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言葉と建築

信州大学工学部社会開発工学科:大学院修士課程 2005年冬


第5講 形 - form

1、「形」に内在する両義性

1.1一方では「形状」を意味し、他方で「{考え|アイデア}」や「{本質|エッセンス}」〔「形相」〕を意味かたや感覚がとらえる事物の特性をさし、かたや精神がとらえる事物の特性をさしている

1.2ドイツ語(形に関する近代の概念が最初に発達した言語である)はこの問題を考えるにあたって英語より少し有利

∵ 英語には「{形|フォーム}」のただ一語しかないが、ドイツ語には「{形態|ゲシュタルト}」と「{形式|フォルム}」の二語があるから

→ 形態は一般には感覚で受け取られたものとしての対象を言うが、形式はふつう具体的な個物からある程度抽象化することを含意している

1.3「形」という言葉

十九世紀末まで、建築において、単に「{形状|シェイプ}」や「{量塊|マス}」を意味する以外、言い換えれば建物の感覚上の特性を記述する以外には使われない

2、古代における「形」──プラトン(Plato)とアリストテレス

―西洋哲学の長い歴史において「形」は哲学上の多岐にわたる問題への解決策として役立ってきた。建築に適用される前の「形」という言葉の哲学上の使い方を簡潔に見る価値があろう。

 2.1 Plato

    2.1.1 古代における「形」の概念の第一の創始者

−「形」が複雑な諸問題(実体の本性、物理的変化の過程、事物の知覚)への解決

           ―すべての事物は本質において数か数比として記述できるというピタゴラスによる先行理論

−ここで不変かつ精神〔mind〕によってのみ捉えられるものが「形」であり、感覚〔sense〕によって捉えられる事物と対比

「個物は視覚の対象であって知の対象ではない。一方〈形〉は知の対象であって視覚の対象ではない」(_Republics_, §507)

「第一に、不変の形が存在する。作られたわけではなく壊すことはできない。なんら変形を受け入れず、どんな組み合わせも作らないし、視覚やその他の感覚で知覚することはできない、思考の対象である。対して第二に、形という同じ名前を背負い、形に似ているが、感覚可能で、実在〔existence〕として生じるものがある……これは感覚に助けられながら理念によって把握される。(§52)

 

 

―『国家』でプラトンは哲学者が感覚可能な形の追求において基本的な幾何学図形で始めることを説明

「哲学者は実は図形について全く考えておらず、その図形のオリジナルについて考えているにもかかわらず」

「彼らが描いたり作ったりする図形……彼らはそれを単なる説明として扱うのであり、彼らの追求の真の主題は精神の目なしには見られない」

 

―本来見えない事物の形という対象の特徴を一連の「形状」としてプラトンが示したことで、近代、ことさら建築において形の二つの意味はいまだに混乱している

 

2,2アリストテレス(Aristotle)

2,2,1形と事物との間の根本的な区別を作ることへのためらい

―対象がもつ物質と独立して、物質の内に見いだされる何らかの絶対的な存在が形にはあるということを受け容れようとしない

「それぞれの事物それ自体と、その本質とは、一にして同じである」(_Metaphysics_, §1031b)。

2.2.2アリストテレスの「形」に関する考え

―プラトン批判や、つねに「視覚や他の感覚に知覚できない」ものに絶対的な優位を認めることへの抵抗感から生み出されたものと考えるべきではない

―植物と動物の発生過程に対する考察から起こった:『動物部分論』

有機物の根源をその発達の過程のうちに求めるのは誤りで、むしろその完全な最終状態における特徴を考察し、その後初めて発達を論じなければならないと議論

―これを建物の類比で正当化

「家の平面図、ないし家は、かくかくの形を持つ。そしてそうした形を持っているが故に、その建設はかくかくの手法で行われるのだ。というのも発達の過程も最終的に発達したもののためであって、過程のためにこれがあるのではないのだから。」

 

―植物と動物は観念の中ではなく、時間の上での実際の先行者のうちに、その萌芽がある

 

