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第八講お題

やはり年始のお参りをしないからだろうか、コンペの結果は×。
ある年、年始のお参りを3回して何とかコンペに入りますようにと拝んだ時があった。その年は2つも入ったのであった。まあヌーベルも最初の大きなコンペに選ばれるまで100回落ちたし安藤しかり。まあ3度の飯のようにやるしかないのでして。

さて、今日の話は結論はない。でも何らかの形で後天性を許容する建築を作りたいという希望だけ語って終わりというところである。そこで今日のお題だが古い建物だけれど現代のニーズにあったとても新しい空気に満ちた建物(それはコンヴァージョン:機能を変えてしまう場合もあるし、単なるリニューアル:内装等の刷新の場合もある)をあげて説明しながら、その原因は何か解説してください。

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コメント

04T3001C
赤羽 利哉
 講義の最後に坂牛先生が話していた楽譜の話にはとても興味がもてました。「同じ楽譜であっても音楽を奏でる人によって何通りにも解釈ができ、時代に関係なく多くの人に受けいれられる。そんな楽譜に似た建築をつくりたい。」その言葉を聞いたとき私には一つだけ思い浮かんだ風景があります。それは地元(長野県駒ヶ根市)にある光善寺につながる通路で、多くの大木の中に少しだけ見える光善寺の景色はいつ見ても心からこれは素敵だと感じることが出来ます。この感情が先生が今回求めている後天的のものとなるかは自分自身疑問でもあるが、昔の建物が作る空間が現在生きている自分に対して毎回行くたびに繰り返し感動を与えてくれるという点では後天的ととらえても良いのではないかと思います。
なぜ自分がこの景色に対して感動を毎回するか考えた時、毎回見る景色が違うというよりは、その建物を含めた空間が自分に対して同じものを与えてくれるからではないかと思います。自分にとっては同じでも、他の人にとっては全く違うと思います。もしかしたら何も感じれない人もいると思います。しかし、多くの人に何かを与えられる建物は楽譜のように永遠に後世に伝えられていくのだと思います。

03T3068A
 梨本耕平


古いものに新しい要素を入れることで新しい価値が生まれます
また時代ごとに価値観は変化し、昔のモノは現代において新鮮なモノともなり得ます
そして新しい価値は時代を反映して絶えず生まれていくものです

一昔前までは消費は美徳のように考えられ新しいもの、最先端のモノというようなものに人々は価値を見いだしそれがその時代のステータスのとして機能していたと思います
そんな頃に古いものを再生するということは卑下された価値として扱われたものだったのではないでしょうか

現在地球上の様々な問題が明らかとなってきたことで、人々は環境に対して意識を向けるようになり、環境の再生、リサイクルといったことが当たり前のことのようになってきており、このこともある種のステータスのようになっていると思います

建築がその時代を表すモノだと思うのですが、このような時代ごとに生まれる新しい価値を反映したのが再生といわれるモノではないでしょうか
そして、今の時代ではそれがただのリフォームではなく再生という新しい価値のもたらすステータスとして確立されたと思います(リフォームでなく再生という言葉を用いていることがある種の価値を表しているように思う)

また、それまでの終わりのない価値の追求から、それとは異なる新しい価値を見出そうとすることも必然だと思います。そして、時代の変化とともに終わりのない最新の価値が見出されていき、新しい価値の一つとして再生という価値が生まれたと思います

建築にしてもなにか他のことにしても、すべてのことは本質的に同じようなことの流れが繰り返し行われてきているように思います。いずれ再生という考えに目新しさ、新鮮さが失われたときに、これまでのような価値が繰り返されるのではないのでしょうか

04T3033A 草間康至

課題に対する建物として京都市立美術館を挙げたい。その外見も中身も古めかしい雰囲気の建物だ。しかし、そこにある作品はその時期によって違っており、夏にはルーブル展や関西の最近の作品を集めた展覧会が開かれていた。建物は古いかもしれないが、その中にある作品は新しい。そういった作品は凄く新鮮で新しい空気を持っていると思う。ルーブルなどは作品こそ古いかもしれないが今を生きる人達の目を楽しませる。そして作品を直に見たことのない人にとっては新鮮といってもいいだろう。「未見」のものはその人の中に、「未知」のものはその場所に新しい空気(空間)を作り出す。
そうやって期間毎に展示する作品を変えていく美術館は新しい空気に満ちた建物といえると思う。数ある美術館の中で私が行ったことのあった京都市立美術館を一例に挙げた。

04T3069B 樋川 俊樹

 今回の授業の最後に設計図と五線譜の違いが話された。僕自身、音楽活動は幼い頃からやっていて、過去建築と音楽について考えたことがあった。それは建築と音楽は似ていると思ったことから始まった。「未完である」という点。まだ設計の経験は浅いので独断かもしれないが、設計に完成はない気がする。何処をもって完成なのかまだ分からない。時間があれば考えることは山ほどあるだろうしエスキースにも終わりはない。提出日がなければ・・・。現段階では期限に合わせてどこまでやれるかだと感じる。同様に音楽も完成が不明瞭なところが見受けられる。作曲者がコンセプトを五線譜に書きつけ作曲を終了してもそれは完成ではない。なぜならサウンドとして具体化されていないからである。では演奏されて完成かというとそうでもない。時代とともに演奏する人とともにリズムなどは変化する。ベートーベンの時代のドレミは今のドレミよりももっと低かったとも聞いたことがある。音すら時代によって変化してしまう。こうして音楽には永遠に絶対的な完成はないのだと思うのである。
 しかしこの未完成こそが後天的であるのだと僕は感じた。そこで今回僕が例に挙げるのはガウディのサクラダ・ファミリアである。この建物はご存知の通り、数百年間工事し続けている未完の建物である。完成してない建物に関して後天的というのには少し的外れな感じもするが、未完成だからこそ、過去から永遠に変貌していく建物、時代の変化と共に常にそこに生きる人たちの神への賛歌がこの建物の空間=時間を変容させていくような可能性を持った建造物としてサクラダ・ファミリアは創造されているのではないかと感じる。

04T3101K 和田隼人

LEE UFAN(リ・ウファン、1936年韓国慶尚南道生まれ)は、韓国で儒教にもとづく伝統的な教育をうけた最後の世代に属するアーティストです。「作らない」で「作る」こと。李禹煥は、このむずかしい課題に、30年以上もとり組んできました。ではなぜ「作らない」で「作る」が課題になりうるのか?それは、作品を作者による導きからできるだけ解き放ち、その作品に起こるであろう世界の未知性との出会いをよりストレートにもたらす事に価値を求めていたからです。このことは建築についても同様に言えることです。先天的なものは作者による主観への導き(=こう住んでもらいたいだとか、こんな建物に育っていってほしいという気持ち)、後天的なものは外部の未知性との出会い(=刻々と変化する窓の外に広がる景色など)です。後天的なものには常に新たな出会いがあるはずです。そこには作者の主観など入る余地はありません。その出会いを、「作らない」で「作る」ことが建築家の役目なのかもしれない。と、今回の講義の話もふまえて思いました。
 課題に対する答えとして挙げたいのは、現代アートギャラリー「SCAI THE BATHHOUSE(スカイ・ザ・バスハウス)」。東京都台東区の谷中で200年以上も人々に親しまれてきた銭湯「柏湯」がギャラリーに中身だけ改築されています。銭湯が持つ「コミュニケーションの場」という役目を引き継ぐ空間として、ギャラリーへの改築を決めたそうです。谷中界隈の雰囲気に溶け込んだ銭湯の外観はそのままに、中は最先端の現代アートのギャラリーというユニークな展示空間。どう考えてもミスマッチだけど、なんだかしっくりくる。それは「コミュニケーションの場」という一つの機能を共有しているからこそ生まれる連続性であり、安心感。このような点が、現代のニーズにあったとても新しい空気に満ちた建物である所以なのではないかと思います。

04T3044G 篠原 昌寿
 私が選んだ建物は、野沢温泉「住吉屋」です。通称「村のホテル」で親しまれています。住吉屋との出会いはTVです。デザイン論の今回のお題を見て、どういう建物があるだろうと家でTVを見ながら考えているときにこの「住吉屋」が紹介されていました。始めは外観の紹介でした。私は「いい感じの純和風な古い建物だなぁ。」と第一印象に感じました。しかし、建物の中の紹介を見たときに何か変な感じがしました。確かに和風で古い感じはするのですが、ところどころ現代を感じさせる部分がありました。例えばロビーでは形自体はそのままですが、色の使い方や、どういうものを置くかによってモダンな感じを表現していました。「住吉屋」はモダンに感じれるとこも売りにしているそうです。野沢温泉は長野県内で近いので一度本物を見てみたいなぁと思いました。

04T3091J
安江昌晃

 今回の課題の例として長野県の旧開智学校を挙げたいと思う。旧開智学校は、1873年(明治6)に開校し、昭和38年(1963)まで、90年間にわたって使用されたわが国でもっとも古い小学校の一つであり、現在は、国の重要文化財に指定されている。
今となっては使用されてはいないが、その姿は新鮮に思える。
瓦葺きの木造2階建ての建物は、白い漆喰の外壁と唐破風造の玄関の上に八角形の望楼を載せた擬洋風建築である。普段は、あまり見かけない建物だと思う。そして、見かけないからこそ新鮮に思えるのだと思う。
つまり、普段、見かけないものは新鮮であり、新しい空気に満ちている。それは、古い建物の場合、その古い空気が、いっそう新鮮に感じられると思う。

04T3067F 野原麻衣子

 今回の課題は、古い建物だけど現在のニーズにあったとても新しい空気に満ちた建物、ということですが、それはウェディングの空間だと思います。
 結婚式は本来神前、仏前、キリストなどに分かれ、それぞれ神社、寺院、教会で結婚式を行い、別の場所で結婚披露宴を行うのが一般的…だそうですが、最近の日本のウェディングも欧米に影響されてかユニークなものになっていると思います。最近ポピュラーなのはホテルなどの披露宴会場に併設してある結婚式場に、神主さんや牧師さんが出張してそれぞれの儀式を行うというもの。しかし、なかには変わったカップルもいて、テーマパークで結婚式を挙げたり、ネットでも浜松城で結婚式!なんていうのもみつけました。流氷で結婚式を挙げた、というニュースも見たことがあります。最近人気のレストランウェディングというのも、本来食事を提供する場として先天的につくられた空間に後からくっついてきたニーズです。また、ちょっと感激したことは池袋のF・L・Wrightがつくった自由学園明日館のホールや講堂でも挙式が可能で、さらに食堂で披露宴までおこなえるそうです。また、原爆犠牲者の慰霊と世界平和を祈念して建てられた教会、世界平和記念聖堂も教会なのでもちろん式を挙げることができます。一瞬不謹慎なのではないかと考えましたが、そういった祝福で満ちた空間をつくりだすことによって、それも慰霊の一種になりえるのかなと感じました。
 古い建物がウェディング会場になることで新しい空気がながれる空間になる、リニューアルなどをしなくても新しい空気をつくることができるウェディングの力はすごいものがあると思います。それは、結婚式という神聖な儀式のバックになることでその空間の価値がさらに高いものになるからだと思うのです。

04T3039A
小林 健太

安藤忠雄の「光の教会」や「風の教会」について考えました。
まず、光の教会とは大阪府茨木市にある教会です。この建物は壁から十字に切り取られた光がスリットから突き抜けてくる感覚で静かな空気を漂わせている空間です。
次に、風の教会とは兵庫県神戸市にあり、別名、六甲の教会と呼ばれ、この建物は六甲オリエンタルホテルの庭園内にあります。
今回の課題に対して、僕は教会を考えました。昔では本来、教会というところは神を礼拝するところとして建てられていました。しかし今現在では、当たり前のように結婚式を行うという目的が大きくなってきていると感じます。そのことを考えると、建てた時の目的とは変わってきているということで後天的ではないのだろうかと思います。

