鶴岡真弓さん曰く「装飾とは非現実の追及」
昼に事務所を出て塩山へ。施主検収である。理事長、園長、建設担当の職員3名に3時間ほどかけて見ていただく。キッチン周りに透明シートを貼る。傘立て周りに防御ポリカを貼る。幼児ユニットの出隅にRをつける。などなど指摘事項は結構たくさんあった。しかし最後の講評では多くの感謝の言葉をいただいた。思わず涙。その昔日建の先輩が「設計というのはこの最後の感謝の言葉をもらうためにやっているようなものだ」と言っていた。当たらずとも遠からずである。
帰りの電車の車中鶴岡真弓『装飾する魂』平凡社1996を読む。装飾とは自然界の花や鳥、木や雲などもあれば直線、渦巻き、丸、四角など自然界に無いものもある。これらの装飾モチーフが装飾になるには厳守されるべき鉄則があるという。それは装飾化するとはそれらの事物の非現実的姿を追及するというものである。鳥であればあり得ない鳥の姿でなければならず、水であれば自然の水が作らない形を持ってなければならない。抽象化された形においては無限の反復であったり、という具合である。
このあり得ない姿を藤岡は人間の知覚の臨界と表現している。「知覚の臨界」魅力的な響きである。着物生地の鮫小紋、アルハンブラのアラベスク、キリンビールのキリン、伊万里焼の唐草、北斎の波、などなど、なにかそこには発案者に迫る非現実への強迫観念のようなものが滲み出ている。
コメント
突然のコメント失礼いたします。
藤岡真弓さんではなく、鶴岡真弓さんと違いますか?
投稿者: kamisoe | March 25, 2011 4:13 PM
ご指摘ありがとうございます。その通りです。修正します。
投稿者: 坂牛 | March 25, 2011 9:09 PM