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第三講お題

今日の話は親父とオフクロ。
君の家では親父さんとオフクロさんどちらが強い?
もしかすると家庭で一番こわいのはもはや親父ではなく、オフクロかもしれない。昨今の親父は元気がない。まあそれはよしとして、建築には圧倒的な力がある建築と言うものがある。ゴシック教会などはその類。一方もっとほにゃらかとした建築もある。そこで今日のお題だが『善光寺』。この建築を対象としよう。この建物は親父かオフクロか?正解はない。面白い解釈を期待する。ツボをついて端的に答えよ。軽妙洒脱なおしゃれな答えを待っている。400字以内。

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コメント

 井垣良也です。

 僕は宗教の方面から見て善光寺はオフクロだと思います。僕は仏教の日蓮宗を信仰している者なのですが、普通お寺はどこかの宗派に属しているから、異なる宗派の人は自分の信仰している宗派とは違うお寺にはあまり行かないものだと思っています。善光寺も浄土宗という宗派に属しています。けれども善光寺には‘一生に一度は善光寺詣りを’という言葉があり、その言葉は善光寺が宗派に関わらず多くの人々に参詣されていることを示していると思います。そこから善光寺はオフクロだと思いました。調べてみると、徳川家康の時代からその言葉が生まれたということがわかり、少し残念でした。鎖国は家光の代からでしたが、少なからず鎖国に向けて国の圧力というか介入が存在している背景が否めないからです。実際行ってみて、善光寺に続く表参道しかり、万人に開かれている感じがあるところもオフクロと思った一因なのかなとも思いました。

 まず、親父的とは、時には芸術的で、時には攻撃的で親父には親父のこだわりがあるもの。オフクロ的とは様々なものを受け入れる、たとえそれが美しくなかったとしても周囲との調和や関連を重視したもの。ある意味では機能的であると感じる。
 善光寺はというと多くの参拝者を受け入れ、様々な宗派の人々に信仰されてきた性質は、非常にオフクロ的であると思われる。建てられた時代は当然、周囲の景観や参拝する人々との調和は成されていた。その時代の人々は誰が訪れても自然な形で空間を受け入れるだろう。では現代の善光寺の存在はオフクロなのであろうか。現代人が訪れる善光寺は、今の日本の文化を考えると古めかしい、過去の産物に違いない。今の子供たちにしてみれば異質な空間とも言えるであろう。周囲を見ても、善光寺は周りの建築物にも影響を及ぼすはずである。景観を守るため、そこに高層ビルが建てられることは考えにくい。調和どころか、周りが善光寺に気を使っている状況である。よって現代の善光寺は頑固な親父であると感じる。

須賀達也です。
 善光寺は親父だとおもう。善光寺は歴史的にも、全国から老若男女の参拝者を受け入れている。また、今でも多くの人が訪れる場所である。こうして考えるとオフクロと言えるかもしれない。しかし、人が訪れることを善光寺の一部と考えると、それは親父である。親父建築の元祖であるミースは、バルセロナパビリオンでバルセロナチェアー以外のものを一切認めなかった。これを善光寺に置き換えて考えるなら、”人=バルセロナチェアー”と考えていいと思う。こう考えると、善光寺は人をそのためにデザインされたものとして取り入れている。実際、毎日多くの人が訪れる善光寺は、それ自体に違和感を覚えない。むしろ人のほとんどいない善光寺にこそ違和感を覚える。ただ個人的に、善光寺にある牛の像とお守りの自販機には違和感を覚える。

まず、自分が思う善光寺というのは、長野市のシンボル的な建物であり、長野市に観光に来たらほとんどの人が訪れるであろう建物という印象である。宗教や建築にそれほど興味がない友達や自分の兄でさえ、善光寺のことは知っていた。様々な人が訪れ、好まれているのは善光寺が持つオフクロ的な要素だと感じた。しかし、改めて善光寺のことを調べてみると、本堂は11回もの火災に遭っているが善光寺を慕う信徒によって復興している。それは善光寺の圧倒的な強さや存在感があってこそ、強い信徒を産み、11度も型を変えずに復興させられてきたのだと思う。また39もの宿坊があったり、昔ながらの店が並んでいたり、まるで善光寺を中心に地域が作られているかのようにも思える。それも善光寺の強さであり親父的な要素であると思う。結論的には、先週の課題に似てしまうが、両方の要素を持っているオフクロ的親父だと感じた。

松本晃裕です。

 いろんな見方があると思いますが、自分は視覚的な印象から考えてみました。

 善光寺は昔ながらの日本建築だけに、木造の建物で、屋根はかやぶき、そして周囲の参道に見られる自然にうまく溶け込むような、落ち着いた雰囲気を持っています。互いに主張しあうこともなく、周囲の自然に対して包容的なので、オフクロな感じがします。
 でも善光寺は非常に排他的な面も持っていると思います。善光寺は伝統的な建築物であるがゆえに、コンクリート製の物や自動車など、現代の物が一緒に並ぶと、とても違和感を感じますよね。こうなると、まるでお互いが持つ「時代」を主張しあうかのような頑固さを見せます。
この建物にとって現代の物は邪魔な存在であり、同じ空間に混入することを許さないので、親父的な建物とも言えるのではないでしょうか。それも、善光寺境内の中は、現代の物を徹底的に排除しているので、境内の外と比べると、まるで「時代」というか「世界」が違うかのような空間の変わり様で、激しく親父的です。

親父かオフクロか?というお題ですが、自分でははっきりとした区別がつけ難く、善光寺はオフクロな面を装った、極端に親父な性格を持つ建物だと思います。

まず僕は今回の質問を見て、善光寺はオフクロ的であるなと思いました。善光寺は本堂をはじめ、天台宗の大勧進、浄土宗の大本願、三門、宿坊などさまざまな建物があの広い敷地にそれぞれ建てられています。このように全体的にみると、本堂のような建物や塔になっている建物、小さな宿坊などいろんな形の建物を受け入れていて、その結果、すべてを含めて「善光寺」となっているのでおふくろ的であると思いました。
しかし善光寺本堂を中心に考えてみると、本堂は国宝に指定されているし、参拝に来る人達も必ず本堂を訪れます。このように善光寺本堂は他の建物とは違った存在感をもっており、その力強さがあってこそ善光寺全体が成り立っていると思います。だからこのように考えた場合は今回に質問は親父的であると答えられます。
以上のことをまとめてみると、今回の質問の僕なりの答えは、善光寺全体(オフクロ)の中に善光寺本堂(親父)が存在しているということです。

05T3009B 浦嶋潤昇

自分のうちでは親父が強い。侍みたいな人だ。自分が最も尊敬する一人である。
善光寺は親父だと思う。
善光寺といえば「牛にひかれて善光寺参り」。
布を干していた欲の強い悪いおばあさん。どこからともなく牛が現れ、角に布をひっかけ逃走。それを追っかけたばあさんが善光寺まできてしまい、そこで66歳にして我欲を捨て信仰の道にはいることができたという。
善光寺は、欲深い頑固なおばあさんでも善光寺に来た瞬間、従順させてしまうパワーを持っている。
どんな頑固でも呼び寄せ、受け入れてしまうところはオフクロだと思うのだが、ドシっとその場から動かず、その人が悪かったと思わせる説得力と、従順にさせ、ねじ伏せてしまう力強さが親父だなと思った。

善光寺はお寺である。お寺というだけで、親父的な感じを受ける。何故かというと、信仰者しか受け入れないとか、きちんとした固いイメージがあり、そこに居る人(お坊さんなど)においては、朝が早い、質素などの厳しいイメージがある。お寺には、厳格なイメージがあるからである。しかし、善光寺はお寺であるが、オフクロ的な面を持っている。例えば、宗教的な面から見ると、無宗派に近くどんな人、子供からお年寄りまで、男女かまわずに受け入れる。建物を見てみると、本堂があって、人がお参りするところがある。金堂でない所が、いかにもオフクロ的だと思う。さらに、入り口も大きいような感じがして、「どうぞ、お入りなさい」というような感じを抱く。善光寺は、親父でもありオフクロでもあると思う。

 最初に、親父建築は決められたものしか入れさせないような建築で、オフクロ建築は何でも受け入れるような建築だと思いました。
 善光寺を考えたとき、最初は本堂のことだけを考えたので親父建築だと思いました。本堂の中に入るときだけ参拝料を払ったり、中は騒いだり出来ないような静寂な雰囲気が感じられ、うるさい子供やギャルやペットが入りにくい空間になっていると思います。もっとも、ペットは立ち入り禁止かもしれませんが。なので、そうした内部空間の雰囲気は親父的だと思いました。 
 しかし、一方で、善光寺本堂の外を見てみると、善光寺に用事のないような人、散歩をしている人や、近道として利用する人などが敷地を通って行くことが出来てしまいます。本当に誰もが通行可な状態なので、敷地を含めて善光寺を考えた時、善光寺はオフクロ建築であると思いました。

