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言葉と建築

信州大学工学部建築学科:大学院修士課程 2010年夏


第9講 自然 - nature

1、 建築における美の根源としての自然

1.1 Plato 『ティマイオス』対話篇

建築における美の議論の源流となるモデル。

自然の中のものはみな数的比例ないし幾何学に支配されるというプラトンの考えを持ち出して、新プラトン主義者たちは人間精神を満足させる限り、芸術は同じ原則に従うと議論

1.2 Alberti L.B.『建築論(建築十書)』15世紀中期 

均斉〔concinnitas〕(各部に関して、また全体に関して、諸部分の優美な配置を基礎づける調和の原則)の理論を説明づける箇所で、建築のモデルとしての自然の意義が明らかになる。

「 全体においても諸部分においても、均斉は自然自体においてと同程度には広がらない。……自然が生み出す全ては均斉の法則に規定され、自然の主要な関心とは、何であれ自然が生み出すものは絶対に完全であるべきだということである。……このように結論しよう。美とは、一定の数、外形、位置による、本体における部分の共鳴と調和の形式であり、均斉、つまり自然における絶対で根本的な規則が命じるとおりである。これは建てる術の主要な目的で、その尊厳、魅力、権威、価値の源である」

1.3 Perrault, C『五種の柱の配列』(一六八三年)

建築美が自然に基礎づけられるという考えへの最初の明らかな挑戦。建築の比例関係に対する自然の優越をペローが否定したのは、実際、顕著で徹底しており、以後二世紀以上にわたる、建築と自然の関係に対する、根本的な再考の先頭を切った。

「 自然の模倣も理性も良識もけっして、柱の諸部分の比率や{規則|オーダー}通りの配置に見られると主張される美の基礎を構成しない。実際、それら諸部分から与えられる快には、慣習以外の源を見出すことができない。」

ペローの議論は、美が対象に宿るとの考えの最終的な終焉、そして美が見る主体の構成物であるという考えへの交替、これらの嚆矢となった

 

2、建築の根源

2.1Vitruvius『建築書』第二書第一章

建築の神話的な根源が述べられている。これによりルネサンスとルネサンス後の理論家たちは幅広く、ときには大胆に、始原の建築の形態について思索を凝らしてきた。

 

2.2 Filarete(一四六〇〜六四)の試論

最初の建物は木の幹で造られた小屋であり、柱の根源の形態を与えたと提言

 

2.3  17世紀後期

始原の建物やオーダーの根源に関するウィトルウィウス的な神話(『建築書』第四書第二章)は建築を人類の最初の「自然な」状態に結びつける手軽な根拠を与えたため、ルネサンス期の建築に関する書き手たちに人気があった。

 

2.4 18世紀

英雄的な原始の建築者というウィトルウィウス的考えはもはや真剣に受け取られず、単なる迷信とみなされ、建築の神話的な根源という物語が主張しつづけられたが、それは全く異なった目的、つまり建築を理性的な体系とする考えを示すために役立っていた

―Laugier  M. A.『建築試論』(1753年)

著書の中で彼の素朴な小屋を見失わず、それが表現する諸原則にしたがって論じる建築術のあらゆる面での利点を主張

 

3、建築の価値安定化──「ミメーシス」または自然模倣

3.1      古典の著者たち

(特にキケロやホラティウスに見られる芸術理論において根本的な考え)

―自然を模倣する能力であるということ

しかし建築は再現的な芸術ではなかった。建築は自然の物体を再現するのでも、詩作のように人間の気分や感情を再現するのでもないから。

つまり建築に内在的な、自然を再現することの不可能、またしたがって模倣的芸術と認定することの不可能は、建築が自由学芸として受け入れられるにあたり重大な障害だった。

 もし建築家が詩人や画家と社会的に同等の間柄に立ち、自身を建築職人と十分差別化しようとするなら、建築は自然が表現される芸術だと証すことが必要。 15世紀末から18世紀末にかけて、この問題は建築思想において主要な関心事

 