 今回の課題に関して私は賀茂御祖神社(下鴨神社)を挙げたいと思う。
 今年の夏、私は下鴨神社に行ってきた。糺の森の中にある参道を進んでいくと朱色に輝く楼門が見えてくる。その光景はとても落ち着くもので、どこか新鮮に感じる。都市化の進んだ現代ではあまり見られない光景、だから新しく感じたのだろう。
 下鴨神社は京都の町の中にぽつんと存在している。京都にはこのような寺社がおおくあるが、糺の森とセットで世界遺産に登録されている下鴨神社は格別である。あの心落ち着く空間と光景は、現代建築にはないもので、求められているものではないだろうか。
 寺社などの昔の建築は都市化の進んだ現代ではあまり見られないものである。多くの人が毎年、各地の寺社に訪れるのは、何か非日常的な新しいものに触れようとしているからではないだろうか。だから、古い寺社などは現代のニーズにあっているのだと思う。

学籍番号忘れました。
04T3073A 藤江将史です。

04T3031E
金 昌秀

「城」というのは、王様やお殿様といった昔どこの国でも最も地位の高い人物を守る、象徴するために建てられたものである。
しかし現在では、その国の財産として多くの観光客が訪れる観光地に変わっている。
ではなぜ、城が今になっても、多くの人たちに受け入れられているのかというと、その城が持つ多くの歴史と、それを象徴するその城の風格が、多くの人たちに感動を与えるからではないのかと思う。よって、城は後天的ではないかと思う。

04T3014E 岡崎友也

 空間が新しくなるための要素として考えられるものの一つに、建築材料が挙げられるだろう。昔は、例えば石造りや木組みなど主に自然素材をそのまま使った重厚感のある建物が一般的だった。技術の進歩に伴い新しい素材が開発され、構造的自由度が飛躍的に向上したことが新しい空間構成に大きく関わっている。兵庫県の芦屋市立打出教育文化センターという建物を見たときにこのように感じた。
 この施設は元来、芦屋市立図書館で当時は西洋風石造りの旧館のみであった。その図書館の外壁はそのままで内部のみリニューアルし、さらにすぐ隣に鉄骨造で一部にガラスカーテンウォールを用いた教育関連機関を増築して新旧の2棟を融合させている。さらにエントランスには和風の門が保存されており、“何でも折衷”的な現代日本の風潮をよく表しているようである。
 それぞれ異なった性質を持つものが混ざり合うとき、他者との対比がより鮮明になるため独特な雰囲気を持つ空間が形成される。それは外部と内部のギャップ以上に強く感覚的に訴えるものであった。

04T3055B  武智 三奈
 ある雑誌を見ていると、東京の『西谷荘』というのが紹介されていました。西谷荘という所は二階建ての木造の古いアパートです。そこではアートを志す人達が共同生活をしていました。個室、Mac部屋、暗室、共同部屋、アトリエとわかれています。何かとお金のかかる芸術家志望の人達には、とても魅力的なようです。他にも、工場跡地など、アトリエ付住まいとして利用されたりしています。そこには芸術家志望たちのニーズの上昇と、土地、家屋の下落という背景があります。その他に、高知市に『沢田マンション』という建物があります。「100所帯入れるマンション」というのを目指して、夫婦二人で、30年かけて建て増ししていったようです。『新築された沢田家。ところがどっこい、お風呂がない。「おとうちゃんがお風呂をつくるのを忘れちょった」と娘さん。が、翌日学校から帰ってくるとお風呂は出来上がっていた。』というエピソードがあります。高齢者や障害者が多く住むようになるとスロープが取り付けられました。ここ数年は、20代の入居が相次いでいて、トキワ荘のようなコミュニティが息づいているようです。
 西谷荘も沢田マンションも見た目、美しいとはいえません。西谷荘で考えると、住民にとって、住、という要素はたいして問題ではないのだと思います。設計者よりも利用者のニーズや社会背景というものが、建築を後天的にさせるのだと思いました。沢田マンションはどうか、と考えると、設計、施工者の沢田さん夫婦の人柄、そして夫婦がみんなに愛されているということが今の沢田マンションに溢れ出ていると思います。100所帯という目的を考えると先天的ですが、住民に合わせて後から手を加えることを考えると、後天的で、沢田さん夫婦の愛情が感じられます。後天的だと、設計者というものは、忘れられがちなのかもしれません。しかし沢田マンションは沢田さんが亡くなられた今も、愛され語られています。沢田さんのような人の存在を知ると、建築というものを、考え直してしまいます。

04T3071D
日比野温子
 単純に古いものを壊して新しくつくりかえていくのではなく、残し留めてく事でしか得られない豊かさがある。それは人々が日常に目にする建物の佇まいであったり、町並みの雰囲気といったような感覚的なものからくるのだと思う。新たに建築をつくるにしても、その敷地には時代を超えて積み重ねてきた場所の記憶が存在するのだから、何らかのかたちでそれに応えていかなければならないのだと、今回の講義の後思いました。
 古い建物、歴史的な建物を改修するといっても大きく2つのタイプ;「どこを改修したのかわからないもの」と「既存建物に対し、新しいものを挿入するもの」に分けられる。どちらがいいかは一概には言えないと思うけど、今回の講義における後天的な魅力としては後者の方がより当てはまるのだろう。安藤忠雄・日建設計によって設計された国際こども図書館は、明治の頃に作られた、ルネッサンス様式の国会図書館を改装して、児童書専門図書館にしようという計画のもとに改修されたものだ。内容は改修前と違い、世界の絵本や児童文学、そして子供向けの世界の資料が集められた図書館となっていて、内部はそのまま修復しながらも展示室内に展示用の円筒形の壁が室内に追加されるといった機能の変化が見られる。基本的に明治の頃の姿を復元する形になっているけれど、そこに現代的な要素が絡んでくると面白い空間になると思った。また、外部にはガラスボックス二本を貫入させるという大胆なことを行っている。エントランス側は過去のファサードをそのまま残しながらも新たなエントランスとなるガラスブロックを貫入している。反対側のファサードは完全にイメージが異なり、こちらはまず庭に1本ガラスブロックが伸びてきて、内部はカフェテリアとなっている。これはエントランスのガラスブロックに軸線を合わせてあり、一本のガラスブロックが建築を貫いているように見える。そしてそれよりも強い個性を放っているのがもう一本のガラスブロック。エントランス側と違ってガラスの向こうに過去のファサードが保護されている、という構成になっていて、裏側は現代建築の趣きを持っているという二面性がとても面白いと思う。明治期の欧米に倣った意匠に、ガラスというあえて対照的なものを挿入することによって互いにデザインが干渉し合うことなく引き立てあっているように感じる。
後天的な建築物の魅力は、既存の建物に新たな活気や魅力が生み出されるところにあると思う。時代と時代がせめぎ合い、刺激しあって得られるなかにあるのだと思った。

04T3093E
山田 卓矢
今回の課題に対する例として名古屋市内にある「名古屋市演劇練習館アクテノン」を挙げる。この建築は排水塔から図書館へ、その後に演劇練習館へと用途変更されたものである。この建築は街のアイデンティティのシンボルとして愛されてきた排水塔を残してほしいという地域の住民の声を受けて外観には大きく手を加えていない。演劇練習館では図書館時代に有効活用されなかった最上階の水槽部分をリハーサル室として新たな文化の受け皿として活用することに成功している。それだけではなく、時代とともに用途変更しながらも地域の住民にとっての文化・芸術の発信場所、憩いの場所として利用され続けている。
今回の課題に対する自分の考えを述べると、古いけれど新しい空気を持つためには元々存在しながらも有効活用されなかった要素(空間)を活かしてやることが必要だと考える。例で挙げた演劇練習場で言うならば水槽部分をリハーサル室として活用したことである。今まで見えてこなかった空間を新たなカタチで命を与えたのである。地域住民に愛され続けた外観や文化・芸術の発信場所、憩いの場所として利用し続けるという良い面を残しつつ、そこに新たな空間を生んでやることが必要だと考える。

04T3045E 庄司貴弘
 
 後天的な建物には2種類があると思います。1つは新しく生まれ変わることを予想され、また計画の1段階と考えて造られている建築物、もう1つはもう使わなくなった建物をこの目的なら使えるのではないか、というようにして違う形で利用するようになったもの、の2つです。1つ目の建物はまだ建てられていない時点ですでに形が決まっていて、あとは時期を待つだけ、というかんじのものですが、2つ目の建物には、この目的ならうまく利用できるかもしれない、でもこっちの目的でも…っといったようにいろいろと試行錯誤が加えられ、いわば建築物という材料を使って建築物をつくるといった考え方ができ、僕はそこにおもしろみを感じます。

 そんな建物の1つに「ルネスホール」があります。これは新建築の10月号に掲載されていたもので、もとは日銀岡山支店として使われていました。その建築様式としてはギリシャのアクロポリスの丘に姿を表しているパルテノン神殿を思い浮かばせるような大型の円柱が特徴的な古代ギリシャ様式の建物です。改修するにおいてその外観にはほとんど手がつけれれておらず、裏庭の空間を少し開放的にしてあるだけで文化・芸術の創造拠点となることを目的とした多目的ホールとして生まれ変わりました。日銀岡山支店は大正11年に建設されたため、外国に多くの関心を持ち始めた日本の風潮により銀行ですら古代ギリシャ様式でつくられましたが、現代にはないこの古代ギリシャ様式建築を使うことで、より芸術を表現することのできやすい建築になっています。そのため建物の価値を上げることが可能になり実現したのではないかと思います。

 新しい建築には、芸術を飾るための機能を持たせることは可能ですが、改修には、新しい建築にはできない、古くから伝わる芸術を建物自体に溶け込ませ、より深みのある芸術を見せることがで可能であるように思えます。古典主義とモダニズムが対置・並立することなく、「時間」というものの連続性を生み出すことのできる「つながり」のある後天性建築にはまだまだ知りえない価値があり、そこに大変大きな興味を持ちました。

04T3064A 中井大海
現代社会に求められる建築、それは洞窟のような空間だと考える。
洞窟というと横穴式住居といって大昔に人が住んでいたような場所で、今となっては好んで住む人はいないと思うが、安心感と闇がそこには存在している。そして闇はより自分を、または自分の生きている世界をゆっくりと見つめなおすことのできる空間だと自分は思う。
逆に今は大胆に開口部を設けた開放的な建築が増加しているように思える。開放的空間には自分は自由を連想させる。しかし同時に危険というものも少なからず連想させられる。
最近でも殺人やら誘拐やら詐欺やら、テレビなどでよく耳にする。これに対して自分を保護する空間の必要性が、またそれらの事件を起こす、心が不安定な人がより自分を見つめ直す空間の必要性があると思う。
例としては安藤忠雄の代表作「住吉の長屋」なんかがそれに当たりそう。
これらのことから自分はこの洞窟建築がより新鮮で今の社会に求められる空間であると考える。

04T3018H
奥野耕司

 今回の課題に対し、私は東京駅丸の内駅舎を挙げようと思います。
 赤レンガ駅舎の名で有名な東京駅丸の内駅舎ですが、1914年の開業以来東京駅の顔として使われ続け現在では重要文化財に指定されています。この丸の内駅舎は、多くの人が利用する駅でありながら80年以上前の建物が現役で使われているという、日本では少し異質な建物ではないかと思います。
 この80年の歴史の中には実に様々な社会の変化があったと思います。しかしその中でこれまで守り続けられてきたのは、その独特な形態にあると思います。
 東京駅丸の内駅舎は、日常生活の中に突如として出現する歴史的建造物であると感じます。見ようと思って見るのではなく、自然と目に入ってくる一味違った景観というところに新鮮さがあるのではないでしょうか。

