第六講お題
本日から話は関係の規則となる。ここには4つの規則がありその最初が重箱と平皿である。おせち料理のような重箱料理においては食物の種類とその入れるべき場所にルールがある。一方平皿の大皿料理ではそういうルールはない。これを建築にたとえて今日の講義は展開した。建築にも重箱型と平皿型があるということである。
重箱建築とはその場所の目的とそのしつらえにある関数(function)関係があるものを指す。そしてその状態を機能的(functional)と呼ぶのである。一方そうした関数関係を排除し、場所に目的を与えない建築が平皿建築である。モダニズムは重箱で始まり、平皿になりポストモダニズムで平皿は攻撃されたが90年代平皿は復活そして現在はその合いの子が闊歩している状態である。
青木淳という建築家は遊び場を例に挙げ場所に目的を割り当てた遊び場を遊園地、割り当てない遊び場を原っぱと呼び原っぱの自由を称揚した。
さて今日のお題である。皆の周りにこうした場所と目的の緩い関係性を発見しその是非を論じて欲しい。
一昨年の回答も参考にしてみよう
http://ofda.jp/t_lecture/2007/rule/bbs/2007/06/post_6.html
コメント
建築に目的のないものはないと思う。
重箱建築は、設計者がはじめから目的を与え、その目的を果たすためによりよい場所を創り出す。そのため一つの目的を果たすためにはより有効な場所になる。平皿建築は、利用者が随時既成の場所に目的を与え、新たな目的を持つ場所へと変える。よって、より多くの人の幅広い目的を果たせる場所になる。
また、青木淳さんの遊園地と原っぱに対して、遊園地ではアトラクションによって実際に行うことは決められている。しかし、絶叫マシーンに乗る人の目的はかなり限られてはいるが、一つというわけではない。そこに恐怖感を求める人もいれば、爽快感を求める人もいるかもしれない。原っぱでなにをして遊ぶかはかなり自由度が大きいが、その原っぱの面積、その時の天候など様々な条件によって、少なからず目的は限られる。
重箱建築と平皿建築の境にしっかりとした境界線はなく、両者は一直線上にあるのではと考える。そのため、その使用目的や、対象となる人の数などを考慮し、どちらかに大きく偏らず、中間という選択となること多いのだと思う。
投稿者: 08T7052D 横山仁美 | 2009年11月30日 02:14
重箱建築と平皿建築は兄弟みたいなものではないか。
たとえば、公園は滑り台やシーソー、ブランコなど様々な遊具があり、一見重箱のように思えるが、利用者によっては平皿にもなり得るのではないかと思う。
利用者の例を言うと子供である。確かに公園に設置されている遊具は、ある目的を持って作られている。だが、子供は必ずしもその遊具を本来の目的で使用するわけではない。滑るための滑り台を逆から登ったり、漕ぐためのブランコにただ座っているいだけであったり、利用者によってはそれらの本来の意味を全く無視していると思う。だからと言って、平皿建築というわけではない。
逆に平皿建築も設計者が初めに何かしらの意図を持って、利用者がどう利用するか考えたりもして作っているわけで、初めから全く場所に目的を持たせていないわけではないと思う。だからと言って、平皿建築ははっきり重箱建築になり得るとは言えない。
私はこのように感じたので重箱建築と平皿建築は兄弟のように、互いが似ているのだが、全く別な一つのものではないかと思う。
投稿者: 08T7008G 伊藤龍之介 | 2009年11月30日 05:34
私は銭湯によく行く。銭湯というのはそもそも体をきれいにする場所である。しかし近年はスーパー銭湯という大小何種類もの浴槽がある大型銭湯が増えてきた。これは単に体をきれいにするというより、銭湯を楽しむことに重点を置いた施設である。そのスーパー銭湯でも目的が割り当てられている。脱衣場では服を脱ぐし、洗い場では体を洗うし、湯船では体を温めるし、サウナでは熱いのをやせ我慢して汗をかくし、電気風呂ではおじいさんが肩こりを治す。
この辺は設計者も意図したところだと思う。私たちも常識的にその目的を理解している。むしろ常識に従って利用していると言った方がいい。例えば脱衣場で服を脱がずにそのまま風呂に入る人はいない。湯船で泳ぐ人もあまりいない。つまり目的が割り当てられた場所はある一定の法則にしたがった行動、常識的な行動をしなければならない場所なのだと思う。
逆にいえば常識にとらわれないで行動「してもいい」場所が青木淳で言うところの「原っぱの自由」なる場所なのだと思う。
重箱と平皿が完全に表裏の関係にあるとは思えない。しかし設計者が重箱にしようか平皿にしようか考え始めた地点でこれらは表裏の関係に向かい始めるはずである。
やはり重箱では人は無意識のうちに常識に従い、平皿では誰も予想しえないような自分だけの行動ができるような空間が出来上がるのではないだろうか。
投稿者: 08T7031A中山裕貴 | 2009年12月01日 00:21
今回のテーマを住宅で考えるとワンルームのマンションは最初、トイレ、風呂などを除けば何処でも寝たり、本を読んだり、ご飯を食べたりできるので基本的に平皿建築だと言えると思う。しかし、ベッドや机などの家具を置くことで基本的な行動が決まってしまい平皿建築から重箱建築になってしまう。このように、住宅においては平皿建築から重箱建築に変化することは普通だと思う。平皿建築でも同じ人が使うとき、その空間である程度何をするか決めてしまったほうが楽だし、その行動にあわした機能を与えて使ったほうが暮らしやすいので、たとえ平皿建築でもある特定の人が使う場合はその空間の用途が決まっていってしまい、結果的に重箱に近づいていく気がする。そんな中でいくつもの行動に使えるような多機能な空間があれば行動の選択肢は増えて重箱建築の中に平皿建築が生まれると思う。
このように、住宅においては、いかに平皿建築に近づけても平皿建築だけというのは人間が使う以上難しく、完全な重箱建築にしてしまっても自由がなくなり窮屈になってしまう。だから、平皿と重箱どちらがいいというより、重箱建築の中にいかに多くの平皿空間を作り出せるかが大事だと思う。
投稿者: 08T7036B原田一央 | 2009年12月01日 10:53
重箱建築は例としてコンサートホール、美術館といったものがあり、ある事をする目的があって作られているが、平皿建築は自由な空間を様々な目的で使うと習った。私は圧倒的に重箱建築のほうが魅力的だと思う。
その理由だが、重箱建築は使用目的が決められているので、その目的に合ったデザインや内部設計をすることができる。つまり、よりその建物の良さを引き出せる。一方、平皿では目的が定まらないので建物の性格がでにくい。何を主張しているのかよくわからないように思う。
しかし、重箱建築を極めたあまり、ここはこれをするだけの空間、となってしまっては建物全体のバランスがくずれてしまう気がする。ほどよいflexibilityは確保したい。
結論をいうと、ある目的をもってつくられた空間だが、見方を変えれば、その目的以外でも使うことのできるものが最もよいように私は感じる。例としていうならば、カラオケボックスで勉強するといった感じである。一人で行けば、防音設備が整ったあの部屋はなかなか快適な勉強スペースになると思う。もちろん、設計者はこのようなことは考えていなかったと思うが、重箱のはずがある人からすると平皿で利用できるといったこともありえるのではないかと思う。