西川 友也です。

僕は、まず、善光寺を全体とそれぞれの建物とに分けて考えました。
善光寺はそれぞれの建物ごとに見ると親父的だと思いました。それぞれの建物は、重要文化財や国宝になっているものもあり、それぞれ個別に見ると目立ち、頑固な親父的建築だと感じました。
しかし、善光寺全体で見れば、おふくろ的なのかなと思いました。僕も実際行ったことはあるのですが、善光寺にはたくさんの人が訪れます。中には小、中学生や外人もいました。そういった人たちを善光寺全体が包み込んでいるイメージがあるので、おふくろ的だと思いました。

早稲田大学・立川創平

親父/オフクロを建築で行われる行為の名前と意味から考える。
宗教建築は基本的に親父的である。善光寺が多様な宗派を受け入れることは「宗教的」オフクロ性を示すが、そこで行われる行為があくまで参詣である以上、「建築的」には親父である。
しかし参詣という言葉を抜きにして、善光寺で行われている行為の本質を考えると、それは観光であり、テーマパークに近い。戒壇めぐりはその最たるものだ。つまり行為の名前と本質がずれていて、これは江戸時代に物見遊山を参詣と言い換えた(*1)ところから始まっている。欧米の教会が礼拝を行為の名前としつつも、実際には地域のコミュニティセンターの役割を担うのもこの例である。
従って、行為の名前は保たれていることを考えれば、善光寺は「なんとか威厳を保とうとしている親父」である(決してオフクロ的親父ではない)。一方、テーマパークであるディズニーランドは、楽しむことを目的とし、楽しむことしか許さない点で「厳格な親父」であると言える(*2)。


*1 江戸時代、庶民に対しては、物見遊山では手形が発行されないために、名目的に参詣を旅の理由とした。

*2 善光寺とディズニーランドの比較に関しては、
遠藤薫「聖地の構造:善光寺とディズニーランド」に詳しいので参照されたい。
(注:PDFファイル)
http://endo-lab.org/paperF/Seichi.pdf

善光寺の歴史から今回の題について考えてみるとする。善光寺は長野の歴史において絶対的な位置を占めている。長野を語るに際して善光寺は決して外すことのできない唯一無二の存在だ。善光寺は善光寺以外の何者でもないし、他の何者にもなり得ない。こう考えると善光寺のドレスアップや、イメージチェンジ的なことが起こるはずも無い。要するに親父建築だ。しかしながら善光寺も成長している。本尊が安置されてから千数百年が経とうとしているが、周辺環境の変化は善光寺の印象を変えてきたし、また多くの人々が想いを寄せたことであろうこの場所の意味ですら変わってきている。つまり「善光寺」が善光寺であるのは不変の事実であるが、今日の善光寺は昨日の善光寺・千年前の善光寺とは別の「善光寺」であるということだと私は思う。親父は親父でも、昭和の親父と平成の親父のように時代時代の親父を演じているのが善光寺なのではないだろうか。

 五名 美恵です。
私はこのテーマを見てまず、善光寺を親父的かオフクロ的か、どちらか一方に決めるのは難しいと思った。
善光寺の外観を一目見て感じるのは、重々しい威厳のある雰囲気である。どっしりとした構えで、日本独特の歴史的建造物に見られる、厳粛で落ち着いた奥の深い雰囲気がそこにはある。このような力強い印象を与える善光寺は、親父的だと思う。
一方で、善光寺は、一般的なお寺としてだけでなく、全国に名の知れている観光スポットでもあり、参拝者から観光客に至るまで、あらゆる人々を受け入れる。また、善光寺本堂は、その名の通り人間の入れる空間が造られていて、お参りにたくさんの人が訪れている。そこから考えてみると、進んで人々を受け入れている気がしてならない。そういう意味では、オフクロ的な建築と言える。
つまり、善光寺は、その姿だけを見ると親父的であるが、内部へ入ると、オフクロ的であり、両方の要素をあわせ持つ建築だと思う。

 今回のお題を見たとき、直感的に善光寺はおふくろ的であると思いました。その理由は、全国あるいは日本以外から宗教にとらわれず様々な人が訪れるからです。調べてみると、善光寺はどの宗教も受け入れている無宗教の寺院だそうです。その点から考えるとおふくろ的だと思います。しかし善光寺の周辺の様子を考えてみると、善光寺に向かうときは途中に昔ながらのお店や宿坊などがあり、そこを通って本堂のほうへ向かいます。私は、親父は家の奥でどっしり構えていて、お客さんが来たときはおふくろが玄関に出て行く、というようなものをイメージしています(サザエさん一家のようなかんじ?)。このイメージに当てはめると、奥の方でどっしり構えている親父が善光寺で、周辺のお店などがお客さんを先にもてなすおふくろになります。このように考えると親父的な面もあることが分かりました。以上のような2つの面を持った善光寺は親父でもありおふくろでもあると私は考えます。

05t3075a 長野みなみです

私の家は、母と父どちらが強いかといえば、もちろん母である。カカア天下。この一言に尽きない。しかし、強く、厳格なだけではなく、どこか包み込む優しさもある。
こういうことを考えると、善光寺はおふくろだと思う。人々を誘い込み、包み込む参道。そして、参道を進んだ先には、厳格な本堂。しかし、厳格とはいえ、善光寺は国宝に定められ、日本人、外国人問わず、多くの観光客が訪れている。国籍、宗教問わず、観光客を受け入れているということを考えると、包み込む建造物=おふくろ建築に結びつく。そのおふくろというのは、過去の亭主に従っているおふくろではなく、まさに、現代の日本のおふくろみたいな感じに思う。善光寺という大きな枠組みが、人々、建物をしなやかに包み込む。そして、その枠組みの中には、お店、植栽、本堂、宿坊、人々など、自由な空間設計をしている。そういうわけで、善光寺はおふくろ建築だと思う。

川名隆之です。
善光寺は、親父的な面とオフクロ的な面の両方を持っていると思う。建築の面から見たら親父の要素が強く、宗教などの面から見たらオフクロの要素が強いと思います。
親父の印象は、頑固者でほかのものの侵入を許さないというものです。善光寺という建築物も親父と同じく頑固者だと思いました。たとえば、今、善光寺を修理するとなったとき普通の板では善光寺には合わなく、受け入れないという点が頑固だと思います。
また、オフクロの印象は、包容力があってすべてを受け入れてくれるというものです。宗教の面から善光寺を見ると、いろんな宗派の人が参拝に来ている。いろんな宗教を受け入れ、いろんな人を受け入れるところに、オフクロ的なものを感じました。
僕はこのように、善光寺は親父的な面とオフクロ的な面の両方を持っていると思いました。

 僕は善光寺を親父的であると考えます。それは僕なりの「善光寺本堂の造り」への解釈から導かれた答えです。
 まず僕が善光寺の本堂を初めて観た印象は、結構大きいんだな…といったものでした。本堂には裳階があり、それが2重の屋根にも思えました。そしてなによりも1階建て(平屋?)にもかかわらず、その高さに他の建築との差異を感じました。高さは30メートルにも達するらしいです。
 しかしなぜこんなにも高いのだろうか?それは善光寺の壮大さの象徴であると思います。でもそれだけではないと思います。僕は本堂の内部に足を踏み入れたとき、空を浮いたような仏様の装飾があるのを見つけました。つまりこの高くとった空間はある意味、現世と来世を意味するような造りをしているのだと思います。現世に住む人間は地に、仏は空に。空間を共有しながらも世界を分断し、内々陣以外互いの世界を侵させない、その厳格さが親父的だと思いました。

昔の建物で今も残っている建物の多くは親父的な建築だと思う。善光寺に限っても例外ではない。本来どんなものでも必ずと言っていいほど周りや時代などの影響を受けるものだ。しかし善光寺は11度の火災に見舞われ、何度も再建されたにも関わらず昔の姿のままである。現代のものは全く似合わない。もちろん伝統的な建築物は昔のままの姿で存在し続けることに意味があるのだから簡単に変わることはないが、考えてみればこれこそまさに親父ではないだろうか。何が起ころうとも決して最初の姿を変えずに毅然として今も存在し続ける。まさに親父である。また善光寺の周りの建物も善光寺に合わせて昔ながらの姿で建っている。まるで親父に従うおふくろや子供のようである。善光寺は相当頑固で力強い親父である。