04T3005F  泉 宏子
  
 コンバージョンの例として、ブエノスアイレスにあるウォーターフロントのブエルト・マデーロ港をあげる。
 ここは老朽化に伴い港の機能が他の地に移築されてからの約50年間放置されは依拠と化していた。 今では水路沿いに建ち並ぶ赤煉瓦倉庫はその1階に高級料理店やカフェが、その上階に住宅やオフィスが挿入されたものや、大学が挿入されたものがある。裕福な階層が生活する場所としてのステイタスを獲得している。
歩いて5分もすると都市の中心があり、水路の対岸には新築のホテルや高級マンションの建築群が臨める。このような新しいものの中に、ぽっかりと古めかしく趣のある空間が存在することも人々をひきつける要因だろう。
 古いものには、建築に限らず、新しく作り出せない独特の趣というべきなのか、不思議な感覚を覚えさせるものがある。新しいものにあふれた今、そのような雰囲気を持つものは、希少価値に加えかえって物珍しく新しい感じを与えるのではないか。
 それぞれの都市の持つイメージの中で、古いものを残していくことが必ずしも正しいとはいえないだろう。必要がなくなれば壊されていく建築が多い中、コンバージョン可能な建築を今に残してくれた先人たちに感謝する。

04T3002A阿部裕子

 今回の課題での、古い建物と言うのに反するかもしれないが、私は、トレーラーハウスを挙げたいと思う。トレーラーハウスは、日本では、建物として扱われるか車として扱われるかと言う問題点が有るが、今回は、トレーラーハウスは建物であると考えていきたいと思う。
 車と言うものは、現在普及して、日本では、一家に1台はあるのではなかろうか。そんな車だからこそ、移動できる建物として、ただの車と言うものから生活空間がある一つの新たな空間を作り上げていったトレーラーハウスは、後天的であるのではないだろうか。これは、現代のニーズとして、豊かさがある為、キャンプなどを行ったりする時などに、建物と同様に生活に不便しないような物がそろっているトレーラーハウスを使うという事が考えられる。また、日本では、市街地等で通常の建築物と同様に使用されるなど、その本来の目的とは異なった使われ方がされている場合も多いようで、使う人のニーズに合わせてそれぞれが、遣う事の出来る空間の建物といえるのではないだろうか。この事から、私が新しい空気を満ちた建物として、トレーラーハウスを挙げた。

04T3070F 人見祐策

コンバージョンの例として建物にはどんなものがあるか調べていたところ、ふと熊本県と大分県の県境に位置している波野村にある「なみの高原やすらぎ交流館」が目にとまった。        
この建物は廃校となった古い小学校を宿泊・研修施設としての交流の場として再利用しようというものである。この地域は現在、過疎化の著しい地域であり、人口の減少がひどい。そんな時代の風潮を防ぐ役割をもった建物であるし、都市と農村との交流をテーマとし、これからの地域活性化を望んでいる。
小学校の面影を残しつつも、かつ宿泊・研修施設としての役割がある。機能と景観のこの少しズレた感じが、今までにはない新鮮さを生み出すのではないか。すべてを変えてしまうのではなく、以前に使われていた雰囲気をうまく利用することでコンバージョンにも一味違った深みがでて新鮮さを感じられると思う。都市と農村の交流を考え、地域一体化を目指したこれからの期待と希望を感じ取れる将来性に魅力を感じる。

03t3087g 松岡澄生

ある雑誌で北仲BRICK、北仲WHITEというリノーベーションオフィスの存在を知った。
来年10月まで アーティスト、建築家、デザイナーな等の方々が入居し横浜市の『ナショナルアートパーク構想』の重点地区にあることから市民や横浜市、街を訪れる人々との交流、情報発信の場として利用されている。
 このオフィスに入居しているのは、50組の建築家、アーティスト、デザイナー、大学教授などである。もとは遠藤於菟が1926年に手掛けた帝蚕倉庫の本社である。コンバージョンという形をとり格安で貸され、それぞれに割り当てられた部屋の空間は自由に手を加えることができるという。

新築では考えられない格安で部屋を借り、部屋を自由にしてよいという条件と様々な分野のアーティストが集まりお互いが刺激しあう。また時間の制約というのも条件に加えられさらに拍車がかかっていると考えられる。市の支援、計画もその重要な要素と考えられる。
行き場を失ったこの建物に命を吹き返したにはこの場を必要とした人の存在であると感じる。この建物は歴史という色を帯びて新築には表せない雰囲気を漂わせ、また厳格という入りにくい雰囲気にも駆られ、煉瓦造りでありこの横浜という街の昔の趣を残している感じが街の必要要素として残ったのだろうと感じる。だがこの建物を建てた遠藤於菟はこうなることは予想もしなかっただろう。

04T3015C岡野瑛貴

下に皆さんが書いたように廃校や図書館の再利用やリニューアルで新たな人の集う場所を作り、それを観光名所にし活性化をはかる。

廃校などの建物は、その学校に通っていない人にも懐かしさを与えてくれる。古ぼけてしまった建築物にはその建物にしか持つことのできないものがあるのだ。だからコンバージョンしたとしても人々が集う場としてその建物は活躍できるのだ。
しかしコンバージョンは下に皆さんが書いたようなものしかないのだろうか。私たちのすぐ近くにもこのような建物があるのだ。それは私たちの住むアパート。信大のアパート情報にもホテルをアパートにした物件がでている。
コンバージョンを行うことによってもともとの建物の使われ方とは全く違ってしまったとしても、人々の生活を豊かにすることができる。古い建物にはその歴史の分だけ人々の思いが詰まっているからこそコンバージョンするのではないだろうか。

2年 
04T3081A 三浦 淳史
コンバージョンの事例として埼玉県秩父市の平成の寺子屋「松本教室」を例に挙げる。秩父往還沿いの築約70年の旅館「しんこう亭」の建築は、近年までクリーニング店および洋品店として利用されていた。建物所有者である松本氏は、この建物の裏手で学習塾を営んでいたが、テナントの移転を契機に、ここを学習塾に用途転用することにした。木造2階建で延床面積225㎡の昔ながらの風情ある建築である。教室は2階に配置し1階は土間のギャラリー等として地元住民および観光客に開放している。築70年という今となっては数少ない建築の外観をそのままにして町の景観を傷つけることなく活用している。更に、活気溢れる街づくりを目的として一階を開放し、人と人とが触れ合える場となった。そして、子供たちには学習する場を提供するという今の時代の子供のニーズを併せ持つ建築である。

04T3047A 瀬戸洋平
もともとの形をそのままに、かつ新しいニーズに対応した、というよりも完全に調和した建物として北海道銀行本店を例に挙げます。設計は銀行建築で有名な長野宇平治で、銀行建築独特の重厚さを持っており、玄関や窓周りの石組みデザイン、コーナー部分や窓の間隔の変化などに特徴があります。小樽市の景観をつくっている建物一つだと感じました。
現在は北海道中央バス本社として、ワインカフェ・ワインショップの小樽バインとして使われ営業しています。外観の正面はほぼ創建時のまま残っています。バス会社としての大きな建物と、ワインショップとしての静かな雰囲気がそのまま銀行本社から現代のニーズへと受け継がれ違和感のないものとなっています。コンヴァージョンによって銀行からオフィスへ、リニューアルによってワインカフェ・ショップへとさらに良い建物へと変化したと思いました。

04T3052H
高柳翔太

 私は今回の課題について、パリのオルセー美術館を挙げる。この美術館はもともと1900年のパリ万国博覧会開催に合わせて、オルレアン鉄道によって建設された鉄道駅舎兼ホテルであった。鉄道駅としての営業を廃止後、この建物はさまざまな用途に用いられたが、取り壊しの話もあった。その後、フランス政府によって保存活用策が検討されはじめ、19世紀美術を展示する美術館として生まれ変わることとなった。ではなぜこの駅が最終的に美術館になったかということを考える。駅と美術館は、はっきり言ってそこまで共通点のあるものとは思えない。しかし、美術館にとって必要なものをこの駅は持っていたのだと感じた。美術品というものはそもそも古いものであるという一般的な考えがある。しかしその偉大な歴史の流れを感じるために、時として美術館自体が邪魔になる。美術館があまりに現代風で、美術品のもつ時間と調和していなかったら、雰囲気も半減し、時の流れも感じられないだろう。その独特な古いもののもつ雰囲気というものをこの駅は持っていたのだと思う。その証拠にオルセー駅であった頃から取り付けられていたオルセー名物の大時計も残されている。これは美術館に入った瞬間から時間を感じられるようにと考えられたものであるはずだ。また広さも美術館の重要な要素で、万博のために建設された駅であれば十分なはずである。
 このようにコンバージョンされたものというのは、以前の姿を継承しているのが一番の魅力で、その時間を感じさせる雰囲気というものが重宝されているのだと感じた。

04T3017K 岡本澄香

求められているものとは少し違うかもしれないが、私は古い建物でありながら現代のニーズにあった建物は再生された民家だと思う。
何十年も昔に建てられた古民家には、心をこめて作り上げた大工の想いやそこに住んできた人々の大切な思い出がたくさん詰まっている。これらは日本の古くからの素晴らしい技術とともに未来に受け継いで行きたいものであり、また受け継がなければならないものだと思う。しかし、古くなった民家は、生活様式が少しずつ変化してきた現代において、必ずしも住みやすい所であるとは言い難い。そこで後世にこれらを残していくためにも、民家の再生によって長い間家を支えてきた柱や梁を残しながら、その姿を現代のニーズに合わせた形に変えていく。それは住まいであったり、人々が集まるホールであったりと様々であるが、そこには古くからの想いに加え、新たにそこにかかわる人々の希望のようなまぶしい想いが存在するのだと思う。そしてそれらが古い中にも新しく新鮮で、やさしく暖かな空気をつくり出しているのだと思う。

僕は今回の課題に対する建築物として現在愛知県の明治村にある旧帝国ホテルを挙げる。このホテルは、当時の外務大臣だった井上馨が、首都東京に外国からの賓客をもてなす本格的ホテルがないのは国の恥として、渋沢栄一、大倉喜八郎といった実業界の実力者にホテル建設を勧めたことが契機となってできたという。その後フランク・ロイド・ライトの設計によって東京に建てられ、美しい大谷石や細やかで細部にわたるところまで美しい形などで当時名建築として讃えられた。当時の日本人はレンガやコンクリートを見慣れていなかったためこの建築は賛否両論あったらしいが・・。
現在は愛知県の明治村に一部が解体移築され多くの観光客がホテルとしてではなく旧帝国ホテルの紹介という形で楽しんでいる。
しかしこの今の旧帝国ホテルの形があるのと、この建築物が名建築としてずっと語り継がれていくのは明治の建物でないこの建築物を受け入れた明治村のおかげだと思う。

04T3040D
桜井愛海

その建物がパッと目に飛び込んできた瞬間、私の周りの空気は一気に夏の涼しさに変わりました。

今年の夏休み、私は軽井沢にあるアントニン・レーモンドのスタジオ別荘、「夏の家」を訪れました。この建物は現在、ペイネ美術館として使われています。レンガのような渋い赤色の建物は、緑の木々と芝生の庭に囲まれていてとても涼しげで、「夏の家」という名前がぴったりだと思いました。
中に入るとすぐに、2階へつながるスロープがあります。階段ではなくスロープ。自分の好きな歩幅で進むことができるので、壁に飾られている絵を集中して眺めることができました。1階のいちばん端の部屋は、大きな窓を開け放すと気持ちのいい風が入ってくる場所で、そこから眺める景色にも涼しさがありました。
レーモンドは、日本古来の建築に「近代性=モダニティ」を見出し、風土や地域性にもとづく近代的な合理性を追求していたそうです。さらに「(from) inside (to) out」という考え方で、外から見られるための住宅ではなく、住む人の生活を大切にした、簡素なたたずまいの中の豊かな空間づくりを心がけたといわれています。
この考えは、外形にこだわることなく、より普遍性のある「近代性=モダニティ」を実践しようというものであったと思います。そして、その考えこそが、現代の建築に大きな影響を与える空間をつくっているのではないでしょうか。
それにしても、この建物はとてもペイネの絵が似合っている。そう感じました。ペイネの絵には、愛で世界をひとつにしたいという平和への願いがこめられています。これは、レーモンドの建築への思いと、ゆったりとした時間を過ごし心を落ち着かせられる別荘という建物の要素に似ていると思います。

