都市のエキスを地方に
大学で社会人選抜試験を終えて帰宅。エドワード・グレイザー山形浩生訳『都市は人類最高の発明である』NTT出版2012を読む。都市の素晴らしさがこれでもかというほど並べられている。彼にとって都市とは高密度、高コミュニケーション、高学歴。それによって、文化、社会、政治様々な分野においてイノベーションが起こり続ける場所のことである。
このイノベーションが経済を持続させ、文化を豊かにし、カーボンエミッションも減ずるというわけである。全く正しい。都市のアップサイドを見ればその通りである。では都市のダウンサイドを彼はどう考えるか。都市の貧困、その他を地方に追い出したらもっと悪化するし、都市の喧騒がいやで田舎に住むのであれば、そのエネルギー浪費を自ら自覚せよと言う。
例えば中国インドの人々が郊外化して車をアメリカ人並みに乗り回し、アメリカ人並みのカーボンエミッションを生み出せば世界の二酸化炭素排出量は4割増すという。だから今後二国の発展には著者の定義する都市化が必要だという。
都市が様々なアップサイドを持っているのは改めて著者に言われるまでもない。むしろ必要なことはどうやって地方を「都市化」するかではなかろうか?これはこの本を読む前からそう思っていることである。簡単に言えば地方のの高密度化、高コミュニケーション化、高インテリジェント化である。それをその場所なりのやり方でやることが肝要である。それが地方の明暗を分けると僕は思っている。