投稿者: 08T7053B渡邉良太 | 2009年12月01日 12:23
目的の無い場所といっても、目的を定めず自由に使うこと、それ自体が目的とも言える。 工学部の中央の広場は、普段ほとんど使われていないが、時々フリスビーやキャッチボールをしているのを見かける。 自由に使うという目的の場所でもあるし、もしかしたら、あそこは緊急時の一時避難場所という、すごい目的の場所なのかもしれない。
目的のある場所において、その使い方は本来の目的以外に使用されることも多々ある。 的確な例とは言い難いが、スーパーのマツヤは私にとって息抜きの場所だ。 単に食料を購入するという以外に、ひと時、厳しい学生生活から「のほほん主婦」の感覚に戻してくれる場所だから。
逆に、目的のある場所で、そこに行くと、その場所本来の目的に従って、モチベーションが高まるという場所もある。 例えば製図室。 今晩は夜明かしで模型を仕上げるぞ、とか。 あの空間では誰もが一つの目的に向かって精進している。 でもあの部屋は特に製図室として設計されているとは思えないような部屋である。 とりあえず製図室と名付けられたので、皆がそのように利用しているうちに、利用者たちの情熱が製図室を不動の位置付けとしたのではないか。 あるいは我々が設計者の意図にまんまと乗せられているのか。
場所はある程度可変的であり、作った人の意図がなんであれ、場所に目的を与えるのは、それを利用する人なのかもしれない。 計画をする上では、場所が人に対して与える様々な可能性を考慮して、平皿的な使い方の可能な重箱仕様にならざるを得ない。 ただ利用者にとって完璧な重箱設計だったら、それに全幅の信頼を持って委ねるのも心地よいことだとも思う。
投稿者: 08T7023A 高橋寿江 | 2009年12月01日 17:06
場所と目的の関係性を考えてみると、どの建築も重箱であり、平皿であるように思える。
たとえば学校の教室。その中でも高校の教室を思い浮かべてほしい。普段は机がきちっと並び、勉強をするという目的のために設計されている。そのために黒板は西側に設けられ、窓は南側につけられている。右利きの人にあわせ、ノートをとるときに暗くならないような配慮がなされているのだ。このように教室は勉強するという目的のための重箱建築であるといえるだろう。
しかし一方で、教室は違った使われ方もしている。机を全部後方に下げて学習発表会をしたり、クラス会で椅子取りゲームをしたことがある人も多いのではないだろうか。また、学祭のときには机を衝立に使ったり、踏み台にしたりと、教室はいつも勉強のための空間として使われているわけではない。そしてその使い方は無限大である。勉強するための空間であったはずが、使う人の状況にあわせて多目的な空間へと変化しているのだ。
このように重箱と平皿は使う人によって選ばれるもので、われわれ設計する側はその多様性に対応できるような建物を作っていかなければならないと思う。
投稿者: 08T7001K 渥美恵莉 | 2009年12月01日 17:23
遊びに限らず、特別な道具を必要としない娯楽全般に、場所と目的の関係性の緩さがあると思います。目的の重要度、特殊さ(人間にしかできないような)が関係の強さを左右するものであり、造る(目的を配置する)ことが必要かそうでないかが重要な軸になるのではないかと思います。
話は変わって青木淳さんの例は造らなくても目的が達成されるかの話で建築の重箱・平皿とは別問題だと思います。建築での平皿を考えるときには最初から目的を考える(遊びのような)というのは前提を無視していてあり得ないことでです。
だからこれの別例はないと思います。
投稿者: 土屋健太 | 2009年12月01日 20:33
場所に目的を与えないものとしてまず頭に浮かんだのは、広場や公園、学校のグラウンド、建物でいうとビッグハットであったが、目的に沿った使い方しかしない場所を考えてみると、病院や裁判所、コンサートホールくらいしか浮かばなかったため、ほとんどのものが平皿と考えられるのだと思った。
しかし、逆にそれはほとんどのものが重箱にもなり得るということではないだろうか。設計者がある目的のためのものを作ったとしても、利用者によって違う目的で使われる場合もあるだろう。利用者が後から目的を設定し、それを利用者全員が逸脱しなければ、それは重箱と考えられると思う。
では平皿となるかならないかは何によって分かれるのか。私が重箱建築として挙げた例について考えてみた。これらの場所には用事がなければなかなか行くことはない。さらに、病院の診察室や手術室、コンサートホールのホール内や楽屋などは好き勝手に入れるところではない。このことから、社会的に規制されていたり、常識的に考えてやっていいこととやってはいけないことがあったりするような場所は平皿にはなり得ないと考えた。
場所に目的が与えられていないとき、利用者によってそこで行えることがいくらでも考えられる。また、目的が与えられていようとも、ときには他の目的で使うこともできてしまう。要するに、ほとんどの場所は利用者によって平皿と重箱のどちらにもなるのである。
投稿者: 08T7004D 有賀なつき | 2009年12月01日 20:51
平皿建築は使う人がその場所に目的を与えていく物である。
ファンズワース邸をあげる。
1つの空間があらゆる用途に使え、フレキシブルな空間である。
それは日本家屋のようなものといえる。つまり日本家屋は平皿建築である。
ここでファンズワース邸と日本家屋の違いについて考えてみた。
ファンズワース邸の場合は“何もない”という空間に住むひとが家具などを置いて空間(その場所の目的)を作っていく。模様替えのようなもので空間を変えることができ、ある程度時間の幅があると思う。日本家屋はその時々で寝床になったり食卓になったりと、かなり短い時間で目的が変化する空間であると思う。
ここからファンズワース邸は場所に目的ができた家となり、日本家屋と比べるとファンズワース邸は歴史の流れからか重箱建築からきた平皿建築という感じがする。その点で平皿建築を考えるとき、日本家屋について考えることは重要であると思う。
投稿者: 08T7021D 定廣初華 | 2009年12月01日 22:14
重箱建築と平皿建築は、お互いがお互いの性質を完全ではなくとも持ち合っていると思う。
東京ドームを例に挙げると、あそこの本来の使用目的はもちろん野球である。ドーム内は観戦席とグラウンドにはっきり分けられ、ドームの使用方法は、はっきり決められている。つまり重箱建築といえる。
しかし、東京ドームはこのようなはっきりした使用方法がはっきり決められているのにシーズンオフのときなどにライブ会場としてもよく利用されている。これはグラウンドをステージと1階観客席、観戦席を2階観客席として利用している。これはグラウンドの大きさ、そしてドームの丸い形に本来の使用方法とは違うものを与えていることになる。これは、東京ドームが重箱建築でありながら、はっきりとして固定(限定)された使用方法を持ってないことを意味する。
つまり重箱建築でありながら平皿建築の要素も持っていると考えられる。