 →これに関しては二種類の議論

?      建築がその自然のモデル(= 仮想上の原始の建物 )を模倣すると主張

建築が材木や皮革を石材に翻訳しながら小屋やテントの形態を再現するかぎり、それを自然の模倣と呼び得た。

?      建築が自然の表面的な外観を再現しない一方で、自然本来の諸原則を再現できただけでなく実際行ってきたし、自然の再現が直接的で文字通りであるような他の芸術ジャンルより、その意味でもっと深遠なミメーシスの形式をもたらした、というもの、自然の再現に対するこのアプローチは十八世紀後半に集中的に精緻化した。これによって初めて建築家は、自分の技術がたんに他の芸術に等しいだけでなく、むしろ優っていると主張できた

3.2カトルメール・ド・カンシー

建築が模倣であるとのダランベールの提言を擁護し、建築がいかに自然を模倣するかについてロージエより説得力のある説明を提示する

・カトルメールの出発点

 建築が模倣するとされる「自然」は物理的な物質の世界をいうのか、その世界について人々が抱く観念を言っているのかという問い

彼の答えは、両方だというもの

?                      木造建物の石による文字通りの模倣

?                      自然物に見られる秩序と調和の原則の類比による模倣

 

4、芸術における自由を正当化する際に持ちだされた自然

4.1古代ギリシアの哲学

自然と芸術との差異は、アリストテレスが述べたように「芸術は自然が完成に持ち込めないものを部分的に仕上げる」こと

4.2 16〜17世紀イタリア

自然がつねに創られたものにおいて不完全だという考えがますます芸術における思考で優位を占め、自然のモデルから離れる芸術家の自由を正当化

16世紀のミケランジェロとヴァザーリ

17世紀 ベルニーニ

4.3その後のフランス、イギリス 

芸術は自然を凌駕する。

この考えは庭園設計では効果がとくに明確

・ヴィラ・ランテなどの十六世紀イタリアの庭園

・ル・ノートルによるヴォー=ル=ヴィコント

・ヴェルサイユのような十七世紀フランスの庭園

 

5、政治的理念として──自由として、制約の欠如としての自然

―自由で気取らないものとしての「自然」という現代の意味

イギリスの哲学者の手になるこの意味の展開 →ヨーロッパの専制政治、特にルイ十四世の体制が解放、言論の自由などの「自然」権を否定したと受け取られたものへの反発

特に美学的な次元での展開はロード・シャフツベリによって初めて解説『モラリスト』(1709年)

「 私はもはや自らのうちにの種類の〈もの〉に対する〈情熱〉が増していくのを禁じえない。技芸も〈人間〉の奇想も気まぐれも、そうしたものの本物の秩序を、かの原始的な状態に割って入ることで台なしにはしなかった。粗野な岩石、苔むす洞窟、不規則で手の込んでいないグロット、砕かれた滝さえも、野性そのものの恐ろしい〈魅力〉がありながら、〈自然〉をかえってよく表すものとして、ますます人を引きつけ、〈王侯の庭園群〉の形式張った茶番を超えた〈壮大さ〉をもつようにみえるのだ。」

 

6、観者の知覚の構成物としての「自然」

6.1 Hume, D

「 美はもの自体にある質ではない。ただ単にそれを観想する精神に存在する。そしてそれぞれの精神が異なる美を受け取る 」(1757)

ジョン・ロックの伝統に連なるイギリスの哲学者達に継承

そして芸術への適用

6.2 Burke, E『崇高と美の観念の起源』(1757年)

建築において、18世紀中期にもっとも広く読まれ広範な影響力を持ったテクスト

ペローと同様に、美しい建築の比率は自然物や人間の形体に由来するという考えを捨て去った「人体が建築家にいかなる指針も与えないということは私には明白である」と記した。

 

7、「第二の自然」としての芸術

7.1Goethe

ゲーテにとって、解剖学と植物形態学の研究こそが、彼が芸術と自然との関係について理解を広げる際に影響

「自然を全体であれ細部であれよく見ると、私はいつもこう自問する。ここに表現されているのは対象なのか、お前なのか、と。……現象は観察者からけっして分離できない、むしろ観察者の個性に編み込まれている」

