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カワイイ その3

『かわいい論』の参考文献だった二つの異国人による日本文化論を読んでみた。一冊は最近の本でアメリカ人、ドナルド・リーチ著(松田和也 訳)『イメージ・ファクトリー日本×流行×文化』、青土社、2005。もう一冊は20年以上前のもので韓国人イーオリョン著『「縮み」志向の日本人』、学生社、1982である。後者はそのタイトルが示すように、様々なものをダウンサイズする傾向のある日本文化を例示する。盆栽、生け花など。四方田も『かわいい論』で述べていたが、今から見れば別にダウンサイズは日本だけのものではない。ドールハウスなど欧米にもミニチュア志向はあるのだが、20数年前にこの指摘は斬新で、各新聞の書評で新たな日本文化論と賞賛されたようである。一方前者はと言えば日本の映画評論で有名(だそうです僕は知りませんが)なリーチの最新日本文化論で、ファッション、カワイイ、風俗産業、マンガ、パチンコ、ケーターイ、コスプレ等から日本を語るものである。ファッション、マンガなどという名詞と同列にカワイイという形容詞が並んでいるところが、言葉の位相を破ってまでも、見出しとせざるを得ないカワイイの言葉の存在力を物語っている。ここでのリーチなりのカワイイの意味合いは愛らしさであり「子供っぽさ」のようである。そしてこの子供っぽさは西欧では大人が持っていてはいけないものであることから、日本人の独自性として捉えている。
ここで外人日本人文化論にたいするお定まりの批判をするならsmallnessもchildishもkawaiiのある一面だという言い方はいくらでもできようが、そもそも意味が不定形なこの言葉を厳密に追い求めてもどうも空しい。使われ方も意味内容も推移しているようである。小六の娘に「きもかわ」とか「へんかわ」という言葉使いをするか聞いたら、「それはおかしいんじゃない?誰も使わないよ」と言っていた。でも「かっこかわ」とは言うよとのこと。かっこいいとかわいいの合成語らしい。おお新たな「カワイイ語」である。なるほど、と思ったのも束の間。「私は使わないけれど」とも言っていた。
カワイイは変遷する。

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