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フェルメール展

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「マルタとマリアの家のキリスト」
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「リュートを弾く女」
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「絵画芸術」

フェルメール展が8月2日より東京都美術館で行なわれている。一度にフェルメールの絵画が7点も来るなんていうことは初めてのようだ。去年だったか、国立晋美術館で行なわれた「アムステルダム国立美術館所蔵フェルメール「牛乳を注ぐ女」とオランダ風俗画展」では展覧会名にフェルメールと付いているが、フェルメールの絵はタイトル通り「牛乳を注ぐ女」一点のみであった。その前には2000年に国立西洋美術館で「アムステルダム国立美術館所蔵17世紀オランダ美術展 レンブラント、フェルメールとその時代」展が行なわれた。僕の記憶が正しければ「恋文」1点しかなかったのではなかろうか?
スポンサーの第一生命とTBSの資金力のなせる業なのだろうか?いずれにしても7点も一辺に見られるチャンスはめったに無いはず。そして今回は所謂フェルメールらしい代表作以外も見られることでフェルメールの全体像が見えるように思われる。例えば現存している物で最も古いとされる「マルタとマリアの家のキリスト」や「ディアナとニンフたち」はそれぞれ宗教、神話が題材となっている。日常の風俗画家であるはずのフェルメールは実はそのキャリアの初期は物語画家だったのである。そして小さな絵ばかり描いていたと思われているフェルメールだがこれら初期作品は一辺が1メートルを越す大作だったのである。また光輝く彼の絵はそのテクスチャがどちらかというと「リュートを弾く女」のように点描的に思えるのだが、初期のこれらの作品は面取りしたような描き方である。
かくのごとく余り知られぬフェルメールらしくないフェルメールを見るのも楽しいものである。一方有名はフェルメールの代表選手としては「絵画芸術」なども来ている。この絵は森村泰昌がオブジェ化したことで有名だが、こうしたヴィジュアルを得るための物や人の配置には無理があるようだ。当時のオランダ絵画を規定した透視図法の呪縛の中でフェルメールは微妙にその空間をゆがめていたようである。

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