僕はまず、善光寺を建てる目的は仏様を祭るということが第一であり、善光寺を建てた人は仏様のためだけに建てたと思うので親父建築だと考えました。もちろんお寺であるので信仰する多くの人が参拝しやすいように建ててあるとは思いますが、建てた人は参拝に訪れた人によってその空間が壊されることはないという前提でそのように建ててあると考えました。(参拝しやすいとは建物だけでなく敷地の使い方も含めます)しかし、宗教というのは庶民を精神的に助けるために生まれたものなので、上に書いたように参拝しやすいよう建てられていてお寺は自然と庶民に開かれたものになります。よって、お寺という建築物は建てた人が親父的な考えをもって建てたとしても本質的には「みんなを見守り、救いの手を差し伸べる母」、オフクロ建築になると考えます。
この二つの考え方から善光寺は、考え方は親父、本質はオフクロの親父的オフクロ建築だと考えます。

 受験前日の貴重な時間に迷いながらもなんとか善光寺に行き、お参りをした。そのおかげで受験に合格した気がするので、僕にとっては思い出の場所となっている。
 オフクロ的な建築というのは誰でも受け入れてくれて、自然と人が集まるような建築だと思う。その点で善光寺はオフクロである。大抵の寺は厳格で仕切りの高いイメージがあるが、善光寺は無宗派ということもあり、多くの人に振興され、県外からの観光客も多い。また、東日本最大の木造建築であり、その大きさも観光客が集まる要因である。善光寺を中心に商店が立ち並び、そこでは祭りなども行われる。長野市は善光寺の門前町として、善光寺に寄り添うように発展してきた。善光寺がなかったら、長野市はここまで発展しなかっただろう。
 このように人々に愛され、人々を引き寄せてきたので、包容力のあるオフクロ的建築だと思う。

親父建築はexclusiveな建築であり、オフクロ建築はinclusiveな建築である。それを念頭において善光寺について考えてみると、善光寺は宗教建築であるがゆえに親父的である。宗教建築は、その宗教を信仰するものが詣でる場所であって信仰しないものには踏み入れがたい場所である。しかし、善光寺は他宗派が混在する寺である。故に、善光寺は一様にいう寺より内包的であるとも考えられる。
そして、内包的であるがゆえに、善光寺の名前は大きい。その大きさは商業的にも利用価値があり地域と密接に絡み合う。そうすると時代が進むにつれ善光寺はより開放的な存在へとなっていき、exclusiveからinclusiveよりへと変わっていく。しかし、原点には親父的なものがどーんと存在していてその座を明け渡さない。そんな時代が変わってもその存在を世の中に知らしめていて、かつ柔軟に人々を受け入れる善光寺は、自分の中の言葉で置き換えると、親父よりパパ建築という感じがする。パパだと親父よりなんかやさしい感じがするので。

鈴木久雄です。
親父とは頑固で一心、オフクロは何事にも相談にできる温かい人間であると僕はイメージで考えてしまう。善光寺にはまだ2回しかいったことがないのだが間違いなくオフクロ的なたてものだと感じる。善光寺の入り口に至るまでに長い通路、参道を通ることをご存知だろうか。この善光寺に導かれるための道といっていいだろう。この道に妙に惹かれてしまう。鎌倉時代には多くの高僧の帰依も受け、かの東大寺再建として有名な俊乗坊重源をはじめ、浄土真宗の宗祖・親鸞や時宗の宗祖・一遍なども善光寺に参拝し、ご仏徳を深く心底に感得した。みんなこの場に帰ってくる。例の参道を通って。まさに一生のゴールとでもいえる何かを持っているに違いない。
今では一貫して男女平等の救済を説く寺院として知られ、女性の参拝者が多く見られるとのことだ。何事も温かく受け入れてもらえる、かなえてもらえる、というオフクロ的な何かを求めているのだろう。このあたりに善光寺のオフクロ的なところを見た。

善光寺は、建築的に見るととても親父的だと思います。多くのお寺や神社がそうである様に、建物の造り方や配置の仕方に一定のルールがあり、それは、自分の意思を強く持った、親父的な感じがするからです。また、善光寺は、見た目にも、とても力強い印象を受けます。そして、長い年月を経、度重なる火災にあっても変わらないその姿には、親父的な要素が多く含まれているように感じます。そして、信仰においても、多くの人に参詣され、信じられていて、これも一家の大黒柱である、親父を連想させるように思います。
しかし、その信仰に対する概念においては、オフクロ的な部分も含んでいるように感じます。すべての命あるものを救済したい、という考え方や、宗派を問わない、という風習は、物事を広く受け入れる、オフクロ的な考え方だと思いました。
これらのことから、善光寺は、オフクロ的な要素より、親父的な要素の方が強い建築物なのではないか、と思います。

うちのおかんはなんでも知っている。僕が長野に引っ越すとき、おとん、おかん、弟が手伝い(観光?)に来た。午前中に買出しも終わったので、長野市内で昼食をとることにした。おかんはいつも来ているかのように、助手席から運転しているおとんを指示し店に入る。絶対に来たことがないのに、「この店はこれがうまい!」と自信ありげに言う。確かにおかんが連れていく店で、おかんの勧めるものはうまい。この店も、蒸篭のなかに信州牛やおこわが入っていて、おかんの言うとおりうまい!おかんはうちの家族の情報源だ。

善光寺も長野市の情報発信源だ。多くの人が集まるため、善光寺はいろんな人と会話をする。善光寺に行くと、周辺にはうまい店がある。僕の行った店もすぐ近くだ。また、本堂の中にお戒壇巡りがあり、善光寺にはドキドキさせられた(暗いところが苦手)。そう考えると、善光寺はうちのおかんに似ている。

藤岡佑介です。

まず僕は、親父は少しも妥協を許さない、石頭。おふくろは普段は優しく、しかし時に親父にも勝る強さを発揮するものだと考えます。
そこで僕は、善光寺はおふくろ的だと考えます。その一番の理由として、戒壇めぐりがあげられます。戒壇めぐりは真っ暗な中を手さぐりで進み、腰の位置にある「鍵」をさわるとご利益があるというものですが、真っ暗なため五体満足な人でも満足に歩くことができず、その事から、全ての人は平等であることを表しているそうです。そんな何人も拒むことのない善光寺に、僕はおふくろ的な優しさを感じました。また、善光寺は昔から多くの人が訪れる場所であり、今なお変わらず多くの人が訪れています。時代が変わり、町並みも変わってしまっても決して逆らわず、なおかつ変わらずにある存在感、そんな強さが今なお人々を惹きつけているためだと思います。時代の流れに身を任せつつ、変わらない強さ、そんな中に存在する優しさ、そんな善光寺の「強くて優しい」ところに僕はおふくろを感じました。

善光寺は長野市の中心街のすぐそばで、異彩を放ちながら長年静かに佇んでいるという点では、周りを一切気にしない頑固な親父という感じがします。しかし、宗派に関係なく宿願可能な霊場という点では、包容力のあるオフクロの感じもします。でも、全体的に見れば親父かなと思います。「一家の大黒柱」という言葉があるように、親父は重要な存在です。そして、善光寺本堂は国宝に三門と経堂は重要文化財に指定されている重要な建築です。以前、夕方に善光寺に行ったことがあるのですが、非常に緊迫感を感じました。人がほとんどいなかったということもあり、静けさからくる緊迫感がありました。しかし、それだけが緊迫感の原因ではなく、善光寺全体からなんらかの圧力を感じたのもその原因かと思います。このことは、親父はいるだけでなんとなく威圧感のある存在ということに照らし合わすことができると思います。だから、善光寺には親父を感じました。

 05T3055F高木です。
 自宅から善光寺まで12km。そんな私にとって善光寺は、ソフトクリームが食べたいから行ったり、御開帳は部活の帰りにちょこっと寄ったり…というような場所である。挨拶程度に参拝して、写真をとる観光客を横目に帰ってくる。

 しかし「地震柱」と言われる柱の存在を知って見方が変わった。この柱は1847年の善光寺地震によりねじれてしまった…と言われていたが実は違うようだ。1700年に本堂建築中に火災がおき用材が燃えてしまい、至急に使われたのがまだ生木に近い用材であった。しかし、当時の宮大工は時間の経過によるねじれも計算して、柱がねじれても建物自体への影響はないようにしたという。

 この「なんだ、実はやっぱりすごいんじゃないか」と思わせる所は、なんだか今の時代の「おとうさん」的な所があると思う。これを知ってから善光寺に行くとこの柱を見て少し感動して,それから帰るようになった。

05T3080G 羽田竜介
先日、夜中に善光寺に行った。もちろん全ての扉には鍵がかかっており、どの建物にもはいれなかった。
昼間の善光寺には何度か行ったことがあるが、とても開放的な感じがあって、無駄な買い物をいっぱいした覚えがある。買い物をさせたり、ワクワクさせるような、そんな穏やかな気持ちになれる場所だなと感じた。
しかし夜の善光寺はすごく恐かった。誰もいないはずの境内には、なぜか気配を感じた。建物も僕達の侵入を阻むかのように両手を広げてずっしりと仁王立ちしているようだった。
そんなことを思いながら考えたのだが、善光寺は2つの顔を持っていると思う。つまり、昼間はお袋、夜は親父。これは僕の勝手な考え方だが、善光寺に限らず、多くの建物はそもそも両方の顔を持っているのではないだろうか?その時の心理状況や見る人によって、その顔を変える。ゴシック教会とて常に親父ではないと思う。課題の内容通り、善光寺を親父かお袋かに分別することはできないです。