プラトン 知ることのできない、萌芽の観念としての「形」

アリストテレス 芸術家の精神から作られた遺伝に関わる物としての「形」

―この区別のうちに、近代において「形」という語のあいまいさを生み出した理由がある。

 

3、新プラトン主義とルネサンス

3.1形〔form〕と物質〔matter〕との関係を説明するため、後期古代と中世に続く哲学者達も使った。

−混乱することには、彼らは美の原因と起源とを定めるためにこの比喩を用いていた

―これはアリストテレスが意図した目的とは全く異なる

3.2ルネサンスの人文主義者たち

−建築が古代の哲学者達の世界観に適し、実際に世界の過程の類比を与えてくれる、と示したがっていた

−アルベルティ(Alberti, L.-B.)(15世紀中頃に書いた『建築十書』において)

「形」の古来からの一連の理論をなんとかうまく利用

―「建物の形と{形態|フィギュア}とのなかには、精神を興奮させてただちに精神によって認識されるような、ある本質的な美点が宿っている」

 

−エルヴィン・パノフスキー(Panofsky, E .)のアルベルティ解釈

マテリア−自然の産物 リネアメンティ−思考の産物

→これらアルベルティの区別を同じ用語で翻訳。すべてを「形」の観点から見ようというモダニストの傾向を持っていたので、リネアメンティを「形」と訳したが、これは説得力に欠ける。

―ミケランジェロの彫刻観 = 芸術家の観念を囲い込むもの

 アリストテレス的な基盤を持っている(パノフスキーの指摘による)

―パッラーディオのパトロンであるダニエーレ・バルバーロ( Barbaro, D. )

(ウィトルウィウス(Vitruvius)への論評において)

「全作品に刻まれ、理性に始まりドローイングを通じ達成されたものは、形と質をもった、芸術家自身による精神の証である。というのも芸術家はまず精神から働きかけ、内的状態のあとに外部の物質を象徴化するのだから。特に建築においては」

4、ルネサンス後

―古代の哲学において発展した形の観念

―人文主義の学者らに関心を持たれている一方、建築の通常の実践やその語彙に対しては、二十世紀までほとんど影響力を持たなかった

―16〜18世紀を通じて、また実際のところは20世紀のドイツ語圏諸国を除けばどこでも、建築家や批評家が「形」について語るときは、ほぼ間違いなく単なる「{形状|シェイプ}」を意味

―1790年代に発展した「形」への新たな関心→ 二つの異なる側面

1)           カントによって展開された美的知覚の哲学に由来

2)           ゲーテによって展開された、自然と自然発生の理論に由来

 

5、Kant, I.

5.1十八世紀後期の哲学的な美学という学問分野

−美の淵源が対象物それ自体にではなく、それを知覚する過程のうちにあるという認識が元

−この議論の展開において「形」は重要な概念となり、もはや(古代やルネサンスを通じてそうだったような)事物の特性ではなく、事物を見る上での特性に限られることとなった

−『判断力批判』(1790年)

−美の判断が切り離された心的能力に属し、知識(認知)にも感情(欲望)に繋がっていない

5.2 形の重要性

−美的判断がただ「形」にのみ関連すると強調

「趣味の純粋判断において対象の快はただその形の評価にのみ連関する」

(_Critique of Judgment)。

−魅力や他の連想を引き起こすすべて、つまり色、装飾といった偶有的な特性はみな、余計である。

「絵画、彫刻、いや実はすべての造形芸術、建築や園芸に至るまで、美術である限り、デザインこそ本質である。ここでデザインとは感覚を喜ばすものではなく、ただ形によって喜ばせる物であり、趣味の根本的な必要条件である」(67)

−美的判断から対象の有用性に関する諸側面をも除外

「美的判断は……我々の注意に対象の質を一切含めず、ただその対象に携わった表象の力を確定する際の最終の形のみを持ち込む」

5.3 見られたものではなく見ること

−カントの思想における、「形」という言葉の歴史における重要性

−「形」が見ることのうちにあり、見られたものにはないことを立証し、またそれは「形」が、精神が対象に美を認識する限りにおいて、対象のうちに内容や意味とは独立した形の表象を精神が見取るからだと立証したこと