投稿者: 08T7051F 山下剛 | 2009年12月02日 00:21
私は建物が重箱になるか平皿になるかはその空間に仕切りがあるかないかに大きく関係すると思った。
重箱に料理を詰める時には間仕切りや小さな銀皿、紙皿を使ってそれぞれの料理が混ざらないように小さく区分けする。しかし平皿には間仕切りがなく大きな器の上に互いにくっつかないようにして盛られている。
例えば学校なら校舎は大きな空間を壁を用いて区切ることによって教室や職員室、男子トイレや女子トイレといった風に~が…する部屋と初めから決められている。しかし、体育館は区切りがなく一つの広い空間のままで使い方も体育に使うだけではなく式典や緊急時の避難場所として使われている。つまり、校舎は重箱建築で体育館は平皿建築になっている。
この二つの違いは空間を区切って細分化しているかどうかということだと思う。空間が広ければ使い方の選択肢は広がるが、狭ければ必然的に選択肢が限られていく。
大切なのは使い方を考慮した上で重箱と平皿を混ぜていくことだと思う。
学校の例で言うと校舎が壁のないただの大きな空間だったら使いにくいし逆に体育館が細かく区切られていても使いにくいということ。
投稿者: 福王寺嵩平 | 2009年12月02日 01:50
本棚の用途は何?と聞かれればたいていの人は本を収納すると答えるだろう。もれなく自分も本棚を本棚として使っている。さらに言えば自然に背の高い本を両端に置き、まん中になるにつれて低くなっていくような配置にしている。これは今回のお題でいうところの重箱建築的要素を含んでいると言えるだろう。
しかしよく考えてみると、本棚に花やプラモデルを飾ったり、あるいは横にしてサイドボードのようにして使ってもいいはずなのである。本棚として売られていただけで、その機能を指定した言葉に束縛されてそのモノ自身が持っている別の機能を見逃してしまっていたということだ。これは本来は平皿であったのに、自分の思い込みによって重箱に変化させてしまっていた例である。
つまり、重箱か、平皿かと言うのは利用者のとらえ方にもより、さらにそれは思い込みなどによっても変化するということだと思う。
投稿者: 08T7025G 立松裕規 | 2009年12月02日 04:28
重箱か平皿かというのは必ずしも設計者の思い通りにならないと思う。そのよい例が公園である。
公園にはブランコやアスレチックなどが配置されており、一見重箱のように感じるが、その使われ方は様々であり平皿の要素が含まれているように感じる。子供が遊具で遊ぶ時に正しい遊び方で遊具を使っているかといえばそんなことはない。あらゆる状況に応じていろんな遊びをしている。
もうひとつ例を挙げるとすれば、ファミリーレストランである。本来ファミレスは食事を楽しむ場であるが、最近はファミレスに入ると友達と何時間もしゃべりながら過ごす客や、勉強をしている客など様々な使われ方をしている。
つまり、重箱か平皿かは利用者によって定められることが多く、必ずしも設計者の意図したようにならないのではないだろうか。
投稿者: 08T7013C 河原崎 瞬 | 2009年12月02日 09:59
目的の緩い場所として、学校はその一つであると思う。
学校は一見、子供の教育を目的とした場のように思えるが決してそれだけに縛られてはいない。確かに教室のつくり(図書室や音楽室など)や体育館、グランドなどは子供の発育のために考えられたものであり重箱型であるといえる。しかし、学校にはほかの利用のされ方もある。
例えば、町の避難場所であったり選挙の投票所としても利用される。こういった利用のされ方は子供の教育とは関係性がなく平皿型であるといえる。こういったことから学校は重箱と平皿を合わせ持った場であると思った。
このように建築において重箱と平皿を持つ場は単純に存在し、それらはすべて人の考えによるものであると思った。
投稿者: 08T7045A 南多磨留 | 2009年12月02日 10:25
私たちの身の回りには平皿建築と呼ばれる建物が多く存在していると思います。その中でも、ドームが真っ先に浮かびあがりました。
地元にいたころ、年に1回程度、最寄のドームに遊びに行ってました。やはり、その目的の多くは野球観戦でした。しかし、ときには野球観戦以外の目的に行くこともありました。ドームでは、野球のほかにもコンサートやその他イベントがよく開催されています。
一見、ドームのつくりは野球がメインのようにつくられています。しかし、やりようによっては他にもいろいろなことに使えるのです。
平皿建築とは、たとえある限られた目的につくられたとしても、使用者の発想によって七変化できるものだと思います。なので自分の身の回りのものほとんどが平皿建築なのではないか、と思いました。
投稿者: 08T7015K 北村翔太 | 2009年12月02日 12:57
僕は建物にあえて目的をあたえない建築も目的が与えられる建築も両立するべきであると思います。
重箱建築といってまず思いついたのがROUND 1 です。これは長野市の大字東和田にあります。そこはいわゆる娯楽施設でなかでボーリングなどのスポーツ、ゲームセンターがあります。この建物は場所ごとにスポーツの設備が整っていてまさに目的が与えられた機能的であると思います。一方で平皿建築とは学校などにあるごく一般的な体育館や公園の運動広場などが当てはまると思います。それらの場所は同じ空間でサッカー、野球、バレー、バスケなど目的を選ばない場所であると思います。
幼稚園、小学校の運動場にはおそらくテニスコートは存在しないでしょう。それは単に児童がテニスをやるような年齢に達していないということだけではないとおもいます。やはり児童にはある目的をもたせて遊ばせるよりも目的のない自由を優先して遊ばせることに重きを置いているとおもいます。
一方中学、高校ではグラウンドに陸上部のトラックがあり、テニスコートもあり弓道場などもそんざいします。これは自由な遊びから一転して部活動をするという目的が与えられています。
どちらの建築がよいとか悪いとかではなく自由度の高い空間、何か一つのことをするにに特化した空間状況によってどちらも必要なのではないか、と考えます。
投稿者: 08T7028A 土屋駿介 | 2009年12月02日 13:32
私は平皿と重箱の間の違いについて考えてみた。
平皿建築の例としては、学校の体育館のようなものがあげられる。今までを思いだしてみると私たちは体育館で運動をしたり集会を行ったり文化祭でライブをしたりといろいろな用途に使っていた。重箱建築はファーストフード店などだと思う。この店は急いでいるときにぱっとよって買えるように作られていると思う。
しかし実際のファーストフード店は学生が勉強したり雑談をしたり、またサラリーマンが仕事をしたりするためなどにも使われている。これは重箱建築として建てられたものが、設計者の意図とは関係なく利用者によって平皿建築へ変わっていったものだと思う。
最初は重箱として建てられたものも、使い方次第では平皿にもなる。よって平皿と重箱の間にはそれほどはっきりとした違いがなく似ているものなのだと思った。
投稿者: 08T7024J 竹内利宗 | 2009年12月02日 15:59
