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アートとは価値を共有できる仕組み?

吉澤弥生『芸術や社会を変えるか』青弓社2011は美術館からマチナカに飛びだしたアートについてルポしている。特に大阪を中心にした追跡である。これを読むまでも無いのだが、読むとなおさら、アートはもはや一昔前のアートでは全然ない。と痛感する。
ご近所さんが皆で集まって毎週道路掃除をして一輪の花を家の前に生けたらもうアートである。つまりそれはある価値の共有だ。
鶴見俊輔は芸術を3つに分けた。プロがプロに見せる「純粋芸術」例えば絵画。プロが素人に見せる「大衆芸術」例えばポスター。素人が素人に見せる「限界芸術」例えば落書き。そして今我々の周りに急増しているアートが限界芸術をベースとした何かである。
それは人を感動させる技のことではなく。沢山の人が価値を共有できる仕組みのことなのである。それをアートと呼ぶのがふさわしいかよく分からないが、倫理と呼ぶには仰々しいし、芸術と呼ぶには貧弱だし、だから残った言葉がアートなのかもしれない。

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