 

6、ロマン主義著述家のGoethe, J. W. 、Schiller, F.,Schlegel, A. W.ら(カントの同時代人)

―美的体験を生み出すに当たっての見る者と対象との間の関係についてのカント説明に熱中する一方で、カントの抽象的な図式では、形のうちに、また快の本性のうちに、なぜ快を得られるのか十分に説明できないと感じた。

 

6.1 Schiller, F.『人間の美的教育について』(1794〜95年)

―「生きた形」という観念を、なぜ芸術作品が美的に満足するものとなるのか述べるために展開

―人間の心理は二つの衝動──「{形式|フォーム}衝動」と「{感性的|センス}衝動」──を通じて説明され、第三の衝動「{遊戯|プレイ}衝動」によって、主要な衝動の二つそれぞれは完全性を保ちながら相手を認識できる。

遊戯衝動が対応する外的な対象が「生きた形」であった。

 ―シラー(Schiller, F.)にとって、ゲーテ(Goethe, J. W. von) と シュレーゲル(Schlegel, A. W.)同様、全芸術の主題はそのような「生きた形」の中で我々が自らのうちに感じる生命をはっきり表現することであった。

 

6.2Goethe, J. W. von

−シラーの「生きた形」の概念は友ゲーテが自然科学について展開した観念と密接に連関

―1780年代後半からとりかかった植物の形態の研究において始原の植物がもつ原型〔Urform〕にはすべての他の植物──いまだ実在しないものまで──が連関するという。

―1787年、Herder, J. G. vonへの書簡

「原型となる植物[Urpflanze]はこの世界が経験したもっとも奇妙な成長を見せるでしょうし、自然それ自体がそのことで私をうらやむでしょう。そのようなモデルと、それへ通ずる鍵とを手にすることで、無限に多様な植物を作り出すことができるでしょう。それら植物は厳密に論理上の植物となるでしょう──言い換えれば、それらは実際には存在しないとしても、存在しうるのです。それらは単にピクチャレスクであったり想像を映しだしたりするものではないでしょう。内的な真実と必然性とが吹き込まれています。これと同じ法則が、すべての生けるものに当てはまるでしょう。(_Italian Journey_, 299)」

―ゲーテ(Goethe, J. W. von)や他のロマン主義者にとって自然に見いだされる有機的な形と全く同じ原則が、等しく芸術に、また実のところ人間の文化のあらゆる産物に当てはまる。原型とまさに同じ概念がヴィルヘルム・フォン・フンボルト(Humboldt, W. von )の言語研究に適用され、そこから今度はゴットフリート・ゼンパー(Semper, G. )の思考において、建築へのアナロジーを与えた

 

―ゲーテ理論の意義 思考にしかわからない絶対的で観念上のカテゴリーがあると仮定せずに、自然──と芸術──の常に変化し続ける側面を認める「形」の理論を与えたこと

 

―シュレーゲル(Schlegel, A. W.)の『劇芸術および文学についての講義』(1808〜9年)

−ロマン主義者の「有機的な形」についてもっとも明快で、おそらくもっとも影響力があった記述の一つ

 

「形という用語の精確な意味を理解しなければならない。というのは、ほとんどの批評家と、とりわけ生硬な紋切り型に基づいて主張する者が、この語を単に機械的な意味で、有機的な意味でなく解釈するからだ。形が機械的であるのは、外部からの力を通じ、形がその質を顧みることなく、単に偶有的に加わったものとしてなんらかの材料に与えられたときである。たとえば、柔らかい塊にある形を与えて、その塊が固まった後同じままでいるときのように。やはり、有機的な形とは生来のものである。つまり有機的な形は自らを内部から開示しながら、萌芽が完全に発達すると同時にその形を決定づけていくことができるのだ。我々は自然においてどこでも、そのような形を、あらゆる生きた力を通じて見いだす。塩や鉱物の結晶作用から植物と花まで、植物と花から人体に至るまで。自然──至高の芸術家──の領域同様に、美術でもすべての純粋な形は有機的であり、つまり作品の質によって定まる。つまり、形とは意義のある外部に他ならず、個々の事物にある雄弁なる外観、何らかの破壊的な偶発事で台無しにされない限り、その隠れた本質の真の証となるものである。(340)」