広い空間が存在するだからと言って平皿建築であるとは言い切れない。
図書館を考えてみる。図書館はそこに住む多くの人々が利用する大きな空間を必要とし、人々が自由に本などを読めるスペースがあるということで、一見平皿建築であるような気がする。
しかし人々が本をもち読むスペースを探すと、驚くことにそのスペースにはもう本を読むための空間というものが出来上がっている。設計者が利用者の心を読み取り、動線などを予想しそのような空間を与えていることで、この建築はどちらかといえば重箱建築といったほうが合っているように思える。
重箱建築というのは建物を考えるだけでなく、そこを利用する人のことを考える温かさをもっているように思える。
投稿者: 08T7038J 平野恭兵 | 2009年12月02日 16:55
体育館は平皿にも重箱にもなる空間だと思います。
小中高の体育館は運動の場や発表の場、式の場となったり、災害時は非難場にもなったりといろんな状況にも活用できる空間だと思います。またその体育館の床にはいろんなラインが引かれていて、いろんな種類のスポーツの場にもなります。
しかし体育館といっても管理するのが県や国になると、用途の種類や活用できる人が限られてくるように思います。また限定したスポーツ専用の体育館だったりで、これは重箱建築だと思います。
体育館は、使い方を決めてしまえば、平皿にも重箱にもなる建築物だなと思います。
投稿者: 鍋田莉江 | 2009年12月02日 17:05
目的のない場所など作ってはならないと思う。これは平皿建築を否定するわけではなくて、平皿建築こそ利用者の目的を意識した建物であると思うのである。空間を自由に使うという目的は、トイレをトイレとして使うという目的よりも、はるかに具体的な想像を必要としている。
空間を自由に使うとはどういうことか。自由というとなんだかすごく漠然としていて計りしれないもののような気がするが、利用者の求める自由について考えると、建物においては、自由は多目的と言いかえていいのではないか。目的以外のことができる必要はないのである。たとえば、私が所属するサークルの部室には、テーブルといすとギターくらいしかないが、それだけで十分であり、その空間は自分にとって学校でもっとも自由で多目的な場所である。
多目的な空間を作る時、設計者は予期しなくてはならない。どんな人がどんな時どんな風に使うのかを何通りにも想像し、それに応じて少しでもいいように考えるべきなのだ。多目的と言っても数えきれないほどはないはずで、さまざまな場面を具体的に想像することで一つ一つ丁寧に数え上げるのだ。それ以外のなんだかよくわからない可能性を考えることによって、計算された美しい形がゆがんでしまうのはもったいない。
つまり言いたいことは、平皿だって料理をうまく盛りつけられるよう考えられているはずであるということなのだが、実際には、使われていく中で、目的が本来の設計の意図に沿っているとは限らないし、意図が利用者にうまく伝わらないことだってある。しかし、それでもあえて設計意図を押し付けないのが平皿建築の魅力だと思う。
投稿者: 08T7012E 風間照子 | 2009年12月02日 18:03
私は授業を受けていて重箱建築と平皿建築の関係は箱型建築と袋型建築と似ていると思いました。また重箱型と平皿型の違いは紙一重だと思います。そして一つの建築の中に重箱の面と平皿の面はそれぞれあるものだと思うのです。
住宅の中で考えてみました。住宅の中で重箱となるのはキッチンや浴室、脱衣所などの水回りの場所です。キッチンのシンクはあらかじめ設置されており冷蔵庫などの家電製品の場所はコンセントで決められます。浴室はもとから配置も決められおり脱衣所の洗濯機の位置もキッチン同様に決められています。一方その他の場所、リビングや寝室は使い方は決まっていますが前文で上げた室と違い家具などはあらかじめ設置されていません。もしかしたら部屋の使い方も決まっている使い方とは違う使い方で生活しようとする人もいるかもしれません。
平皿は重箱と違いその人その人の好み、感性で決められます。まるで建築のインテリアのような感覚です。住宅において設計者が重箱のもととなる部屋の配置を提案し居住者がその各部屋の家具の配置、使い方を平皿のように決めていくのです。
箱型建築と袋型建築の違いと同様、重箱建築と平皿建築の違いは紙一重です。そしてその違いは人それぞれの考え方、使い方によって変わってきまっていくものなのです。
投稿者: 08T7003F 新井以乃 | 2009年12月02日 18:04
長野駅の改札前の空間はとても場所と目的の緩い空間だと思う。駅の改札ということは、電車に乗るための必要手続きを踏む目的と場所を提供すると考える。しかし、長野駅の改札前の空間は、与えられるもの以上に使用する側の多様性が上げられると思う。
私の所属する混声合唱団では、長野駅改札前の空間で定期演奏会の広告をするし、普段あの空間には多くの人々が腰をおろし話をしたり、休息している。ただ線路を越えるための道として使用している人もいるだろう。元々それらを意識して作られた空間であるなら、それは成功しているのだろう。
先生の例えとして、大皿の盛り方について出てきたが、本当にそこにはルールがないのだろうか。厳密なルールはそこにはないかもしれないが、料理は目で楽しむものでもあるがゆえに、盛り付けにも何かしらの意図やその地域のルールがあるかもしれない。つまりは、建築では目的と場所の関係性になるが、その関係性は緩いだけであって明確に存在しているように思う。
長野駅の改札前の空間がどういった意図で設計されたかはわからないが、やはり何かの目的が与えられた空間であると考える。しかし、その目的はすでに使用者の発想とは別離し目的と場所の関係性があいまいになっているのではないだろうか。そして、そういった空間ができるのもまた良い事のように思う。
投稿者: 鳥海 知大 | 2009年12月02日 19:34
重箱建築であるだろう建物も決まりというか常識などを無視すると平皿建築となると思う。それに使う人によっても変わるだろう。
例えば、デパートなどは本来買い物をする場であるが、子ども達がはしゃいで鬼ごっこやらかくれんぼみたいなことをやっているのを見たことがある。広い空間のうえ隠れるような場所が多数あるので楽しいのであろう。その子ども達にとってそこは買い物をする場ではなくなっている。本来そういう子達がいればお店側か親かわからないが注意される。それは危険であったり買い物をしているお客さんに迷惑がかかったりするという常識からだろう。そういうことがわからずしてしまう子がいると思う。
建物は使う人により重箱や平皿は変わってくると思う。こう考えると周りには多くの場所と目的の緩い関係のところがあるだろう。
投稿者: 西沢翔司 | 2009年12月02日 19:36
建築に関して明確に重箱と平皿を区別することはできない。
