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2012年02月25日

野田裕示展


国立新美術館で野田裕示の個展が開かれている。ずーっと見たいと思っていた作家である。彼の作品は記憶の断片を蘇らせる力がある。絵を見ると人はなにがしか記憶を刺激されるのだが、例えばミケランジェロや、ルーベンスや昔の人の絵を見てもそんな絵の風景や人に僕は現実世界で出会ったことは無いわけでそうなると、彼らの絵を見ても記憶を深く刺激されることはない。それはどんなに立体的に透視図で描かれていても絵に見える。かといって日本人の同時代人が描いた写実画あるいはや写真はどこかで見たという記憶を生むかもしれないが、それはそれで過去の記憶のどこか一点にとどまる。
野田さんの絵は抽象絵画なのだが、キャンバスを重ね合わせたり、合板を張ったりして表面に微妙な襞や目地が作られその上に何重にもアクリル絵の具が塗り重ねられスクレープされ削り取られている。そのテクスチャーと色の重なりが現実のモノの汚れや風化を想起させる。抽象であるが現実のどこかの断片のように見えてくるのである。つまり記憶のどこか一点を刺激するのではなく記憶のどこかの複数の場所に立ち現われてくる。その重層的な刺激(あるいはこちらの記憶の蘇り)がとても脳ミソを刺激する。
久々にズーンとくる絵を見た。

2012年02月13日

ジャクソン・ポロック展


国立近代美術館でジャクソン・ポロック展が始まった。ポロックはいろいろな企画展でちょくちょく顔を出すし、世界中の近代美術館にも少しずつある。でもまとまった量を一度に見たのは初めてである。彼の歴史がよく分かった。
かの有名なポーリングを使った制作風景がビデオ上映されていたので全部見た。彼は数時間(恐らく一日中)刷毛を缶に突っ込んでキャンパスの上で、垂らす、叩きつける、曲線状に流すという数種類の動作を延々とやっている。見ている方が飽きてしまう。果たして本人は飽きないのだろうか?
もちろんそうした単調な繰り返しがあの多中心で焦点の定まらない画面を作り上げるわけである。それにしても、この繰り返しの途中で缶のペンキを全部ぶちまけたいというような衝動にかられないのだろうか?
実は抽象的ポーリングの次に彼はブラックポーリングと呼ばれる、黒のみ使って余白も見えるやや具象的な墨絵のような時代を迎える。それはポロックの凋落と呼ばれる作品群だそうだ。しかし今回これがとても素敵に見えた。
抽象に飽きた結果がこれである。モダニズムアーテイストは皆抽象に飽きた時に次への光明を見出すのだと僕は思うのだが。

2012年02月04日

LEE BUL展


森美術館でLEE BUL展が始まった。韓国の若手アーティストである。草間彌生に始まり何人かの世界的アーティストの影響も感じられるば作品には迫力がある。コンセプチャル建築模型のような作品もある。学生の卒計でこんなの出てきたらわけも分からず点をいれてしまうかもしれない。