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いろいろ我慢

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街角の生け花。ほっとする。
冬にしては暖かい京都である。朝一で楽美術館に行ったら休みだった。仕方なくタクシーをつかまえ富小路の町屋を改造したカフェでお茶して京都近代美術館に行く。ボルゲーゼ 美術館(ベルニーニがたくさんあるので有名な)の展覧会を覗く。本物のを知っているともの足りない。作者不詳作品ばかり並んでいた。建物は久しぶりに見たがぐっと魅力が半減している。それはこちらの見る目が変わったからなのだが。京近美を通り抜け南禅寺の山門の手前の金地院を訪ねる。一昨年京都造形芸大の植南先生に勧められて一度来た。小堀遠州の八窓の茶席を是非かみさんに見せたく訪れた。八窓席は遠州好みの綺麗寂といわれるもの。「綺麗寂ってなんだ?」と問うと「明るいこと」と妻の返事。「明るくって寂ってなんだ?」もちろん明るいといっても他の茶室に比べての話。窓も実際八つついているわけではない。それにしても茶室デザインのいい加減さってなんなんだろう。デザインを律するものがない。前回来た時あまり意識しなかったが、この八窓席の手前に長谷川等伯のあの有名な猿候掟月図がある。これは本来国宝級の作品。等伯の松林図屏風は国博のガラスケースの中にあることを考えると未だ寺の襖として使われ、手を伸ばせば触れるようなところにあるのは奇跡に近い。それを言えば、まあ八窓の茶室だってそうなのだが。靴を脱いで寺の中を歩き回ったら体が芯から冷えた。そばを食って体を温めるが効かない。清水の坂を登った少し温まる。茶わん坂とそこから分岐した小道沿いのギャラリーを眺める。陶器に漆をかけた盆、すごく欲しかったが重いので我慢。柔らかい瓜のような形をしたカップ5点。実に欲しかったが嵩張るので断念。小さな佃煮のような蟹の焼き物を手に入れた。玄関に置こう。夕方ののぞみで東京へ。車中、辻井喬(堤清二)、上野千鶴子『ポスト消費社会のゆくえ』2008を読む。広尾に住む妻の知るロシア人が、近所の堤家の邸宅がある日突然跡形もなく解体されマンションになったのを見て、日本人はいいものを簡単に壊すと嘆いていた。この本によると、彼は自宅を売り、100億強をセゾンが傾いたときにつぎ込んだようだ。
9時に東京に戻った。有名人が外国に行き24時間程度の滞在で濃密な(超駆け足な)旅行を楽しむと言うテレビ番組がある。それを真似たつもりはないが、今回の我々も思い立って東京を出て京都に着いたのが昨日の夕方6時。そして今日、京都を出たのが夕方6時。ぴったり24時間。濃密な旅立った。

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コメント

お二人で冬の京都。さすがですね。京都では写真のような花瓶のような設えが路地のそこかしこにあるのでしょうか。
 私たちはこれから桂林に行ってまいります。

鈴新さんこんにちは。コメントありがとうございます。この生け花素敵でしょう?ああ町に対する気遣いが嬉しい。と思ったけれど、実は食事処の玄関でした。でも、お店お店してないんですよ。
ところでこれから桂林とは素敵ですね。これだけ中国に通って、北京さえ行ったことないんだから、本当に余裕のない人生を恥じなければ。

植南から仕事ひろってるんですか

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