例えば賃貸アパートなどは多種多様な居住者に対応するために平皿的であることが多い。だがそれが建物である以上必ず何かしらの設計意図をもって設計されている。それが「自由に使えること」だとしても、それが設計者の思惑である。そして その意図にしたがって各々の部屋と、部屋の関係が形作られ一個の建物となる。部屋があればその大きさや、床や壁の材質によって内装は必ず制限を受ける。そして当たり前のことではあるが、汎用性の高い空間の実現のために一つの用途への特化ができなくなっている。例えばアパートで大音量のギターを弾くことはできないし、大量の書物を部屋に持ち込めば床が抜ける危険性が出てくる。そのため小規模で簡単な目的に対してならかなりの自由度を持つがそれが専門化してくると途端に対応できなくなってしまう。このような制限を持つ建築が完全に平皿であるということはできない。
また重箱的なものしても同じである。古人は部屋と目的の関係を重視し、ある部屋をその目的用途以外には使用しなかったかもしれないが、現代では目的以外の使用を禁ずるような考え方はほとんど存在しない。例えば階段を椅子として使用したり、風呂場で洗濯物を干したりと空間を多様な用途に使用している。最も重箱的な部屋の一つであるトイレでさえ、そこを用便のために使うのではなく思索に耽るため部屋として使われることがある。
以上のことから現代の建築が重箱と平皿の融合体となったのは必然であるといえる。平皿的な建物はそこに設計者の意図がある以上、完全に平皿足りえることはなく、重箱的な建物に関しても我々がそれをただ受動的に受け入れるのではなく能動的に多様な用途を探し出してしまう以上、そこが重箱としてのみ機能することはないのである。
投稿者: 08T7047H 村松賢 | 2009年12月02日 19:42
重箱建築と平皿建築、その違いを考えて見ると、仕切りとレベル差、そこに置くものの違いしかないような気がした。
例えば重箱建築の代表例としてコンサートホール。これは段差(レベル差)をつくる事によって、どこからでもステージが良く見えるようにしている。その段差をなくしたらどうなるだろうか。丸みを帯びた体育館である。平皿建築の代表例の体育館になってしまった。
このように重箱建築と平皿建築はほとんど同じものである。ただの何もない空間(平皿建築の究極)に、壁などの仕切りと段差、家具などを配置する事で重箱建築へと変身していく。
空間は可変的であり、設計者の意図がどんなものであっても、場所に目的を与えるのはその空間を利用する人なのだろう。設計する上では、その空間を人々がどのように使うかを考慮するが、実際人々がその予測どおり空間を利用するとは限らない。利用者がそこに何かを置き阿蘇の空間の目的を設定する。建築は、その利用者が目的を設定するお手伝いをするためにあると私は考える。
投稿者: 08T7010J 大山勇斗 | 2009年12月02日 19:44
場所と目的の緩い関係性のあるものを探していて、ふと思いついたのが駅である。駅は本来電車・新幹線などの発着場所として利用されていたのだと思う。他に目的はなく、しっかりとした関係性が存在していた。
しかし現在はどうであろう。主要都市の駅を考えてみると、そこにはもちろん発着場所としての機能はあるが、そこにプラスして駅地下・駅ビルなるものがあることが殆どではないであろうか。これは、本来の目的であるホームとしての役割とはまったく別物である。もはや現在の駅は「駅」として利用されるというよりは、ショッピングなどに利用しているような気がする。
つまり、昔は重箱的な利用のされ方であったものも、社会的な流れによっては平皿にも十分なりえるということである。要は、重箱も平皿も紙一重なのではないか。
投稿者: 08T7049D 室井祐弥 | 2009年12月02日 20:37
身近にあるものを例にあげて考えてみたいと思います。
最近寒くなってきてブーツをはく人も増えてきたと思います。ブーツにも種類がたくさんあり最近流行っているマウンテンブーツやエンジニアブーツなどがあります。しかしエンジニアブーツは、もともと作業用に作られたものである。
日本ではファッションで履くことを目的としているので歩きやすさやデザイン性を重視して造られていますが海外では工事現場や工場などで働く人の為に造られているので長い間履き続けれるように丈夫な皮を使ったりつま先を守る為に鉄製のカップが内臓されています。
同じ物でも全く違った使い方があり同様に建物も使用目的にあわせて設計されても使う人によって使われ方も変わってくるので結果的に使う人次第なんだと思います。
投稿者: 08T7005B生谷直登 | 2009年12月02日 20:40
平皿というおおきなくくりのなかに重箱というものがあるのではないかと思う。
たとえば学校の大きなグランドを考える。学校のグランドというものは体育で使用したり、避難訓練で利用したり運動会で使用したりと使用のされかたは無数にある。しかし放課後のクラブ活動を見てみるときめられた範囲内で決められた部活の部員がきめられた時間に活動をしている。これは重箱の要素にはいるのではないかと思う。
また、上でのべた様々な使用方法も大きく一年の流れで考えてみると決まった時期に行われるとうルールができており、おせち料理のような重箱料理においては食物の種類とその入れるべき場所にルールがあるという概念と一致しているようなきがする。
こんなことは屁理屈だといわれるかもしれないが以上の点からやはり私は平皿というおおきなくくりのなかに重箱というものがあるのではないかと考えられると思う。
投稿者: 08T7033H 鳴海敬大 | 2009年12月02日 20:46
重箱建築と平皿建築における人間の行動は、今までの習慣によって左右され、根本的には同じであると思う。
例をあげて説明すると、道路は白線や段差によって歩行者用と自動車用に分けられる道路と、何の区別もない道路がある。ここでは区別されている道路が重箱建築で、区別されていない道路が平皿建築である。区別されている道路では、歩行者と自動車が必然的に分けられる。区別されていない道路はというと、しきりがないため歩行者はどこを歩いても良い気がするが、実際は区別されている道路と同じように自然に歩行者と自動車が分かれている。
このように人間は、今までの経験や習慣から区別されていようとなかろうと自然と同じような行動をすることが分かる。重箱建築と平皿建築でも同じことが言えると思う。今までの生活習慣・生活リズムによって、行動が自然と一緒になってくるはずだ。
重箱建築と平皿建築、一見全く異なる気がするが、人間の行動という視点から考えると似ている点が多い気がする。
投稿者: 08T7029K 寺澤草太 | 2009年12月02日 21:01
重箱建築とは場所に目的を与えた建築であり、平皿建築とは場所に目的を与えない建築であるが、利用者によってその用途が変わるという点では同じではないだろうか。
重箱建築の例としては遊園地、コンサートホールといったものが挙げられる。確かにこういった場所では目的がほぼ限定されてくるように思える。しかし、イベント等で本来とは違う用途で利用されることも少なくはないのであろうか。また近年、その場所が本来とは違う用途で利用される例として代表的なのがファミリーレストランやファーストフード店だと思う。これらは本来、飲食という目的の場であるにも関わらず、居心地の良さからか、勉学という目的で利用する人が多々見られる。
こういったように重箱建築も利用者によってはその場所を設計者が考えた目的とは違った用途で使うこともできる。こういった点において、重箱建築と平皿建築は似ていると言えるのではないだろうか。
