卒計のエスキス
卒業設計のエスキスをしながら思う。
パターン1:作ることに意味が感じられなくなる輩。
こういう輩は作ることで何が改善されるのか分からなくなってしまう。作る情熱が作ることで起きる問題を凌駕できなくなってしまう。そう言う学生達はすなわち作る意志がそもそも僅かしかなかったのである。こういう燃え尽きた情熱を再燃させるのにはよほどの時間とエネルギーが必要である。まあ建築をやめた方がいい。
パターン2:そこそこ絵が描けてしまう輩こういう輩はある程度自分のテイストの範囲でそこそこ及第点の絵が描けてしまう。彼らはそれ以上の努力をすることを極度に恐れる。自分のテイストを超えたところに出たことが無いから。残り時間を賢く計算しながらできる範囲のことを終わらせようとする。こういう方法は無事卒業はできても卒計の目的を達成することも無く、そして評価されることも無い。
パターン3:とにかく出遅れている輩こういう輩は作る情熱もあるし、無意味に器用なわけでもないので、一生懸命なのだがとにかく手が遅く出遅れている。とは言え模型の一つもあるのでいろいろ話は聞くのだが、情熱と手が空回りしながら形にならない。こういう輩はまあとにかく時間かけて少しずつ形にしていくしかない。
パターン4:政治家に向いている輩こういう輩は「県を、市を、街を良くしたい」と叫ぶ。そのためには「人々の交流と触れ合いを大事にしたい」とこう続ける。話はごもっともだし、時間があればその話をゆっくり聞いてみたい。しかしその話の末に建築ができるとはとても思えない。政治の理論と構築の理論は次元が違う。こういう輩はすぐに職業を変えた方がいい。建築よりも実のある人生が待っている。
というわけで「君は設計をやっていくのにぴったりだ」と言う学生は何故かいない。