僕は善光寺はオフクロと親父であると思います。僕のたくさんの思いを受け止めてくれるのはオフクロで、来た人をドーンとたたずんで見守るのが親父だと思いました。
寺とか神社って神様がいるんですよね?神様が人々を生んだとしたなら、親父とオフクロが善光寺にいるということで、人々は善光寺に親父とオフクロに会うために行くのだから、善光寺は親父とオフクロの二面性を持っていると思います。

まず、結論から言うと、善光寺は「おふくろ」であると思う。

善光寺を参拝するとき、多くの人は石畳の坂道を上がり、途中商店や宿場などを横手に見ながら仁王門・三門を通り本堂に行き着くというルートを通るだろう。ところで、この道中の建物などは、昔の町並みを保存するために景観に配慮してつくられている。僕は、このルートを歩いていると古きよき町の雰囲気を感じずにはいられない。そして、その雰囲気に包み込まれているような気分になる。

実際、人によって感じ方は違うだろうが、善光寺とその周辺の昔の面影の残る町並みから、どこにでもあるような市街地の雰囲気とは一味違った何かを感じることだけは確かである。このように、善光寺、そしてその周りを取り囲むように形成された門前町によって創り出された空間がそこを訪れる人々を独特の雰囲気で包み込んでいる・・・。

これが、僕が善光寺はおふくろだと思った理由である。

まず、自分なりに親父的建築、オフクロ的建築とは何かということを考えてみる。
親父的建築とは、完成した瞬間から「人の空間の空気」が既に存在し、満ち足りているものだと思う。空間として完全なため、他者の混入を嫌って頑固なように感じるのである。対してオフクロ的建築とは、建築として完成したとしても、空間としては完全ではなく、あとからでも「人の空間の空気」を注入可能もしくは注入しなければならないものであり、最後まで完全には至らないものだと思う。そのため、どんなものにでも寛容的でやんわりしているように感じるのである。
このような考えから、善光寺は親父的建築だと感じる。なぜなら善光寺は、完成した瞬間から寺院であり、人々が参詣するための空気は既に存在し、空間として完全であった。それは今でも変わらず、観光目的にしろ、参詣目的にしろ、善光寺を訪れる人々は皆手を合わせるのである。したがって、善光寺は親父的建築である。

中野広大です。
これは僕の親は...ですが、親父と言うのは常にしっかりしていてとにかく頑固というイメージ。オフクロと言うのは、優しいがどこかルーズな(柔和な?)ところがある。 このルーズなところと言うのが善光寺に通ずるところがあるのでは?と思った。
これは、善光寺の構造(カタチ)が変わってきた歴史を調べた上で思ったことです。もともと善光寺は本堂のみの建築であった。しかし今では礼堂(らいどう)まで存在する。参拝者のためにとか書いてあったが、これが親父的で頑固であれば、法隆寺のようにカタチを変えないはずだと思いました。やはりオフクロのようにルーズ(柔和)な一面があるのだなぁと思います。戒壇めぐりのようなアミューズメント的な要素も、他の宗教建築では見られない。これも言い方が悪いかもしれませんが善光寺の持つルーズ(柔和)な一面なのかなと思いました。
このように、僕は善光寺をオフクロのルーズな(柔和な?)一面からオフクロ建築と考えます。
以上です。

善光寺への訪れる目的に論点をおきたいと思います。
自分が初めて自分が善光寺に行こうとした目的は、有名だし一度は見ておきたいという軽い考えでした。現代の多くの人はそうではないかと思う。つまり観光として行ってみようという考である。しかし、本来信仰の一環として善光寺は「参詣」するところではないだろうか。
このように訪れる目的が変わってしまっている善光寺を厳格で頑固なイメージの親父と呼ぶことは難しいのではないかと僕は考えました。しかし、いざ本堂を前にすると全ての人は「合掌」をする。この光景から今なおも善光寺は本来の姿を忘れず厳格に力強く構えているということはやはり親父的だと思いました。
僕の結論は普段は頼りないけどいざとなったときは強さを見せてくれる「現代の親父」であると考えました。

鍛治陽介です。調べて見ると善光寺は特定の宗派がなく宗派に捉われずお参りでき、お寺が女人禁制だった時代から女性を受け入れてきたお寺であったようです。この寛容さが善光寺の特徴であり多くの庶民はその魅力にひかれ信仰しました。寛容さを持っているというところがまさしくおふくろ建築だと言えます。また現在は観光スポットとして周りに多くの宿泊施設、飲食店、土産屋があり受け入れ態勢がしっかりしています。これもおふくろと言えます。
 しかし外観については僕が実際本堂を見たとき親父建築だと感じました。屋根は檜皮葺でどっしりとしていてほとんど装飾のない黒い建物でした。どっしりとしたところが何を言っても動かない頑固親父のように見えました。
 ぼくにとっては善光寺は親父おふくろ両方を持った建築です。両方の性質を持つと夫婦のようにうまく調和できるのだと思います。

若林大介です。

 善光寺は「生まれ変わった親父建築と言えると思います。善光寺に対する私のイメージは、「外に開けた寺」です。各地の信者を広く受け入れる思想のもとに礼拝のスペースを増設し、言葉は悪いが、あえて寺としての格式を下げることによって善光寺を善光寺たらしめているのだと思います。排他的から人々を受け入れる形への変化は、本来、寺がもっている世間と隔絶した雰囲気を失ってしまいました。何かを手に入れると同時に何かを失ってしまった善光寺は、増築前と違う親父に生まれ変わったのだと思います。

善光寺本堂までの道のりは、色々な店がありとても暖かい雰囲気な参道を通り、巨大な山門(現在工事中)が見え威圧を感じながら山門をくぐると壮大で圧倒的な力を持つ本堂が見えます。この様子から、建築物として圧倒的な力を持つ本堂は、強い親父だと思います。全てを受け入れ包みこむようなオフクロ(参道)があるからこその強い親父だと感じます。このように、親父とオフクロは共存していると思います。
篠原一男さんの住宅は宮脇壇が「パジャマでは歩けない住宅」と表してしまうほどの代表的な強い親父です。「パジャマで歩けない」のはそこに暮らす人です。親父を受け入れ包み込むオフクロ(そこに暮らす人)がいるからこその親父だと思います。
よって善光寺は、オフクロに支えられ、強い力をと偉大さを出す親父と考えます。
また、僕は親父とオフクロは互いに支えあって暮らしていくことが理想だと思います。

 善光寺は親父的な建築だと考える。善光寺はやはり寺院であるので参拝が目的で訪れる。しかし善光寺は特定の宗派がなく、参拝者はいろいろな宗派の人がいる。寺院としては珍しい。これは善光寺の歴史が古く宗派が分かれるまえから存在していたためである。また女性の参拝者も受け入れてきた。このことから普通の親父でなく、古くから考え方のしっかりした親父である。
 ここで善光寺の周りも含めて考えてみる。善光寺周辺は善光寺を中心として観光で成り立っている。観光に必要なのは、いろいろな人を楽しませること、どんな人にも優しいことである。そのためにはお袋的な優しさが必要である。
 善光寺は参拝を目的としながら、地域に観光をもたらしている。つまり善光寺は善光寺という主夫と善光寺周辺の働くお袋が地域という豊かな家庭を作り出している。

善光寺はオフクロの建築だと思う。宗派に関係なくお参りができるため、たくさんの人が毎日訪れる。それに対応しうるつくりになっている。“お寺”と聞くとどことなく足を踏み入れるのに遠慮してしまいそうなのだが、善光寺は違うと思う。観光や課題や数回訪れているが、長い坂を上って石畳をアイスクリームかおやきと一緒に歩いて、本堂に着くまでの間にうきうきしてくる。小さな子供がかけっこして遊んでいる。三門をくぐると大きな本堂が見える。ちょっと怖い顔をしてるお母さんみたいだ。入ると内陣までの空間が広く、受け入れてもらえているような気がする。長野市のシンボル的存在でいつも“おかえり”と待っていてくれている、ほんとはやさしいオフクロだと思う。

私は善光寺はオフクロ的な建築だと思いました。私は親父的建築はすごく規律正しいもので、オフクロ的建築は緩くなんでも受け入れるものだと考えました。
まず私は寺という空間はとても自由だという印象を受けます。基本的な目的は参拝なのかもしれないけれど、散歩をしたり紅葉を見たりする目的で善光寺に来る人も多いのではないかと思うからです。そして、無宗派の寺院という事もオフクロ的建築だと思う要素の1つです。人を宗教で区別することなくどんな人でも受け入れてくれます。
また、「お朝事」という行事もオフクロ的だと思いました。この行事は365日欠かさず行われ開始時間も日の出に合わせて分単位で変わります。一般の人は誰でも参加でき、日にちも毎日行われているので考える必要もありません。そして日の出にあわせているので季節によって開始時間が違うのです。そういった緩さと自由さを持っている善光寺はオフクロ的建築だと思いました。