投稿者: 08T7040A 福島功二 | 2009年12月02日 22:39
場所と目的の関係が緩い、というのは目的が1つに定まらない、つまり平皿建築のこと、と私はとらえた。
平皿建築として思いついたのは体育館だった。小学生のころを思い出して考えてみると、そこでは様々なスポーツ、遊びができた。生徒が集まって歌を歌ったり、式典が行われたり、半紙を広げて書き初めをしたり。壁には生徒たちが作った壁画が飾られたりと展示スペースになることもあった。
それに比べてプールというのは夏の、プールの時間にしか使われない本当に目的が1つのものである。冬になるとスケートリンクになるプールもあるが、それでもそれ以上の用途は考えにくい。
平皿建築として体育館をあげたが、考えているうちに、設計者はやはり、室内で運動するための場所として体育館を設計したのかもしれないと思えてきた。では、重箱建築なのであろうか。しかし、実際には多目的に使われている。述べている人がいたかと思うが、その場所を使う人によって重箱建築だったものでも可能性が広がるよことがあると思う。
投稿者: 櫻庭 瞳 | 2009年12月02日 23:14
平皿建築は本当に存在し得るのだろうか。
設計者が平皿建築を想定した時点で重箱建築になってしまうのではないか。例えば、中庭や屋上の意味を利用者に見出させようという狙いを持たせれば、その時点でその場所に意味を持たせることになる。つまりは重箱の定義である、ある関数関係が生まれていると言えるのではないだろうか。
つまり、完全な重箱建築と完全な平皿建築を考えてみたときに、完全な重箱建築は設計者が理論や規則性でガチガチに固めてしまえばよいのかもしれないが、完全な平皿建築はその他の考えによって簡単に壊されてしまうような非常に脆いものでしかない。
しかしながら、平皿を意識してつくったものには少なからずの自由が存在するのも事実である。逆に、重箱から考えたものは全く融通が利かない可能性がある気がする。
結論としては、曖昧な平皿建築のようなものは存在していてほしいという一種の願望のようなものがあるだけなのかもしれないが、たしかにそういった意図で設計されたスペースはほしい。原っぱのような計画的自由でもたらされる屋上などがあってもよいのではないだろうか。
投稿者: 08T7002H 新井一弘 | 2009年12月02日 23:17
押し入れは意外にflexibilityの高い空間だと思う。
押し入れの用途といえば、何かを仕舞うことである。では、何を仕舞うか。大抵は昼間使わない布団を仕舞ったり、衣類などを仕舞ったりが多いと思う。しかし、決して「仕舞う」という用途で使わなくてもよいと思う。例えば、ドアをとって、棚を置いてみよう。するとそこは本棚やコレクションスペースになる。PCを置き、本棚を置いて椅子を持ってきてみよう。すると、上下を仕切っている仕切り板がちょうど机となり勉強スペースとなる。このように設計者が意図しなかった使用方法はいくらでもあると思う。ドラえもんは布団を仕舞うのではなく布団を敷いて1つの部屋として使っているのだし。
しかし、だからと言って押し入れは平皿といっていいのか。上で挙げた例は特殊な例であり、多くの人は普通に物を仕舞う用途で使うだろう。もし別の方法で使えばそこに仕舞うはずであったものはどこに仕舞うのかという問題も出てくる。ゆえに普通の用途が一番良いのかもしれない。このように考えると、用途を限っている点で重箱であるといえる。
つまるところ、これが重箱でこれが平皿と分けることは、使う人次第といった面が大きく、建築においてははっきり区分することは難しいように思われる。ただ、使用者によって用途が変わるということを考慮するのであれば、設計者はどんな空間であっても1つ1つ用途を考え、かつ、flexibilityのある空間を考えていくべきであると思う。
投稿者: 08T7042G 柗村 | 2009年12月02日 23:21
重箱的な遊び場を遊園地、平皿的な遊び場を原っぱと呼ぶとすれば、少し大きな公園であればこの二つを一つにしている場合が多いのではないでしょうか?実際実家の近くにある大きな公園は、恐竜をモチーフにした大きなアスレチックを中心にいろいろな遊具を備えながら、大きな原っぱのようなスペースが確保されています。
しかしこの原っぱのようなスペースは平皿と呼べるのでしょうか?その原っぱ単体を見れば、キャッチボールもできればサッカーもでき、ただのんびりと寝そべっていることもできる、目的を定めていない自由度の高いスペースだといえます。しかし、公園全体から考えれば、「アスレチックのある場所では行いにくい、広いスペースを必要とする遊び」のためのスペース、とも考えられるのではないでしょうか?目的を定めない平皿的スペースといいながら、「目的を定めた場所では行いにくいことを行う」という目的を持ったスペースと言えるのです。
この場合は平皿的スペース、重箱的スペースと分けた時点で公園全体が重箱的性質を持ってしまったので、互いの中間とは呼べないかもしれませんが、こう考えると平皿は重箱の中の一部なのではないかと思えてきました。
投稿者: 榎本拓也 | 2009年12月02日 23:22
建築の形式として平皿建築はないと思います。
重箱はおせちを入れる箱です。何段目のどこに何を入れるかがはっきり決まっています。地域やお店によって異なりますが、大体入るものは決まっています。とても秩序があります。平皿は平らで大きなお皿です。そこにルールなく料理をのせていきます。上も横も遮るものがないので、崩れるまで盛ることができます。あるお店では皿という概念を超えお盆にはみ出すどころか、お盆に盛っているところもあります。まるで無秩序です。
これを建築に例えます。重箱のようにどこで何をするか決まっている形式の建物はたくさんあります。例えきれないほど該当する建物があるでしょう。では平皿のように好きなように好きな空間を利用する建築、目的のない空間を持つ建築はどんなものがあるでしょうか。ワンルームマンションには風呂、トイレ、キッチン以外に何もない部屋があります。とてもフレキシブルな空間でしょう。体育館も運動をする以外に大きな空間を生かし、式を行ったり、展示をしたりする空間になります。時には設計者の意図しない用途で使われることもあるでしょう。
しかし、平皿と平皿建築には決定的な違いがあります。建築物には壁と屋根があります。つまり空間に限りがあるということです。限りがあるとその空間でできることが制限されます。ワンルームでバスケはできないし、体育館でペットボトルロケットは飛ばせません。このような行動をする人もいるかもしれませんが、基本的にワンルームは寝食する場所、体育館は前記のようなことに使われます。それ以外の用途に使うほうが難しいです。壁と屋根がある以上重箱なのではと思えてしまいます。
逆に天井のない球場のような建築は平皿かというとそれも難しいです。マウンドの上では普通寝ません。ですから建築はすべて重箱に帰属します。この考え方は極論であって且つ知識不足です。ご了承ください。
投稿者: 08T7007J ito tatsumi | 2009年12月02日 23:25
僕のアパートはワンルームなのですが、原田君のコメントを読んでこのことについて考えてみようと思いました。
