日本のモダニズム
今村創平さんが翻訳されたアンソニー・ヴィドラ―『20世紀建築の発明』鹿島出版会2012を通読。
カウフマンが『ルドゥ―からル・コルビュジエまで』を書いたのは1933年。ヴィットカウワーの『ヒューマニズム建築の源流』が1949年、師ヴィットカウワーの影響を受けたコリン・ロウの『マニエリスムと近代建築』は1950年。ロウとは一線を画しテクノロジー心棒者のバンハムの『第一機械時代の理論とデザイン』は10年後の1960年。そしてここまでの4人を「操作的批評」(歴史を計画的に作り上げてしまう方法)として批判したタフーリの『建築のテオリア』はそのまた10年後くらい。
現代から読めば確かに前世紀半ばの近代建築史が操作的であるというのは言うまでもない。彼らは近代建築家と同時代人なのだから。コルビュジエの横で旗振っているようなものである。それはまあいいとしても旗振り係がいたということが日本とは違う
昨日とりあげた浜口隆一の本が1947年にして日本のモダニズムの理論書として殆ど最初。あたりまえだが上述の歴史家たちと比べて論の深みが違う。そしてその後も彼らを超える論理が登場しにくいのは、やはりモダニズムが借り物だからなのだろうか?