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加山又造とメディア芸術祭

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《黒い薔薇の裸婦》 1976(昭和51)年 東京国立近代美術館蔵 © KAYAMA Inc

国立新美術館で加山又造展が行われている。音声ガイドの説明によれば琳派や狩野派の絵画をとことん学び取り入れたそうだ。なるほど金銀の色遣いや大胆な構成がそうなのだろう。さらにガイドはこう言う「自分は伝統とは断絶しているのでいくらでも取り入れることができる」。伝統と繋がっている人間が伝統を取り入れると伝統に埋没してしまうということのようだ。「伝統は出発点であり回帰点ではない」と言った篠原を思い出す。加山は1927年生まれ、篠原は1925年生まれである。2人とも昭和一桁生まれののアヴァンギャルドである。加山の作品の中では僕は圧倒的にヌードシリーズが好きである。日本画の繊細さがなければこの画質は出ないだろうし、背景のバラをシルクスクリーンで描く加山ならではのハイブリッド手法だからこそ微妙なニュアンスが映し出されている。
加山展は国立新美術館の1階で行われているが見終わったらぜひ2階に足を運び「文化庁メディア芸術祭」を覗くのがよい。昭和のアヴァンギャルドを見た後は是非21世紀のアートも見てみるとこのお気楽さに笑える。いや別に侮っているのではなく本当に明るく軽く楽しい。作品は4部門に分かれて展示されている。アート、エンターテイメント、アニメ、マンガである。アートを除けばこれは秋葉原感覚である。マンガは自由に読めるし、アニメが上映されているし、エンタメではテノリオンやwiiで自由に遊べる。アートも堅苦しいものはなく、基本的にエンターテイメント性を問うている。面白くないものはアートではないと言わんばかりである。中でもアートの大賞であるマルシオ・アンブロージオのoupsは楽しい。カメラの前に立つと正面のスクリーンに自分が映し出される。するとそこに様々な模様がまとわりついてくる。体を動かすとそれに反応する。下手するとwii fit とあまり変わらない。肉体を鼓舞する装置である。これをアートと呼ぶか、エンタメと呼ぶかもはやその差はほとんどない。営利目的か否かくらいがここでの境界線のようである。

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