 

―ロマン主義者の「生きた形」という考えは、形が対象のみならず見る者の特性であるというカント的な観念を伝えている。その一方、カントの概念の純粋性を脅かしてもいる。というのも、形にはシュレーゲルが言うように、別のもの、つまり内的な生命力の_記号_となる危険があるからだ。ロマン主義者は苦労して、主体が自らの心理を感じ取ることを通じてこそ、対象の生きた形を認識できるという主張を通じ、二つの概念の間の統一性を保とうとしてきた。その一方、対象の特性から精神的なカテゴリーを切り離そうという傾向は、我々が次に見る十九世紀初期ドイツの観念論哲学の発達の中で浮き彫りになっていった。

 

7、観念主義(カント、ゲーテ、ヘーゲル)

7.1「形」という概念

―十九世紀初期にドイツで混同されてきた

・カント:知覚の特性

・ゲーテ:事物の特性、「萌芽」ないし発生の原則

・ヘーゲル:事物の上にあって先んじている特性であり、精神のみが知ることができる

7.2 Semper, G 建築において著作中で「形」が重要な概念となった初めての著述家

―この用語を少なくとも二つの意味で使用

? 形の観念に関する純粋に観念主義的で、ヘーゲル的な言明

・「芸術の形は形以前に存在したに違いない原則や観念の必然的な結果である」。

? ゲーテに拠ったもの

・芸術の連続的な変化過程を基礎付ける共通の原型を模索すること(『様式』冒頭で彼がその企図を説明)

 

8、フォルマリズム(ドイツ)

8.1     ドイツの哲学的な美学は二つの学派

−1830年代から、ドイツの哲学的な美学は二つの学派に分かれた

一方は一般的に観念主義者 : 形のもつ意味に関わった。

他方はフォルマリスト : 知覚以上の意味をもたない、形の知覚様態に専念

 

8.1 J.F.Herbart(ポストカント主義)

―ハーバートは美学を線、色調、平面、色彩の基礎的な諸関係を心理的に受け取るという観点から美学を定義し、著作のほとんどをこの過程の心理学的な側面に充てた。

 ―ハーバートの美学19世紀後半にほかの哲学者によって展開

8.1.1.Zimmermann, R

―発展的な「形の科学」の展開

−形そのものよりも、特に形の間に感知された諸関係に専念した科学を展開

 

8.1.2. Goller, A.

―フォルマリズム美学が建築に適用しうる可能性の一部が表現

『建築におけるたゆみない様式変化の原因は何か』(1887年)

「建築こそ_目に見える純粋形態の芸術_である」と提示

形の美を「本質的に楽しく、無意味な線の、あるいは光と影の、戯れ」

「形は、何ら内容がなくとも見る者を喜ばす」などと定義

 ―抽象的で非対象指示的な芸術の発展を予告しその根源が建築にあることを示唆

 

―ゲラーの論考は例外 むしろ1870年代以降、フォルマリズムの美学に対する潜在的に不毛なアプローチを再活性化できたのは、「感情移入」という、より科学的な概念を作り出した、「生きた形」という、先行するロマン主義の考えのため

8.2『感情移入』

―芸術作品に魅了されるのは、我々が作品に自らの身体に伴う諸感情を見とる能力を持っているから

―1856年、哲学者へルマン・ロッツェ ( Lotze, H.)

