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リキッド化した世界の文化

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ジグムント・バウマンの新刊伊藤茂訳『リキッド化する世界の文化論』青土社(2011)2014はグローバル時代の文化解釈としてはとても分かりやすい。初期資本主義はソリッドモダンの時代でネーションステートが確立しており、そのネーションステートの秩序を維持するツールとして文化があったのだという。それはブルデューが言うように社会階層に対応した文化というものがあり、富裕層はハイカルチャーを楽しみ、低所得者にはそれに対応するカルチャーがあるというあの話である。社会階層=社会秩序が階層化した文化と合体することで磐石な社会を形成していたということだ。ところが後期資本主義=リキッドモダーンと著者が呼ぶ時代に突入した。世界はグローバル化し、一見終焉と見えた消費世界はますます消費社会化し、グローバル化するファスト、フード、ファストファッションが人々のマネーを奪取するために、瞬間的に商品を変化させている。加えて人々の移動は第三の民族移動の時代を迎え急激に世界を駆け巡っている。ここではネーションステートの境界線は溶解し文化がネーションステートの秩序維持のツールである必然性を失うのである。つまりもはや文化はブルデューが分析したような「場」を形成することもなく、人々は自分の社会的階層と何の関係もなく雑食的に全てを貪り食う状況となるのだという。加えて文化は上記ファストフードやファションと並行関係を持ちながらファストカルチャー化しているというわけだ。バウマンのいう状況に日本が陥っているかというと、にわかに賛成する気はなれないが、おそらく彼の住むイギリスのような日本よりはるかに階級的な社会では実際そうしたリキッドな状況が起こっているのかもしれない。ふむふむ。

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