については別であると考える。これはだまし絵全般に言えることかもしれないが、この絵を観たときの脳内は完全にフィルターを作れないでいる。

この『相対性』という絵は幾つもの階段がそれぞれ異なる水平性を持って描かれているのだけれど、人はまず今、自分が持っている水平性から絵に描かれている一つの階段を上り、次の繋がりを探すのだが次の階段は別の水平性を持ったところから、若しくはところへと続いてしまう。この時、人はこの絵に対しての水平性を変えることになる。なぜ、人は水平性を変えるのかというとこれは上述したように絵に対する記憶的認識において絵(外形)を一般的な水平性で観ようという「箱的な決定順序」が無意識のうちに働いているからである。しかし、水平性を何度も変えている内に展示者によって決定されている上下左右の方向性は次第に意味が無くなっていく。つまり、記憶的認識においてこの絵を観ようとするのを辞めるのだ。極端に言ってしまえば、受動的な観賞を辞めることで上下左右も四角い額でさえも観賞者には必要なくなっているのである。そして、この時『相対性』は観賞者の認識においてその受動的展示物という外形を失い袋的外形となるのである。

しかし、この『相対性』への認識はまだ終わらない。人はどんなにその認識秩序の数を増やしていっても根本的なところは変われない。それが、「バランス」というものである場合は特に顕著である。

つまり、この『相対性』への水平感覚を失ったとしても人はやはりこの絵に対して、ただ一つの現実的な(立っている)水平面に置き直して観ているに過ぎないのである。
それは、一般的な受動的観賞物という箱的外形からは脱し、『相対性』に対する記憶的認識秩序は袋的秩序となったが、バランス感覚に対する認識は展示室の床が水平である以上決して変わらず、つまり『相対性』の性質は多次元的なものであるが対峙する認識空間はあくまで2次元のものであり、この絵との物理的関係性は変えられないという点において箱的外形を作り出しているのである。

ということから「外形の決定順序は袋的だが形は箱的なもの」は『相対性に対する認識秩序を持った人と「相対性」との物理的関係性』ということになりそうである。

大分遅れてすいません。外形の決定順序が箱的だが形は袋的なもの、それは服だとおもう。デザイナーによってデザインされる服は一応外形的にはその場で決められるものなのだがそれを人が着ると大分味が変わってくる。1000円くらいの安いTシャツでもかっこいい、かわいい人が上手く着こなすと人は「かっこいい、かわいい服」と認識するだろう。着る人によって様々な姿に変えて形を決定している。
外形の決定順序が袋的だが形は箱的なもの、練習や訓練だとおもう。練習や訓練は必ずしもこのようにしなければならないという規則性はない。悪い言い方ではあるがそれは抑制されてなく自由である。しかし練習するには目標があるからでそれは練習内容が異なっていてもほぼ統一される。そのことから形を箱的と考えた。

考えていて気がつけば朝でした↓すみません(+o+)
考えれば考えるほど眉間にしわがよってしまい、自分なりのキレイな答えがでません。牛田 侑希です。
まず定義について、
外形の決定順序
箱的・・・事前的に外形が設計者の意思により決まること。
袋的・・・設計者の意思とは別な多くの要因があってそれを設計者が勘案して外形が決まること。(勘案とはあれこれを考え合わせること)
外形それ自体
箱的・・・直方体のようなもの
袋的・・・不定形な外形

この様に定義されているが、まず決定順序の意味での箱的と袋的について、箱的は事前的に・・・とあるが、設計者の意思が事前的にあっても、後から周りの要因や自分の別の意思によりその箱は変形していくだろうし、勘案することは箱的な場合でもあると思う。袋的なものは、勘案する際に設計者の意思は働いているのではないだろうか。何かを設計する際(建築だけでない)、環境下や状況下、機能面などなどにおける条件というものがついてくるが、設計者の意思とは、その条件を満たした上での考えなのか、設計者の意思とは別な大きな要因というものがその条件であるのか。また外形において、箱とは直方体であるといいきっているが、みんなの意見に出てくる箱的外形は直方体でないものが多々あった。箱的の的とはどのくらいアバウトなのだろう??そして、決定順序が箱的なものはそれ自体も箱的なものが多いとされているが、本当にそうであろうか??私はその辺がわからない。気になる。ただ今回の講義を理解できていないだけかもしれない。決して考えても自分なり答えがでなかったわけでなく、考えたくないわけでもなく、放棄したわけでもない。課された課題の定義において壁にぶちあたり先に進めないのでこのような形になってしまった。

皆さん悪戦苦闘されています。最後の牛田さんの苦しみもよく分かります。僕がイメージしていた答えに一番近いのは立川さんだけれど、彼も少し苦戦か?
苦戦の理由はどうも僕のほうにあり、概念規定がやや甘いと反省しています。ごめんなさい。

そこで僕のイメージしていた答えを先に書きましょう。

外形の決定順序が箱的な袋とは、事前的に袋のような形を決定してその中に強引にコンテンツを詰め込んだ物を指します。
例えばシドニーのオペラハウスがそれにあたります。これはあの鳥が飛翔するような形態があの場所のイメージとして設計の最初に存在しました。もちろんそこには要求される機能が入るだろうというあたりはつけていたはずですが、しかし形が先ずあり、その中に強引にホールを入れ込んだと思います。決してホールの形に適した外形ではありません。
一方外形の決定順序が袋的な箱とは様々な内外の要因を勘案して形を決めて言ったのだが最終的に直方体のような形がそれに最も適していると言う判断で形が決まったものを指します。
例えば東京湾岸沿いに立ち並ぶ大型倉庫はどうでしょうか?コンテナの大きさやらトラックの搬入経路やら車路の幅やらいろいろ考えた上で最適な幅奥行き高さが決められ効率よく保存していく大きさが決まるものですが、その形は概ね直方体です。屋根の作り方で多少勾配のついているものもありますが、鉄筋コンクリートであれば直方体といっていいでしょう。

というのが僕のイメージでした。みなさん建築以外にいろいろあげてくれました。建築に限ると言ったわけではないのでそれはそれでいいのですが、言葉の意味が飛び跳ねすぎていて僕には伝わりにくかったです。

その中では最初に書いたとおり僕のイメージに一番近いのは立川君でした。5年生だからさすが理解が早いのかもしれませんね。
そこでとりあえず坂牛賞は立川君にあげますが、2年生にもやはりあげたいところです。そこでいろいろ考えましたが、答えは出なかったけれどよく考えた痕跡の見える牛田さんに差し上げます。

早稲田大学・立川創平です。

前回同様、復習をしました。

前回よりも詳しくコメントしたので量が多くなってしまいました。
読むのが大変かもしれませんが、興味があれば、全体の感想と自分の部分だけでもいいので、読んでもらえるとうれしいです。

ご感想、ご反論も歓迎します。

http://blog.livedoor.jp/damekenchiku/archives/844734.html

坂牛賞、ありがとうございます。
うれしいですが、ちょっと複雑な気分です。理由は上に書きました。

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