「どんな形も弾力を持っているから、我々の想像力がそこに生命を投影せざるをえない」

―哲学者ローベルト・フィッシャー(Vischer, R.)によって取り上げられ、初めて建築と関連づけられた。(重要で影響力を持つが全く思弁的な一八七三年の論考「形の視覚について」〔On the Optical Sense of Form〕において)

―建築のみならずすべての芸術においてその後の使われ方にもっとも大きな影響力をもった著述家の二人

歴史家Wolfflin, H.

彫刻家Hildebrand, A.

 

8.3 Wolfflin, H.

−博士論文『建築心理学序説』(1886年)

冒頭の問いは、建築の形はいかに気分や感情を伝えられるかというものである。ヴェルフリンの答えは感情移入の原則のうちにあった──「物理的な形がその性格を表現できるのは、我々自身が身体を持つからである」、というのも「我々自身の身体の組織化は、我々があらゆる物理的なものを把握する上での形である」からだ。

「我々を直立させ、形を失って崩れることのないようにしているものは何か。それは我々が意志とか生命など色々な言い方で呼んでいるだろう抗力である。私はそれを形の力〔Formkraft〕と呼んでいる。_物質と形の力との対立_は、有機的な世界の全体を動きのただ中におき、建築の第一の主題となる……形になるため奮闘し、形のない物質の抵抗に打ち勝たねばならない意志がすべてにあると想定できる」

 

―「形は物質を何か外部のものとして取り囲むのではなく、内在的な意志として物質から外ににじみ出るのだ。物質と形とは分けられないのだ」(160)。

1) 装飾を──ほとんどのモダニストがそうしたように──形に敵対するものと見なさず、むしろ「形の過剰な力の現れ」(179)とみなす

2)「近代」(つまりルネサンスとそれ以降の)建築に関して「近代精神は特徴として、建築の形が何らかの努力で物質からにじみ出るのを好む。この精神はそうなることの過程、形の漸進的な勝利ほどには、結論を追い求めはしない」(178)。

3)      もし「形」が何よりも見る者の知覚に属するのであれば、建築における歴史的変化は何よりも視覚様態の変化という観点から理解されるべきだと彼が認めたこと──つまり、視覚には建築と同様_それ自身の_歴史があるということ(もっとも重要)

8.4 Hildebrand, A.

『美術における形の問題』(1893年)

―この本は「印象主義」、及び、芸術の主題が事物の外見にあるという見方に対抗して書かれた

−「形」と外見とを峻別することから始めた

−事物は変化する様々な外見のうちに現れ、そのどれもが形を表すこともなく、ただ精神に受け取られるのみ

―「形の観念とは、我々が外見を比較することで抽出した総和である」(227-8)。

−形の感覚は筋感覚の経験、ないし事物が目に現れる外見を解釈するのに必要な、実際のもしくは想像上の運動で得られる。

8.5 Schmarsow, A.

「建築創造の本質」(1893年)

−見る者の感情移入がその{量塊|マス}ではなく、空間にこそ導かれるという事実に建築の特異性があると論じた

−建築空間と身体の形とがただちに等価であると提示 「空間の直感された形は、どこにいようと我々を取り巻き、我々はつねに自らの周囲にこの形を建てて、我々自身の姿以上にこの空間の形を必然的なものと考えているが、この直感された形は、我々の身体が持つ筋肉の感覚、肌の感受性、身体の構造がすべて貢献している感覚経験の残余から成り立っている。我々が自らを、そして自らのみをこの空間の中心として体験するようになればただちに、その空間座標が我々の中で交わり、尊い核の部分が見いだされる……この核の上に建築創造は依拠している。(286-7)」

 

8.6 Frankl, P.

『建築造形原理の展開』(1914年)

 

 1900年ごろまで少なくとも四組の対立する考えが生まれた

   1) 対象を見る上での特質(カント)か、対象それ自体の特質としての「形」。

2) 「萌芽」、つまり有機物ないし芸術作品の中に含まれる生成的な原理として(ゲーテ)の「形」か、事物に先立つ「観念」として(ヘーゲル)の「形」か。

3) ゲラーが提示したような芸術の目的、芸術の主題の総体としての「形」か、考えや力がそれを通じて現れるような単なる記号としての「形」か。

4) その{量塊|マス}によって建築作品にみられる「形」としてか、その空間によってみられる「形」としてか。

 