最初引っ越してきた時は、ワンルームが気に入りませんでした。これまで見てきた部屋と違ってベッドや机、テレビなどをどのように配置するべきなのかが想像できなかったのです。トイレや浴室のドア、異様に大きな窓などが邪魔してたというのもありますが、どのような配置にしても無駄なスペースができてしまう…。以前松本に引っ越してきた時は直感で配置が決定し、そのまま1年間ほぼ変化なく過ごせました。しかしワンルームとなるだけでこんなにも悩まされるか、と驚きました。これはただ広いからという訳ではなく、この空間を設計した人が平皿の考え方を持って設計したからではないかと思います。
家具の配置を考える上で一番のネックとなったのが、初めからこの部屋に置かれていたテーブルと、その机を照らすための局部照明です。平皿の中にわずかな重箱があったのです。そのテーブルの位置というのが、部屋の真ん中で2つに割るような、どう考えてもおかしな位置にあるのです。このテーブルは備え付けられているわけではなく移動させることが可能なものだったので、まずこの局部照明を利用することを諦めることにしました。テーブルはキッチンの傍に配置され、料理をする際にとても便利なテーブルとなりました。さらにこのテーブルは製図や模型製作の際には勉強机の隣に配置され、作業の効率UPに一役買っています。その他の家具も試行錯誤を重ねて今の配置に落ち着きました。本来テーブルを照らす役割を持っていた局部照明は、今は設計製図の授業で製作した模型を照らす役割を与えられています。
そうやって平皿であったこのワンルームは今、原田君のコメント通り家具によって基本的な行動が決定された空間の集合、重箱の空間となったのです。その中で残った平皿の空間、それこそが料理や食事、勉強や模型作製と多くの役割を担うあのテーブルなのだと気付きました。もともとこのテーブルは、おかしな位置にあったもののおそらく食事をするための重箱的なテーブルであったのだと思いますが、僕の手で平皿と化し、今はこの部屋になくてはならないものとなりました。これも原田君のコメントに則していると思います。
そして今僕はこの部屋を大変気に入っています。これからもまた家具の配置が変えられて、少し違った重箱に変化していくと思われます。それを考えるのが、とても楽しいのです。
投稿者: 08T7037A 春本賢志 | 2009年12月02日 23:28
目的の有無で重箱建築と平皿建築に分けることができるのだろうか。
重箱建築とはその部屋ごとに用途を与えたものであり、平皿建築は用途を決めずflexibleな空間を与えたものである。その点では、学校の多目的ホールやドームなどが平皿建築であり、音楽室、美術館などが重箱建築である。
しかし、目的を与えたものが重箱建築で、目的を与えないものが平皿建築かというとそうとは言えない。平皿建築は少なくともいろいろなことに使いたいという目的はあるだろう。まして多目的ホールは名前からして多くの目的を持つホールとなっている。
このことから、建築が目的もなく作られることはなく、平皿建築は目的の与えられていない建築ではないだろう。建築だけではなく私たちの身の回りにあるものは何かしらの目的をもって作られたものなのである。
投稿者: 08T7043E 松本知佳 | 2009年12月02日 23:35
一般的な住宅について考えたとき、だいたいは設計するときに用途を決めて部屋割りをするから、家具などの位置は多少の自由があるので平皿の要素もあると思いますが、やっぱりそれぞれの用途に適した配置や部屋の大きさがあるので模様替えといってもげんどがあり、これはほぼ重箱だと思います。むしろ住宅は平皿すぎるとあまりに自由すぎて困るような気がします。つぎにスーパーについて考えたとき、スーパーは商品の配置換えとかもあるし平皿よりですが、商品の置かれているコーナーと裏方の調理場や荷物置きなどは完全に分かれているんでやはり重箱の要素も含んでいます。
重箱と平皿どちらがいいということもないんですが、この二つを考えて、僕は規模の大きなものは自由度が高い平皿寄りのものが適している場合もあるけれど、住宅などの規模の小さいものはちゃんと役割の決められていて余分なスペースのない重箱のほうが合っているのかも知れないと思いました。
投稿者: 08T7026E 田中宏典 | 2009年12月02日 23:48
場所と目的の関係性の緩いことについて考えて見ます。場所と目的というと人間がつくったものに限られるような気がしましたが、この緩い関係性について考えて見ると、海というものを思いつきました。人間は海でさまざまなことをします。例えば、海水浴、日焼け、釣り、漁業、交通手段、物資の輸出入、など、人間はさまざまな目的を海で果たしています。一つの目的ではなく、さまざまなことを海という場所で行いこの海は平皿の例としてあげていますが、実際には規模がかなり大きく、一見重箱的な感じは見受けられませんが、船の航路や魚のよくとれる漁場、海水浴場といった場所はある程度決まっているので、あるいみで重箱的と考えられます。これについての是非ということですが、今あげたように平皿と重箱は共存している形になっていると考えられるので、どちらがどうということはわかりません。しかし、使用者側から見てみると、臨機応変に使えるようなものが望ましいのかと思います。
投稿者: 峯村廣紀 | 2009年12月02日 23:49
私は平皿建築というものがどうもピンとこない。その場所に目的を与えないのが平皿建築と呼ばれているというが、本来家というものは人が住む場所であり、常にある目的にそって生きている人間にとって目的が無い空間というのはほとんど無いのではないだろうか。例えば今私たちが住んでいるアパートは入居当時、風呂やシンク以外は部屋の中に何もなかっただろう。しかしそこに机や棚、ベッドを置くことで、勉強や睡眠などの目的を果たすための空間になっているのである。平皿建築の代表であるファンズワース邸であっても、当時どんな人間がどう生活していたなど知る由も無いが、机などの家具やベッドなどを置き普通の生活をしていただろう。普通の生活で目的の無い行動はせいぜい休憩の時間くらいであろう。最初の段階で場所に目的を与えない平皿建築であっても、家具を設置してしまえば部屋のしきりが無いだけで重箱建築となんら変わりは無いのではないかと私は考える。
また、青木淳さんの考えは「建築は住むもの」として考えたときに、原っぱで自由に遊ぶというという例えは何も無い空間で生活することと考えられ、家の中で家具と共に生活をする一般的な人間にとってはありえないことだと思う。
投稿者: 菅井亮 | 2009年12月02日 23:56
場所と目的の緩いの場所と言って僕がおもいつくのは道路です。
道路には一応ルールというものがあるけれど、実際にはすべて守られているわけではないし、利用者の都合のよいように使われている気がするからです。ただ、これは道路が車や人に比べてスケールが大きいからではないか?と思います。ものが大きければその分目的も細分化されたものではなく大雑把になってしまうのではないでしょうか。
重箱建築と平皿建築の違いもその建築の大きさも関係あると思います。大きさだけではなく、建築をどこから見るかというのも関係あると思います。重箱建築は建築をものすごく近くから、平皿建築は結構遠くから建築を見ているのではないでしょうか?
