建築をずーっと好きでいること
午前中ゼネコン質疑の回答をスタッフとまとめる。2社からしか来ていないが他社はやる気が無いか???入札辞退か???午後モケシャ→フォトショで作った外観カラースキームを見る。ふーん!!!しばらく事務所に貼っておくか。最後まで飽きないやつはどれか??
夜石山さんの本を読み切る。面白いねえ。山本夏彦を文章の師匠と仰ぐだけある。建築界では石山と磯崎は双璧だ。石山は大学時代に先生から将来何になるのかと聞かれ「建築家」と答えた。すると父親の職業を聞かれ「教育者」と言うと「建築家は諦めろ」と言われたそうだ。僕も日建設計をやめる時当時の副社長が「やめてどうする?」と聞くので、あまり自信は無かったけれど「独立します」と答えたら「君は血筋がいいか?」と聞かれた。全く同じである。つまり建築家なるものは体制に属し、上流の血が流れ初めて仕事が来るものだという考えがあったわけである。そして今もある。でも石山は巨匠の域になった。
とはいえども世の中に建築設計者はニーズに対して多すぎるだろうし、本気の建築家なんてものはかなりアブノーマルな生き方を実践しなければなるまい。先日藤村龍至君を信大にお呼びしてレクチャーをしてもらったら、学生の頃先生にこのクラスで建築家になれる人などいないと宣告されたと言っていた。僕も学生の頃先生に似たようなことを言われた気がする。さらに僕が信大に来た時とある先生に「才能も努力もしないのにデザインやりたいなんてねぼけている学生に才能が無い!」と進路を間違えないように厳しく言ってやってくださいと言われた。まあそうは言うが、僕も藤村君も「建築家になれない」と宣告されながらもなんとかそれで飯を食えるところまで来たわけだし、石山大先輩は巨匠の域である。一体どうしてよ?と思う。その答えは石山自ら書いている。曰く「・・・それよりもっと必要で、僕も一番難しいと思っているのは、建築や自分の好きなことを30年も40年も好きでいられると言うことへの方法的自覚なのです」。そう言えば同じようなことを山本想太郎君も本で書いていた。曰く「建築家とは建築家を続けられる人のこと」。まったく同感である。これはなかなか難しいことなのだが、どうしたら上手く好きでいられるかをずーっと考えていないといけない。それは配偶者をどうしたらずーっと好きでいられるかを考えることと同じである。相手がいつも魅力的と思えるには工夫がいる。うまく乗せて美味しい料理を作らせるとか、おだてていい作品を作らせるとか、、、そこからオーラが出てくるように操作しないといけない。建築もそうである。建築がいつも魅力的に見えるように工夫しないといけない。心の中の建築の灯が消えそうになる前に名建築を見に行くとか、別に施主はいないのだがひたすらドローイングをして達成感を得るとか、ああやはり建築ってこんなに面白いんだという気持ちをずーっと持続させるためにはそれなりの努力がいるのだと思う。