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2008年05月17日

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モディリアーニ「黒いドレスの女」1918

昨日の早稲田の講義で階級性の瓦解とシャネルの服について話しをした。そこで私はシャネルの描く棒の様な女性のスケッチ(胸もウエストのくびれもない)がモダニズムの新な女性の身体像となったことを説明。ついでに、モディリアーニの絵画に登場する細長い顔と体もこうした新たな身体像に類似していると話しをした。しかしそれは根拠のあることではなかった。
今日モディリアーニ展を国立新美術館に見に行くと、「黒いドレスの女」につてこんな説明文がついていた「第一次大戦以降のアールデコ風な髪型やポワレ、シャネルの新たなファッションがモディリアーニの作品の中に自然に反映されている」。直感的に言ったことが的外れではないことが分かってほっとした。
この展覧会ではかなりの量の鉛筆デッサンが展示されている。それらを見る限り、モディリアーニはデッサンがあまり上手ではない。不器用な画家だったのだろう。先日見たモローやマチスなどの方が遥かに腕がいい。しかしモディリアーニはある日例のアーモンド型の頭と目玉で構成される独特な肖像画のスタイルを発明するわけである。それはカリアティッド(その昔ギリシア神殿の屋根を支えていた人体の形をした柱)のスケッチに始まる。当初のスケッチを見るとウルトラマンを彷彿とさせる。ウルトラマンはモディリアーニをぱくったと思わせるほどだ。そしてこのウルトラマン型のスケッチが例の肖像画スタイルへと発展する。そしてこのスタイルの特徴は眼である。形はアーモンド型、往々にして位置が左右対称ではなく、また片側は輪郭のみで、片側が塗りこまれていたりする。これはスゴイ発明である。眼は肖像画でもっとも面倒臭いところだと思うのだが、それを抽象化しながらえもいわれぬ記号にしてしまった。またこのスタイルを発見してからのモディリアーニ絵画はこうした形態操作もさることながら色が素敵である。久しぶりに図録を見ながら色が全然違うんだよなあと憤慨した。もちろん今回の図録がいつもより精度が悪いと言うことはない。どの図録だって正確に色が出ていることなどない。だから今回特に気になるのは僕が色を気にして見ていたということに他ならない。形はいつも同じだからこそモディリアーニにとって色は重要な要素だったはずである。