10+1アンケート2013を振り返る
 

[1]──2013年で印象に残った建築や都市を語るうえでの人・建築作品・言葉・発言・書物・映像・メデイア・出来事などを挙げ、コメントをお願いいたします。

ちょっと古い本なのだが、鷲田清一『「聴く」ことの力──臨床哲学詩論』(阪急コミュニケーションズ、1999)は、今年読んだ本でとても印象的だった。哲学はそもそも対話から始まったものなのに、ある時から自らを深く「反省」して物事を「基礎づける」学問となり、現在その方法ではにっちもさっちもいかない危機を迎えているという。アドルノも同様の批判を行ない、そこからの脱却の方法として彼は「エッセイ」という方法を挙げた(「形式としてのエッセー」[『文学ノート』みすず書房、2009])。僕ら理工系大学人はよく「君の論文はエッセイのようだ」とこの言葉を否定的に使う。それは論文というものが今でも「基礎づける」ことで成り立っていることの裏返しである。ということは、アドルノに言わせれば、論文という方法に基づく大学での知の生成には限界があるということでもある。
「反省」「基礎づけ」という自己閉塞的な方法論の否定は、「自己が語ること」から「他人を聴くこと」を必然的に招来する。この「聴く」という動作は「触れる」という動作と密接に関連し、「触れる」は「さわる」と異なり自─他、内─外、能動─受動の差異を超えた動作なのだと言う。ここまで来ると「聴く」とは新たな哲学の位相であり、「聴く」力とは単に音を聴くということを超え、身体が何かを「享ける」力と言い換えてもよい。
この力はとても示唆的である。おそらくこれから建築を作っていくうえで重要な要素のひとつなのだと思う。われわれ建築家が「享ける」べきものはさまざまある。建築を使う人であり、場所であり、材料であり、作る人である。そうしたさまざまな作用をトータルに「享ける」ことをベースとして、極度に基礎づけられていないエッセイのような建築があるのでは?と感じている。原理(アルゴリズム)に縛られ過ぎず、「享けた」ことに柔軟に対応する少々気まぐれなやり方が建築をもっと楽しくしていくのかもしれない。