善光寺は親父建築である。なぜなら私が初めて善光寺に行った時その大きさというか威圧感というか様々なものに圧倒されたからだ。一目見て「寺」というものを感じさせ、その佇まいは日本人の心にどこか懐かしさを感じるものである。そういう「日本とはこういうものだ。寺とはこういうものだ。」と感じさせるところが親父的であると思う。中に入るときも傾斜の急な階段を上るのに一苦労。お年寄りにはとても大変である。また、中に入ると暗く、とても閉鎖的に感じ、においも親父臭く感じる。外観と同じように内部もとても威圧感を感じ、親父に説教をされるかのように黙り込んでしまう。こうした様々な理由から私は善光寺は親父的であると思う。しかし本当は願望なのかもしれない。善光寺には親父のように頑固な一家の大黒柱でいてほしい。なぜならうちの父は真逆で母が強いからだ。

 こんにちは。上田 聖子です。

 私は地元が福井県で、福井には永平寺という曹洞宗大本山の寺院があります。このお寺は、宗派が決まっており、お寺の境内に入るのでさえ券を買って入らなければなりません。それに比べて善光寺は宗派を超えて全国の庶民に広まった善光寺信仰であり、格式ばっておらず、私たちも気軽に参拝することができます。また、全国に119ヶ寺をもつといわれていることからも、多くの参拝者を受け入れる善光寺はオフクロ的建築であるように感じます。一方、多くの宿坊をもつ点、そしてこの長野の街を見てみて善光寺の存在の大きさという点で善光寺は親父的な一面ももっていると思います。
 以上より善光寺はオフクロ的な建築要素をもちながら、親父的な面ももった建築物だと思いました。

まず自分の中でオヤジは圧倒的な存在感があり、とても厳しく壮大なもの。一方オフクロは、優しく包み込むようなとても自由な感じがしました。善光寺は、寺であるのにどの宗派に属しているというわけでもなく、どんな人も受け入れるという特性から考えるとオフクロ的建築だと思いました。戒壇巡りも他の寺にはなく、とても自由な印象を受けました。しかし外観はとても大きく圧倒されるような感じを受け、この厳格さはどう考えても頑固オヤジだろ!と思いました。このことから、善光寺は見た目はすごく怖そうで厳しそうにみえるけれど、実はとても優しくて意外な一面も持っている、オヤジというより「お父さん」というような建築だと思いました。

 私は、善光寺は親父的建築でもあり、オフクロ的建築でもあると思います。
 善光寺が親父的建築なのかオフクロ的建築なのかと聞かれて、私はすぐに親父的建築だと思いました。最初に建築物としての善光寺を思い浮かべたからです。建物としての善光寺は、外観だけをみると重々しい雰囲気がとても伝わってきます。いかにも日本の建築という感じがします。このような力強い印象を与える善光寺は親父的であると感じました。
 しかしよく考えてみると、善光寺は宗派にこだわることなく、あまねくすべての人たちを極楽浄土に導いてくれる御利益があるということを思い出しました。このような面から考えると、善光寺はオフクロ的であると感じました。

05t3104h 渡辺直嗣です。
まず親父的建築とオフクロ的建築に対する考えについて。僕の親父」という言葉に対してのイメージはとても存在感があり、厳格で非常に頑固な人だけど、厳しさの中に優しさがある人で、「オフクロ」は家族みんなに優しく、困った時に相談しやすくて、親父とは違った意味で家族全体を支えている、いわば縁の下の力持ちな的な人という感じです。(実際はうちのおとんとおかんは上で述べたイメージとはまったく違う。おかんのほうが強い。)以上より親父的建築物はどっしりしていて、オフクロ的建築物はあったかいというふうに考えました。
善光寺は特定の宗派がなく、誰もが参拝することができ、古くから男性だけでなく女性も参拝できたお寺であると聞いた事があります。このようにすべての人に対して平等に温かく迎え入れてくれる、つまり、とても包容力がある感じがオフクロ的建築だと僕は思いました。

05T3099H 武藤沙織

 私は善光寺はオフクロ寄りな建築であると思う。理由は善光寺は無宗派の寺院であり、宗派の別なく宿願が可能だからである。善光寺はどのような人であっても受け入れてくれるお寺であり、また境内の中には観光客だけでなく地域の人々が散歩をしたり、近道として通っていったりととても自由な空間が広がっているように思う。
 しかし、善光寺という建築だけを見るとオフクロというよりは親父であるように思う。なぜならそこには有無を言わせないような厳格な雰囲気が漂っているように感じるからである。また寺院ということから、昔そこに居る人たちはそれなりの権力をもっていて、周りの人々からは畏怖の念を持たれていたと思う。そこを考えると善光寺は権力や宗教のもつ人々の精神的なよりどころの象徴であるのかもしれない。
 よって私は善光寺はオフクロのような寛大な心を持った親父だと考える。

 善光寺には本当に数え切れないほど行きました。しかし今年初めて知ったことがあります。善光寺は奥行きが長い。正面のほうが大きいとずっと思っていました。たぶんそれは正面から見た善光寺はどっしり構えていて親父的だからだと思います。一方、側面は静かな雰囲気で正面を支えているオフクロ的な感じです。だから正面から見た善光寺は威厳たっぷりの親父。側面から見た善光寺は影で頑張るオフクロ。斜めからはちょっと昔の亭主関白家庭気味の夫婦。
 バランスのいい建物だと思います。

僕は現在の善光寺は親父的建築だと思います。過去の善光寺自体はオフクロ的建築だったと思う。昔は生活の一部に儀式があり、その多くを寺で行っていた。しかし西洋化した現代では、寺で行う儀式の習慣が薄れてきた。それと共に建築も西洋化し、善光寺周辺も現代化してきた。周辺環境の時間は進んでいるが、善光寺内の時間は止まっているのだ。善光寺は昔ながらを守っている。卑屈に言えば頑固である。だからこそ善光寺は威圧感がある。僕の親父のようにいるだけで空気が違うのだ。仕事で家にいない事が多い親父だけれども、ホントにすごい存在感がある。やり遂げたことがすごいので、自慢の親父だけれども、自分から進んで自慢する気にもなれないような不思議な親父だ。長野県民にとっても善光寺とはこんな感じなのではないだろうか。

こんにちは梅谷雄三です。僕は、「今」は善光寺は親父だと思います。親父建築とは自分がいいと思うものしか受け入れない、かたくななのが特徴だと思います。一方、オフクロ建築は包容力があり、周りに調和、順応というイメージです。善光寺が親父という理由は2つあります。まず、外、親父の風貌についてです。善光寺周辺は高層ビルや派手な建物がなく、また郵便局や82銀行は昔の建物のようにつくられ善光寺に配慮しています。
2つめは、内についてです。善光寺内には一切機械的なものは受け付けません。これは、誰もが当たり前と思っていること事知れませんが、普通どこの家、どこの施設へいってもテレビ、エアコンがあるのが普通です。だれにでもそう思わせてしまうところ親父だとおもいます。また、携帯電話を使用するという行為も雰囲気が違います。 このように、機械や建物を配慮というのは今という時代だからこのように感じるのであり、善光寺ができた時代は、今述べたようなこともありません。「時代、時間」により善光寺は昔はオフクロ、で今は親父として存在していると思います。

親父とオフクロ
現在の善光寺を存在価値という観点からみて、善光寺は親父的な存在であると考える。長野市と聞いて善光寺を思い浮かべる人も多くいるでしょう。事実、長野市に訪れた人の多くが善光寺を観光していく。そして長野市も善光寺をまちのシンボルとして尊重している。善光寺へと一直線につながる通りがあり、その周辺にはパティオ大門など善光寺に合わせるように街並みがつらなっている。周りの環境がまるで善光寺に従うようにあるいは引き立てるように気を遣いながら生活を繰り広げているのである。親父というのは偉大な存在であり、家庭の中心である。まさにまちづくりの中心となって特別な存在感をもつ善光寺は親父的な存在であると考えられる。
日本全国から老若男女問わず多くの人が観光や参拝のためにひきつけられるように善光寺に向かって一直線の道を歩いていく、親父にはそんな人を自然とひきつける魅力があるものなのだろう。

