人間の成熟と建築の成熟
曽野綾子『人間にとって成熟とは何か』玄冬舎2013が朝日の書評に載っていたので読んでみた。書評は少々辛口だったが、僕はなかなか共感するところが多かった。特にそうだったのは彼女の中庸な思想である。目次からそんな言葉を拾い出してみる。
「正しいことだけをして生きることはできない」
「いいだけの人生もない悪いだけの人生もない」
「いいばかりの人もいなければ絵に描いたような悪人もいない」
「人生には悪を選んで後悔する面白さもある」
この最後の標題に書かれていることは彼女がニュージーランドに行った後に彼の地が清浄過ぎて悪のにおいがしないところがつまらないと感じて言った言葉である。これは僕の実感でもある。
曽野綾子も僕も原理主義者の真逆である。世界は矛盾に満ちておかしなことばかりであることを受け入れようとしている。こんな姿勢は建築においても見受けられる。矛盾と複雑さを容認したのはベンチューリだが、日建設計でも僕がいたころ原理主義の部長のSさんが図面を見ながら「おかしいだろう」と部下を叱りつけている上から専務のSさんが「世の中をおかしいことは沢山あるんだよS君」と言っていたのを今でも鮮明に思いだす。二人の性格の差は作るものにも如実に表れていた。
曽野綾子によれば人間においては矛盾を容認できる度量が成熟だが矛盾を容認する建築は果たして成熟した建築か?