だから僕は平皿と重箱の違いは大きさや見る距離感というのも大いに関係していると思う
投稿者: 貴舩達也 | 2009年12月02日 23:59
私は重箱も平皿も建築としては各々大事な役割を果たしていると思います。
まず重箱について述べたいと思います。この章での重箱とははっきりとした目的で使用するためにちゃんと考え計算して設計された建築のことです。レストラン、教会、スタジアムなどは重箱建築の例だと思います。そういった場所はある種の目的の行動を行うために特別に設計しているからです。したがって、場所と目的の関係性が強いです。
それに対して、平皿建築とは使用する人の使い方によってさまざまな形で使えるように設計された場所だと思います。たとえば、貸しオフイス、公園や美術館などです。そういった場所では使用する人のあらゆる使い方を想定し、計算して多目的で使えるように設計しなければなりません。したがって平皿建築とはただ単に自由スペースを造ればいいことではないのです。あえて言えば、重箱建築よりもさまざまなことを検討してからでないとうまく造れないものだと思います。さまざまな目的で使えるため場所と目的の関係性が弱いです。
このように重箱も平皿も使用する側を考慮して設計されているのでどちらがいいか比較はできないと思います。したがって、平皿建築への批判は認めるべきではないと思います。
投稿者: 08T7050H May Hsu Shin (メイスーシン) | 2009年12月02日 23:59
まず平皿と重箱の違いを考えてみる。一番の違いは仕切りがあるかないかだろう。
青木淳さんの遊園地と原っぱの例えはとてもわかりやすい例だと思います。遊園地へ行ったらそこにあるアトラクションで遊ぶのは当たり前で利用者全員が同じように遊ぶだろう。これが原っぱになると一人一人することは違う。なにもないからなんでもできる。
建築という点でこの二つについて考えてみると最初にあげた「仕切りがあるかないか」という違いは正しくないと思います。貸しアパートの一室を例に挙げると、その一室に住む人もいれば倉庫として使う人もいる。つまり目的が決まっていない平皿建築ということができるのではないかと思う。
こう考えると周りには平皿建築が多い気がする。目的のはっきりした重箱建築といえば美術館や駅などがあげられる。もちろん美術館を全く関係のない使い方をすることもできるが、それはもう美術館ではない。つまり、名前のつけられた建築物は重箱建築が多いのではないかと思う。
設計製図で貸しオフィスをやっているが、あれはまさに平皿建築と呼ばれるんだろうと思いました。借りた空間をどう使うかはその人の自由だからどんな人が借りても使いやすいと思ってもらえるような建物にしないといけないんだとわかりました。
投稿者: 08T7034F 西尾慎吾 | 2009年12月03日 00:00
重箱建築も平皿建築も料理に例えられる器ということで料理に注目して考えてみました。
料理は目で楽しむもの言われますが、その料理の器である重箱と平皿に建築が例えられるように作った料理をどのように盛るのかは重要な問題であり、盛る皿がどうあれ、色・形を考慮した盛り方を考えなくてはなりません。建築に言い換えると、建物内(または外)で人がその空間をどんな時、どのような、どのくらいの人数で、などなどを設計者が想定しなければなりません。それが設計意図であり、そういう意味では平皿建築も目的を持って設計されているといえます。しかし住宅メーカーが作るような家づくりから壁を取っ払って一つの空間にしたからといってもそれを平皿建築と呼ぶことはできません。なぜなら、そこには設計意図がなく。料理も重箱の区切りをなくしてれはきれいに盛ることはできません。
投稿者: 近藤隆太 | 2009年12月03日 00:07
場所と目的の関係性が緩い、平皿建築の例としては、東京ドーム等のスタジアムがあると思います。そこでは、野球の試合、ライブなどその広さを活かした様々な目的で使用されます。このことからフレキシブルにその空間を使うにはある程度の開かれた大きな空間、しかも仕切られていない空間が必要だということがわかります。
しかしただ広いだけでは一度に行える活動はひとつだけであるし、そんなに広さが必要でないこともあります。そのため、重箱にも平皿にもなりうる建築、つまり仕切ったり開放したりできる建築こそが最も自由で目的を選ばない建築であると考えました。
投稿者: 08T7011G 岡崎大地 | 2009年12月03日 01:13
私は重箱⇔平皿という関係は対照的な関係ではなく、同軸上にあって場所と目的の繋がりの緩さ・きつさを示すものだと捉えます。それは、先に述べている方もいますが、場所の利用目的は利用者に委ねられている部分が大きいからです。設計者が機能を割り当て場所と目的の関係をもたせたとしても利用者の利用目的によって場所と目的の関係は緩くもきつくもなり得る。そうすると純粋な重箱建築、平皿建築というものは存在し得ないのではないか。そこで私は、場所と目的の関係が重箱から平皿へと変わる例を挙げ、その遷移から重箱・平皿を規定する要素は何であるのか推察してみようと思います。
「銭湯」を例に挙げます。銭湯の利用目的は衛生の管理にあります。洗い場では体を洗いきれいにし、湯船やサウナでは血行を促進させ汗をかき代謝を高める。命の洗濯です。中山君の例にもありましたが、私たちは銭湯に割り当てられた機能を常識に従って利用しています。機能が割り当てられた場所では人は常識に基づいた行動をしてしまう傾向があるのではないでしょうか。
そんな銭湯で、一つの事件が起こることがあります。浴室に入るや否やいきなり湯船に浸かりだす外国人、湯船で遊ぶ子供達。湯船に割り当てられた機能は体を洗うことでも、遊びの場でもありません。この常識を逸脱した利用の仕方は「慣習」によって引き起こされると考えます。外国人の多くは日本の公衆浴場でどのように振舞うべきかを把握していません。これは子供にも言えることです。この銭湯の例は利用者の「慣習」によって、場所と目的の繋がりが設計者の意図を越えてしまった例と言えます。慣習の前では場所と目的の繋がりは簡単に揺らいでしまう、大げさに言えば慣習に支配されているとも考えられないでしょうか。
人の慣習はその人が暮らす社会(歴史・法・信仰など)によって様々です。このことは純粋な重箱建築を作る難しさを物語っているのではないでしょうか。もしも、どんな慣習をもった人が利用しても利用目的が一つに定まってしまう純粋な重箱建築を作ることができたら、それは神を創り出すことになるのではないか。私にはそのための考えが及ばないが、そのようなものが存在するのなら私はそれに是非会ってみたい。
慣習:ある社会の内部で歴史的に発達し、その社会の成員に広く承認されている伝統的な行動様式。ならわし。風習。(広辞苑より)
(書き込みが非常に遅くなってしまいました。参加だけさせて頂きます。
投稿者: 04F4003D 岩崎 雅 | 2009年12月03日 15:28