「建築家として、最もうれしい時は、建築が出来、人が入って、そこでいい生活が行われているのを見ることである。」
これは、レーモンドのもとから生まれた優れた建築家、吉村順三の言葉です。人間の気持ちを取り入れた建築を目指した彼には、レーモンドの考え方が影響しているように思えます。
建築は人の命を預かる産物であるから、後天性に対応することは難しい。難しいけれど、多くの人々の暮らしを大切にすることをいつも心において、後天性に対応できる建築を目指したいです。

04T3065K 中島早央里

私が考えた後天性を感じる建築は北海道札幌市にある札幌時計台です。時計台の愛称で全国に知られているこの時計台は、1878年に札幌農学校の演武場として建設されました。札幌農学校は、北海道大学の前身で近代技術を導入し北海道開拓の指導者を養成する目的で開校されました。時計台は、農学校生徒の兵式訓練や心身を鍛える体育の授業に使う目的で建設されたものです。この夏札幌を訪れ時計台を見たとき、私はそんな歴史を知らなかったのでただ「これがあの時計台かぁ。」と思っただけでした。高校生の頃修学旅行で見た時も同じだったし、時計台を訪れる多くの観光客の中にも同じような人は多くいるとおもいます。時計台について何も知らなくても時計台という言葉は聞いたことがあって、時計台を訪れればそれが人々に愛され、守られてきたということを感じることはできます。今はもう当初の目的であった兵士訓練や心身を鍛える授業に使われていなくても、その存在がたくさんの観光客や地元の人々に認められている札幌の時計台は後天性を許容する建築だといえると考えました。

04T3068D  羽田和彦
 今回のお題の建物は、それは京都などにある有名なお寺全般に言えることだと思う。もちろんどのお寺もかなりの歴史を持っていて、古いことは言うまでもない。現代人、特に都市部に住む人たちは、無機なものに囲まれて生活している。コンクリートの上を歩き、鉄の塊にのって移動する。そういう生活を否定するわけではないが、そういった人ほどお寺を新しく感じるのではないだろうか。古いものを新しいと感じる。矛盾しているが、それはお寺の役割が変わったからではないだろうか。昔のお寺がどう利用されていたのかは詳しくはわからないが、現代では「寺」として出なく「観光地」として見られている。ここが、いつの間にかコンヴァージョンされた部分だと思う。お寺が持つ市街地にはない独特の空気が新しいと感じられ、その空気が現代人を癒し、必要とされているのだと思う。

04T3061G 戸堀一真

現代のニーズにあった建物として、シンデレラ城を挙げる。
まず、シンデレラ城のモデルとなっている城は、ドイツのノイシュヴァンシュタイン城である。これは、1886年に完成した城で、城の内部は、ゴシック様式やルネサンス様式など、あらゆる様式が用いられ、絢爛豪華となっているそうである。この城は、美術館などに改修されているわけではなく、当時の状態のまま保存されている。

シンデレラ城とノイシュヴァンシュタイン城との関係は、モデルとなったものと、デフォルメされたものであるが、両者の大きな差異は、実用的かどうかである。前者は、テーマパークの中の建物であり、後者は、かつて邸宅であった建築である。後者は、確かに現代社会においては、過去の遺産として、大変に興味のあるものであるが、建築として現代のニーズに添ったものであるかは、判断しにくい。
 
シンデレラ城が現代のニーズに添った建築であると考えた理由として、それが城ではなく、城をかたどった張りぼてであるということである。しかし実際のところは、見学できる部分に関しては、再現されているため、城全体が張りぼてというわけではない。見学できない部分に関しては全くわからないため、張りぼてだという考えは、あくまでも推測での話となってしまう。仮に張りぼてであったとしても、その表現は、悪い意味ではない。城内部には、アトラクションやショップがあり、これこそが現代のニーズにあっていると考える。これらは本物の城でないからこそできることであり、ノイシュヴァンシュタイン城内部にこれらを造る事は不可能であろう。
 
時代のニーズは、多様に変化していくものであるからこそ、臨機応変な態度が求められ、それを満たすものが、現代のニーズに添ったものであると考える。だからこそ、張りぼては、厳密には建築とは呼べない建物かもしれないが、如何なることにも臨機応変に答えられる形なのではないかと思う。

04T3074J
藤田真理子

 具体的な建物の例ではないですが、現在、日本で話題になっているコンバージョンは、主に都心部におけるオフィスビルから住居への転換である。相次いで竣工される大規模オフィスによって、都心部に過剰なオフィススペースが供給されることにより、既存ビルの空室が増えると言う問題があります。一方ライフスタイルの多様化によって、都心で暮らしたいと考える人は増加傾向にあります。そこでこれらをマッチさせ、空洞化が進む都市を再生しようと言う発想が生まれました。その手法としてコンバージョンが注目されています。
 以前オフィスビルだったからこそ住宅にしては天井は高く、とても広々とした空間がとれます。いらなくなった建物に新たに命が吹き込まれ、そこで暮らしていく人々に快適な感動を与えることができるのはとてもすばらしいことだと思いました。
 

坂牛研究室 m2 深澤宏

 建築は一つのテクストである。作品の制作者(作り手)と利用者(読み手)が存在し、それの論理が互いに絡み合い、一つの建築物の意味づけが行われる。つまり作り手と読み手がコミュニケーションを行っている。
 そして建築は言葉のような性格を持っている。言葉の場合の記号表現は聴覚映像で記号内容は概念であるが、建築の場合の記号表現は「形態」で記号内容は「機能」である。形態と機能が一対一の排他的な関係にある建築は、環境的妥当性を欠いており現実的ではない。設計者が提示したプログラムを忠実に遂行し続ける理想的な利用者は稀である。人間の持つ不確定な要素を排除して使用者にプログラムの遂行を強制させる建築は牢獄的な建築である。人間は主体性を持って振舞う存在であり、人間が建築を使用するときの不確定な要素は、言語を使用するとき以上に大きくなる。
 建築は設計者から発信されてから何十年も存在し続ける。建築が完成した直後は社会が要求する機能を満たした形態も、何十年か経過して社会が変化したとき、機能と形態との間にズレが生じる。建築の場合、形態は重いのでなかなか変えることはできないから大体の場合において機能が変化することになる。この場合がコンバージョン(転生)である。
 コンバージョンのなされた建築には何か新鮮な空気のようなものを感じる。その原因は明確で、作り手の観念や意図が消えているからである。こう見えて欲しいとか、こう感じて欲しいといった、作り手からの暑苦しい声が聞こえてこない。
 そのような建築として、廃校になった小学校を美術館に変容した場合や、団地の住戸をギャラリーやショップに転用させた場合が挙げられる。小学校の場合、都心部の人口減少で廃校になり、本来の教育を行う場としての機能がなくなり、ニュートラルで自由な状態になる。そうなることで初めて、人間はなにか自分の力でその空間の質を変えられると感じるようになる。美術館に転用した場合は、作家がその空間に対して作品を創作し環境の質を変えることを試みることを許容する。これは展示室がホワイトキューブをベースとしたフレキシビリティのある空間になっているか、ということとは次元の異なる話である。
 建築を作り手側から発信された一つのテクストであると考えたときに、読み手である利用者がその空間に対して、「解釈」を許容させるかどうかということは、その空間の質の豊かさに大きく影響しているように思う。作り手側からの観念や意図を「解読」することしか許されないような建築はひどく息苦しいように思われる。

04T3043J 篠澤 朋宏

 コンバージョンの例として横浜市の赤レンガ倉庫を挙げて考えたいと思う。赤レンガ倉庫の一体は広場と海岸沿いの遊歩道、夜景のスポットとして、またみなとみらい地区、中華街、そして山下公園を結ぶ中間点に位置しているという抜群の立地条件にある事から多くの人が集まる場所である。では、赤レンガ倉庫がどのように改修への道を辿り、2002年の改修以来なぜ一層人が集まるようになったのか。

 赤レンガ倉庫は、明治末期から大正初期に国の模範倉庫として建設されたレンガ造りの歴史的建造物である。創建当時から横浜港の物流拠点として活躍していたが、新港ふ頭が物流機能を他のふ頭に譲っていく中、赤レンガ倉庫も倉庫として利用されなくなって、地区のシンボルとして静かに佇んでいたそうだ。
そして今から11年前、市民から「ハマの赤レンガ」の愛称で親しまれてきたこの倉庫を「港の賑わいと文化を創造する空間」を事業コンセプトとして、コンバージョンさせるという計画が持ち上がった。

 赤レンガ倉庫は一号館に文化施設が、二号館にはレストランやショップが数多く設けられた。そこで赤レンガ倉庫に齎された時代のニーズに即した要素とは何か。
それは、元が倉庫故に大空間を持ち合わせているという事。しかもそれが、人々に愛されてきた建物である事である。時代の流れからプライバシーの尊重が前面に押し出され、個人のスペースが小さく小さくまとめられた閉鎖的な空間になってしまっている為、人々は開放的な空間を求める。そこで歴史的な建造物を見ながら、レストランで食事をしたり、流行のショップ買い物をしたりして広い大空間を楽しめる事はニーズを達成したと言える。それは何も若者だけに限らず、老若男女問わず人を受け入れるだけの器が、赤レンガ倉庫にはあると思う。それは赤レンガ倉庫が人と供に、時代と供に生きて来たからであると考える。赤レンガ倉庫自体の持つ人を引き寄せる力と、その周囲にある中華街、山下公園という要素が同心円を描きながら広がり、活気を生む場を作り出し、多くの人に愛されるのである。


 

04T3057J
塚田 裕太

私は、コンヴァージョンされた建物に地元(長野県東御市)の海野宿を挙げる。
海野宿は寛永2年(1625)に北国街道の宿駅として栄え、中山道と北陸道を結ぶ重要な街道で、佐渡で採れた金の輸送や、北陸諸大名の参勤交代の道であり、江戸との交通も盛んで、善光寺への参詣客も多く通行していました。この宿場町の中の一つの旅籠屋は、当時のまま残されていて、外観は、それほど変わらないけれど機能が大きく変わりました。明治時代になると宿場ではなくなり養蚕・蚕種業を始め現在は、海野宿の資料館として利用されている。このように3回も機能を変えているのである。現在は資料館として使われているが外観は変わらない為に、ここに行くとそこだけ時間が止まったかのようにも感じられる。なので私は、後天性を許容する建築だと考えました。

04t3008A
牛山由偉

建築に必要なのは奇抜なデザインや外観なのだろうか?
建築雑誌などを見ていてもデザインには引き付けられるけれど、本当に建物を使う人が快適なのかと疑問に思うことがある。確かに見た目の印象やインパクトも必要である。しかし、建物はその中で生活したり、働いたりするものであり、最も考えるべきことはその中身ではないだろうか。様々なデザインが溢れている現代でふと感じてしまう。

そんな現代に必要な要素を持っている建築それは兵庫県にあるヨドコウ迎賓館(旧山邑邸)であると思う。大正末期にF.L.ライトによって設計された住宅である。大阪湾を望む小高い丘の上に、斜面に沿って階を積み重ねるように建っている。欄間を銅版で装飾したハイカラな和室や暖炉を中心にした左右対称の最上階など見所が多い建物である。マホガニーの作り付けの家具や使用されている木材を見ると、多くの人が明治や大正の頃の建築物としてイメージする建物そのものである。しかしそれよりも空間を印象深くしているのは、随所に設けられた窓であり、そこから入る光である。その配置は鮮やかな光を導き入れ、時や四季の変化を感じさせるつくりになっている。窓の装飾に用いられている葉をモチーフにした銅板製のレリーフは、そのシルエットが外部の緑と溶け合うようになっている。普通の窓ではなくそこに住む人の心理的効果まで計算し尽した窓なのである。

