向上心の欠如
僕たち建築家は役所の建築指導課と常に戦っている。もっというと国交相と戦っている。設計という行為は設計を規定する法律と、施工をしきる施工者と戦うことを余儀なくされているのである。そもそも法律というものは法の精神がありその上に具体的な施工令というようなものがあるが、施工令ですべての状況を律することはできない。そこには判断の幅が出てくる。その幅を法の精神をもとに協議するのが法律なのである。その昔日建設計にいたとき役所のいいなりに設計を進めているとよく怒られたなぜそこで役所と議論しないのかと、この法の精神は何なのかと?
さて話を教育の現場に移すと大学というものは文科省の法的な規制下にある、建築業界が国交省の下にあるのと同様である。そのこと自体はあまり問題ではない。問題はそうした大学の運営においてわれわれは大学設置法をはじめ大学をとりまく様々な法の精神を吟味して大学をより良い方向に前進させなければならないのだが、そうなっていないことが問題である。大学の事務というものは大学をよりよく前進させるべく判断する能力に著しく欠如しているのである。その理油はことなかれ主義である。何かをチャレンジングに行うよりかは前例に則って責められないようなことを行うように慣らされているのである。法をよりネガティブに解釈してできない理由を100考えるのは大得意で。できる理屈を法の精神に則って考える創造力はまったくないのである。
これは統括官庁の望む所ではないはずである。中央省庁の役人はそんなに無能だとは思わない。しかし彼らのしたで教育現場で働く人の中にはこういうことなかれ主義の有象無象がいて何の向上心もないことをよく知るべきである。