つまり芸術作品の質とは、それが生きる精神の産物であり、作品を見ることは生きる主体の積極的な知覚の関与をともない、その点で、芸術はその形成においても受容においても、双方で自然のようであった。ということ

「ドイツ建築について」(1772)

ロージエの理性主義的な「自然」概念に対する攻撃。作品が人間の表現への本能の所産であることに建築作品(この場合ストラスブールの大聖堂)の力が存すると提唱

7.2 Semper, G・Ruskin, J

彼らは建築が自然に何らかの類似点を持つものの、それ自体は自然ではないというゲーテやドイツの哲学者によってなされた区別を完全に受け入れていた

Hegel, G・W『美学』(1835年)

建築は「明らかに人間の手によって建てられた無機的な自然であり」、「内在する精神によって特徴づけられ生気づけられる」有機的な自然と区別されるのである

・ゼンパー

建築の根源が自然にないことを力説(1834年ドレスデンにおける就任演説にて)

「建築は他の芸術ジャンルとちがい、手本を自然に見出さない」代わりに

「工業技術が……建築ないし芸術の形態と規則一般を理解する鍵である」

したがって、ゼンパーの記述のほとんどはまったく建築に触れることなく、製織、陶芸、金属加工、大工術、石工術を取りあげた。

もっとも単純な原型の形によって展開し説明されるすべてのものと同じように、限りなき多様性がそれでも基礎の観念において単純でわずかであるような自然におけるように、自然が繰り返し同じ骨格を何千と修正することで新しくしてきたのと同じように……それらと同じように、自分の芸術作品もまた、根本的な諸観念によって条件づけられた一定の標準形態に基づきながら現象の無限な多様性を許すものだと、私は自分に言い聞かせる。(「建物の比較理論の趣旨」一八五二年、ゼンパー『四要素と他の記述』170)

 

・ジョン・ラスキン

英国のピクチャレスクを同じドイツの哲学学派の理論に注入すること。自らの極めて宗教的な見解によって、自然を神の作品と見なし、そのため英国の風景画への崇敬と併せて、自然は唯一あらゆる美の根源であると固く信じるに至った

・『近代の画家』(1843)における画家への提言

「心をまったく純真にして自然へ赴き、苦労しつつも信頼して自然と共に歩み、自然の意味を見抜くのがいかに最高であるかだけを考え、その教えを覚え、何も拒まず、何も選ばず、何も軽蔑しない」こと

・『建築の七灯』(1849年)における建築家への助言

「建築家は画家のように、都市で長く生活するべきではない。建築家を我らが丘に送りたまえ、そこで自然ではバットレス、ドームがどう理解されているのか、学ばせよ」

 

8、「文化」の解毒剤としての自然

― Emerson, R.W.

自然は文化の人工性に対する抵抗の手段であるとの考え

 彼の自然観

8.1.1.ゲーテとイングランドのロマン主義詩人からの影響

1830年代に人間の精神の力によって表された事物の質として自然をみた 「その美とは人間自身の精神の美である」(1837, 87)。

8.1.2 自然のうちに超自然的なものの啓示をみる

「あらゆる自然における事実は霊的事実の象徴である」(1836, 49)。

よって自然を用いて、人間は自身の精神的存在を自覚

「正確に捉えるとすべての対象はまさしく魂の新たな能力を解放するものとなる」(1836, 55)。

8.1.3 アメリカで考えられた思考だという背景

1837年、彼は「われわれはあまりに長くヨーロッパの優雅なミューズに耳を貸してきた」(104)と不満を述べ、アメリカ人はその着想を日常の、そして自然の、直接経験から求めることを示唆

この日常の経験とは、部分的にはアメリカ人が歴史に条件づけられることなく自然環境と直面するということであり、またそこから生の哲学、芸術の哲学が生じるということ

 