このように中身を重視した建築は現代にも必要でしょう。もちろん光や風景だけでなく他の要素で心理的効果を考えた建物もあってもいいと思う。

04t3032c 
木村 知晃

古い建物だけど現在のニーズにあった新しい空気に満ちた建物として、僕は長野市権堂にあるネオンホールを挙げます。ネオンホールは一言で言えば、民家を改装したライブハウス兼小劇場兼フリースペースです。今でも外観は民家そのものです。数年前にある人が、アトリエ兼住居としてその民家を買い取ったのが、そもそもの始まりだそうです。しかしすぐさま定期的なライブイベントを始め、だんだん形態を変えて今に至るそうです。
ここに来てまず感じるのは、ものすごい手作り感です。民家を買い取った人達が自ら知恵を出し合って改装した建物だから、雑誌などに載っている建物のような洗練された感じはまったくありません。むしろボロボロで汚いぐらいです。しかしそこには雑誌などの建物とは違った魅力があるように思います。それは住み手の気持ちが建物に表れている事からきている、と僕は思います。古い建物をコンバージョンしたりリニューアルしたりするときには、新しい建物を建てるとき以上に、その建物を使う人の個性が出るものだと思います。そしてその個性がきらりと輝くときに、古い建物は新しい魅力を得るのではないでしょうか。

03T3804E
鈴木俊祐

 私が素晴らしいコンヴァージョンだと思う作品はテートモダンである。言うまでもないがこの作品は巨大発電所を現代美術館に改造したもので、伝統と今日的な空間のハイブリットとしての建築である。バンクサイドの歴史的な煉瓦造建築の意匠を十分に残し新たに文化的なランドマークとして使命を与える都市的なプロジェクトでもある。
 この建物は基本的に矩形のプランを持つ空間であり、シンプルな仕上げとすることで、この歴史的建物と整合性をもたらし、また現代美術の展示空間としても有用な空間の創出に成功している。
 意匠に関しては美術館上の頂部に浮かぶガラスの箱がとても印象的である。このライトビームと呼ばれる箱は、最上階にレストランとカフェを収め、5階ギャラリーに昼光を注ぐ。夜は照明の方向を逆転させて、ロンドンの空に輝く光の帯になる都市的な装置として機能するのである。
 ここで話は変わるが、現在、たいへんニーズがあるが、いずれそのニーズがなくなっていきそうな建物はないかと考えてみた。そこですぐに私の頭に浮かんだのは、老人介護施設である。今日では高齢化社会に向け、いたるところでデイケアセンターなどの施設が建てられている。がしかし、団塊の世代を通り越して数年経った時、果たしてこのような施設はどうなるのであろうか。やはり、このような施設は現段階から、特に後天性を考慮するべきなのであろうと思う。

04T3094C 山中道雄

自分が今回の課題に最も良いものを考えていたときに思いついたのは実家のほうにある、北野異人館の風見鶏の館です。
この館はかつて神戸に住んでいたドイツ人貿易商ゴッドフリート・トーマス氏(G・Thomas)が自邸として建てた建物です。 北野・山本地区に現存する異人館のなかで、れんがの外壁の建物としては唯一のもので、色鮮やかなれんがの色調、石積みの玄関ポーチ、2階部分のハーフ・ティンバー(木骨構造)などです。その建物が今、改装され一般的に公開されているのですが、3度ほど見に行きましたが何度見てもすごいものです。これはやはり日本ではあまり見られないレンガ造りの建物だからだと思います。だから僕はこの建物を挙げました。

04T3046C 杉山文野

鹿教湯温泉の三水館という旅館は、築150年ほどの民家を移築して創られています。厳密に言えば部材として使用しているのですが、空間を創る要素として使われているので、これも一つのコンバージョンの形であると思います。
三水館は、建物と庭、更には周辺の川や里山までもが一体となり、昔からある鹿教湯の風景となじめるようにと設計されました。内部においても、古材の味わいを活かし、高度な職人の技術を伝えつつ、当時とは違う空間をつくることによって新しい空気が生まれます。造りがシンプルであるので、なお更古材のだす味が伝わってきます。
古民家から住まい手が離れていく理由として、人々の生活水準が上がってきたため、建築当時のままでは住みづらいということがあると思います。しかし、十分今でも使える材があるならば、三水館のように形を変えて再生するということは、無駄なく現代のニーズに応えていると思いました。

04T3019F 小倉 和洋

人は少なからず偶然を期待する生き物だと思う。だから、コンバージョンされた建物の魅力の一つは偶然性だと思う。
コンバージョンされる建物にはそれを設計した人の意識が隅々に行き渡っている。それはコンバージョンしても取り除けるものではなく、コンバージョンするということは、その意識に新しい現代の設計者の意識を加えることだと思う。コンバージョンすることで機能が変わってしまえばもともとの設計者の意識は消えてしまっているようにも見える。しかし、意識にはその建築の形自身に残る設計者の意図しない意識もあり、それは形を大幅に変えない限り消えることはないと思う。その意識の上に新しい現代のニーズにあった意識を重ねることで、完全に計画的な新築にはない偶然性が生まれる。
その例としてローマのデッリ・エフェッティが挙げられる。この建物はパラッツォから店舗にコンバージョンされた事例で、内部に古い石細工にガラスを重ねた壁を持つ。石細工とガラスそれぞれはどこにでもあるものだが、この二つを重ねることで新しい素材感を与えている。この二つを重ねることは設計者の意思によるものだが、そこに石細工の壁があったことは偶然であり、その偶然によりガラスと石細工の壁ができたことはやはり偶然だと思う。
偶然性だけがコンバージョンの魅力ではないと思うが、この新築にはない偶然性はコンバージョンの位置づけをしている大きな要因だと思う。その新築にはない要素にとても興味が沸き、また、それを何とか新築の設計もに出すことはできないのかとも思う。

04T3042A  繁山 和夫
私は、東京タワーを例にします。東京タワーは、目的がそのまま建物として成立しています。そして、今後もタワーとして多くの人に利用されていくでしょう。この点でも新しい空気に満ちているとは思いますが、他の原因として意匠的なことを挙げます。まず、東京タワーの外観をつくっている構造体は、まさしく現代の高層建築物の象徴だと思います。また、高さにしてもあの大都会の建物の中では一番高いものです。今現在、東京の街は建築物で溢れ、土地利用の腕の良さもつくる側に要求されているなかで、東京タワーは東京が今ほど大都会になっていないときにつくられましたが、土地の広さではなく高さを利用して、土地利用も最小限に押さえてつくられていると思います。意匠としてもすばらしいものがあり、構造が意匠として如実に表れている建築です。あの高層建物をつくる技術も現代建築をつくる見本にもなっていると思います。

04T3059E 坪井章訓
例として旧軽井沢郵便局をあげる。旧軽井沢郵便局は明治4年に立てられた木造2階建ての建造物であり、平成8年に移築され歴史的遺産となった。今は軽井沢タリアセン内に移築され、郵便局としての仕事を終えた建物は深沢紅子さんとその夫である省三さんの高原の花の絵画の美術館として今でも利用され続けている。
現代でも多くの古い木造建築は多く残されているが、ナショナルトラスト運動が実施されることは多くないのが現実である。しかし、旧軽井沢郵便局は取り壊される予定であったが、市民の力によってナショナルトラスト運動が起こされたのである。この建物は旧軽井沢の町並みの象徴でもあり、そこに行くとたとえ当時の町並みがわからない人でも、どれだけ多くの人に愛されてきたのかが伝わるような気持ちになる。さらに美術館として開放されているので、自然と外観と内観を直に見ることができる。中には花の絵が飾られ、周りの趣き深い木造からは暖かさを感じる空間となっている。美術館自体が癒しの空間ではあるが、それをさらに引き立てている。今でも過去とは違う人々に愛されているのである。このようなことから、僕はこの建物は後天性をもっていると思う。

04T3004H
石川裕之

長野市の駅周辺にはいくつかの古い映画館が点在する。そのどれもが、シネマコンプレックスのような一つの映画館に何スクリーンもあるようなものでなく、2~3スクリーンの小さな、そして建物に入る前にチケットを買うようなタイプの古い建物の映画館だ。このような映画館であったとしても、その建物の新旧に問わずに新しい空気に満ちていると思う。それは、その上映される映画によるもので、上映される映画によって毎回映画館の建物自体がリニューアルされていると考えられる。いわば上映される映画は、映画館の内装のようなもので数週間ごとに新しい内装に変えられていると思えば理解しやすい。訪れる度に内装が張り替えられている建物は常に新鮮な印象を与えるということである。
新しい映画を上映することで代謝を繰り返す映画館は常に新しくあると考えたのでこの例をあげました。

02T3051B 土屋光司

今何かと話題の秋葉原という街。特定の建物ではなくその街全体として建築をとらえたときココは実に面白い。古いという尺度をどの基準で考えるかで見方は変わってくるが、ここ何十年かの古いで考えてみると秋葉原は古さの中に今という時の流れが生きているように思う。
そもそもこの街の形成の仕方は変わっている。普通街というのはまず建物ができ次にそこに人が集まり流れをつくり出すものである。六本木ヒルズが良い例ではないだろうか。あの木ができたことにより人がわんさわんさと木陰に集まったのである。今ではその木陰も少し寂しくなってきたようだが・・・。一方秋葉原はというと、まず人が集まり次にそこに建物ができて流れをつくり出したという経緯をもっている。もともとマニアな人たちがマニアなモノを求めて集まる場であった秋葉原はそのニーズに合わせて建物が、そして街が形成されていったのである。しかし今ではマニアだけにとどまらずその流れは多くの人を巻き込んでいる。このように、秋葉原は普通の街と逆の歩み方をしているところが面白いのと同時に、古いモノ・人を残しつつ新しいスパイスを効かせ新たな風を吹き込んでいるところが、古い街だけれど現代のニーズにあったとても新しい空気に満ちた街であるゆえんだと思うのである。
電気製品、漫画、アニメ・・・一昔前まで秋葉原はそうした日本独特の文化により生みだされたオタクの街であったが現在ではそれらがメディアの発達により他方面に繋がりをみせ様々なモノが入り混じった不思議な空間をつくりあげている。しかし現在もオタクの街に変わりない所が素晴らしい。
僕が建物に、そして街に魅力を感じる瞬間はそこに「危うい怪しさ」を感じられる瞬間である。期待を裏切られるかもしれないけれど触れてみたい、触れなければこの気持ちが治まらない、そう思える瞬間に出会えることはとても幸せである。それが良くも悪くも僕をそう思わせた建築にはやっぱり力があるのだとつくづく思い知らされる。

04t3034k 工藤洋子

新風館。
京都の烏丸御池近くにある、大正末期に建設された旧京都中央電話局が、地上3階建の専門店集積型商業施設として既存のレンガ造に対し、鉄骨を組み合わせコンバージョンされたものだ。
外観はレンガ造のまま、中は青や黄色の奇抜な色の柱、梁の並ぶ何とも言えないギャップの建物である。
烏丸御池は、どちらかというとオフィス街であった。しかし最近では新風館の周辺にどんどんと新しいお店が出来、新風館に遊びに行く帰りにふらっと寄るところが沢山増えた。
レンガに囲われて閉鎖的な建物の周りがどんどんと栄えていく。オフィス街から若者の買物、遊びのスポットと変わった烏丸御池三条周辺は後天的な変化なのか新風館の運営チームの想定範囲内なのか。
何らかの意思があるにせよないにせよ、後天性を築き上げるのはやはり人であり、集団であり、予知が不可なものであると思った。

04T3009J 内堀優磨

京都市内にあるRATNA CAFÉ。この建物は町屋をコンヴァージョンしたものである。その方針として即存の要素を残す部分は即存の要素を用いて昔どおりに修復を施し、新たに設ける要素については現代的な素材で仕上げるとしている。前者が大津壁や建具、後者がレンガや腰壁に用いられた亜鉛鉄板などである。このことで時間の奥行きが表現されている。新築で新しい素材と古い素材を用いたとしてもこのような時間の奥行きは感じられないと思う。時間の奥行きを感じるにはその建物自体の歴史も関わってくると思う。このような時間の奥行きを感じとることができることがコンヴァージョンする理由であり魅力だと思う。そして時間の奥行きがあるからこそ新しさを感じることができると思う。