親父とは自分のいいと思うものしか認めず、受け入れもしない。反対にオフクロはどんなものでも拒まずに受け入れる。このような考えで善光寺が親父なのかオフクロなのかを考える。
まず僕ははじめに善光寺はオフクロだと思った。宗派や年齢、性別に関わらずにいろいろな人がたくさん訪れるからだ。建築的にも仏のみの空間だけでなく人々のための空間もあり、人を招き入れるようになっていると感じる。ここからも善光寺はオフクロだと思った。
しかし、本堂の中には券売機がある。寺の中にあると少し違和感がある。はじめはこれもオフクロらしさだと思ったがそれは違っていた。やはり寺の中に溶け込ませるため目たたないよう配慮してある。善光寺は親父な一面も持っていた。その一面が限られたデザインしか認めなかった。
これらから、僕は善光寺を親父の一面もあるやさしいオフクロだと考える。

 私は、善光寺は親父的建築だと考えます。あの重々しく、厳格な雰囲気を持った「寺」はまさに「日本の親父」と同じ雰囲気を持っていると思うからです。親父にもそれぞれいろんな親父がいると思います。私の家では、父と母のどちらが強いかと聞かれれば、答えに困ってしまいます。私の父は、4人の娘がいるのに放任主義というか自由な人です。だから父と母は対等な気がします。しかし、家族の大事なとき、何か問題が起こったときに父の大きさを感じます。やはり、男の人は女の人より強く、頼りになるものだと思います。善光寺の暗い色の外観、兜のような屋根、室内の重々しい雰囲気、多くの参拝者を受け入れる姿は、そこを訪れる人々を見守っているように見えます。出しゃばることをしないが、うしろで見守っている強さ、善光寺にはそんな親父的な強さを感じます。

我が家は父が強い。
私は、善光寺は強いオフクロな建築であると思う。
授業でもあったように、人間も異物である。善光寺に初詣なんかに行くと半端じゃなく混み合っていて、人がうじゃうじゃいる。全国からの観光客は中陣まで入れてお参りすることができる。異物を、ある程度受け入れている。
しかし、親父的な色もある。
本堂は、左右対称のバランスのとれた外観を持っている。本尊には、決められた人(お坊さんとか)しか入れないといったような制約もある。このような、強いオフクロでないと多くの異物を受け入れられないと思う。お袋のやさしさで多くの人々を包み込み、親父的な面で今ある善光寺を守っていく。とても良いバランスでこの善光寺は在るのだと思う。

善光寺の周辺を歩いて見ると、善光寺が周りに合わせているのではなく、周りが善光寺に合わせているように感じました。時代が移り変わり、僕たちの生活スタイルが変わろうともその姿形、あり方を変えない善光寺はまさしく頑固親父だと思いました。さまざまな技術が進み、新たに善光寺のような建築物が建てられることはあまりないでしょう。しかし古き良きものを貫き通している威厳のある姿は、宗教にあまり興味のない僕から見てもかっこいいの一言です。現在、善光寺本堂内に券売機が設置されたりしていますが、僕は決して善光寺はこれを受け入れていない気がします。どうみてもおかしかった。頑固親父は拒否していました。しかし親父はオフクロの支えなしには生きられないと思います。現在、宿坊が一般客も宿泊できるようになっていたり、仲見世の建築物が姿を変えずに商売をしていたりと周辺が親父に合わせながらも現代への許容性をみせ、親父を支えていると思います。だから善光寺はオフクロに支えられている親父だと思いました。

澤田亮です。
善光寺が親父的建築かオフクロ的建築かを判断するにあたって、私は初めて善光寺に行った時に直感で感じたことを参考にしたいと思います。
善光寺を見て感じたことは、柱が太くて、建物自体が大きいということで、厳格な感じがしました。また、内部も薄暗くて内向きな造りだと思いました。そして、ちょうど夏休みだったせいか観光客がたくさんいました。 
そこで親父的建築を頑固で厳しいイメージとし、オフクロ的建築を優しく包み込むイメージとすると善光寺は、その建物の造りから判断すれば親父的建築だと思います
。ただ、観光客がたくさん訪れるということからオフクロ的なイメージも兼ね備えているのではないかとも思えますが、今回はあくまで建物の造りのみで判断したので、その結果親父的であると思います。
もし、善光寺の造りといった建築
としての視点のみで考えなければ親父とオフクロの判断は難しいと思いました。

こんばんは、僕は善光寺は親父的だと思います。善光寺を見たときの第一印象、大きい!!というのがなかなか頭から抜けません。存在感はもとより、本堂に入ったときの緊張感、そのときなぜかぼくは身震いをしたのを覚えています。それはやさしくつつまれている感じではなく、その空間にいる自分が空間から見放されているように感じたからだとおもいます。場違い、とは違いますが、「僕が善光寺にいる」感覚ではなくて「善光寺に僕がいる」という感覚で歩き回っていたような気がします。個人的ではありますが、そういう印象はオフクロ的とはちがっていると思いました。
また、本堂に限らず善光寺周辺は善光寺による景観になっていると感じました。あの辺りに、善光寺によらないモノ作られたら、非難されるのではないかと思います。
なので善光寺は親父的存在をもっていると思いました。

善光寺。一度や二度は訪れたことがあるが、建築的観点から考えたことは、なかった。そこで、今回は課題に沿い考えてみることにする。善光寺と言うと、長野県ではかなり有名なお寺のひとつである。そういうものを、親父的か、それともおふくろてきかと区分するのはすこし難を極める。宗教的な感情が入りかねないかなと思う。今回は、そこをできるだけ少なくして考えてみる。
正門というのだろうか、表にある門は、意外と大きかった気がする。僕的には、なんか固くて、というかなんか建築物がどんと構えている印象を受けた。そこだけを考えると親父的だとなる。しかし、中に入って、周りを見渡してみると、意外と統一された感じのような親父的要素はまったく見られない。ましてや、参拝目的で訪れるとなおさらお袋的な要素を感じてしまう。以上をもって、どちらとも決めがたいので、両方だとおもう。

こんにちは。杉浦早紀です。
私は善光寺がオフクロ的な建築だと思います。それは善光寺が無宗派で、宗教という枠にはまらず、誰でも受け入れてくれるからです。よく私の母は、「どの子もうちの子」のようなことを言っていました。ここがオフクロ的なのではないかと思いました。また、善光寺は子供の健全育成を願った行事が他の行事に比べて多いため、これもオフクロ的だと感じました。子を思う母の気持ちはまだ、自分自身が母親になったことがないためよく分かりませんが、きっといつでも子供のことを気にかけて、自分以上に大切な存在になると思います。善光寺は受験の時に初めて訪れたのですが、緊張でびくびくしている私をまるで温かく迎えてくれているかのようでした。そこで私は、もう、腹をくくるしかないと思って受験に臨むことができました。おかげさまで合格しました。初めて行った場所なのに、どこかなつかしい感じがするのも善光寺の特徴で、オフクロ的だと思います。

金 昌植です。
子供の頃自分はよく無茶をして親に叱られたのですが叱られたときの父と母を比べると言葉の重みが明らかに違いました。どっちも言うことは変わらないのですが、母が自分に強く説教するのに対して父の場合物うるさく喋るのではなく冷静かつ簡潔に話をし始めるのです。その言葉一つ一つには迫力があり、恐怖を感じつつ寛大的で和らいだ側面を持っています。善光寺を初めて訪れたときその迫力にあっけに取られました。しかし中に入ってみるとそれらは過去のものとなり新しい発見へと繋がります。それは過去の自分の悪い価値観を排他するものであります。自分も善光寺に三回訪れましたが行くたびに善光寺の存在が深く心に響きまるで説教をされている気分です。このように迫力があり周囲を寄せ付け他を浄土させ排他させるところから善光寺は親父建築であると思います。

私は善光寺は親父的建築だと思います。
私が初めて善光寺に行ったとき、あんなに大きな木造建築は身近になかったし見たことがなかったので、屋根や柱の組み方、意匠などを見るのがとてもおもしろくて、ずっと善光寺の周りをぐるぐる回りながら見入っていました。見ていて全然飽きませんでした。かなり圧倒されて、毎日通いたいと真剣に考えていました。もちろん不可能でしたが・・・。
そんな善光寺からは、どこにあるの、それ?という印象はまったく受けません。私の中で善光寺はドーンと構えていて、とても魅力的で、長野市=善光寺というくらい存在が大きいのです。だから、善光寺は私にとって親父的建築です。

こんばんは、遅くなってすみません(/_;)

私の家は父が強い!!叩くのは母で、父は手をあげた事がない。強く叱るのも始めに怒るのも母だ。小さい頃、母は鬼であり父は善人だと思っていた。しかし大きくなるにつれ母は誰よりも私を考えていてくれてどんな時も受け入れてくれる事がわかってきた。父は頑固で受け入れる寛大さがない。私達はいつも父の機嫌を伺っている。
さてさて善光寺をどちらかにわけるなら、親父もオフクロも人間で、時と場合で色んな面を持つため言い切る事は難しいが、善光寺は親父だ。多くの参拝者を受け入れ、様々な宗派の人々に信仰され、オフクロだと思いがちだが、整然と敷き詰められた石畳、キレイに並んだ店並、宿坊。どんと構える本堂。威圧感のある山門。とても踏み入れがたい。善光寺にいると訪れている・お邪魔している感がある。上にも出ていたが善光寺の周りの町並などは親父の機嫌を伺い、従っているようだ。授業で出た親父建築のイスは善光寺の石畳や本堂などのようだ。親父建築は美しい!

