「建築はどこにあるの」+「六本木クロッシング2010展」
国立近代美術館で「建築はどこにあるの」展をやっている。伊東豊雄、鈴木了二、内藤廣、アトリエワン、菊池宏、中山英之、中村竜治の7人のインスタレーションが展示されている。閉館まで10分だったので駆け抜けた。中村竜治の針金細工の精度には恐れ入った。こういうのは芸大生じゃないとできないな。でも芸大生だと思うと、出来て普通?伊東さんのは分かっちゃいるけれど魅せる。モルフェだけ。でもそこがいい。内藤さんのはアートとしては面白かった。大分遊んだ。でも内藤さんがやることでもないだろう。アトリエワンの作品は巨大キッチュ。先日彼らの本を読んでついに文化人類学者になったと思ったが、これはその調査の際に土産物屋で売っていた竹細工を10倍に拡大したものだ。建築でもアートでもないものを作ろうという姿勢はすごく共感するが、、、
皇居の周りを時計の針と逆回転して六本木森美術館へ。ここでは六本木クロッシング2010展が行われている。ゲストキュレーター二人と近藤健一森美術館キュレーターによる企画を読んでいると思い出すものがあった。思想地図の佐藤俊樹の言葉:売れるサブカルと最先端のサブカルは異なる。同様に売れる社会学と最先端の社会学も異なる。である。というのも本企画は市場価値で見えにくくなったアート本来の価値を問おうというもの。つまりとんでもなく高値のつく日本のアートが最先端のアートではないだろう?と言う批判が読みとれる。下手すると建築においてもそうなのかもしれないが、経済バブルの後に訪れた、文化バブルへの一つの反省がアート、哲学、社会学などに垣間見える。ただ今回の人選や内容がキュレーターの意図を十分に伝えられているのかと言うと疑問も残る。少なくとも僕にはよく分からない。まあキュレーターのコンセプトはどうあれ、今日見た中では照屋勇賢の作品が気に入った。色々な市販の袋の一面を丁寧に切り紙細工するもの。身近であって、技を感じ、楽しい。