吉本隆明1968
今日は国立大学前期日程入試が行われる日である。建築学科の倍率は5倍と大きく。試験の監督も教員総出だった。午前中数学、午後物理。2時間ずつの試験が行われた。
試験後、昨日読み始めた『吉本隆明1968』を読み終えた。ところでタイトル中の1968とは著者である鹿島が大学に入学した年号である。そしてその年に改めて読みなおした吉本から受けた衝撃(それを鹿島は吉本の偉さと呼ぶのだが)がこの本の主題である。つまりこの本は単なる吉本の解説本ではなく、吉本の偉大さを現代人に分からせる本である。
その「偉さ」を一言で言えば、戦後のインテリ左派を徹底批判した冷徹な批評眼ということになる。しかしこう書いてもその「偉さ」は分かるまい。つまりインテリの条件のように存在した左の思想を鋭利な刃物で解剖出来たのが彼だけだったということである。敗戦、貧困日本においてインテリたちは、封建的泥臭い日本臭さを心の奥底に持ち合わせていたとしても、ひとまずそれを棚上げして、マルクスに溺れたのである。吉本が批判したのは、まさにこの「棚上げ」という事実である。そして棚上げされた泥臭い日本を象徴する大衆の存在を重視し、大衆から乖離する知識人を批判したのである。
さてこういわれると何かを思い出す。そう『生きられた家』における多木浩二の指摘である。大衆の家があり、知識人となった(本来が往々にして大衆なのだが)建築家がなんとか彼らを洗脳しようとするのだがそこには埋めきれない溝があるという指摘である。多木と吉本は同時代人として、かなりの共通感覚を持ち合わせていたと想像される。大衆の生活を飛び越えた戦後の欧米志向(それは政治的にであれ、建築的にであれ)への冷徹な批判精神を共有しているはずである。もちろんフランス哲学を追求し、徹底して日本的なものから遠ざかった多木と日本的泥臭さにへばりついた吉本とは大きな差があるものの、吉本的に言えば多木の強烈なヨーロッパ志向は内在する日本的封建制の逆説的表出なのかもしれない。
ところで鹿島によれば吉本時代の知識人をその出自によって分類することに意味があると言う。それは大きく3つあり、地方の富裕(インテリ)階級、都会の中産階級、そして都会の富裕(インテリ)階級である。このマトリクスだと地方の中産階級というのもあるのだがその階級出身者は当時は大学へ進むことなどなかったと言う。そしてこれら3つの内、最初の二つの出身者はインテリとしての欧米性を志向しながら日本性(日本的土俗性や封建性)を内在させ、それを抑圧しながら生きている。鹿島はこれを半日本人と呼ぶ。一方3つ目の分類類ら出てくるものは往々にしてその環境が既に日本性を捨象しており、インテリとしての欧米性に充溢している。鹿島はこ子から生まれた人種を無日本人と呼んでいる。この分類は少々血液型的いい加減さも孕んでいるが、建築家にあてはめてみても面白い。例えば無日本人の典型は磯崎であり、半日本人のそれは篠原というのはどうだろうか。二人はどちらも地方の富裕層出身であり鹿島の分析では両方とも半日本人と成りそうなものだが、磯崎は徹底してその日本性を殺した。一方篠原は日本の伝統を出発点とした。もちろんそれは日本を消していくための出発点であり、伝統的な建築を作るための出発点ではなかったのだが。しかしそれでも彼に内在する日本性はその日本性を消すという行為が強くなればなるほど目立つように思われる。彼が刺身を嫌い、ワインを好み、ダンディにふるまっていても、やはり酔えば昔はバケツで日本酒を飲んだという日本性がぽろりと顔を出す。
吉本1924生まれの半日本人、篠原1925生まれの半日本人、多木1928生まれの無日本人、磯崎1931生まれの無日本人。篠原が生前対談の相手に吉本の名をあげたことを思い出す。ブルデュー的分析をしてみたくなるサンプルである。