善光寺は、お袋的だと思います。
初めて善光寺に行ったとき、どこからどこまでが善光寺といわれる場所なのかわかりませんでした。
善光寺は高校生などの通学路でもあるようで、たくさんの高校生もいました。
犬の散歩に来ている人などもいました。
善光寺を見るために来ている観光客の人たちも、通学や散歩の通り道として来ている人などをみんな受け入れてしまうあの雰囲気がお袋的だと思います。
寺というよりも、公園のような場所に思えます。
寺というものに対してそれまで私が持っていたイメージは、参拝するために行くところというかたいイメージです。
寺には、目的が無ければいく場所ではないという気がしていたので、親父的な存在のものでした。
けれども、善光寺には、参拝するとか、観光するなどというはっきりした用事がなくてもふらりといける雰囲気があります。
幅の広い階段や、本堂までの広い石畳や広い礼堂などが、そんな雰囲気を作り出しているのだと思います。

現在の善光寺はより多くの人に、より良い形で参拝してもらおうという配慮のもと、本堂部分に、中陣、外陣が増設されてできたものです。このことを踏まえると、外部に対して開放的で、いろんな人や物を受け入れようという姿勢が見られるため、一見包容的なおふくろ的建築に思えますが、これは善光寺側の考え方や方針であって、善光寺という建築物の特徴ではないと思います。やはり、善光寺は寺院という宗教建築であるので各部屋、各空間には宗教上の役割があり、そのための装飾や形状、ボリュームがあるのだと思います。よってその空間がもつ宗教上の秩序を乱すものは受け入れないし、たとえ持ち込まれたとしても、決してなじむことは無く不自然であると思います。さらに、本尊のある内々陣には一般の人は踏み込めないうえ、わずかな光さえも持ち込むことのできない「おかいだんめぐり」というものもあります。よって、以上の排他的な要素から僕は善光寺は親父的建築に当たると思います。

 僕が長野に来るまでのイメージでは、善光寺は親父的でした。それは「善光寺」という単語の通り、歴史の教科書に載っているような仏教寺のイメージしかなかったからです。寺といったら宗教的なイメージで、独自の信仰を貫き通し、他の宗派と隔絶しているとゆう頑固な感じがします。だから以前僕の持っていた善光寺のイメージは親父的だと思います。

しかしそれは、正直、善光寺がそれほど有名な観光地だと知らなかったからだと思います。長野に来て善光寺が長野の代表的な観光地だと知り、実際に行ってみると多くの観光客がいるのはもちろんですが、宿泊施設もたくさんあることを知りました。これにより僕の考えは変わりました。
「観光地」「宿泊施設」という、人々(どんな人でも)を受け入れる準備ができていることから、善光寺は頑固な親父的と反対のオフクロ的だと思います。

京都造形芸術大学・神山義浩

寺にはまず直線的な道が存在する。いきなりお堂には行かない。
今まで見てきた京都にある寺も大小あるものの必ず道があった。

寺院建築の持つ魅力というのは多分「軸力」なんだろうと考える。
善光寺に繋がる長く直線的な参道もその「軸力」を可視化しているとも言えないこともないが、それよりも善光寺という存在が周辺環境に対する一つの基準に成っており、住む人、訪れる人はどこに居てもこの善光寺という存在を意識するような街がここにはあるということである。
これは、建物が持っている形態、存在感、景観など多くの要素が長い時間を経過し、歴史を刻み、我々の時間的感覚を超越している為で、その存在全てにおいて我々の許容範囲を超えているということにこの「軸力」は裏付けられていると考える。
この「軸力」ということで考えると善光寺は一家の柱である『オヤジ』。そして、この軸を基準に作られた街や景観は家族を支えるという意味で『オフクロ』。更に、この街で遊び、初詣や2年参りの時にしか善光寺に行かなかった自分達は『コドモ』なのだ。

辻真由子です。
私は善光寺は親父建築でもあり、お袋建築でもあると思います。
まず、親父建築であると思った理由は、善光寺自体は、見た目が大きくてずーんとしていて、昔からそこに変わらずずっとあるという感じと、修復することはあっても、何か新しく付け加えられたりされてないことから、親父特有の威厳と似たようなものを感じるからです。また、今は修理されていて見ることはできないけれども、あの大きな門からも同じような雰囲気があって親父建築だと思いました。
次に、お袋建築であると思った理由は、善光寺の周辺の様子からです。善光寺にたどり着くまでには、ソフトクリーム屋や、おみやげ屋、旅館、などなど善光寺に関係ないものもたくさん取り巻いています。しかし、それらも善光寺参りに来たお客さんたちにとっては、善光寺に行った思い出の中に善光寺と一緒に入っていると思います。そのことから、善光寺は自分に関係のない周りのものも受け入れてるところからお袋建築であるとも思いました。

3年の中井大海です。今更すみません。
自己を高めたく思い、再びこの講義に参加したくなりました。今回から他の3年生同様コメントのみ参加させていただきたいと思います。

親父とは何かまず考察してみると、親父は全てのモノを拒絶するわけではないことに気づく。きっと親父の理想に合っていれば、どんなに頑固でも受け入れてくれると思う。先生の講義ノートにも“その空間にはその空間にしつらえられているもの”は受け入れられるとの記述がある。ということは親父的空間が受け入れるモノにはデザイン等において、厳しい制約がかかっているのではないか。
これを当てはめてみると、都市計画における善光寺のあり方は親父的となる。
長野にとって善光寺は言わば象徴のひとつと言える。都市計画において必ず考慮される要素だ。現在善光寺前の参道は歴史的町並を再生、保全するようなデザインで開発され、良い景観を作り出している。それを誘発したのはまぎれもない善光寺という存在であって、逆に善光寺が制約としてその町並に現れている。きっとあの場所にはあからさまなRC造・ガラスの建築などは受け入れてくれない。

04T3069B
結論からいくと、善光寺は親父だと思います。
親父建築の代表、篠原一男氏の建築はexclusiveであり、その空間には他の混入は許されない。そしてその必要以上の大きな空間は美という概念に直結し、それそのものを芸術と評されたのである。これは善光寺にも当てはまるのではないかと感じます。つまりは元来、仏様のために用意された必要以上の空間はその歴史性とも相まって、現代では善光寺の空間的設え自体が一つの芸術作品として用意されたかのように蘇っているのではないかということである。先の方々の文面を読んでいくと〝テーマパーク性がオフクロ〟という解答が見られるのであるが、もしかしたら現代人はあの芸術性に知らず知らず勝手に惹かれているだけなのではないか。古建築はおおかた空間に価値のヒエラルキーをもたせているので規律的親父との思考が成立するが、善光寺はさらに現代に芸術性を刻印しながら生き続けている厳格的親父なのかと考えます。

遅刻コメントで申し訳ありません。

坂牛研究室M2の芦田貴文です。今回からはちょっとシステムが変わって、坂牛先生のTAとしてM2が批評し、さらに坂牛先生が批評するということになりました。ですから今回はコメントを批評する側として参加いたします。よろしくお願いします。
 ところで昨日は研究室の人たちとパスタを食べにいったのですが、四皿注文する中で、普段食べないものを食べようという話になり、一番オーソドックスめっちゃ普通でありながらあまり注文しないミートソースを逆をついて注文しようということになりました。そこに単純な驚き発見があるのでは、と期待しましたがやっぱりいたって普通でした。今回の課題を読ませて頂きましたが、似たような回答が多いという印象を受けました。このモノサシの課題では、普通に考えることを書けば70人も居ればだいたいかぶってしまいます。だからといって荒唐無稽なことを要求されているという訳ではありませんが、モノサシの課題では決まった答えは始めから用意されていないので、逆を突いてみたり凄く抽象的かつシンプルにしてみたり、いろいろやってみてほしいと感じました。では本題に入ります。