04T3035H 久保田敏史

 私が新しいと感じる建物は、岩手銀行中の橋支店である。この建物は辰野金吾と葛西万司による設計で昔から銀行などの金融機関の建物として使われてきた。デザインは東京駅と類似しており、赤レンガの中に白い花崗岩の帯があるお洒落な雰囲気はとても落ち着く心地よいものである。この建物のどこに現代性を感じるかというと、この建物が存在する場所はオフィスや銀行、デパートなどが立ち並ぶ市街地であり、一見このような古めかしい、建物が建っていたらちょっと違和感を覚えそうなものだが、この建物を盛岡市のシンボルとして計画されているのでこの建物のある一帯だけ調和の取れるように周りもデザインされている。古い建物を改修して現代も利用される。ただ利用されるのではなくその建物は現代と調和しその空間は現代に溶け込んでいる。建物自体は古い印象を受けるがその建物のある空間はとても、私には新鮮でおしゃれで、わくわくするものに感じた。
 新しい空気に満ちた建物とは、外部の空間なくしては語れないと思う。その建物自体だけで外部との調和を取るのは難しい。しかし、周りと調和を取ることで古い建物にも新しい新鮮味と新しさを感じることができるようになると思う。

04T3025A
加藤絵梨

 私が古い建物だけど現代のニーズにあった建物だと考えたのは「横浜赤レンガ倉庫」です。赤レンガ倉庫は1911年に鉄骨をドイツから輸入したり、リフトやスロープを設けるなど、当時としては最新の倉庫で、タバコや酒類、羊毛などが保管されました。戦時中は軍儒物質の補給所として使われたが、その後倉庫は急速に役割を失って荒れ果て、壁も落書きだらけになってしまいました。そんな赤レンガ倉庫が現代のような姿でよみがえったのは2002年4月です。今では押しも押されもせぬ横浜の名所となりました。私は今年の夏に横浜に行ってこの赤レンガ倉庫も見てきました。初めて見たときはこれが赤レンガ倉庫かと、その大きさというか雰囲気に圧倒されました。外観は古い倉庫のようなのだか、中に入るとたくさんのショップが並んでいてとても同じ建物だとは思えませんでした。現代のニーズ合っていて賑わっているが、私は中に入ったとき少し裏切られたような気持ちになりました。しかし多くの人が夜になってもいたので、何の役割もないよりは人が集まってくるような建物になったのはいいことだと思うような気もします。

02T3018A  片岡 篤史

建築におけるコンバージョンやリノベーションは「スクラップ・アンド・ビルド」に対を成すかたちで、近年の日本でも多くの事例が見られるようになった。そして、その一つ一つが特有の後天性を目指して再生されている点はその計画者が述べている通りであると思う。(達成度には幾分かの差が見られる印象もあるが)

そこで、今回は建築物ではないコンバージョン・リノベーションを考察してみた。

その一つに「景色のリノベーション」があり、具体的には、ライトアップイベントなどがそれにあたる。(用途変更を伴わないため、以下リノベーションと表記する)

近年、桜や紅葉の名所・寺社仏閣などでライトアップイベントを目にすることが多い。これは、日中に景色を楽しむことにとどまらず、本来景色を楽しむ環境として対象とされにくかった「夜」に(ライトなどの人工物を用いて)昼とは異なる景色を生み出し楽しむことに目的がある。それはつまり、景色の新たな魅力を引き出しその景色にこれまでになかった付加価値をつけていることと等価と思われる。
この点で景色のライトアップは、建築における「再生」同様、その空間にその時々の解釈を加え、「景色」のあり方を現代的に捉えた結果現れた空間(景色)であると解釈できるのではなかろうか。そして、その人出の多さなどからも多くの人に支持されていることは自明であり、その訪れる人々に多様な空間の解釈の可能性を示唆させている点はある種のリノベーション(後天性)になるのではと考える。

04T3080C
松田龍一


日本の都市の町並みはなんていうかごちゃごちゃしてる。鎌倉や京都や奈良のように古き良き日本的な町並みが極端に減ってきている。東京、大阪、名古屋、福岡のような大都市はもう訳が分からなくなっている。大きなビルがどんどん建っていて、そこらじゅうに大看板が張ってある。
ヨーロッパのような古い建築をそのまま残していくという考え方はホントすばらしいと思う。
東京などでは建物が飽和状態にある。ただ建物を破壊するのではだめなのでコンバージョンする。私は使ってない建物は壊して、公園や広場などの憩いの場を造る方がいいのではと思う。ただでさえヒートアイランド現象だ、日が入らないだなどと言っているのだから、その場所を一回フラットにしてしまった方がいいと思う。これもコンバージョンなのではないだろうか。

03t3073g
野崎慎吾
古い建物だけれど現代のニーズにあったとても新しい空気に満ちた建物として茅野市にある神長官守矢資料館をあげます。この建築は自然を神としてあがめられてきた守矢家の歴史的資料を収蔵するもので、そのために自然素材をどのように駆使するかという観点で勝てられたものだ。
 このようなテーマで作られたものだけあって見た目はとても現代チックとはいえない、家裏に建てた大きな倉庫といったところか…この建物は鉄、コンクリートなどの近代のつよい技術は表には出さず、裏にまわし構造として強さを発揮させ、自然素材を仕上げ材として利用している。細かいところも徹底している。屋根は茅野特産の鉄平石吹きを50年ぶりに復活させたり、壁はどうしても土を使いたく、雪に耐えられるよう何回も実験を重ねわらを混ぜたモルタルを粗塗りし、その上から土を拭きつけるといった方法をとったりもした。
 自然素材を使っているのでもちろん劣化は現代のものに比べて激しいはずである。しかし実際に見てみればわかるかもしれないがその劣化が古びれた劣化ではなく現代に順応した劣化(変化)であるように感じる。それはコンクリートのような工業製品のように風雨にさらされて起こるような汚い劣化は自然素材にはなく、年代を感じさせるようないい風味の味を出す変化を遂げるからではないかと思う。古くなれば古くなるほど味が出てくる、そして時代、周囲の土、石、草、木、水などとの自然ともよく呼応してくれる自然素材がこの神長官守矢資料館しかり、青木淳しかり、現代には必要、見なおしされているのだと思う。

レポートの回答になるかわかりませんが、まさに、同じテーマなので書かせていただきました。いくらか社会運動的な側面もあるので、講義の主旨に合わなければ削除してください。

我々の仲間で現在「旧勧銀ビル」の保存活用に向けた活動をしています。かつての保存は、遺構としての建物の凍結でしたが、現在は、現代にその建物の価値を再び構築しなおす「保存活用」が多くなりました。皆さんも例にあげているように、オルセー、テートモダン、日本で今注目の横浜Babkart、枚挙にいとまありません。
「旧勧銀ビル」も勿論、コンヴァージョンを目指しています。アーチ窓に清楚な石膏の内装、500㎡の旧銀行ロビーを、コンサートホール、ギャラリーに再構築したいのですが…・。石張りではなく、石膏仕上げ、というのがなんともいえない優しい光の廻り方です。この建築は、坂牛さんの言葉を借りれば、まさに「後天性を許容する建築」です。
壊されてしまうのを、指をくわえて見ている訳にもいかず、活動を手伝っています。現在、スポンサー企業探しの真最中です。市民・行政・企業の関係の再構築も建築をコンヴァージョンするには避けて通れません。
それはさておき、普段はプログラムやソフトからハード(建築)を構築していくのですが、今回は逆のプロセスで、建築から閃きを得てその建築にプログラムを与えていく作業をしています。
しかし始めてみると、逆も真なりで、思考回路は同じ創造行為であると感じています。

興味のある方は、「旧勧銀ビル保存」http://nagano.cool.ne.jp./kanginhozon/ を見てください。
あるいは、いいアイデアがあれば知恵を貸してください。

03T3079F 春本雄一

今回、私が考えたいのは、今現在、新しく建物を建てる意味は何なのかということである。
ここで2つの考え方を挙げる。
1つはロジスティックス、もう1つはマネジメントである。
ロジスティックスはある現場(場所)に資源をどうやって運び、どう建てるかということで、一方、マネジメントは今ここにある空間的な資源をどうするかということである。
当然、発展途上国は前者が優先され、開発国は後者の考え方が主流である。授業で紹介されたIDEEの黒崎氏もこの考え方を実践された方であると思う。
そうである。時代はマネジメント。こうした背景の中で新しく何かを作ることの意味は何なのか?
我々に求められている恒久的な問題である。

あまり関係ないことでごめんなさい。

03T3100H 望月翔太

イサム・ノグチアトリエ
ニューヨークにあるメトロポリタン美術館に行ったとき、世界各地から集められている数ある芸術作品のなかでも、ニューヨークにいるという浮ついた感情のその中でさえ一番インパクトを受けた空間が、イサム・ノグチ氏の水石がある空間であった。
その空間をつくったイサム・ノグチ氏のアトリエ。住居・作業場・屋内展示場のどれも香川県内の民家や倉を移設したものらしい。日本の倉というのは、もともとものを貯蔵するために壁を厚くして外気温を遮断し、内部空間は天井が高く、ものを作り出す仕事をする空間としてはとても優れたものを持っている。さらに倉とその周りの幾何学的な円形の石積みがつくっている空間は、また新しい空間となっている。その石積みの一部を破ってまた別の倉が立てられている。この倉は元造り酒屋のものをコンバージョンして使っている。この倉は屋内展示として使われているが、中には画家サム・フランシスが夢の中で見たという巨大な「天国の門」という現代彫刻が立っている。日本の伝統的な倉の中に現代彫刻がおかれているのである。それらが作り出す空間は、それら両方とも技術的に価値が高いものであるからこそ、双方が相乗し合い、また別の新しい空間をつくり出している。この相乗効果がコンバージョンされた元造り酒屋の倉の空間を新しい空気にしている。この空間は民族・言語・思想・時代などをすべて超越したもののように感じられる。メトロポリタン美術館で私が感じた「ニューヨークにいるのに・・・」といったものと似た空間がそこにはある。

03T3041J 清水 右一朗

後天的なものを考えるとき、先生が授業でおっしゃっていた小学校のコンヴァージョンのように少子化によって小学校が統廃合されるという社会問題を考えたいと思った。小学校の取り壊しは卒業生にとっては母校がなくなることであり、管理する側にとっては維持費や土地の有効活用という問題がある。そういう意味でコンバージョンは1つの建築的な解決方法となる。
このようにコンバージョンは社会問題から生まれたものだとおもうが、後天的なものも同様であるといえる。
だから、今年大きな話題になった郵政民営化をあげてみたいと思う。この問題は農村部のような過疎地は経済優先する民営会社化によって郵便局がなくなってしまうのではないかというものである。実際なくなるというものが経済の原理であると思う。私はこれを建築的に解決できるのではないかと思い、今回提案してみることにする。
まず、過疎地というのは若者が少なく小学校、中学校が廃合されるという問題があったと過程して、それをうまく利用できるのではないかとおもった。
そこで、学校と郵便局を統合するという提案をしてみる。
学校は官で郵便局は民であるがそんなことは気にしないことにする。
ここでのポイントは学校というのは近隣住区という考え方があるように町の中心に位置していることが多くそこに郵便局をいっしょにつけ、小学校のあまった床面積を利用してみたらどうだろうか。経済的にも合理性があるきがする。
残った郵便局は新たなまちづくりのものにするために町が買い取ればいいとおもう。

