「生きられた家」は日本では多木浩二の著書を通して広く流布した。受身形のレトリカルな言い回しは不在の主語である「住人」を強調し、その「住人」によって生成される「家」に対し「建築家」によって作られる「建築」を暗示しその意味が本文中で批判的に問われている。多木は言う「家と建築家の作品の間には埋めがたい裂け目がある」と。
ところで本書は1976年に初版、1984年に改訂版が出版された[i]。偶然と必然の産物だが、76年と84年は多木に最も影響を受けたと思われる二人の建築家、伊東豊雄と坂本一成がポレミックな作品を作った年である。76年は伊東の「中野本町の家」と坂本の「代田の町家」、84年は伊東の「シルバーハット」と坂本の「project KO」である。二人はこの期間に『生きられた家』の影響を強く受け、初期の作風から後期の都市に開かれた開放的で多様性のある作風へと変化し、言説空間においてもその影響を強く現し始めるのである。坂本の場合81年「所有対象としての住宅を超えて」[ii]と題した文章において本来使用対象であった家が所有対象化されつつあることに疑問を呈し、さらにこの所有対象としての家を作りあげた張本人が建築家であったことを指摘する。この理路は住人による家(使用対象)から建築家による建築(所有対象)への変更を批判的に見る多木の眼差しと相同的である。また伊東は84年「風の建築をめざして」[iii]と題したシルバーハットに向けた文章のなかで、『生きられた家』における「<つくる>行為と<生きる>行為との亀裂」という多木の指摘に言及した上で、建築家は作る行為において家を対象化し、そこから「建築性」を引き出しているとし、この建築性という枠組みをはずさない限り住まい手と建築家の亀裂は埋まらないと主張した。
ところで多木はこの概念を提出するにあたりハイデッガーの「建てること、住むこと、考えること」(ダルムシュタット、1951)の影響を強くうけているのだが、モダニズムの建築言語を分析したエイドリアン・フォーティー[iv]によればハイデッガーのこうした議論は空間論の系譜の中では「場所が空間を奪った」とされ、空間を否定したポレミックな議論の始まりなのである。そしてその論旨を建築的に言い換えたのがノルベルグ・シュルツの一連の著作やバシュラールの『空間の詩学』(1964)であり、その後再度哲学的に建築家の空間を否定したのがルフェーヴェルの『空間の生産』(1974)[v]なのである。つまり日本では多木において現れたハイデッガーの流れはヨーロッパでは一連の議論として連続している。更に20世紀末に目を向けるならば、アメリカではケネス・フランプトンの書『テクトニック・カルチャー』 に連続する。この書はタイトルが示すとおりテクトニック(結構術)の詩学に傾注しているのであるが、その伏線として「結構」に至る以前としての「建てること」へのハイデッガーの哲学的な思索が横たわっている。だから彼はモダニズム期の建築の中に、使う(住まう)ことで生まれるであろう「生の多様性」に注目し、評価するのであり、そのタイトルが暗示する単なる構造表現主義を称揚はしない。その根底には生きられた建築(家)を掬い取る視線がある。そして21世紀の現在。ハイデッガーから半世紀、ルフェーヴル、多木から30年。フランプトンから10年、我々は未だ彼らから得るものが多々ある。否定された「空間」をとり巻く「環境」の中に未だ見ぬ「生きる家」を追い求めている。
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[i] 多木浩二『生きられた家』田畑書店 1976/【改訂版】青土社 1984
[ii] 坂本一成「所有対象としての住宅を越えて」『新建築』1981年4月号
[iii] 伊東豊雄「風の建築を目指して」『建築文化』1985年1月号
[iv] Adrian Forty "Words & Buildings A Vocabulary of Modern Architecture" Thames & Hudson 2000
[v] アンリ・ルフェーヴル(斎藤日出治訳)『空間の生産』青木書店 2000(1974)
[vi] ケネス・フランプトン(松畑強・山本想太郎訳)『テクトニック・カルチャー ―19-20世紀建築の構法の詩学』TOTO出版 2002(1995)
*( )内は原書出版年
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初出:『READINGS:3 現代住居コンセプション──117のキーワード』(INAX出版)
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