 善光寺は街に対して圧倒的なボリュームをもっていて、見るものに訴えかけるものがある。しかしそのボリュームという要素を取り外すと建築自体はなにか形式的な要素をもったものだということがみえてくる。
 ところで、今回の講義では転写がひとつの要素としてあげられた。表参道にある伊東豊雄のトッズでは、ケヤキ並木の抽象的要素を転写して外皮に取り込んでいたのである。善光寺のひとつの特徴として、神山さんのコメントで指摘しているように約2kmもある表参道という軸があり、その表参道では“善光寺らしい”街並みがあったりする。その街はなにかしら善光寺の要素を引き受けており、つまり善光寺は参照されることを許容している。だが街はその要素を引き受ける許容性を持ったせいで、街はお袋的というよりむしろ逆に排他的な親父街を形成しているといえるのではないだろうか。界隈にある建物のデザインにある種の“気遣い”がみられるのも、善光寺ではなく街の排他性にある。川端さんのコメントでは、まわりが善光寺に合わせているといい、“善光寺はまわりのお袋に支えられている”と指摘したが、私はそのような周囲の建物達が超頑固親父で、善光寺自体はきつめのお袋だといえるのではないかとおもった。
 善光寺をその回りとの関係性で捉えた川端さんの視点はおもしろいとおもったが、そこでおわってしまっていると感じたので、今回の芦田賞はなし。

芦田君ご苦労様。
しかし、芦田賞なしはまずいでしょう。自分でもよく無しを連発するので余り人を攻められないのだが、是非芦田賞を探し出して欲しい。
確かに今回は短い文章を要求したので、勢いみなの答えは消化不良か皮相的、あるいは普通である。それでもそういう中から光る言葉を見つけ出し、磨いてやるのも選者の役目である。
そこで皆のコメントを一通り読まさせてもらった。善光寺を親父と呼ぶのは比較的一般的である。この手の建築は親父的になるはずである。というのは個性の強い建築は他者と齟齬を来たしやすいからである。
だからオフクロ的というのはその裏をかくものなのだが、どういうわけか、そのオフクロ性を宗教的問題で語る人が多かったように見受けられる。しかしここではそれをもう少し建築的に語って欲しい。そこでそうした意味での光る言葉を捜したが確かにない。
そこでやや建築的ではないのだが、「おかん」と「善光寺」を繋げた染川君の話に注目した。情報通のおかんが登場し、寺とは人の集まるところであり、そこには情報が集まる。それが自分のおかんによく似ているというのが話の筋である。この話が比喩として楽しいのはさておき、寺の本質を情報の終結地と見抜きそれを我が家のおかんと類比的だと比喩を用いたレトリックが良かった。多宗教であることは寺の方針であり建築とは関係がない。しかし、情報が終結するという事実は一歩建築のフィジカルな環境に近づいているのである。しかしそれでも建築と情報はかなり違う。情報はソフトであり建築はハードである。しかし情報はハードに変身することも多い。染川君のあげた食べ物しかりである。そこに実は雑多な民衆の文化が集まってきたのではと想像する。そうした意味で寺をオフクロ的であると言うことには他の人にはない新鮮さを感じた。
今回は芦田賞を出すので坂牛賞は無いのだが、染川君のコメントはどんぐりの中では少し光るどんぐりであったと感じた。

早稲田大学・立川創平です。

僕の個人的な勉強のために、全ての回答にコメントを書きました。
下のページに書いてあります。よかったら読んでみてください。
生意気なことを書いてありますが、留年しているダメダメ学生のコメントです。
許していただければ幸いです。反論もどうぞ。

http://blog.livedoor.jp/damekenchiku/archives/832017.html

*坂牛先生へ
勝手に申し訳ありません。自分の回答がどう読まれたかというのはみんな気になるところだと思うので、僕だけでもちょっと書いてみようと思った次第です。またこの講義は復習が非常に重要だと考えていますので、多少そのきっかけを作ってみようと思ったのも理由です。お許し頂ければ幸いです。

坂牛先生、そうですね、しっかり任を果たします。
 今回はお題が具体的なひとつの対象であったので、個々がどういう視点場から善光寺をみたのかという所にそれぞれコメントの違いが現れていた。善光寺自体をどうやってお袋というか、というものがもっとも多かったと感じたのだけれど、坂牛先生の指摘するようにやはりそこで建築的に語って欲しかった。ソフト的な面からのアプローチが多かったか。ほかにも構造に着目しているものなど、いろいろ感じるところはあった。しかし選び出すためには坂牛先生が展開したように明快な後押しを必要とする。そのなかで川端さんのコメントに着目した。親父性をもつ善光寺を取り囲む街にお袋という比喩をつかい、善光寺とどう対峙するかの立場を表明しようとしていると私は読みとったからである。善光寺自体ソフト的にも建築的にも個性の強い存在で、話によるとまだ何百年ももつ建物である。だが移り変わらない善光寺を設計することはなくとも、移り変わっていくその回りの建物を設計する事はあり得るだろう。現状において、周囲にまで影響力をもつような圧倒的な力をもつ善光寺が親父的存在で、まわりがお袋としたい気持ちは理解できる。だが、実際に界隈の建物を設計するとなったとき、親父に対するお袋として設計することがいいのかどうか。そのような場面に出くわしたとき、その街や建物は本当にお袋として立ち現れてくるのだろうか。建築のモノサシは、建築を見るときの尺度であるとともに、つくるときに自分はどの位置で設計するかを表明するときの尺度でもある。飛躍的な部分はあるが、川端さんの視点には設計する側に立ったときさらに深めていけるきっかけや気づきを持っていると感じた。
川端さんを芦田賞とさせて頂きます。

 立川さんのいうように他の人のコメントを読むことは、とても大切なことだと思います。2年生にはこの講義を通じていろいろなボキャブラリーを手に入れて、そして最終的には自分のモノサシにできるようになっていただけたらと思います。そして私もすごく勉強になりました。
また機会がありましたらよろしくお願いします。

立川君ありがとう。2年生は是非彼のホームページを見るといい。自分の文章がどう読まれているのかを見るいい機会だと思う。
しかしこういう反応をしてくれるのは嬉しいことだ。しかも他大学だということが嬉しい。これからはどんどんインターユニヴァーシティーで大学の垣根など飛び越えていくことが望ましい。どうせ卒業したらみんな同じ土俵で勝負することになるのだし。

立川さんコメントありがとうございます!!!立川さんのコメントに『意図を発見したとたん、オフクロは親父と化す』とありました。自分の言いたかったことはこれだったのか!!!……??と思ったのでもう一度考えました。暇なときに読んでください。

皆さんのコメントを見て気づいたことがある。火災が起きすぎている。人々が厚い信仰心を持つようなところがこんなに燃えていいものか。戦国時代に戦火に巻き込まれたこともあるが、江戸時代になっても燃えている。現代の話になると、私の友達はびんずる様の前で歌いながら踊りだした。普通の寺であんなことはできない。つまり人々の緊張が少ないのではないか。それはきっと建築的に緊張をなくすスキがあるのではないか。
まず、開口部は大きいとは思わない。むしろ小さい(?)のではないか。小さいことで内部のあの閉鎖性(包み込まれる感じ)が出ている。つまり、シェルターとしての建築の要素を持っているのではないか。確かに、江戸時代に内陣はお籠もり=泊まって祈ることをしていた。次にボリュームである。本堂は確かに大きい。しかし大きな寺院は沢山あるだろう。しかし、善光寺本堂は内部に入ってからの高さ方向の空間が大きい。普通のお寺は祀ってあるご本尊の頭に合わせて天井がある。そうしないで無駄に天井を高くするとご本尊が小さく見えてしまう。
ここで善光寺のスキの所以が見えてくる。ご本尊である一光三尊阿弥陀如来様が見えない(あるのかどうかも怪しい…)のである。もし如来様があったら、如来様のシェルターとしての役割が一番であるはずである。しかし、どう見ても本堂は人へのシェルターであって、その中に神の空間があるような感じである。さらにもし如来様があったら人々は、その空間は見えるけれど絶対的に立ち入れない所ということを意識的に感じるだろう。その空間を如来様を持たない善光寺本堂は、高さで作り出したのではないか。これは如来様を持たないからこそ出来たのかもしれない。
つまり、極端に簡潔に言うと寺院っぽくないのである。それがスキの原因ではないか。
次に、「実はすごい」と思った点は地震柱だけでは無かったことである。現在修理中の三門は参道から善光寺に向かうと本堂を隠してしまっている。しかし、三門を抜けるときの本堂の見え方が計算されつくしているらしい。修繕が終わったらみんなにも体感してほしい。言われてみればすごいかも…というのが体験できます。しかも、あの三門は鳥小屋として作られている。本堂に巣食う鳩たちを引き離すための苦肉の策だそうだ。そうすると、善光寺が寺っぽくないことも宮大工たちの仕掛けたトリックなのではないか。
まるで、ご本尊がすごくありがたいかのように見せるために建築がものすごくがんばっている。もちろん「建築がすごい」と思われてはいけないので建築がすごいことがばれないようにしているのではないか。
つまり、「実はやっぱりすごい」と思うのはそのトリックに気づいただけであり善光寺自体はその前も後もすごい。その計算にはまらない人はいない『親父』建築ではないだろうか。

すいませんすごく長くなりました。当面の目標は決められた字数にこの内容をおさめることです…。

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