提案してみたものの抽象的な提案であるうえに不合理性が生じてきた。しかしながらこういう社会問題を解決することが後天的な建築を生むのではないかと思う。

05TA340F
松永崇

模型を作るとき、よく綿半などのホームセンターなどに足を運びます。なんかおもしろい材料がないかと適当に見て回ります。運命の出会いを求めて・・・。よく僕らが模型材料として用いているスタイロ・フォーム。あれは断熱材であり、模型を作るために作られたものではない。(最近では模型材料として作られているスタイロ・フォームもあるが。)模型材料というのは、ある意味、世の中にあるものであったら、すべて可能で、それはスタイロ・フォームのように目的とはかけ離れていてもぜんぜんOKである。それは後天的である。
つまり、後天性の魅力というのは、「偶然性」にあるのではないかと感じる。
今回のお題からは少しずれてしまうが、片岡君の「景色のリノヴェーション」の景色という言葉をキーワードに考えたいと思います。建物自体が変化するのではなく、建物を包みこむ、場とかそこの雰囲気が変化することによって、そこに建っている建物は新しい空間に満ちた建物になると思う。季節によって街の雰囲気が変化するように。
例として、坂牛先生の「連窓の家」をあげます。古い建物でなく、現代の建物だが、後天性を許容する建物になる気がする。銀座アートフィールドの講演会のとき、偶有性ということについて話されていたのが、記憶に新しい。作者が意図していなくても、入ってくるものがたくさんあり、その偶然性に期待するという写真についての話である。連窓の家から見える風景は(内も外も含めて)、常に変化し続け、その建物、そしてそこに住む人に後天的なものを与えてくれている気がする。

sakaushi lab. M1. Ashida Takafumi
  日本では、古い町並みや建物が新しい要素を導入されて楽しい感じにされている街や建物にたくさん出会ってきました。私はいつも実家に帰るときは、長野大阪間を高速道路をつかわずに下道だけでかえり、中山道ルートや、北陸ルート、名古屋から奈良回りなどでかえり、だいたい丸一日から二日くらいかけてさまざまな寄り道をしてかえりますが、黒壁の街長浜などはとてもいい感じだし、いつもにぎわっていてすごいと思います。
 が、ここで建築とは離れてしまいますが、後天的に、思いもかけない運命をたどり、万人にそうとは限りませんが、個人的には特にすごく魅力を感じる事があります。
 それは、日本車です。テレビなどで極東やアジア諸国などが特集されていることは多々ありますが、その日本とはずいぶんと雰囲気の違ったたてものの建つ町並みに異国情緒を感じかけていたとき、ふっと目を疑う瞬間があります。もう日本では走っているはずの無いような日本の自動車会社の旧車からちょっと古い型の車などがぶんぶん走っているのです。あるところでは、日本最大のメーカーのあのピックアップに、武装した兵士がわんさかのって移動していたり。その車のサイドには日本語で社名が入ったままになっている。これは驚くべき後天性ではないでしょうか。まったく私たちには、そんなつもりで車に乗っているわけではありません。今乗っている車が、遠く離れた中東で走ることになるなども、考えもつかない。
 それに感じる魅力や、不思議な感覚は何なんでしょうか。まず。テレビというフィルターを通しているという点は上げられるかもしれません。期待を軽く裏切ってくれます。実際にいって家にあったのと同じ型のが走っていたら感動してしまうかもしれません。建築の場合では、そのものが超長距離をそのまま移動する事はなかなかできないことでしょう。車の場合では、そのもの自体は日本での状態と同じであるが、使用される場が大幅に変更されたことが魅力になりうる。しかし、それが可能にしている根本は、耐久性と整備しやすさにあると思います。整備しやすさは特に大事で、壊れても人の手によってある程度なら修復できなければ諸国でポンコツがはしることは無かったのではないでしょうか。
今のは大幅に電子制御部位が増え、おそらく持っていってもすぐ使えなくなってしまうのではないかと思います。
 後天性を持つということは、人の手が入り込める領域が残っているということ。これを欠かすことが出来ない要素であると思います。

03t3089c 松田大作
僕は、建築を人間に例えて考えたいと思います。これは、僕自身人間と建築では、生死があること、変化すること、内外性(二面性)があることという重要で、他のものでは置き換えられない共通点として考えられると思っているからです。この点で、メタボリズムは奇妙で言葉が悪いですが「奇形児」のように見えます。コンバージョンは人間の「よみがえり」です。しかし、ここでは、人間と建築のまったく違う側面も見ることができます。それは、雑誌SD 2005の中のイタリアのコンバージョンを見ると、これは脅威であると思いました。非常に内部、外部ともにきれいでした。この原因として、主に建築の表層が挙げられると思います。これは、スケルトンのところで出てきた話ですが、建築の本質とは柱と梁で、さらに地面との関係が顕著に出ているものが本質的に優れた建築であるといっているのですが、コンバージョンとは基本的には構造をいじれないと思うので、建築の構造は変化せず、表層のものだけが変化し、人間に訴えかけてきます。つまり、建築そのものの本質は柱梁であるかもしれないが、建築が人間に最も関係してくる本質というのは建築の表層であると思います。このことから、こういった面で、建築の表層とは、インターネットのようだと思いました。それは、建築の本質つまりインターネットで言う情報の発信源は奥に隠され、その一番表層なものが僕らに訴えかけてきます。建築もこれと同様ではないかと思います。
次に、先生の唱える単一の建築の永遠性ですが、この永遠性は人間で言うところの不老不死であります。僕は、このようなことを追い求めるのは古の中国の皇帝のようであるし、単一の建築の限界を超えていると思います。しかし、前述のコンバージョン建築に関しては、現在ある程度の永遠性を得ているのではないでしょうか。つまり、建築が残すことのできるその時代の解釈については、そもそも建築の解釈とはどのようなものか考えました。建築の解釈というのは時代という大きな流れによって解釈されることが多いと思いますが、ここで必要なのは、「その時代の建築の解釈」という一つの時代に関して、一つの解釈が存在しなければいけないし、その建築は数々の時代を乗り越えて存在しなければなりません。しかし、現在の建築は、建築の寿命と時代の寿命とが一致していない現在(実際には時代の寿命のほうがはるかに長いと思う)、一つの建築が時代を超えて(注:ここで時代を超えて、という表現は建築に対する価値観が大きく変化した時代を超えて、という意味である)存在することは、難しいのではないかと思う。しかし、前述の建築と人間との関係性が視覚に因っているという観点から見て、コンバージョンは視覚に対する新鮮さから、時代にフィットしていき、建築としての永遠性を獲得していくと思います。しかし、このコンバージョンした建物もその以前の建築の精神を受け継いでいるかというと、少し疑問が残ります。つまり、建築としてその精神ではなく、形だけが残っていき、形の永遠性だけは保っていくことができると思います。

05TA328G
中尾友之

「民家の再生」の川上先生の事務所。
私は実際中を見たことはないのですが、川上先生の事務所はその昔は診療所だったそうで、昔の診察室が現在所員のひとが作業する場所になっているそうです。
確かに診察するスペースを想像すると、作業するのに適当な(大きすぎず小さすぎない)広さであるし、実際に診察室で製図をしてみると良い図面を書けそうである。この話を思い出したとき、確かに古い建物だったけど、設計事務所というニーズにあっていて、現在は新しい空気に満ちているのだろうなあと想像しました。

「赤レンガ倉庫」や「オルセー美術館」はコンバージョンされた建築の代表的なものであるが、なぜこれらの建物が注目され転用されたのかを考えてみると、それはそれらのもとの建物(「赤レンガ倉庫」「駅」)が「大きさ」という質を持っていたからであると思われる。また川上先生の事務所の場合は、診察室が製図するのに調度よい「大きさ」(「小ささ」?)だったからかもしれない。このように後天性を許容する建物(赤レンガ倉庫や駅)には、それ固有の空間の質とでも言って良いものを備えているように思われる。

04TA338A 中根雄一

後天的の魅力、特にコンバージョンやリノベーションにおける後天的の魅力について考えると、時間のズレ、機能のズレなどのズレを積極的に取り入れているところにあると思う。これらのズレは日常の中に異質さを生み出し、新鮮さを感じることができる。そして、コンバージョンやリノベーションされた建築を見ればわかるように、全ての建築が後天性を備える可能性がある。初めから最後まで先天性を貫き通す建築は記念碑的な建築くらいではないか。あえて言えば、「住宅は芸術である」といった篠原一男の住宅なんかは生活感がなく、先天的であるといえるかもしれない。
後天的の魅力の一つである異質さを、新築の段階で持ち合わせた建築として、小泉雅生の住宅の増築《メガタ》を挙げる。築80年を超える木造の母屋に対する増築計画であり、その形は母屋や樹木に緩やかに沿うように決められている。母屋や樹木に面する部分はゆるいカーブで切り取られており、増築部分と母屋や樹木との間には新たな隙間空間が生まれている。小泉雅生は、この敷地のこれまでの履歴を引き継ぎつつ、計画の対象を反転という操作により、たとえばこれから母屋や樹木が消えていった後もそれらの痕跡が引き継げないかということを考えたという。そして、そのことを敷地のリノベーションと呼んでいる。ここでは、母屋や樹木が先に存在しているという時間のズレをうまく活かしている事例だといえる。
しかし、コンバージョンやリノベーションに関していえば、その魅力の高さと、はじめから後天性を考慮しているかどうか(例えばメタボリズムのような)は、関係がないように思える。むしろ先天的にあったものと後天的なものにギャップがあった方が創造的なものが出来上がるような気がする。そういう意味では、今はまだ比較的新しく、完成されたときが一番美しいとされるモダニズム建築なんかは、コンバージョンやリノベーションする価値があるのではないかと思う。

03t3020f
岡 悠志


「後天的に魅力のある街」

 いい建築を残したいと思うのは建築にかかわる人間ならずとも思うことであろう。その考えは時代が進むにつれて、ただ単に保存するのではなく用途を変えたりし、使用可能な状態で残そうとするようになる。そして現在では、環境への配慮などの考えからリノベーション・コンバージョンが行われる。つまり建築的に優れているからという理由ではなく、環境や金銭の事を考えてそれをもう一度違う用途として利用する。

 最近、全国区の店舗による入れ代わりの早さが気になる。コンビニや飲食店、スーパーなどでその地域とは関係ない店が突然でき、突然消える。オープン当初は人で賑わうのだがそのうち客が減っていく。少しでも採算が取れないとなると撤退する。これがその地域でしか見られないようなスーパーなら営業努力など必死であがく。しかし大手の企業だとダメとわかるとすぐに手を引く。その大手の店舗により廃業においやられた地元商店街の店は増え、大手の撤退後はさびしくなった商店街が残る。

 これからどんな建物が使われなくなるかを考えると、スーパーやコンビニが大きな問題となるだろう。特にコンビニの入れ代わりは早すぎる。しかも、コンビニは建築的に見て一瞬でそれとわかるようにしている。抜け殻になったコンビニ建築をどのようにコンバージョンするかはこれからの課題となるだろう。街やその地域がこのような使われなくなった建築に対して、その利用方法を考えすばやく取り組める事が大切であろう。そして、そういった街の姿勢が「後天的に魅力のある街」といえるだろう。新陳代謝をし、いろいろな問題に対する柔軟な姿勢を持つ都市がここでいう「後天的に魅力のある街」である。

 そう思い、コンビニ建築のコンバージョンについて調べたが、何も見つけれなかった。また自分でどのようにコンバージョンするのがいいか考えたがいい案がでなっかた。一面ガラス張り、陸屋根・・・見なれたあの外観。建築的価値は無いにしろ建築が持つ意味、人に与える印象の同一性からいうと、建築的に価値のあるもののコンバージョンと並んで積極的に取り組むべき課題だと感じた。

02T3094F 山田 匠

1つ出ているものになるが、自分もサクラダ・ファミリアについて述べる。

(多分多くの人が知っているように)ガウディーは、サクラダ・ファミリアについてこう言っている。
「この建築はやがて自分の手を離れたところで完成されるべきだ」
現在、確かにサクラダ・ファミリアは、ガウディーの残した図面(正確にはパースと石膏模型)から様々な分析がなされ施工されている。

この点で確かに楽譜と同様に後天的であると言える。
しかし、ガウディーが意図したものは、これだけであろうか?
それは、否としたい。(樋川君ごめんね)

なぜかと言うと、少し独断になるが現在行われていることはあくまでもガウディーのコピーに留まっているからでわないか?つまり、現代の刻印にまでは至っていない。それは、薬師寺西塔の再生と同じ種類の建築行為だ。(講義中に先生がおっしゃったように、もちろんそれにもクリエイティビティがあるし、自分はそれにも共感するが)

