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論理が生まれる条件


稲垣栄三『日本の近代建築』(上)(下)鹿島出版会(1959)1979を通読。日本の建築論の萌芽は何処なのだろうか?この本が正しければ、、この本で扱っている明治から終戦までの日本において建築を創作する強力な論理があったようには見えない。
そもそも明治に入って西洋から「建築」を輸入した日本はその輸入した様式を破壊するモーチベーションを持ち得ない。しかるにコルビュジエやミースにとって様式は乗り越えるハードルとして存在していた。その差は大きい。
分離派においても、分離する何かが明確ではないし、分離して目指す場所がよく見えない。だから分離派の遺産が日本の30年代、40年代、そして終戦へと繋がらないように見える(いや、事実繋がらないのかもしれない)。
繰り返しになるが、日本では近代の成立に強い哲学が生まれ得ない。生まれるとするなら、近代以降、あるいは近代がやっと日本のデフォルトになった時(つまりは戦後くらい)である。仮想日本のデフォルトができてやっと戦う相手が見えてくる。、、

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