 このように十九世紀美学における思考をいくつかの重要な区分として説明するという重荷を負わされたので、二十世紀の建築の語彙において幅広く使われ始めると、この用語から明快さが欠けてしまうのは驚くほどではない。実際、これから見るように、この用語の主張の一部はその多義性にあるのだ。

 

ここまではドイツ語圏の中のみで「形」のその後の展開を考察

アメリカでこの語が新たに拡大された意味において英語の建築語彙へ導入された

8.7 Eidlitz, L.

『芸術の本性と機能』(1881年)

−本質的に はヘーゲル的な「形」の見方を初めてアメリカの読者に示した。

「建築芸術における形は物質における思考の表現である」

 

8.8 Sullivan、L. H

『幼稚園講話』十二、十三、十四における、極めてよく知られており大変独創的な「形」の言説

「全てのもの、どんなものにでも、どこにでも、あらゆる瞬間における形。その本性、機能に従って、明瞭な形もあれば、不明瞭な形もある。漠然とした形もあれば、明確で鋭い形もある。均整のとれたものもあれば、純粋にリズミカルなものもある。抽象的なものも、物質的なものもある。目に訴えるもの、耳に訴えるもの、触覚、匂いの感覚に訴えるもの……。しかし全ては間違いなく、非物質的なものと物質的なもの、主観的なものと客観的なもの

 

9、二十世紀モダニズムにおける「形」

 9.1装飾への抵抗としての形>

−形の反装飾としての概念

 Loos, A. 

1908年の論考「装飾と罪悪」

9.2大衆文化への解毒剤としての形

―1911年にドイツ工作連盟の大会にて、建築家で批評家のMuthesius, H. 

二つの明確な対立項を指摘

「形」と「野蛮」、また「形」と「印象主義」

 

9.3 形対社会的価値(フォルマリズム批判)

―一九二〇年代初期に、ドイツ工作連盟においてかなり高く価値付けられていた「形」だが、一部のドイツの建築家が深い懐疑とともに扱うようになってきた

―1923年、Mies van der Roheその頃はベルリンでGグループのメンバー

「 我々はいかなる形も知らない。ただ問題を立てるだけである。形は目標ではなく、我々の仕事の帰結である。それ自体では、独立しては、形など存在しない。……目標としての形はフォルマリズムであり、我々はそれを拒む。様式を求めて呻吟することもしない。様式への意志さえも、フォルマリズムである」

 

− 1929年 チェコの批評家Teige, K

ル・コルビュジエのムンダネウム計画に対して「フォルマリスト」という軽蔑的な用語を使い批判

− 近年では「形」は決まって社会的なことがらへの無関心をほのめかすために使われている。

ex) ダイアン・ギラルド (Ghirardo, D. )

「おそらくモダニズム建築家とポストモダニズム建築家との基本的な連続性は、形の力すなわち都市と生活条件との向上のために他の戦略を締め出してデザインの優位を再主張することによっている」(27)。

 

 −1920年代、批評家Behne、A.

『現代目的建築』

「形はきわめて社会的な事柄である」

「形は人間同士の関係を築き上げたことの結果にほかならない。生まれつき孤立したただ一人の人物にとって、形の問題は存在しない。……形の問題は概観が求められているときに立ち現れる。形は概観が可能になるときの前提条件なのだ。形は極めて社会的な事柄である。社会の権利を認識しているものは、形の権利を認識しているのだ。……人間における形、時間と空間に分節されたパターンがわかる者はみな、形の要求をもって住宅にアプローチする。ここで「形の」という言葉は、「装飾の」という言葉と混同されるべきではない」

 