前述したガウディーの言葉が意味しているのは、コピーして造りなさいではなくそこからさらに新たな解釈をし、建築してくれということではないか?
これが、ガウディーの残した「自分の手から離れる」の意味するところであり、それができるつまりサクラダ・ファミリアをガウディーの手から離すことができる建築家が登場した時、サクラダ・ファミリアは初めて後天性を発揮するのではないかと思う。
(もう少し言うと、「離す」とは、「超える」ということもできると思う。だから現在は、越えるに至っていないとも言える。)

バルセロナで、ガウディーの研究者の方と似たような話をさせていただいたことがある。結局、ガウディーの手から離すことができるような建築家ならばサクラダ・ファミリアは造らずに自分の建築を造るだろうというところで話は落ち着いた。

だから、サクラダ・ファミリアは楽譜のような後天性を持つ建築であるがそれは実現されていない建築である。これをふまえると、(ホテルにされたらいやだけど)例えばコールハースがサクラダ・ファミリアを担当したら後天性を読み解いてくれるかもしれないという空想もあながち間違いとは言い切れない。
お題とは少しづれましたが今回の講義での後天性の解釈としてあげさせていただきます。

05TA324D 高橋伸幸

 すでにあるものを利用する。それが現代建築にとって必要とされていることである。多くの場合、既存の建築(古くなり現代の機能に合わなくなった建築)を現代のニーズに合わせてコンヴァージョンするということが思い浮かぶが、僕は別の「すでにあるもの」に注目した。それは「先人の経験・知恵」である。先人の経験や知恵を現代建築に生かすことも一種のコンヴァージョンと言えるのではないのか、と考える。
 現代建築は高気密・高断熱、新素材で過去に比べて格段に優れたものに見える。しかし、一方で問題も多くある。人間のためにつくられている建築が人間にとって不快なものになることがある。その1つの例がシックハウス症候群である。住宅の建材や内装などに使用されている化学物質による室内空気汚染が原因と考えられている。その解決策が「漆喰壁」である。古くから使われてきたこの材料は天然素材であるため化学物質は放出しない。そのため人体にとって無害なのである。また漆喰には他にも防火性、通気性、湿度調節機能、防虫性、など優れた能力がある。つまり、1つの問題を解決するだけでなく他の機能も併せ持つ素材なのである。新しいものに古いものを取り込むことで時代のニーズに合ういい例ではないだろうか。
 先人が長い月日をかけて発見・つくり上げた技術は建築に確実に刻まれている先天的なものといえる。しかし多くの場合それは時代と共に見えにくくなってきた。それを再認識・再発見し、現代建築に使用することは後天的といえるのではないだろうか。古いものに新しいものを取り入れるだけでなく、新しいものに古いものをとりいれること時代によって変化する要求に応じるという考えも出来るのではないだろうか。

日本の建物あまり知らなくて、中国の建物なら、古い建物だけど現在のニーズにあった新しい空気に満ちた建物は天安門だと思います。天安門は昔中国の故宮という城を保護するために作られた建物ですが、平民達は入内を禁止されていました。今もう変わって、素晴らしい名所となりました。さらに、開国典礼を行ったことがあり、中国の国の象徴としています。私は昨年の夏休みに見に行ってきました。今の天安門もう再生されて、たくさんの観光客が通って、全然昔厳しくて、静かな天安門と思えません。ですから、建物の再生は本当にいいと思います。昔の建物をなるべく残して、昔の文化や歴史を伝達し、研究や勉強にすごく役に立つと思います。

03T3038J 崔志宏
すみませんが、学籍番号を打ち忘れてしまいました。

03T3043E 新宮 敬章

 今回の課題にあたって私が思うのは、まず建築の永続性みたいなものを薄々感じ取ってしまうことです。建築の永続というのは、私が思うにその素晴らしい空間を後世に残していきたいという願望であると思います。そういった中で保存、再生、コンバージョン、リフォームなどなどは、実はそういった表れなのかもしれません。保存はその名の通り建物を残すというだけです。しかし人に使われなくなってしまった建築(見世物的な)は生きた屍のように思います。また再生とリフォームは用途を変更しないで活き活きさせるという点で同じような扱いになるのでしょう。最後のコンバージョンは用途を変更してしまうみたいです。今回の講義ではオフィスを住宅に替えるという例を聞きました。それは建築の特定性とプログラムの不特定性の中のプログラムの不特定性に漬け込んだものなのでしょう。先ほど言った保存、再生、リフォームなどは少なくてもその建築が素晴らしいと思うからの処置だと考えられます。若干のずれはあると思いますが。それではコンバージョンの用途変更というのは、元々同じ使われ方で継続していくのは難しい建物な上に、そこまでして残さなくてもよいと思うわれるからなのではないかと思います。そういった建物をコンバージョンした時に、新しいと感じる要因としてはその建物が既存であるからだと思います。その建築の特定性が先にあるから、用途変更した建物は新しく感じるのではないでしょうか、当然だとは思いますが。しかしそれは最初の建築の永続性からみれば違うように感じます。最初の前提を、建築をただ残していくという点からいえば、それはそう成り得るのかもしれませんが。
 ですが、元々創造とういう点においては同じではないかと思います。新しく建築を作るにしても、それは全くの無からの創造ではないわけだから、コンバージョンも既存の建物から出発しているだけで、同じ創造だと思います。そういう点ではコンバージョンした建物もそこから永続性を問うようになっていくのかなと思いました。

03t3080k
平岩 宏樹

最近はさまざまな建築物がリノベージョンやコンバージョンされている。実際、そうなった建物はいくらでもある。建物が当初作られたときの役割を終えて使用目的がなくなったとき、それからその建物をどうするかといった問題が出てくる。立て替えるか、それとも残すか。そもそも、リノベージョンやコンバージョンというものは立て替えるよりも費用も安くすむし、手間も新築よりはかからないから。といった理由から始まったものだろう。しかし、これからの時代においてこれらの視点はスクラップアンドビルドの時代からエコ建築の視点に変わる手段にもなる。

新築でその建物にあった形状をとってそのとおりに計画したほうが、使いやすい建物もできるだろう。しかし、リノベージョンやコンバージョンには新築にない趣がなぜかある。その理由は何だろう。リノベージョンやコンバージョンする建物にあって新築にはないもの。そのひとつにその建物の持つ歴史性や、もともと使っていた人の息づかい・思い入れ、その建物がまったく違う建物に変わったという驚き、・・・などいろいろ考えられる。

そうしたなかで、リノベーションされた建築物を考える。私はここで、まず、民家の再生の事例を挙げたい。民家の再生は昔の100年以上たった民家を再生していくわけだが、民家の暗く、寒く、プライベートがないなどのデメリットを克服して、昔の歴史や思い出の記憶を今に残しながら民家は今の時代を生きている。まさに、生きているといったほうが正しいと思う。すべての建物にはそこを使っていた人の記憶を刻んでいる。そういったものがあるから、ただの取り壊しではなく、伝え、建物を生かし続けることが必要となる。
また、他にも長野市のリブロビルなどもコンバージョンされた建物だ。もともと貴金属店だったところにパン屋や、家具屋、美容院、アパートなどが混在した建物に変わっている。そこも、もともと町並みにあった建物に、形はそのままで用途をかえた。そうした建物はもともとの溶け込みをそのままに、金属店が複合施設に変わるといった驚きにもなり、私たちに新鮮な驚きと、コンバージョンの面白さを教えてくれた。
こういった、建物たちは全国に本当にたくさんある。そうなってくると今ある建物はほとんどコンバージョンないしリノベーションできるはずだ。今ある町並みが一概に素晴らしいとはいえないが、その町並みに溶け込んでいる建物が歴史性などの可視的でないものを享受しながら発展していくにはいい手段だと思う。また、それが一番大きな魅力になっているだろう。

02t3045h
田中淳
時間ということに関して述べると時のいう軸には2種類あると思っている
一つはある人が小学生に作った秘密基地が大人になって訪れてもまだなお魅力的であるといったものと、もう一つは時代が回りまわって10年や、100年などの以前のものに魅力を感じるというもの、たとえば保存運動などであろうか?、があるのではないか。
建築にはもともとすべてのものに少なからず後天性があると思う。その中でより後天性を望むのであれば「愛をもってつくらない」ことを実践すべきであろうが、そうなると建築家なんて少なからず作家性を引き下げてやってくるのだから邪魔なだけでいらない!となってしまうだろう。もちろん極論だが。

そこで思ったのが果たして後天性を考えて作ることが全面肯定されるべきであるのかと。「今」を考えて建築をするからこそ後々そのものと新たなものとの差異で新たな強度を持つからリノベーションは魅力的であるのではないか。創造するという行為において授業でも言っていたが音楽や文章といったものに比べて建築は解釈とい点において絶対的に不自由かもしれない、しかしリノベーションに代表される解釈の変化は音楽や文章とちがって引き継ぐことと、混在を許容し、それが魅力的なのではないかと考える。
そう考えたときに逆に強い作家性も長い目で見ると多様性や後天性を奨励するものになるのではないかと感じてしまった。普遍性を目指したとしても結局求められるのはある種の特異性なのだから。
自分の考えとしてわれわれの日常の中にある建築というものはやはり生きてほしいし、そうあるべきである。そのためには、建築に対する考えをもっと柔軟にし、ユーザーでもいいし、後世の建築家でもいいから建築の生物性とでも言おうか、そういった有機的性質をもっと感じ、理解すべきである。


提出が遅れて申し訳ありません。

今日は大量に坂牛賞
①田中淳
面白い。変更のクリエイティビティを既存の個性とのギャップに見出すのはなかなかの感性だ。
②山田匠
ガウディがそんなことを言っていたとは知らなかった。
③中尾
コンヴァージョン成功のポイントを既存の「大きさ」に見るという当たり前のことを正確に言い当てるということ。とても大事。
④松永
ちょっと手前味噌だが、僕の作品に対する正確な理解。
⑤小倉
そうコンヴァージョンに限りませんが建築の妙味は偶然性にあるのです。
⑥深澤
激しい言い方ですね。でも強制的建築は牢獄的かもね。
⑦戸堀
キッチュなものが大嫌いな僕に対する挑戦状だけど。反論できない。こういうことは世の中にあるんだよなあ。
⑧武智
二つともまったく僕の知らない例できっとすごいカオスなんだろうなあ。どうしようもない無秩序はなんでも受け入れられるものだ。
⑨野原
儀式(event)は時として建築なんかよりはるかに強い。ハイデッガーの言いたいことはこういうことなんだと思う
⑩和田
「その作品に起こるであろう世界の未知性との出会いをよりストレートにもたらす事に価値を求めていたからです」という引用に惚れた。でもそれがスカイザバスハウスじゃあちょっと拍子抜け。

さあ今日は10個、でも結構みんな力が付いてきたねえ。前回の講評会で今村君がだれでもきれいな模型は作れるのです。と言っていたけれど。だれでも素敵なコラムは書けるのです。(天声人語とは言わないけれど)毎日素振りするだけのことです。

丹下健三はどんな時でも(飲んで帰ってきても)スケッチブックに1時間は向かったそうだ。建築家なんてそんなもんだ。1時間だけ素振りして練習終えたらプロ野球選手にはなれないと思えば建築家は楽なものだ。

p.s.
山田さん保存運動頑張ってください。

>p.s.山田さん保存運動頑張ってください。
有難うございます。新しい、価値を建物に与えていければと思います。
坂牛賞⑨野原さん。私も同じく旧勧銀ビルの活用例にウェディング空間を提案しました。やはり、歴史を刻んだ優美な空間を目の当たりにした時に、祝福で満ちた空間が頭をよぎりました。
建築を目の当たりにして感じるインスピレーションと建築をつくり上げる感性は、表裏ですが全く同じ感性です。
坂牛賞③中尾さんの空間のボリューム。旧勧銀の500㎡・CH=8000に何がふさわしいか?もう一度考えてみます。
私達にとって、学生の皆さんの柔らかい感性は、刺激になります。その裏返しに、皆さんの学び考えていることは社会に繋がっています。

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