9、自然の拒否

 一般にヨーロッパの思考において、ダーウィンなどによる自然科学自体の発達に伴い「自然」への関心は19世紀後半において著しい下降線を辿る

9.1 Baudelaire, C 『現代生活の画家』(1863)

「自然が我々に教えることは何もない」

「自然は罪悪以外なにものも促さない」

9.2 Nietzsche, F『悲劇の誕生』(1872)

自然と芸術との本質的な峻別は彼の生涯を通じた主題

「芸術は自然の模倣ではない。むしろ自然の傍らで育まれ自然を乗り越えるための形而上学による増補である」

9.3 Marx,K /Engels, F

二種の自然を仮定

?                      そこから材料を採られるという自然

?                      人の営みの結果として作りだされ、日用品となる自然

十九世紀末葉までには、特に「{近代|モダン}」を信奉した建築家に対し、自然は何も与えるものがなくなっていた。

9.4Wagner, O

建築が特別に持つ質とは「それだけが自然に全く規範を置かない形を作りうる」「その産物〔建築物〕をまったく新たに形作られたものとして示しうる」

この観点は、ゴットフリート・ゼンパーの議論からの系譜

二十世紀初期のモダニズム建築の特徴的な態度&広く建築に関する思想を支配するもの

 

9.5 Woringer, W『抽象と感情移入』(一九〇八年)

もし「自然」がもはや建築について整理して考える際に役立つカテゴリーとして用がなくなったならば、その代わりは何だったのか?という問題をすべての視覚芸術にとっての一般的な問題として認識。彼の考えた芸術は決して自然を表象しないし、第二の自然でもないし、自然を参照することで価値体系を引き出すこともない。むしろ、芸術は「自然と同等の地位で並び、そのもっとも深く内奥にある本質において、自然を事物の目に見える表面として理解する限りでは、自然と何ら関係を持たない」

 

9.6 二十世紀建築のその後

9.6.1 イタリア未来派

− 1914年の未来派建築マニフェスト

「古代人が自然の要素から自らの芸術の着想を引き出していたのと同様に、我々は……この着想を、我々が作りだしたまったく新たな機械にみちた世界の要素から見出さねばならない」

→ 技術にこそ建築が規範を見出すという考え

= 間違いなく二十世紀において「自然」に代わる唯一もっとも重要な考え

 

 9.6.2 モダニズム建築家において、自然を否定しなかった例

フランク・ロイド・ライト・ル・コルビュジエ

・ライト

「第一に、自然は、我々が知っているような建築形態が生み出された建築上のモチーフのために、材料を供給する」

→ 次の世代のアメリカ人建築家、ルイス・カーンがあえて「自然」を斥けたとき(「人が作るものを自然は作れない」)、これはある意味でアメリカ人がヨーロッパの伝統に明らかに再び取り組んだことの現れだったといえる

・ル・コルビュジエ

→ 彼の初期の教育は、自ら読んでいたラスキンに多大な影響を受けていた

∴ 未来派による機械時代の比喩表現の方に入れ込んだ一九二〇年代の合間を除けば、ラスキンに着想を得た「自然」への情熱がつねに現れていた

 

10、環境主義──生態系としての自然と資本主義批判

10.1 環境運動

・建物はエネルギーを過度に使用し、生態系の微妙なバランスに多大な影響を与えているという認識。建築〔行為〕は将来の地球上の生命に影響を与える実践。 リチャード・ロジャース

「建築には自然との対立を最小化する必要がある。このためには自然の法則を尊重せねばならない。……建物を自然の連鎖の中に入れることで、建築はまさしくその根源に立ち戻るだろう」(1997)

 

10.2 資本主義批判

生産という社会関係から人類と「自然」との関係に転換。

この議論は少なくとも環境保護運動の基礎の一部&国際規模の資本主義への批判を支えてきた。同様にこの議論は、工業生産の主流の外にある技術や過程を用い、支配的な政治的経済的秩序を批判する意図で、「代替的な」建築の開発を刺激

 

10.3 環境主義

「自然」を建築上の特質の新たな基準としたかもしれないが、「建物を自然の連鎖の中に入れる」とは何を意味するのかについては全員一致からはほど遠い。「地球にやさしい」建築に適切な材料とは何かについての多様な意見によって、この見解の相違がわかる。環境主義の浸透とそれが生みだすたくさんの矛盾が、ほぼ確実に、「自然」が建築において有効な──争点ともなる──範疇であり続ける