9.4形対機能主義

―ジンメル(Simmel, G. )が「形」の科学としての社会学を推し進めていた頃、同じことが視覚芸術の外部にある別の分野で起こっていた。「形」が多大な重要性をもち、すみずみまで効果を及ぼすことになった分野は言語学であった。十九世紀すでに、言語の研究はフンボルトの『言語論』に影響を及ぼしたゲーテの形の理論から恩恵を受けていた。

 

9.4.1 1911年 Sassure, F

『一般言語学講義』

      ―言語学における「形」の重要性を再び主張

「言語は形であり実質ではない」という有名な原則を定式化

―建築に対する影響

1960年代、当時建築のモダニズムにおいて支配的で、最低限満足すべきとみられていた機能主義を攻撃する手段が得られた

9.4.2 Rossi, A.

1971年の『都市の建築』ポルトガル語版の序文

「形の、つまり建築の、実在は機能上の組織化の問題に優越する。……形は{類型的|タイポロジカル}な形として存在するまさにそのとき、組織化について完全に無関心になる」と記した。

 

9.4.3.     Eisenman, P.

― 二十年間にわたる機能主義への反抗

形と機能の間にも、形と意味の間にも、関連などないと繰り返し主張

 

9.5 形対意味

 9.5.1.  Venturi, R.

『建築における複雑性と多様性』第二版の序文において

「六〇年代初期に……形は建築における思考の王者であり、ほとんどの建築家は疑いなしに形の諸側面に注目していた」

これは建築家が意味と意義とを無視していたことを意図

 

 

9.6 形対「現実」

9.6.1 Hilldebrand, A. の1893年の論考

歴史家リーグル、ヴォリンガー(Worringer, W. )、ヴェルフリン(Wollfflin)らの著作

9.6.2イギリス:批評家クライヴ・ベル(Viel,C. F. )とロジャー・フライらの著作

 一般に理解される近代芸術の純粋な本質としての「形」の意義へと貢献

 

9.6.3 いくばくかの抵抗

―1918〜19年

ダダイスト、トリスタン・ツァラ

芸術の特質として渾沌、無秩序、形の欠如を奨励

シュールレアリストの間に受け継がれ、フランスの批評家ジョルジュ・バタイユによってもっともよく表された

1929年『批判的辞書』

「ランフォルム」〔L'Informe〕つまり「無定形」という項目を含んでいる。この項目は無意味であること、「事物を世界へと引きずり下ろすのに役立つ用語……それが指し示すものは、あらゆる意味で権利を持たず、クモやミミズのようにどこでも押し潰される」というものを褒め称えるカテゴリーである。あらゆるものに形を持つことを望む哲学に抗して、「宇宙は何にも似ておらず、ただ_無定形な_量に過ぎないと断言するのは、宇宙はクモや唾のようだと述べることにあたる」。

9.6.4 1950年代のフランス

シチュアシオニストたちの間での形への反対運動

―固定されることで思考や関係が現実を隠す事物になる資本主義文化の傾向に対して、「形」がさまざまに原因であり徴候でもあるような過程に対しての異議

−ユートピア都市「ニュー・バビロン」

−静的な要素ではなく「環境」による都市、「束の間の要素による空間の見えの急速な変化」がいかなる恒久的な構造よりも重要であるような都市を提案した

―アーキグラム(Archigram)のグループの作品

 

9.7 形対技術的環境的配慮

「形」と「構造」や「技術」との対立

9.7.1 19世紀にヴィオレ=ル=デュク(Viollet-le-Duc)とともに始まった

9.7.2 歴史家で批評家のレイナー・バンハム(Banham, R.)

「形」への敵意

→技術革新への熱狂と結びつけられるべき

ex) 彼がバックミンスター・フラー(Fuller,.Richard Buckminster)

フラーのダイマクション・ハウスについて─好意的に─

「形の特質が……目立たない」(1960, 326)、むしろ航空機建造技術の建物への適用、また機械設備の革新的な利用によって特徴づけられる

 

−1969年の著書『環境としての建築』

 建築の未来は技術や技術本来の「形」に対する無関心とともにあるとの信念を基礎づけている