« セイムスケール | メイン | リノベーション »

建築と階級

昼の電車で松本へ。松本地区のcmp説明会。40分ほど説明を行い、質問も比較的建設的で前向きなものが多くほっとする。残りは明日の繊維学部。大学に戻り雑用を済ませ内田さんの『近代日本住宅史』の残りを読み終える。なんでこんな本読んでいるかというと、建築表現と社会の階級制度との相関を見るためである。もとはと言えばファッションの表現が階級性の表現であるというヴェブレンの指摘に始まり、ファッションの一般化、大衆化が市民社会の成立と大衆消費社会に後押しされたことを読み、その類比として建築を語れるだろうと考えたのがきっかけである。近代住宅も明治初期は階級制度の表現として上流社会の住宅と中流住宅ははっきり異なる様式で作られ始めた。そして上流階級の住宅は洋風か和風かそのオーセンティックな表現だった。ところが上流階級のそうした表現はそれ以上の発展を見なかった。それは上流階級が減少し、日本にも近代市民社会が徐々に成立したからだと思われる。圧倒的なニーズは中流階級の住宅であり、更に戦後日本においては住宅の大量供給に大半の建築家は従事せざるを得なかった。ここにおいてもはや上流階級の建築の表現はテーマとなる資格も意味も失ってしまった。もちろん現在であろうと豪邸は存在するし、誰かはそうした建築を作っているのだが、それは極めて特殊解として議論の対象になりずらくなったということであろう。更にいえばこうした上流階級の住宅が上流階級を記号化して表示する動機を失い、またそうした記号としての様式が消滅したことにより、もはや建築が階級を示す記号ではなくなってしまったのである。というのが内田さんの本を通読した範囲で分かった建築と階級の相関関係である。
しかし話は続きがある。それは昨今の格差社会と建築の関係である。格差社会の上のほうにいる人たちは実は建築好きが多い。しかし彼らはもちろんもはや過去のものとなってしまった上流社会建築の記号を振り回すこともできないし興味も無い。彼等が欲しいのは記号ではなく実体としての上質な生活であろうと思われる。そしてそれはある程度の差異化も求めている。しかしそれが何かとネーミングできるほど僕には分かってはいない。またそうしたリクエストが新たな表現に繋がるかも目下不明である。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://ofda.jp/lab/mt/mt-tb.cgi/3562

コメントを投稿